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季節外れのリュシオル

★女性は耳から恋をする(ダーナ目線)

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 それから数日後のよく晴れた朝、ふふ~んとダーナは調子はずれの鼻歌を歌いながら春の庭を散策していた。

 今日も適当な上着を肩に引っ掛けただけの恰好で花々に流し目を送るその姿は、まるで娼館で遊女を吟味するような軽さと色気がある。ちなみに朝食後の散歩は、ダーナの日課となっている。

 といっても雨の日は、だらだらと庭を眺るだけだが、とにかく花々を愛でるのはダーナにとって一日の中で一番至福の時間であった。

 一言でケイノフを表す言葉は謹厳実直で、ダーナは自堕落。鏡面のように二人の性格も生活も正反対である。ケイノフは朝早く起床すると、毎日決められた仕事を淡々とこなし、時にはやらなくても良い仕事まで抱え込んでしまう。

 反対にダーナは、必要最低限のことしかしない。これは根が不真面目というわけではない。適材適所という言葉通り、武闘派の彼はできる仕事が限られてしるし、下手に手を出さない方が効率がかえって上がるのだ。

 このダーナとケイノフ、水と油のような存在だが主に対する忠誠は一族において右に出るものはいない。二人の長い付き合いには、色々な出来事があったのだ。でも、それはまた別の機会に────。
 


「……あっという間に葉桜か」

 ダーナは、丁寧に掃かれた石畳を弾むように歩きながら、満開の時期を通り過ぎようとしている桜木に目を細めた。

 散りゆくのは名残惜しいが、この霞のような淡い紅の桜が散れば、色彩の強い春の花が一斉に咲き出す。
 そして今、一番見事なのは、屋敷の渡り廊下近くに設えられたウィステリアトレリス、東洋でいう【藤棚】と呼ばれるもの。今が咲頃とばかりに、紫色の房を優雅に垂らして風に揺れている。

 これは滅んでしまったアスラリア国の国花でもあり、レナザードがこの屋敷を手に入れた際に、強く望んだものであった。理由はもちろんティリア王女を想ってのこと。

 そんなことを考えながら、ぼんやりと藤棚を見ていたダーナは人影に気付いて思わず声をあげた。

「あれ、お嬢ちゃん?」

 そう呟いてみたが、その声はスラリスには届かなかったのだろう。スラリスは風に揺られるウィステリアの花に手を伸ばし、はらりと舞い落ちる花びらを掌で受け止めていた。

 ダーナに背を向けているので表情まではわからないが、その姿は例えメイド服であっても可憐な姿だった。

 再び風が強く吹くとスラリスの掌にあったウィステリアの花びらが、ひらりと風に舞う。

 スラリスは切なそうに、風に舞った花びらを視線だけで追っていたが、何かに気付いたらしく小首を傾げた。

「ダーナ……さま?」
「ああ、見つかっちまったか」

 ぽりぽりと頬を掻きながら歩を進め、スラリスの元まで移動した。しかし、肩を並べて会話をしたいダーナであったが、彼女はメイドらしく3歩後ろに下がってしまった。

 そしてこのままだ一礼して消えてしまいそうなスラリスに、ダーナは慌てて声を掛けた。

「ここ数日、暖かかったから、一気に満開になったな」
「さようですね」

 返事が後ろから来るのも味気ないが、他人行儀な口調はもっと味気ない。
 ケイノフのように辛口な会話を求めるつもりはないが、できればもっと砕けた話し方をして欲しい。しかしそれを求めるのは、やっとメイドの生活になれた彼女には少々酷だろう。
 
 ならばせめて笑って欲しいと思い、ダーナは再び口を開いた。

「ウィステリアの唯一の欠点は、こうして見上げないと堪能できないってことだな。首が痛くて長くは見れないな。あんまり見るなってことか?こいつ随分と恥ずかしがり屋だな」

 首を捻ってスラリスを見れば、さあどうでしょうと、くすくすと笑いながらもそう返事がくる。

 その笑顔を見て、随分穏やかになった、とダーナはスラリスの変化に気付いた。そしてそろそろ頃合いかとも考える。何が頃合いかというと、もちろんスラリスを口説き始める時期だということ。

 ちらりとスラリスを伺い見れば、笑ったのは一瞬で今は居心地が悪そうに、そわそわと落ち着かない様子だ。
 
「………まぁ、仕方がないか」

 ダーナはそう呟きなから、思わず苦笑を漏らしてしまった。

 メイドとしての態度なら無礼に値するかもしれないが、咎めるつもりはない。なぜならダーナ自身も自覚しているから。自分の視線は常に鋭く、心の隅まで見透かすようなものだと。

 それは、ケイノフのようにあからさまなものではなく、気付いてしまうと、ずっと気になり続けてしまう、自分の心が丸裸にされてしまうようなものなのだろう。

 ま、そうと分かっていても、この絶好のタイミングを逃すダーナではない。
 ダーナ自身にとっては、女受けする笑み、しかし女性側からは胡散臭い笑みを浮かべ、一歩スラリスに近づいた。

「そう身構えるなよ、お嬢ちゃん。俺は主と違ってお嬢ちゃんを殺そうとなんて思ってねえよ」

 案の定、如何わしい何かを感じて、スラリスは息を呑んで無言で一歩後ずさる。

「取って食やしねぇよ、お嬢ちゃん。それとも、俺と一緒は嫌なのか?」 

 軽口を叩きながらダーナはスラリスに二歩近づき耳元でそう囁く。そして、今度はスラリスが身動きする前に、素早く腰を絡めとった。

「ここにも花があるな。……綺麗だ」

 剣を持つごつごつとした手が、ふわりとスラリスの頬を撫でた。それはまるで花を愛でるのと同じ仕草であった。次いでダーナは【寸止めするから、後で怒らないで下さいよっ】と胸の内でレナザードに言い訳をした後、彼女の顎を掬い取り、唇を這わせようとした瞬間────

「……へっ?消えた!?」

 ダーナの腕の中にいたスラリスが一瞬で消えてしまったのである。ダーナの両腕が虚しく宙を彷徨う。

「ダーナさま、本当にお花ありましたね」

 何故か、スラリスの声が地面から聞こえてきた。ダーナが視線を下すと、スラリスは地面にしゃがんだまま、ダーナを見上げている。

「へ?……はな?」

 間抜けなダーナの声を無視して、スラリスは地面に指をさす。確かにそこには、一輪の野芥子こと、雑草が生えていた。

「ダーナさま、本当にお花がお好きなんですね。こんな小さい花にも気付けるなんて、すごいです」

 スラリスはそう言うと、ぺこりお辞儀をする。次いで、仕事がありますからと言い残し、そそくさと屋敷へと走り去った。

 その間、ダーナが口を挟める間は皆無であった。

「男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちるっていうけど、ちょっと囁きが足りなかったか。いや、単に恋に免疫がないだけか、それとも知っていてかわしているのか。……もし、知っていての行動ならこりゃ、相当なお嬢ちゃんだな」

 ダーナは、天然悪女の資質を持つメイドの後姿を見つめながら、そう呟くとすぐに目を背けた。

 なぜなら男は目で恋をするらしいから。迂闊に後姿を追ってしまえば、木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラになりかねない。
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