監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない

茂栖 もす

文字の大きさ
103 / 133
◆◇第一幕◇◆ 時空の監視者の愛情は伝わらない 

頑張れの代わりになるもの②

しおりを挟む
 考え事に没頭していて気付くのが遅くなったけれど、バルドゥールの手は、いつの間にか私の頬から離れて肩に移動していた。

 その大きな手は徐々に力が籠り、あと少し力を籠めて彼の方に引かれたら、私はそのまま彼の大きな胸に飛び込んでしまいそうだ。

 そんなことを考えながら、ふと視線を感じて見上げれば、再びバルドゥールと視線がぶつかる。じっと私を見つめる彼の顔色は少し悪い。これは連日の疲れのせいなのだろうか。それとも、明日の外出において、彼が何か不安を抱えているからなのだろうか。

 私はバルドゥールの負担になりたくないと常日頃から思っている。心配をかけるのも嫌だし、彼が私に平穏な日々を過ごして欲しいと願うように、私だって同じ気持ちを彼に持っている。
 
 だから私がこれ以上ごねるようなことを言うのは良くない。口にすればするほどバルドゥールを困らせてしまうだけだ。そうわかっているけれど、感情を抑えきれず気付けば口を開いていた。

「あの………私の思い違いだったらすいません。何だか、バルドゥールさんが元気がない様に見えるんです」

 おずおずとそう切り出せば、バルドゥールははっと息を呑んだ。けれど、すぐになんでもないというふうに柔らかい笑みを浮かべ.........ようとして、失敗して中途半端に顔を歪めてしまった。

「そうかもしれない。だが、この前のアカリよりは元気だ」

 そう言ってバルドゥールは歪んだ顔をすぐに意地の悪い笑みに変え、感情を隠してしまった。ただ移り変わる僅かな間で私は気付いてしまった。彼が何かに怯えていることを。

 私が直接バルドゥールに何か怯えさせるようなことをしてしまったのなら、彼の瞳はきっと別の色を湛えるはず。けれど、それが見えないということは、あのクズ野郎に関わることに間違いない。

「バルドゥールさん、何か心配事でもあるんですか?あの………バルドゥールさんのお役に立つなら、私どこにでも行きます」 
「ありがとう、アカリ。でも大丈夫だ。お前は何も心配することはない」

 私に労りの言葉を向けるバルドゥールは、自分の表情に気付いていない。傍から見てもわかるぐらい怯えていることに。しかも、それが自分自身のことじゃなく私の身を案じてのもの。 

 はっきり言って私は向かう先がどこであっても何も怖くない。

 この世界に来て一番最初に、二人がかりで強姦されるというとんでもない恐怖を味わったのだ。あれ以上の恐怖は、そう滅多に起こるわけがない。

 でも、無理して柔らかく笑うバルドゥールが私に恐怖を与えた張本人でもある。だから私は、それを伝えて良いのかわからない。

「でも…………」

 そこまで言って唇を噛む。

 本当に困った人だ。バルドゥールは私の不安や憂いを先回りして受け止めてしまう。そして、それに気付いても何も言わせない圧力を持っている。

 無力な私だって、バルドゥールに大丈夫、心配しないでと言うぐらいできるというのに。それすら言わせてくれないなんて。

 そんなふうに考えていたら、何だか歯痒くて、思わず彼の裾を掴んでしまった。ちなみにバルドゥールは今日も軍服を着ている。その皺一つないその制服を握りしめた私をバルドゥールは咎めることはせず、代わりに穏やかな口調で私に問い掛けた。

「アカリ、もしそうだとしたら、お前は俺に、頑張れと言ってくれるか?」
「…………ごめんなさい。私、言えません」

 少し考えて首を横に振る。そうすれば、バルドゥールは落胆した表情を浮かべてしまった。違う、そういう意味ではない。慌てて補足をする。

「バルドゥールさんはいつも頑張っていらっしゃるから、これ以上は言えません。何だか追い込んでしまうような気がして…………。といっても頑張れの代わりの何かをお伝えしたいのですが、ごめんなさい。…………思い浮かばないんです」

 そう言いながら、結局何もできない自分に、私はしゅんと肩を落としてしまう。そんな私にバルドゥールは突拍子もないことを言い出した。

「なら、頑張れの代わりに、一緒に寝てくれ」
「はい!?」

 予期せぬ申し出に、この場にそぐわない大声を出してしまった。けれど、バルドゥールは表情を変えずに再び私に問うた。

「嫌か?」
「………………嫌じゃないですが、その…………急に言われてしまったから驚いてしまって…………あの、冗談とかでは?」
「ははっ。どうだろうな」

 さらりと答えたバルドゥールの表情は、どんなふうにでも取れる笑みだった。けれど、その瞳は寂し気に揺れていた。

「困らせて悪かったな。今のは忘れてくれ。もう遅い、そろそろ────」
「待ってくださいっ」

 そう言って、部屋を出る為に私の肩から手を離して背を向けようとしたバルドゥールの袖を思わず掴んで引き留めてしまった。

「…………あの、他に何か無いですか?」

 一度は断ったくせに我ながら馬鹿なことを聞いている。呆れながらも、そう口にすれば、バルドゥールは、じっと何かを考えて、私に向かって手のひらを差し出した。 

「…………なら、アカリ、どうか、ここに口付けを」

 差し出された手は少し震えていた。そしてその手に触れれば、指先はびっくりする程に冷たかった。

 驚いて見上げれば、バルドゥールも同じように驚いた表情をしていた。私が躊躇いなく手を取ったことが想定外だったのだろうか。

 自分から言い出したくせに。ちょっとだけ、むっとしてしまう。ここまできて私が拒むと思っているのだろうか。というか、一緒に寝るのと、自分から彼に触れるのは次元が違う行為だということにバルドゥールは気付いていないのだろうか。

 …………まぁ、ここだけの話、本当の本当は少し緊張している。バルドゥールに触れられるのは嫌ではない。けれど、自分から触れること、まして手のひらに口付けをするなんて今まで一度もしたことがない。

 でも、私がこうすることでバルドゥールの不安や憂いが和らぐなら、そうしたいという気持ちも確かにある。そう、だからこれ以上ぐじぐじと考えるのはよそう。だって、考えれば考えるほど、恥ずかしさが増してしまうから。

「バルドゥールさん、いきますっ」

 そう覚悟を決めて手のひらに向かって顔を近づけようとすれば、何故かバルドゥールはその手を引き抜こうとした。

「ちょっ、バ、バルドゥールさん、逃げないで下さいっ」

 この期に及んでそれはないだろう。絶対に離すものかと妙な反発心が湧きあがる。空いている反対の手も使って、バルドゥールの手を掴み自分の方へと引き寄せる。

 そして、おおよそ異性の手に口付けを落とすという行為からはかけ離れた状況で、私はバルドゥールの手のひらに唇を押し当てた。

「…………い、いかがでしょうか?」 

 合否を問う為に、顔を上げた瞬間、バルドゥールは私が口付けをした方の手をぎゅっと握りしめながら嬉しそうに笑ってくれた。百合の折り紙を手にした時より、もっともっと幸せそうな笑みを浮かべて。

 .........良かった。恥ずかしさより、彼の表情から怯えが消えたことが嬉しくて、思わず笑みが零れる。そしてバルドゥールから名を呼ばれたと思った瞬間、私はきつく抱きしめられてしまった。

「アカリ、ありがとう」

 力任せに抱え込まれ、息をするのも苦しいくらいだ。そんな中、私の髪に顔を埋めている彼のくぐもった声が頭上から降ってくる。短い言葉なのに、どうしてバルドゥールの言葉はこんなにも私の心に響くのだろう。そんな思いがふとよぎる。

「お前が俺の人生に存在していることが、どれほど尊いことかお前は知らないだろう。これを何と呼ぶのかお前は知らないのだろう。.........だが、それで良い」

 謎かけにとも取れる不思議な言葉は、私に答えを求めるものではなかった。けれど、私を抱きしめているその腕も、掠れたその声音も、私に訴えかけている。気付いてくれ、と。

「もう少しだけ.........時間を下さい」

 気付けば私は、そう口にしていた。

 わかっている。もう、変わらないといけないことを。でも、もう少しだけ、時間が欲しい。ちゃんと向き合うから、答えを出すから、だから───。

 言葉にできない気持ちをバルドゥールに伝える為に、彼の胸に手を当て目を閉じる。そうすれば、彼はちゃんと汲み取ってくれた。

「ああ、いつまでも待つ。アカリ忘れていないか?.........俺は相当気が長い男なんだぞ」

 温かい暗闇の中、軽い笑い声とともに、優しいバルドゥールの言葉が降ってきた。 
しおりを挟む
感想 114

あなたにおすすめの小説

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

放蕩な血

イシュタル
恋愛
王の婚約者として、華やかな未来を約束されていたシンシア・エルノワール侯爵令嬢。 だが、婚約破棄、娼館への転落、そして愛妾としての復帰──彼女の人生は、王の陰謀と愛に翻弄され続けた。 冷徹と名高い若き王、クラウド・ヴァルレイン。 その胸に秘められていたのは、ただ1人の女性への執着と、誰にも明かせぬ深い孤独。 「君が僕を“愛してる”と一言くれれば、この世のすべてが手に入る」 過去の罪、失われた記憶、そして命を懸けた選択。 光る蝶が導く真実の先で、ふたりが選んだのは、傷を抱えたまま愛し合う未来だった。 ⚠️この物語はフィクションです。やや強引なシーンがあります。本作はAIの生成した文章を一部使用しています。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

答えられません、国家機密ですから

ととせ
恋愛
フェルディ男爵は「国家機密」を継承する特別な家だ。その後継であるジェシカは、伯爵邸のガゼボで令息セイルと向き合っていた。彼はジェシカを愛してると言うが、本当に欲しているのは「国家機密」であるのは明白。全てに疲れ果てていたジェシカは、一つの決断を彼に迫る。

処理中です...