お遣い中の私は、桜の君に囚われる

茂栖 もす

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序章

あの日の約束

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  狂い咲く夜桜の下で、私は一人の少年と出会った。

  瞬きした瞬間に現れた少年は、不思議な衣装に身をつつんで、これまた不思議そうに私をじっと見つめていた。

 でも、なぜだかわからないけれど、恐怖心はなかった。

 ただ宵闇の中、はらはらと舞う桜の花びらと、その少年があまりに綺麗で、まるで夢を見ているようだった。

 私より少し年上の少年は、肩まである漆黒の髪を靡かせながら、澄んだ眼差しで私の心を覗き込むように見つめていた、が────。

「君は誰?」
「あなたはだあれ?」

 同時に口を開いてしまい、互いの言葉が被ってしまった。
 どうやら少年も同じ気持ちだったらしく、ちょっと気まずそうにしている。
 
 でも私は、何だかそれが可笑しくて、くすくすと笑ってしまった。すると目の前の少年もはにかみながら笑ってくれる。

 それは僅かな仕草でしかなかったけど、彼と私は言葉を交わせることがわかった。なので、気を取り直してもう一回、私は彼に問いかけた。

「君の名前は?」
「あなたのなまえは?」

 あ……また、被ってしまった。

 今度は堪えきれなくて声を上げて笑った私を見て、少年は嬉しそうに眼を細めてくれた。たったそれだけのことなのに、心が嬉しくて波打つ。そして、私は彼に一歩近づいて口を開いた。

「わたし、るりっていうの。ねぇ、あなたは?」
「…………………………」

 ついさっきまで、無邪気に目を細めていた少年は、今度は困ったような曖昧な笑みを浮かべてしまった。

 そして、そのまま私に背を向けようとしたので───

「ねぇ、まって!こっちにきてっ」

 手を伸ばす私に、少年は振り返って手を浮かせてくれたけど、すぐにその手を引っ込めてしまった。

「……ごめん、今は行けない」
 そう言葉を絞り出した後、悔しそうに唇を噛む。そして、私の視線を避けるように顔を逸らした。

 どうして、と問い掛けても、彼は口を貝のように閉ざしてしまった。二人の間に強い風が吹き抜ける。

 風を受けた桜の花びらが舞い上がり、そのまま彼を攫ってしまいそうで───気付いたら、私は引き留めるように声を張り上げていた。

「じゃ、こんど!」
「え?」

 私の言葉に彼は弾かれたように顔をあげてくれた。私はそれをずっと繋ぎ止めたくて、もう一度声を張り上げた。

「こんど、いっしょにあそぼうよ!」

 私の提案に、少年は目を丸くした。そして、何かを葛藤するかのように、何度も口を開けては閉じるを繰り返して、やっと3文字の言葉を紡いでくれた。

「…………いいよ」

 その長すぎる間に、彼は何を考えていたのかなど、幼かった私は知る由もなく、ただ再会できることが嬉しかった。

「やくそくだよ!」
「うん、約束するよ」
「じゃ、ゆびきりりしよっ」
「ゆびきり?」

 どうやら初めて聞く言葉のようで、彼はきょとんと小首を傾げてしまった。だから、私は小指を立てて彼に向かって突きだした。

「やくそくのしるしだよ」
 
 そう言って私は、反対の小指も立てて互いに交差させて見せる。彼はなんとなく理解してくれたようで見よう見真似で、おずおずと小指を立てて手を伸ばしてくれた。そして、そのまま互いの小指を絡めようとした、その時───。


「駄目だよ、勝手に約束なんてしちゃ」

 突然割り込んできた大人の男の声と共に、私の視界は真っ暗闇に閉ざされて背後から抱きかかえられてしまった。

「いや、はなしてっ」

 ゆびきりを途中で遮断された私は、その手を振り払おうと必死にもがく。

 けれど、目を覆う大きな手の持ち主は【やれやれ、困ったなぁ】と、呑気な声を出すだけで、びくともしない。けれど、力任せに暴れる私を抱きかかえてはいるが、それ以上は何もしなかった。

「ねぇ、そんなに暴れないで。僕の話を聞いて」

 その声は困ったような、それでいて少し淋しそうなものだった。そして、決して荒ぶる口調ではないに、何故か抗うことのできない不思議なもので、私は自分の意志とは無関係にその声を聞いた途端、急に身体の力が抜けていった。

 大人しくなった私に、声の主は【良い子だね】と優しく囁く。そうすると、再び風が吹き、男の髪が私の頬をくすぐった。しっとりと冷たく、でも柔らかい髪だった。

 風に煽られた桜の枝がしなる音に交じって、再び声の主は私に囁いた。

「少しの間、今日のことは忘れよう。その方が君の為にもなるし。……でも、大丈夫。きっといつか思い出せるから……その時まで、記憶に蓋をしておこう、ね」


 ────その瞬間、私の意識は暗闇の中に落ちていった。
 
  
。゚+..。゚+. .。゚+..。゚+。゚+..。゚+. .。゚+..。゚+。゚+..。゚+. .。゚+..。゚+
 


 目が覚めた時には、窓に朝焼けの空が映っていた。

 あれからどうやって、自室まで戻って来たのだろうとか考えるよりも先に、昨晩の出来事が急に記憶の中から色褪せていくのを感じて、切なくて苦しくて涙がぽろぽろ溢れて止まらなかった。

 そして、名も知らない少年と交わした約束は、月日が経つうちに手のひらから砂が零れ落ちるように、次第に私の記憶からサラサラと消えてなくなってしまった。



 けれど、その約束は長い時を経て、時空を跨いで────果たされることとなる。私が16歳になった、10年後に。
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