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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない
心配性のあなたが選ぶこと
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唇を離した後の一呼吸が永遠に思えるほど長かった。
そして呆然としたままの私は頭の片隅で、アシュレイさんの言葉を不意に思い出す。バルドゥールは、口で言うより身体で訴えるタイプだと。
…………つまり、今の口付けは『頑張れ』と言ってくれたということなのだろうか。それとも何か別の意味があったのだろうか。それはどんな意味なのだろうか。
初めて受けたこの口づけをどこのカテゴリに分類していいのかわからず、瞬きを繰り返すことしかできない私に、バルドゥールは柔らかく目を細めて口を開いた。
「アカリ、風が冷たくなって来た。そろそろ帰ろう」
低く柔らかい声は、動揺など感じさせない落ち着いたものだった。
そして数拍遅れて気付く。もし仮にアシュレイさんの言葉が本当で、バルドゥールは言葉にせずに頑張れと伝えてくれたのなら、今、私はそわそわと落ち着かない気持ちでいるのはおかしいと。だから、首まで赤くなった顔は、恥かしすぎて彼に見られたくはない。
「そ、そうですね。帰りましょう。カイナさんもきっと心配していると思います────…………あれ?」
声が上ずらないように気を付けつつ、バルドゥールより先に馬車に乗り込もうと身体を反転させた途端、私の視界は急に下降した。
「アカリ!?」
転びそうになった私はバルドゥールの片腕に抱えられ、胸に収められた。
転倒を免れてほっとしたのも束の間、かくんと膝から抜け落ちた感覚が、自分の身体じゃないような気がしてとても気持ち悪かった。縋るように手を伸ばせば、バルドゥールは空いてる手で私の手を握ってくれた。
「息はできるのか?どこか痛むところはあるか?」
切羽詰まった声に、無言で首を横に振ることしかできない。
息苦しくもないし、どこも痛くない。けれど、指先とつま先がまるで氷水に浸したかのように冷たくなっていた。そんな私の手を更に強く握りしめて、バルドゥールは低い声で言った。
「とにかく馬車に戻ろう」
私を横抱きにして、そう言い終えぬ間に、バタンと馬車の扉が閉まる音が聞こえた。どれだけの歩幅で馬車に向かったのだろう。規格外の歩幅に、ちょっと驚いた。けれど、ぎゅっと私の手を掴んでいるバルドゥールの手が小刻みに震えていることのほうが、もっと驚いた。
足に力が入らないことと、異常に身体が冷たいこと以外は、別段不調はない。だから、バルドゥールが馬車の窓から御者に指示を出す声も聞こえるし、さっきより馬車の速度が上がったこともわかる。
つまり、ちょっと不測の事態に驚いただけで、よくよく考えたら私の体調はそんなには悪くない…………と思っていたけれど、バルドゥールの口から放たれた言葉でそうではないことを知った。
「アカリ、お前を不安にさせたくないから言わなかったが、お前は自分が思っているより弱い生き物だんだ。まして、走り回るなんて言語道断だ。侍女たちがずっとお前のそばから離れないのは、監視じゃなく、いつ倒れてもおかしくないから側に居るんだ。…………なのに、アイツは…………まったくあれほど気を付けろと言ったはずなのに。ったく」
「…………そ、そうだったんですか」
最後は舌打ちで締めくくったバルドゥールに、自分の背中から冷たいものが流れるのがわかった。
今日はルークの代わりにバルドゥールの怒りを全部受け止めようと思ったけれど、それどころか、私はどうやら今の一件で彼の怒りを助長させてしまった事を知る。
やることなすこと全てが裏目に出てしまったことに、本当にごめんなさいとルークに謝りつつも、バルドゥールの言葉にひっかかりを覚えてしまう。
なぜならカイナは、侍女を伴って行動するのは、この世界でのそこそこ身分のある女性の常識だということを私に言っていた。でも、真相は違っていたわけで、ひねくれた感情でいうなら、お屋敷ぐるみで隠ぺいしていたということになる。
でも、そんなふうに思いたくはないので、できればちゃんと伝えて欲しかったし、何より自分の身体の事を自分が知らずにいたことは、ちょっと納得できないので、隠さないでいてほしかった。
という不満を口にするかどうか迷っていたら、バルドゥールは鬼気迫る表情で私に顔を近づけた。
「だから、これからは激しい運動は控えて欲しい」
「…………ぜ、善処します」
確約はできない。
なにせ過去の経験から似た者同士の私とルークがつるんだら、ロクなことにならないということは間違いない。そして、また絶対に何かをやらかしてしまう未来が容易に想像ができてしまう。
そんなふうにあやふやな返事をして目を泳がす私に、バルドゥールはぎゅっと私を抱く腕に力を籠めて囁いた。
「あの時…………お前が俺の前から消えてしまうと思い、本当に恐ろしかった」
あの時がどの時だったのかは聞かなくてもわかる。粗末な小屋で私の頬に落ちた暖かいものは、間違いなく彼の涙だったのだろう。その時と同じ切なげなバルドゥールの声に、胸が痛くなると同時に、身体が熱くなる。こんな時にどうしてなのだろう。
「アカリ、頼む。約束をしてくれ」
そんなふうによそのことで戸惑う私に、バルドゥールは握りしめていた手を持ち上げると、指先に唇を当てた。
「約束をもらえないなら、心配でたまらない俺は、今すぐお前を、抱くことにするぞ」
「はい!?」
目を剥いて叫んだ私とは対照的に、バルドゥールの表情は真剣だった。思わずちょっと待ってと、彼の胸に手を当てる。
「え…………今、ここで…………ですか?」
「いや、さすがに馬車の中では無理だ」
ですよね。
どうやら、バルドゥールは大袈裟に言っただけのようで、途端に肩の力が抜ける。でも、それは一瞬で、次の彼の言葉で再び私はピキッと固まってしまった。
「こんなところで雑に抱きたくない」
「............!?」
今のは聞かなかったことにする。
それにしてもバルドゥールは、こう何ていうか、さらりと身体が火照るようなことを言うのだろう。自覚が無いのにも程がある。思わずジト目で睨めば、バルドゥールは子供を言い聞かせる大人の表情になった。
「アカリ、明日もリンに会いたいのだろう?」
「はい」
淡々と問われて思わず即答すれば、バルドゥールは表情を変え、私の顎を優しく掴んだ。見つめるその金色の瞳は熱を孕んでいた。
「なら、これは大人しく受け入れろ」
「…………はい────………んんっ、はぁ」
頷いた瞬間、バルドゥールの唇が重なり、熱い舌が口内へと割って入って来た。
そして呆然としたままの私は頭の片隅で、アシュレイさんの言葉を不意に思い出す。バルドゥールは、口で言うより身体で訴えるタイプだと。
…………つまり、今の口付けは『頑張れ』と言ってくれたということなのだろうか。それとも何か別の意味があったのだろうか。それはどんな意味なのだろうか。
初めて受けたこの口づけをどこのカテゴリに分類していいのかわからず、瞬きを繰り返すことしかできない私に、バルドゥールは柔らかく目を細めて口を開いた。
「アカリ、風が冷たくなって来た。そろそろ帰ろう」
低く柔らかい声は、動揺など感じさせない落ち着いたものだった。
そして数拍遅れて気付く。もし仮にアシュレイさんの言葉が本当で、バルドゥールは言葉にせずに頑張れと伝えてくれたのなら、今、私はそわそわと落ち着かない気持ちでいるのはおかしいと。だから、首まで赤くなった顔は、恥かしすぎて彼に見られたくはない。
「そ、そうですね。帰りましょう。カイナさんもきっと心配していると思います────…………あれ?」
声が上ずらないように気を付けつつ、バルドゥールより先に馬車に乗り込もうと身体を反転させた途端、私の視界は急に下降した。
「アカリ!?」
転びそうになった私はバルドゥールの片腕に抱えられ、胸に収められた。
転倒を免れてほっとしたのも束の間、かくんと膝から抜け落ちた感覚が、自分の身体じゃないような気がしてとても気持ち悪かった。縋るように手を伸ばせば、バルドゥールは空いてる手で私の手を握ってくれた。
「息はできるのか?どこか痛むところはあるか?」
切羽詰まった声に、無言で首を横に振ることしかできない。
息苦しくもないし、どこも痛くない。けれど、指先とつま先がまるで氷水に浸したかのように冷たくなっていた。そんな私の手を更に強く握りしめて、バルドゥールは低い声で言った。
「とにかく馬車に戻ろう」
私を横抱きにして、そう言い終えぬ間に、バタンと馬車の扉が閉まる音が聞こえた。どれだけの歩幅で馬車に向かったのだろう。規格外の歩幅に、ちょっと驚いた。けれど、ぎゅっと私の手を掴んでいるバルドゥールの手が小刻みに震えていることのほうが、もっと驚いた。
足に力が入らないことと、異常に身体が冷たいこと以外は、別段不調はない。だから、バルドゥールが馬車の窓から御者に指示を出す声も聞こえるし、さっきより馬車の速度が上がったこともわかる。
つまり、ちょっと不測の事態に驚いただけで、よくよく考えたら私の体調はそんなには悪くない…………と思っていたけれど、バルドゥールの口から放たれた言葉でそうではないことを知った。
「アカリ、お前を不安にさせたくないから言わなかったが、お前は自分が思っているより弱い生き物だんだ。まして、走り回るなんて言語道断だ。侍女たちがずっとお前のそばから離れないのは、監視じゃなく、いつ倒れてもおかしくないから側に居るんだ。…………なのに、アイツは…………まったくあれほど気を付けろと言ったはずなのに。ったく」
「…………そ、そうだったんですか」
最後は舌打ちで締めくくったバルドゥールに、自分の背中から冷たいものが流れるのがわかった。
今日はルークの代わりにバルドゥールの怒りを全部受け止めようと思ったけれど、それどころか、私はどうやら今の一件で彼の怒りを助長させてしまった事を知る。
やることなすこと全てが裏目に出てしまったことに、本当にごめんなさいとルークに謝りつつも、バルドゥールの言葉にひっかかりを覚えてしまう。
なぜならカイナは、侍女を伴って行動するのは、この世界でのそこそこ身分のある女性の常識だということを私に言っていた。でも、真相は違っていたわけで、ひねくれた感情でいうなら、お屋敷ぐるみで隠ぺいしていたということになる。
でも、そんなふうに思いたくはないので、できればちゃんと伝えて欲しかったし、何より自分の身体の事を自分が知らずにいたことは、ちょっと納得できないので、隠さないでいてほしかった。
という不満を口にするかどうか迷っていたら、バルドゥールは鬼気迫る表情で私に顔を近づけた。
「だから、これからは激しい運動は控えて欲しい」
「…………ぜ、善処します」
確約はできない。
なにせ過去の経験から似た者同士の私とルークがつるんだら、ロクなことにならないということは間違いない。そして、また絶対に何かをやらかしてしまう未来が容易に想像ができてしまう。
そんなふうにあやふやな返事をして目を泳がす私に、バルドゥールはぎゅっと私を抱く腕に力を籠めて囁いた。
「あの時…………お前が俺の前から消えてしまうと思い、本当に恐ろしかった」
あの時がどの時だったのかは聞かなくてもわかる。粗末な小屋で私の頬に落ちた暖かいものは、間違いなく彼の涙だったのだろう。その時と同じ切なげなバルドゥールの声に、胸が痛くなると同時に、身体が熱くなる。こんな時にどうしてなのだろう。
「アカリ、頼む。約束をしてくれ」
そんなふうによそのことで戸惑う私に、バルドゥールは握りしめていた手を持ち上げると、指先に唇を当てた。
「約束をもらえないなら、心配でたまらない俺は、今すぐお前を、抱くことにするぞ」
「はい!?」
目を剥いて叫んだ私とは対照的に、バルドゥールの表情は真剣だった。思わずちょっと待ってと、彼の胸に手を当てる。
「え…………今、ここで…………ですか?」
「いや、さすがに馬車の中では無理だ」
ですよね。
どうやら、バルドゥールは大袈裟に言っただけのようで、途端に肩の力が抜ける。でも、それは一瞬で、次の彼の言葉で再び私はピキッと固まってしまった。
「こんなところで雑に抱きたくない」
「............!?」
今のは聞かなかったことにする。
それにしてもバルドゥールは、こう何ていうか、さらりと身体が火照るようなことを言うのだろう。自覚が無いのにも程がある。思わずジト目で睨めば、バルドゥールは子供を言い聞かせる大人の表情になった。
「アカリ、明日もリンに会いたいのだろう?」
「はい」
淡々と問われて思わず即答すれば、バルドゥールは表情を変え、私の顎を優しく掴んだ。見つめるその金色の瞳は熱を孕んでいた。
「なら、これは大人しく受け入れろ」
「…………はい────………んんっ、はぁ」
頷いた瞬間、バルドゥールの唇が重なり、熱い舌が口内へと割って入って来た。
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