なぎさくん。

待永 晄愛

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なぎさくん、なにしたの?

何方

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「だめ。」

渚くんはこれで20回も私のお願いを断った。

苺「えー、なんで?」

渚「うちのおばあちゃん、認知症進んでるから。」

苺「…ニン、チショー?」

渚「物忘れがひどくなってんの。もう黙って手伝ってくれない?」

私のしつこさにイラつき始めた渚くんは私たちが挟んでいるテーブルの上に置いていた10日後にあるお祭りのパンフレットとそれを包むビニール袋を突き出してきた。

苺「物忘れって物の名前ど忘れしたり?」

私は止めていた手を動かしながら会話を続けると渚くんは呆れたようにため息を一度ついた。

渚「全部。」

苺「…全部?」

渚「物の名前も人の名前も思い出も全部。最近はまともに喋ってない。」

と、渚くんは苛立った口調で悲しそうな顔をしたのを無理にパンフレットで隠した。

苺「…忘れると喋らなくなるの?」

渚「記憶が溢れていくんだから言葉も溢れてく。だから会っても意味ないよ。」

苺「えー…。じゃあ一緒に夏祭り行こ?」

渚「だからなんでそうなるの?」

怒った渚くんはパンフレットの上から私を睨みつけてきた。

けど、その目を見ても嫌なものを感じることがなかったので私は攻めてみる。

苺「潮原くんと行きたいから。」

渚「だーかーらー、僕はお金稼がないといけないの。」

苺「なんで?」

そう聞くと渚くんは不意に視線を外し、また作業を始めてしまった。

この間、呼々夏おじさんが言ってたことは本当だったのかも。

だったらもっと渚くんを夏祭りに連れて行きたくなる。

苺「夏祭りかおばあちゃんのとこ、どっちか一緒に行ってくれたらもう何にも喋んない。」

渚「…しつこい。」

苺「お願い。呼々夏おじさんも隠してること、潮原くんのおばあちゃんに聞きたいの。」

私は自分の手を止めて真っ直ぐにお願いすると、渚くんはまだ外から帰ってきていない呼々夏おじさんを確認してから口を開いた。

渚「隠してることって?」

苺「津田くんって人のこと。きっと私のお姉ちゃんが知ってる津田くんと同じ人なのに違うって言うの。」

そう言うと渚くんはとても難しそうな顔でしばらく考えると、眉を寄せたまま目を合わせてきた。

渚「いいよ。」

苺「…本当に!?」

渚「いいけど誰にも秘密ね。」

苺「うん!」

私は渚くんから進んで2人だけの秘密を作ってくれたことに嬉しくなり、さっきまで蔑ろにしていた作業をテキパキとこなした。

すると、呼々夏おじさんが帰ってきたのかお店の扉がカラカラと開く音がした。

苺「おかえりー。」

私が呼々夏おじさんを迎えに行こうとすると、心臓が止まりそうなほど冷たい手が私の腕を引いて座布団の上に戻した。

渚「今から行こ。」

苺「え?今?」

渚「うん、今。」

そう言って急に強引になった渚くんは私の腕を引き、台所にあるこの家の裏口へ行くと自分のスニーカーを私に履かせて自分はつっかけのサンダルに足を通した。

苺「靴取ってくるよ?」

私の靴は表のお店の方に置いたまま。

だから取りに行こうとするけど渚くんは静かにと人差し指でジェスチャーをしてから、いつもは軋む扉を音なく開けて日が落ちた外へ出た。

渚「ちょっと近道。」

そう言って渚くんは獣道のような人が通らない道を風の音と一緒に走り、私たちを追うように裏口から出てきた誰かから逃げる。

その様子が今さっき帰ってきたのが呼々夏おじさんではなかったと言われている気がして私は絶対置いていかれないようにしっかりと手を握り返し、必死に着いていっていると私の家が見えるところまで走ってきた。

苺「…あ、電気付いてない。」

もしかしたら携帯を取りに行けるかも。

そう思ったけど渚くんは私を無視してすぐにまた林の中に入り走り続ける。

その進行方向は町に沿うように走っていてこの先には幸呼神社があって、その先には山姥がいる捨て山がある。

だけど渚くんの家とは真逆で私は迷いなく進んでいく渚くんに少し不安を感じていると、渚くんは私の呼吸を整えさせるために町と神社の境目付近で一度茂みに隠れながら休憩時間をくれた。

渚「あともうちょっと走るけどいい?」

…ちょっと?

今、直線で走ってきたけどここまで来るのに1㎞走ったくらい体力消費した。

ちゃんとしたいつもの道ならこの5倍くらいかかるはずなのにこんな抜け道を使ってくれるならあと3分くらいでつくのかな。

苺「頑張る。」

私はここまで走ってきても息が上がっていない渚くんにまた好きが募り、切れかけの体力が戻ってきた。

渚「じゃあ行こ。」

渚くんが私の手を引いた途端、ぽわっと横目に明かりがついたのが見えた私は慌てて渚くんを引き止める。

すると、茂みの向こうに見える町の終わりと神社の入り口に人が数人いるのが見えた。

私はそれを渚くんにジェスチャーで教えて息を潜めていると、そこにいた1人がこちらに懐中電灯を向けて照らしてきた。

茂みに隠れていた私たちは変に影が動かないように光がそっぽ向くまで待っていると、風に乗って知っている声が聞こえてきた。

けど、会話は聞こえない。

満彦おじさんと外ではあまり見かけたことがない乙武先生の父親である乙武 財おとたけ たからさんが何かを話している。

その会話はどこか楽しげに聞こえて嫌に不気味に感じた。

そんな2人は何か資料のようなものをパラパラと見ながら丘上にある神社を見上げて話し合いを進める。

けど、夏祭りの飾りつけなら今日呼々夏おじさんが相談を受けることになっていたのに2人とは一緒にいない。

他に何か別の行事でもするんだろかと思っていると、しばらく話し合っていた2人は巫女さん達を引き連れて神社へ戻っていった。

渚「じゃ…、行こ。」

渚くんはやり過ごせたことにホッとしながらまた足を進め、まさかの山姥がいると噂されている山の麓まで走ってきた。

苺「おばあちゃんって…」

渚「行くよ。」

そう言って渚くんは禁足地とも言われている山へ何もためらうことなく、人1人分空けられた針金の穴を通り私に手を差し伸べてきた。

渚「大丈夫。怖くないよ。」

怖いよ。

手を伸ばしてくれている渚くんの後ろは月の光も入らない真っ暗な森。

そこからいつ山姥と言われる鬼が出てくるか分からない。

…けど、渚くんが大丈夫って言ってくれるならきっと大丈夫なはず。

私は今の渚くんを信じてお父さんが入ったと言われる喪雨月山もうげやまに足を踏み入れた。




待永 晄愛/なぎさくん。
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