初恋にはご用心!

ヨルノモリ

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 ハロウィンの前日は、何かと忙しい。早起きしてお昼になる前に洗濯まで終わらせ、午後は徹底的に水回りの掃除をする。カビやぬめりなんて残しなるものかと、親の仇のように殲滅させた。
 夕方には干したベッドシーツを取り込んでベッドメイクをしてから、陽が沈む頃には晩ご飯に作ったクリームパスタを食べる。

 明日はこの家で過ごす、最後の日。
 ちょっと贅沢して、お気に入りの白葡萄のジュースまで買ってしまった。
 よく乾いたシーツはお日様のにおいがして気持ちが良いだろう。
 ちゃんと予備も洗って干したから、明日の朝にもう一度それを使ってベッドを綺麗にしてから、この家を後にする予定だ。

 ゆっくりと湯船に浸かって身体をほぐし、まとめた荷物の確認をした。
 持っていくものは少なくしてある。


 森で泣いてから、マゼンダのなかでは何かが切り替わった。

 ズィーロへの気持ちはまだ変わらない。
 バカだなあ、ちょろいなあ、と自分でも思う。
 だが、本気で恋に落ちてしまったのだと、認めてしまえば気は楽になった。
 だって、好みど真ん中の男がこれでもかというほど甘やかしてくるのだ。これで落ちないなんて無理だ。仕方がないではないか。

 いつの間にか本気で恋をしてしまっていた、自分の落ち度。そのせいで傷付いたって自業自得だ。
 マゼンダは自嘲する。

 でも、ここまでしっかり恋に落ちてしまったのだから、たくさん思い出を作って、これからの逃亡生活の心の糧にする。
 そう心を新たにした彼女は、ズィーロから与えられる甘く爛れた日々を心ゆくまで堪能することにしたのだった。
 ある意味安心だわ。無理矢理犯されることはないってことだもの。
 マゼンダはそう思うことにした。

 どんなに、心のどこかが虚しさで軋んだとしても。


 そう決めて彼との生活を楽しんでいると、時折ズィーロが探るように彼女を見つめるときがあることにも気が付いた。
 騙せているのか、きっと確認しているんだろう。
 そんなときにはマゼンダから求めるようにしてきた。

 そして反応してくれない彼の下半身をちゃんと確認し、ああ、そうだよね、と自重する。溶かされた心を固めるにはちょうど良い冷却装置が、彼の下半身に内蔵されていた。

 ズィーロが好き。
 これはもう、どうしようもない。
 初恋だからこそ、どう処理して良いのか分からない感情がぐちゃぐちゃに頭をかき乱すこともあるが、そんなときにはドロドロに蕩かして甘やかしてもらえば良いのだ。
 どうせまた、無反応のあそこを見て冷静になれるから大丈夫。
 そう、深く考えなければ良い。

 ここから逃げてから、また、ちょっと泣くだろうけど。


 持っていく荷物はひと抱えほどのボストンバックに何とかおさまった。
 生活の糧の薬のレシピ、お気に入りの服を3着、なかなか手に入らない薬草を乾燥させたもの。キャサリンおばさん特製の石鹸も、鞄の中にしっかりと入れた。
 あまり重たいと持ち運びしにくいので、これで終わりだ。

 今回、この森には比較的長く住んでいたので物が増えてしまった。
 置いていくものは、申し訳ないが処分したりこのままズィーロに使ってもらえるように、置き手紙でお願いをして行く予定だ。
 借金取りに追われている設定で話はしてあるから、突然いなくなってもきっと大丈夫だろう。
 もう手紙は書いてある。
 謝罪料に、少しばかりのお金も置いていく。

 手紙の宛先はいつも薬を卸させてもらっていた商会のシドさんと、ズィーロ宛に。
 本当は町の人にもそれぞれお礼を言いたいが、人外のものに町の住民と仲良くしていたことが伝わってしまうと逆に相手に面倒をかけてしまう。備蓄としては充分なほどに薬は作っておいたから、きっと大丈夫。一方的で自分勝手な別れになってしまうが、このまま何も言わずに去ることがお互いのためだ。
 でも、いつか必ずお礼に来よう。本当にお世話になってしまったから。

 好きな町だったし、素敵な森だった。
 本気で好きな人まで、できてしまった。


 でも、ズィーロは最後までわたしに発情してくれなかった。
 彼のほうは、きっとすぐ忘れるだろう。
 それとも利用する予定だった女が何も言わずに逃げたことに、激怒したりするんだろうか。

 それはそれで小気味良いざまーみろだわ。
 マゼンダはバッグの蓋をバチンと閉めて、ふふ、と笑った。


 そんなことをツラツラと考えていると、とっぷりと暗くなった外から物音がして、ヒュッと喉が締まった。
 時計を確認する。
 まだハロウィンにはなっていないものの、もうだいぶ遅い時間だ。あと1時間ほどで日付が変わる。

 見つかった?
 なにに?
 鼓動が激しくなる。
 大丈夫、招き入れなければ大丈夫。

 寝てしまったフリをしよう。
 仮に町の人だったとしても、緊急の用事など碌なものではないし、そもそもそんな仕事はしていない。
 外から中を覗けるような窓はもう閉じてあるし、見えないようになっているはず。外扉もしっかり施錠済みだから大丈夫だ。

「マゼンダ」

 コンコン、とノックする音とともに、耳慣れた声が聞こえる。
 ズィーロだ。

「マゼンダ、起きてるでしょ。ねえ、開けて」

 何で起きていると分かるのだろう。物音は立てていないのに。
 目を閉じて、ゆっくりと息を吐き、気がつかないフリをした。
 開けない。ごめんね。

「マゼンダ」

 ズィーロは諦めない。
 コンコン、と控えめだがよく響くノックの音。

「マゼンダ、お願い。今夜はちょっと寒いし、…お腹痛いんだ」

 うわあ、とマゼンダは悩む。
 お腹が痛いのは、捨て置くにはしのびない。

 ここから町まで歩いて15分ほどだ。
 走って10分。
 お腹が痛い人間は走れないだろう。15分、森を歩いて町に行けるのか。
 間に合わないとすると、森のなかで?いや、ちょっと寒いし暗いし可哀想すぎる。
 何よりもハロウィンが終われば別れを告げるとはいえ、大好きな人なのだ。ちょっと、外で…は、さすがに。

 ハロウィンになるまで、残りあと1時間と少し。


 大丈夫、トイレだけ使ってもらって、すぐ帰ってもらう。
 マゼンダは腹痛薬の在庫を確認して心を決める。

 ドアを開けると、深緑の薄手のコートを羽織ったズィーロが立っていた。腕には満開の桔梗と月下美人の花束を抱えて、カゴまでぶら下げている。
 彼の背後には、ほぼ満ちた月。影が出来るほどに明るい夜だ。月が思っていたよりも高い位置にある。

 なんて素敵。
 きっと、いつもなら、そう思えた。
 今日でさえなければ。マゼンダは悔しく思う。

 あからさまに長居が目的な荷物を抱えた彼の姿にマゼンダは心のなかで頭を抱える。対してズィーロは、扉を開けてもらえたことに嬉しそうに微笑んだ。

「良かった、マゼンダ。やっぱり開けてくれた」
「とりあえず中に入って」
「ありがと」

 トイレだけだからね、とマゼンダは思わず非難するような視線を送るも、ズィーロは構わず家に入り込んで彼女を抱きしめる。ズィーロの、けぶるような、少し甘みのある香の匂い。嗅ぎ慣れた大好きな匂いだ。
 そこに月下美人の匂いが混ざり合い、クラクラするような夜の匂いがする。

「早くトイレ行ってきて。…今日は来ないでって言ったのに、どうしたの?お腹までこわして」
「だって、もうすぐ、マゼンダのお誕生日でしょ?一緒にいたかったけどダメならこれだけでも渡したくて」
「…ズィーロ、」
「ごめんね。でも、好きな人のお誕生日に会えないなら、せめて誰よりも早くプレゼントを手渡すくらい、許して」

 抱き締めたまま額にキスをされて、呆れる。
 ズィーロは少し、強引なところがある。決めたことは必ずやる。マゼンダの意志を少しだけ踏んづけようが、お構いなしに。
 現に今、ずっと前からハロウィンは一緒に過ごしたいと言われていたがその都度断っていたのに、こうやって突破して家のなかに入り込んできている。
 そんなところも好きだけど、今回は困る。

「ありがとう。でもせっかくだけどごめんね、今日はちょっと」
「…そっか。まだそこまでは、解ほぐせてないか」
「なに?」
「ううん。トイレ、借りるね。ありがと」

 ぽそっと言われた言葉を聞き返すが、ズィーロは応えずに家の奥へと向かう。その背中を見て息を吐いてから、マゼンダはキッチンに入って腹痛止めの薬と水を用意した。
 これを飲んだら、すぐに家を出てもらおう。


「なんだか、家が綺麗だね」

 トイレから戻ってきたズィーロが部屋を見て言う。

 部屋自体は綺麗になっただけで、いつも通りのはずだ。
 貯蔵室はちょっと買い込み量がおひとり様パーティ用に豪勢なだけで。
 マゼンダは綱渡りしている気分でズィーロの動向に細心の注意をはらう。こんなにも緊張するのは久しぶりだ。せっかくお風呂に入ったのに、変な汗をかく羽目になりそうだな、とちょっと悔しくなってしまう。

「ふふ、大掃除したもの。スッキリしたでしょ?」
「…明日、誰か、招いてるの?」
「ん?ううん、誰も。明日はひとりで引きこもって過ごす予定だし、家のなかが綺麗なほうが気持ちも良いでしょ?」

 だからすぐに帰ってね、本当はあなたもお呼びでないのよ、と遠回しに伝えてみるが、そこには全く触れないままズィーロは少し家のなかを観察する。
 掃除をしただけ。
 荷造りと、身辺整理もしてはいるが。

「そっか、掃除…か」
 言いながらズィーロはマゼンダを抱き寄せる。すぅ、と首筋に鼻を埋めてにおいを嗅がれる。お風呂はいったんだね、良い匂い。と呟きながら耳の裏や付け根を唇で柔らかく食んだ。
 マゼンダはいつもよりも強引なズィーロに緊張しつつ、普通に笑って水を注いだグラスと腹痛止めを差し出す。

「これ、薬。飲んでね。お腹大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがと」

 マゼンダが差し出したグラスを受け取り、水だけ飲み干してしまったズィーロは、薬はそのままダイニングテーブルの上に置いて、じっとマゼンダを見つめた。

「…マゼンダ」
「なあに?」

 見つめながら、少しずつ近付いてくる。

 え、近い。
 マゼンダはズィーロを見上げる。
 いつもより、なんとなく体格差を感じた。口を引き結んで、表情をなくした彼の纏う空気が、ピリピリしているせいだろうか。
 何をしたいの?
 じっと観察していると、ふと、彼の目の色彩に変化があった。

 仄かな、本当に僅かな変化。
 だが、マゼンダにはそれで充分だった。

「お誕生日おめでとう、マゼンダ」

 ズィーロの瞳の色が、錆色から完全に金色に変化した。
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