監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

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◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

正しい『頑張れ』の使い方

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 バルドゥールの熱い舌を感じれば、びくりと身体が震える。けれど彼は気付いているはずなのに、お構いなしに、更に激しく私の舌を絡めとる。

「はぁ…………んんっ…………バルドゥールさん、く、くるし……です」

 息も絶え絶えにそう言って、彼の袖を引けば、名を呼ばれたその人は、とんでもないことを言ってのけた。

「このまま息をしろ」
「…………む……んっ」

 無理だ。そんな芸当できるわけがない。

 でも、バルドゥールの息は乱れていない。つまり、無理難題だと思われる口付けしながら、息をするという技を習得しているということなのだろうか。いや、多分これは、肺活量の差だと思う。

 でもバルドゥールは無理強いをすることはしない。そう言いながらも、何度も唇を離して私の息が整うのを待ってくれる。でも、整った瞬間、すぐさま舌を入れてくる。

 狭い馬車の中で、バルドゥールの腕に抱かれている私の自由になる空間は皆無に等しい。そして、絶え間無く口づけをされれば、濃密な空気で頭がくらくらとしてしまう。

 バルドゥール一色に染まった私の世界は、夢を見ているかのようにふわふわとして現実味が薄い。けれど、時折私を見つめる彼の瞳が不安と焦燥に駆られていて、それだけが鮮明に感じ取れてしまう。

 ああ、今、バルドゥールは口付けをして、私に自分の力を分け与えてくれているのだ。全て私の軽率な行動のせいなのに。

「これ…………私の自業自得なんですから、そんな顔しないで…………ください」
「無理難題を言うな」
 
 あっさり却下されてしまった。

 でも、ルークの時に思ったように、彼にだって私は悲しい顔をしてほしくない。ましてそれが、自分のしでかしてしまったことなら、本当に申し訳なく思う。でも、こんな状況で私は、気の利いた冗談も言えないし、アシュレイさんのように豪快に笑い飛ばすことすらできない。

 ならばせめて、この空気を和らげようと私は思いつくままに問いかけた。

「匂い…………濃くなりましたか?」

 微かに衣に潮の香りを漂わせて、口づけをしながら何度もすんと鼻を鳴らすバルドゥールに、私はそっと問い掛けた。

 以前ルークは、私達異世界の人間は、甘い香りを放っていると言っていた。そしてその香りの強さは命の香りだとも。

 そんな過去のやり取りを思い出していれば、バルドゥールは心ここに非ずといった感じで、ああと気のない返事をしてくれた。

 是という返事が貰えたので、ほっとする。でも、ずっと気になっていたことがあるので、ついでに聞いてしまいたい。ということで、私はそのままの流れで質問をぶつけた。

「私、美味しいですか?」

 瞬間、ぶはっとバルドゥールは豪快に吹き出した。

「突然、何てことを聞くんだ」

 たまらないと言った表情で私を見つめるバルドゥールに、私はだってと呟いたけれど、その後の言葉が見付からず、まごついてしまう。

 ルークは実際、異世界の女性に触れれば味覚として甘く感じられると言っていた。だけど、それはあくまでルークの主観でしかないと思っていたのだ。だから、実際のところどうなのかを、直接バルドゥールに聞いてみたかったのだ。

 でも普段、彼が私に触れる時は、こういう会話ができないというか、私自身が彼から与えられる刺激でいっぱいいっぱいになってしまって、聞く機会を持つことができなかった。

 というそんな事情があって、これが絶好の機会だと思って聞いてみたのだけれど、想像より斜め上のリアクションが返ってきてしまって、私の方が驚いてしまう。

「っとに、お前は時々面白いことを言う」

 呆れと驚きと可笑しさを含んだ声音が耳朶に響く。見上げれば、バルドゥールは手の甲で口元を隠しているけれど、目はしっり弧を描いているし、肩は小刻みに震えていた。そんなにおかしなことを聞いてしまったのだろうか。

 でも、さっきの顔より、今のほうが良い。私の言葉でバルドゥールが笑ってくれたことが嬉しい。笑われた…………のかもしれないけれど、そこは今は気付かないふりをする。

「ああ、甘いぞ、アカリ。お前に触れると、俺は蕩けてしまいそうだ」

 その言葉を紡ぐバルドゥールの瞳は柔らかく揺れている。私はというと、そんな顔いっぱいに笑いを広げる彼に、思わず息を呑む。

 優しい目つきとにこにこした円満の顔は、初めて会った時の冷淡で残虐だったバルドゥールから遠くかけ離れたもの。人はこれ程に、表情を変えることができるのかという思いを胸に起こさせた。

 そして彼のそんな表情を引き出すことができたのが、私自身だとうことに、今までにない感情が産まれてくる。胸にじわじわと広がる思いは、純粋な嬉しいという思いともう一つあった。でも、その名前を私はまだ知らない。

 そんな揺れる感情を抱えた私の顎を掴んだまま、バルドゥールは親指をそっと私の唇に刷くように撫でた。たったそれだけの仕草で震える私に、彼は形の良い唇で、小さな願いを紡ぐ。

「そういうお前を、もっと、俺に見せてくれ」

 その願いに私は、はいも、いいえも言えない。なぜならすぐにバルドゥールの唇に塞がれてしまったから。

 そして馬車はスピードを緩めることなく、屋敷に辿り着き、バルドゥールはやっと口付けを止めてくれた。

「…………とにかく帰ったら、ゆっくり休むんだ」
「はい」

 明日は何としてもルークの屋敷に行きたい私は、ごねるつもりはないので、即座に頷く。でも、心配なのでバルドゥールの袖をちょっと引いて問いかけた。

「私、元気になれそうですか?リンさんに会えますか?」
「ああ。大丈夫だろう………………多分」
「ん?」

 食い気味に短い言葉で問いかけた私に、バルドゥールは含みを持った笑みを浮かべた。そして、彼のその笑みの意味を問う前に、ガチャリと馬車の扉が開いてしまった。

「おかえりなさいませ」

 カイナは笑顔で出迎えてくれたけれど、その眼は笑っていたなかった。

「お帰りが遅いので心配しておりました。…………アカリさま、顔色が悪いですね。───お館様、説明頂けますか?」

 私の顔を見て、一瞬憂い顔になったカイナにバルドゥールは短く『後で』と一言だけ言って私を部屋に運んでくれた。





 ベッドに私を横たえた後、二人は部屋の隅に移動して何やら話をしている。多分というか、間違いなくこの一件の全てを詳細に説明しているのだろう。

 バルドゥールが説明を始めた途端、カイナの眉がピクリと跳ねた。それから、説明が続くにつれ、眉間の皺は深くなり、何度も私に視線を向ける。その視線がヒリヒリと痛い。若干、説明をしている本人も怯えている。ハンカチで額を拭っているのは、室温のせいじゃなく精神的なものからくるものだろう。

 そして最終的にカイナは、私とバルドゥールの両方に、残念な5歳児を見るような目つきになって、それはそれは深い溜息を吐いた。

「よくわかりました」

 たったその一言で、ついさっき明日、リンさんの元に行けるかと問うた時、バルドゥールが多分と言った理由がわかった。私は、どうやらカイナを説得しないことには、外出許可を貰えないらしい。忘れていた、カイナはこの屋敷の影の支配者だった。

「カイナ、悪いが俺はこのまま職場に戻る。アカリを頼む」

 カイナという真打をどう攻略するか、頭を悩ます私にバルドゥールは、これ以上のカイナの小言は御免だといわんばかりに、そそくさと扉へと足を向けてしまった。思わず、待ってと声を上げたくなる。

 でも、仕事とという切り札を出されてしまったら、カイナも私も引き留めることはできない。

「かしこまりました」

 結局彼女は、何か言いたそうに眉を上げたけれど、お館様に向かって丁寧に一礼することを選んだ。そんな中、彼は私に視線を向けてこう言った。

「アカリ、頑張れ」

 肩を竦めながら、優しいような意地悪のような笑みを浮かべたバルドゥールは、さっきまでの焦燥は消えている。そのことに、私は心から安堵した。
 
 でも、彼に一つだけモノ申したい。頑張れの使い方は間違っていないけれど、このタイミングでは使って欲しくなかった、と。
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