身代わり王女の受難~死に損なったら、イケメン屋敷のメイドになりました~

茂栖 もす

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季節外れのリュシオル

★飛び込み未遂とあの日の真実(ケイノフ目線)②

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 ケイノフはスラリスの次の言葉を待つ間、あの晩の主のことを思い出していた。 

 確かに、あの晩はレナザードの肩から胸にかけて包帯が巻いてあった。しかし自分も含め、この屋敷の住人は怪我など日常茶飯事だ。怪我をしていたのはあの日に限ってのことではないが────。

「あの傷は、レナザードさまがティリア王女を助けるために負った傷ですよね?」

 長い沈黙の後、スラリスに唐突に問いかけられ、ケイノフは質問の意味がわからないまま是と頷いた。スラリスはその答えを予測していたのだろう、そうですよねと小さく頷いた。

 それから再び沈黙が落ちる。スラリスは、ぎゅっと両手の指を組み俯いている。その姿は、言葉が見つからないというより、彼女自身があの晩を回想しているように見えた。

 向かい合う二人の間に、ざあっと花の香りを含んだ風が吹き抜ける。それをきっかけにスラリスは顔を上げた。

「……ケイノフさまの言う通り、私は個人的な感情で、ずっと偽り続けたいと思ったのは事実です。でも私はティリア王女ではありませんし、レナザードさまは私を助けたかった訳ではなかったはずです」

 ケイノフから目を逸らさずそう言ったスラリスは、まだ成熟した女性とは呼べない年齢のはずなのに、瞳だけが大人びていた。きっと少し前まではその瞳も年相応に無邪気さを残しながらくるくると動いていたのだろう。

 けれど、一気に押し寄せてきた数々の出来事で、彼女は学び悟り諦め、そして自分なりに前へ進む道を選んだのだろう。

 そんなことを考えているケイノフに、スラリスは再び言葉を紡いだ。

「命がけで助けたレナザードさまの大切な人の身代わりなんて、私にはできなかっただけです」

 それがあの晩の真相。スラリスの言葉に、ケイノフは胸を打たれた。

 人は脆く弱い。そしてすぐに目先の快楽に溺れてしまう生き物だ。けれど、相手に寄り添い、痛みや辛さを共感できる心を持っている。それはとても尊く美しいもの。

 そして目の前の少女は、自分の欲や快楽を優先することなく、自分の主であるレナザードの気持ちに寄り添い、自ら吐露したということなのだ。

 聞いてよかったと思う。レナザードに聞かせることができて心から嬉しく思う。ただ、これは単なる好奇心で聞いてはいけないことだったとケイノフは深く反省した。

「そう……そうでしたか。あなたの本心を知りたかったとはいえ、つまらぬことを聞いてしまい、申し訳ありません」

 ケイノフの謝罪の言葉にスラリスは、とんでもないというように大きく首を横に振った。それからすぐに表情を一変させた。

「……このこと、レナザードさまにお伝えしますか?」

 上目遣いにこちらを見るスラリスは、怒られるかもと怯えるものではなく、どちらかというと個人的な感情が混ざっている。どうせならとケイノフは再び意地悪な質問をしてみた。

「主には、知られたくないですか?」
「はい」
 
 スラリスは食い気味に頷く。けれどケイノフは、どうしてと再び意地悪く追及する。……曖昧なままで終わらせるつもりはないらしい。とことん追求してしまうのは、彼の悪い癖だった。

 追い込まれた感満載のスラリスは、観念したのか、ちょっと不貞腐れたよう感じで口を開いた。

「今更そのようなことを聞いても、レナザードさまを傷付けてしまった事実は変わりませんし……」

 そこまで言って、スラリスは一旦言葉を区切ると、しゅんと肩を落としてこう言った。

「もうこれ以上、レナザードさまに嫌われたくありません」

 消え入りそうな声でそう呟くスラリスに、ケイノフは【どうせならそこはもっと声を大きく、主に聞こえるように!】と地団駄を踏みたくなる。

 そしてこの一言で、スラリスがまだレナザードに想いを寄せていることを知った。 

 ニヤリと笑ったケイノフに、スラリスは自分が失言したと勘違いをしたのだろう。慌てて、ついさっきの自分の口から出た言葉を打ち消すように激しく首を横に振る。

「失礼しました。今のは私の失言です。どうかお忘れになってください。私……あの、用を思い出しましたので……これで」

 そう言い捨てるとスラリスは、ケイノフの顔を見ないで横を通り過ぎようとした。が、すれ違う寸前で腕を掴まれる。突然腕を掴まれたスラリスは、よろめいてケイノフの胸に飛び込むかたちとなってしまった。

「申し訳ありませんっ……え?……あっ……あの、ケイノフさま?」

 ケイノフの胸に手を当て、この場から離れようとするスラリスを無視して、ケイノフは彼女の掌を見つめる。予想したとおり、あかぎれで醜く荒れていた。

 これまた絶好の機会だ。

 未だあの場から動いていない二つの人影からよく見えるように、ケイノフはわざと体の向きを変えながら、無言で小さな硝子瓶を差し出した。中身のわからない瓶を拒もうとするスラリスの手を掴み、ケイノフはそっとそれを握らせる。

「あかぎれに良く効く軟膏です。少しはマシでしょう……」

 そう言うと、ケイノフはスラリスの指先に唇を這わせた。

「あっ…あの……けっケイノフさま!?」

 思わぬことに、スラリスは目を見張った。みるみるうちに、頬に熱が帯びていく。ついでにぎょっとしたした様子の人影と、ものすごい殺気を放つ人影がちらついたが、しれっと気付かないふりをした。気に食わないなら、止めに入ればいいだけだ。

 そして、スラリスの指先に唇をあてたまま口をひらいた。

「あまり無理をしないように。お大事にしてください。……あっ…えっと……」

 ここで柔らかく彼女の名を呼ぶ予定だったのだがケイノフは今更、この少女の名前を知らなかったことに気付いた。バツが悪そうに唇を離す。

「……私、スラリスと申します。ありがとうございます、ケイノフさま」

 さらりと自分の名を告げたスラリスは軟膏を両手に握り締めると、ふわりと花のような笑顔を残してその場を去った。






 小走りに屋敷に消えていったスラリスを見送り、ケイノフは二つの人影に向かって声を掛けた。

「そんな遠くから見てないで声を掛ければ良いではないですか。主」

 ぶすっと腕を組んで現れたのはレナザード、その横で苦笑しているのがダーナ。二人はケイノフの目の前に来ると、同時に口を開いた。

「あそこまで触れる必要はないだろう」
「あのお嬢ちゃん、スラリスっていうのか」

 どちらがどの台詞を言ったのかは一目瞭然だった。

 ダーナはスラリスが消えていった方向に眼を細め、反対にレナザードは腕を組んだままだケイノフを睨みつけている。余程、先程の行為が気に食わなかったらしい。

 噴き出したくなる衝動を何とか堪え、ケイノフはレナザードに向かって口を開いた。

「主、スラリスの話、聞いておられましたか?」

 レナザードは、ケイノフの声が聞こえているはずだが無視を決め込んでいる。聞いてなければここには来ない、だから絶対に聞いていたはずだ。けれど思うところがあり、素直に是と言えないのだろう。そんな大人気ないレナザードにケイノフは呆れながらこう言った。

「スラリスのあの言葉を聞いて何も感じなかったとは言わせません。スラリスは私達と違い、ただの人ですよ。そして人は、とても臆病な生き物だということをお忘れになっていませんか?大切なものを護る為に、時には欺き嘘を付くことをお忘れになっておりませんか?」

 尚も無視を決め込む主に向かい、ケイノフはさらに言葉を紡いだ。

「スラリスはあなたの望んだものではないかもしれませんが、あなたの求めるものを与えてくれるはずです。………意地を張るのは大概にして、そろそろスラリスに近づいてみてはいかがですか?」

 ケイノフは、そう主に向かって注進すると、慇懃無礼に一礼しその場を去る。ダーナもレナザードを一人にしたほうが良いと判断し、無言でケイノフの後を追った。
 
 どこまでも澄み切った蒼い空。一人残された、レナザードは空を見上げ目を細めた。
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