身代わり王女の受難~死に損なったら、イケメン屋敷のメイドになりました~

茂栖 もす

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季節外れのリュシオル

★飛び込み未遂とあの日の真実(ケイノフ目線)①

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 それからまたまた数日後、スラリスは井戸に映る自分の姿をじっと見つめていた。………というのは嘘で、ただ単に凝り固まった腰を伸ばしていただけである。

 実をいうと、井戸の淵に手を付きストレッチをするのが、アスラリア国にいた頃から続いているスラリスの腰痛と肩コリの解消法。井戸の淵が丁度良い高さなのだ。

 ババ臭いかもしれないが、職業病というのは誰もが抱えてる。かつてのアスラリア国の城の従業員達も皆、ベストポジションがあり暇を見つけては凝り取りをしていたのだ。

 慢性的な疲労は積み重なると大病に繋がるので、人目を避けこっそりとやる分には、誰かにとやかく言われるものではない。むしろ推奨ものだ。

 がしかし、今回は場所と時刻が悪かった。

 無心に凝りをほぐしているスラリスは、たまたま傍を通りかかったケイノフに気付けなかったのだ。スラリスの仕事を手伝おうと、声を掛けようとした途端にケイノフはぎょっと目を剥いた。

 井戸の淵に両手を置き中を覗きこんでいるスラリスは、いつその手を離してもおかしくない状況で…………それは身投げ寸前の姿にしか見えなかった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 
 ケイノフは、スラリスに気付かれないように、慎重に足音を消しながら抜き足差し足で、そっと傍に近づいた。

「早まってはなりません!」
「────……ぅわ。びっくりしました。え、ケイノフさま?どうしたのですか?」

 きょとんと振り返ったスラリスは、悲壮な影は全く見えない。

「……え?」

 身投げをするつもりではないのか、などとは口が裂けても言えない状況で、ケイノフは掴んだままのスラリスの腕を慌てて緩める。

「い……いや、その……。そっ、そのように身を乗り出しては危ないですよ」

 少し悩んで、ケイノフは苦し紛れに、子供に注意するようなことを口にした。

「そうですね。申し訳ありません。気を付けます」

 ケイノフの言葉に、スラリスは素直に頷く。が、ケイノフの早とちりは、ごまかすことができなかったらしい。くるりと瞳を動かし少し意地悪そうな笑みを浮かべた。

「ケイノフさま、私は身投げなど致しませんよ」

 スラリスはくすくすと笑いながら目を細めている。反対にケイノフは、バレていたのかと苦笑を漏らした。ただスラリスも紛らわしい行動をしていたことは自覚があるようで、きまり悪そうに口を開いた。

「………実はですね、アスラリア国にいた頃、井戸はヤバイって良く言われてたんです。いつか身投げと勘違いされるって。でもこの高さ、凝りをほぐすのにはちょうどいい高さなんです」

 そう言って、スラリスは井戸の淵をぽんぽんと叩く。

 なるほど、背の低いスラリスにはこの高さが適切なのだろう。ただ屋敷のどこを使っても良いから、井戸で凝り取りをするのだけは勘弁してほしい。そんなことを考えつつも、斜め上の真相に思わず笑みが零れる。しかし、ケイノフの笑みは直ぐに消えた。

 穏かに微笑むスラリスが、どこか淋しそうに見えたからだ。無理に笑っているのは、もう二度と故郷の地を踏むことはできないと悟っているからなのだろう。

「スラリス、やはり故郷が恋しいですか?もし仮にですよ………散って行った仲間の元へ行きたいのなら私に言って下さい。ここから出してあげます。主は少々怒るかもしれませんが、あなたを殺すことはしないはずです」

 あなたにも家族がいるのでしょう、とケイノフは付け足した。だが、スラリスは静かに首を横に振った。

「ありがとうございます。でも、私には行きたいところも、家族もいないです」
「家族が……いない?」
 
 レザナードから堅く口留めされているせいで、スラリスはアスラリア国の一部の民が安全な地にいることを知らない。だから行きたいところがないと言うのは致し方無い。ただ、その後の家族についてのスラリスの言葉は気にかかる。

 そう思った途端、ケイノフはオウム返しに問うてしまっていた。不躾な質問だとスラリスは不快な顔をするかと思いきや、表情を崩さず是と頷いたあと、その理由を説明した。

「私はアスラリア国の貧しい農民の子供でした。親は私を僅かなお金と引き換えに売ったのです。と、言っても私が売られてすぐに流行病で死んでしまいましたが」

 他人事のように自分の生い立ちを語るスラリスは、笑みは崩していないのに、どこか投げやりな口調だ。まるで過去のことは全て忘れてしまいたいと言いたいように。

 メイドという立場上、自分からこの話題を終わらすことができないスラリスは、視線を上にあげ空を見つめる。これ以上何も話したくない、ということなのだろう。

 誰にだって触れて欲しくないものがある。それがわかるケイノフは無理矢理スラリスの過去を聞くつもりはない。

「そうでしたか」
 
 そう短い言葉で締めくくり、ケイノフは話題を変えるべく口を開いた。

「何か不自由なことはないですか?」
 
 ほっとした笑みを浮かべたスラリスは、ケイノフの問いに軽く首を振って答える。

「ケイノフさま、私はここの生活に何も不自由はありません。メイドも私が勝手にやっていることなので、気になさらないでください」

 そう言い切ったスラリスは井戸から少し離れ、ケイノフと体ごと向き合った。

「でもレナザードさまは私がメイドとして歩き回るのは不快なことでしょうね……。いえ、それ以前に自分を誑かした人間が同じ屋根の下に居るなんて考えたくもないのかもしれません。今更ですが……本当に、申し訳ないことをしました」

 そう言って今にも泣きそうな顔で頭を下げようとするスラリスを、ケイノフは爽やかな笑みを浮かべて止めた。

「あっ、若のことは気にせずとも良いのです。本当に。まぁ、なんていうか、単なる《こじらせ》ですから」 

 ケイノフの言葉に、スラリスはあんぐりと口を開けたまま固まった。

 しばらくその状態であったが《お風邪をこじらせましたか》と呟いた。その発想は面白いので、訂正はしないでおこうとケイノフは無言を貫いた。

 それにしてもこちら側では既に過去の事となっているあの一件を、スラリスがまだ引きずっていることに、ケイノフは驚く。と同時に視界の隅に二つの人影が現れた。

 一人はダーナ。もう一人は推して知るべし。

 これは良い機会だと、ケイノフは心の中で指を鳴らした。そして彼自身も聞いてみたいことがある。ただそれはスラリスとっては、随分と意地悪な質問になるけれど。

 それを知りながら敢えて聞く自分は意地が悪いと思いつつ、ケイノフは遠くにいる二人にも聞こえるよう声量を上げて口を開いた。

「そんなに悔いているのなら、どうして自分から偽りの王女だと告げたのです?ずっとティリア王女として、偽り続ければよかったではないですか?」

 あの晩の出来事の詳細をケイノフもダーナも知らない。ただ【こいつはティリアじゃない、偽物だ】そうレナザードから短い説明があっただけ。

 だからあの時、スラリスが何を思って自分の口から偽物だと言ったのかを自分の主に聞かせてやりたい、いや聞いて欲しいのだ。もちろんケイノフ自身も興味がある。

 そんなケイノフの思いを知らないスラリスは、視線を彷徨わせ何か言葉を探しているようであった。が、一つ息をつき真っ直ぐケイノフを見つめて口を開いた。

「見てしまったのです。レナザードさまの傷を。とても……ひどい怪我でした」

 二つの影は動かない。間違いなく次に紡ぐスラリスの言葉を待っているのだろう。ケイノフも二人と同様、急かすことなくスラリスが再び口を開くのを静かに待った。
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