勇者の末裔である私は、恋する心を捨てました。

茂栖 もす

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旅の再開

★彼女が知らない真実①

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 利恵が池に落ちた瞬間、クウエットとファレンセガは、当たり前のように手を伸ばした。リジェンテも、同じようにしようと池へと駆け寄る。

 ───けれどそれは届かなかった。

 利恵の指先に微かに触れるだけで、掴むことはできなかった。

 みるみるうちに、澱んだ水の中へと吸い込まれていく利恵を見て、ファレンセガは絶望の表情を浮かべかくりと膝を付く。

 顔を覆って、違う、違うと言いたげに激しく首を横に振った。

 そんなつもりじゃなかった。追い詰めるつもりも、ましてや池に落とすつもりなんてなかったのだ。

 ただ一言、自分の言葉を否定して欲しかっただけなのだ。

 魔界の浸食を受けて池の水は、黒く澱んでいる。傷が完治していない利恵にとったら、その水に触れるだけで、相当なダメージを受けるだろう。

 今すぐ、飛び込んで探さないとっ。

 そう思って、立ち上がった途端、すぐ横から切羽詰まった声が聞こえてきた。

「リジェンテ、視界の透明化を頼むっ」
「はいっ」

 リジェンテが短く詠唱する。2拍置いて、カーディルの身体が柔らかい光を放つ。

 両手を目の前に掲げて、それを確認したカーディルは、マントを脱ぎ捨て、片方手にてした剣を放り投げて───なんの躊躇いもなく池へと飛びこんだ。





 ごぼごぼと自分の息の塊が頬に触れて、地上へと浮かんでいく。

 思っていた以上に、この池は深い。そして、視界はかなり悪い。かなり潜ってみたものの、水底が見えないのだ。

 リジェンテに濁った水の中でも視界を鮮明にする魔法をかけてもらっても、カーディルは利恵の姿をなかなか見つけることができなかった

 ちっと我知らず、舌打ちをする。こんなことなら、ファレンセガに頼んで池の水を全部蒸発させて貰えば良かったと。

 聖騎士にしては、なかなか物騒な発想だ。だが、そんなことを思ってしまう程カーディルはとても焦っていた。

 だがその瞬間、聞き覚えのある小動物の鳴き声が聞こえたような気がした。

 カーディルは潜水した身体を止め、辺りをぐるりと見渡す。 

「………っ」

 澱んだ水の中で一際大きな息の塊が、ぽこりと浮かんだ。

 カーディルは、利恵を見つけることができたのだ。

 正確に言うと、利恵がこれ以上沈まぬよう、旅服の襟を必死に口に加えて犬かきをするマリモから発する淡い光の方が先だったけれど、それはまぁ置いといて。

 すぐさまカーディルは、そこへ向かって泳ぎ出す。片手に剣を持っているせいで、思った以上に進まずもどかしい。

 だが、魔物はどこにでも現れる。森でも林でも村でも、そして水の中でも。

 肝心な時に、戦うことができなければ、騎士としての意味が無い。だから剣を放り出すことはできない。大変、邪魔ではあるけれど。

 そんなもどかしい思いで8回目の舌打ちをした時、やっと利恵の腕を掴む。ぎゅっと自分の胸に掻き入れると、次いでマリモを掴んで、自分と利恵の間にねじ込む。

 そしてカーディルは一気に浮上した。



 予想より少し離れた場所から、ザバッっという派手な音があがる。池の端でハラハラと見守っていた3人は、慌ててそこへ視線を移す。

「カーディルっ」

 クウエットは、水面を揺らすほどの大声で叫んでいるけれど、そこには安堵の響きがあった。

 名を呼ばれたカーディルは、一度だけ頷く。そして、みるみるうちに岸へと近づき、再び派手な水音を立てながら、地面に足を掛けた。

 次いで、池から出たカーディルは3歩進んで、そおっと利恵を抱えたまま、地面に膝を付いた。

「リエノーラさまは!?」
「意識は無いが、呼吸も安定している。それに目立った外傷はない。ただ気を失っているだけだろう」

 淡々と状況を説明するカーディルの声を聴きながらファレンセガは転がるように2人の元へと近づくと、ぱちんと指を鳴らした。

 すぐにカーディルの髪がふわりと舞い上がる。利恵の頬に纏わりついていたすみれ色の髪も、するりと滑り落ちる。

 ファレンセガは自前の魔法───炎の魔法によって熱だけを発生させ、その力で利恵とカーディルから水分を消したのだ。

 意識のない利恵に僅かに赤みが差す。胸の辺りは規則正しく上下している。それだけでも、泣きたくなるほど、ここにいる4人はほっとしてしまう。

「リジェンテ、頼む」

 僅かに安堵の息を吐いたカーディルは、すぐに心配そうに利恵を見つめている白魔導士に声を掛けた。

 ───何を頼むのか。それは言わなくてもわかる。

 カーディルは、もうこの場で白黒つけようと言っているのだ。利恵の中の魂が、一体誰なのかを。

「……はい」

 リジェンテは、カーディルが腕に抱えているその少女の細い腕に手を伸ばす。そして禁術を発動する為に、意識を集中させ詠唱を始めた。

 リジェンテの身体から、紅色の古代文字が浮かび上がる。そしてそれは利恵の身体に移動し、全身に巻き付く。まるで、血を浴びたように。

 それでもリジェンテの詠唱は止まらない。良く見ればつるんとした丸い額に玉の汗をかいている。

 ごくり。ここにいる誰かが緊張に耐え切れず唾を呑む音が聞こえる。でも、誰も咎めない。今は、無駄に口を開くことすら憚られる状況だ。

 それから時間にして数分。でも、待っている者は永遠と思われる長い時間を経て、リジェンテは利恵の腕から手を離した。

 そしてすぐさま口を開く。

「………リエノーラさまの魂は……」

 そこで一旦言葉を区切ったけれど、すぐに顔を上げきっぱりとこう言った。

「同じです」と。
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