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寄り道の章

イケメンに八つ当たりしてみました①

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 食べて寝る。結局のところ、傷を癒すのはこの二つしかない。そういう訳で私は必死に食べて寝て、起きてる時は読書に勤しんでいる。


 余談だけど、本を貸してくれたのは、シュウトの小姓、ナギだった。ただ本を貸す条件として『ちゃんとご飯を食べること、夜更かししないこと』を約束させられてしまった。

 ただ、切れ目の冷たい印象の美少年が、腰に手を当てながら規則正しい生活を求める姿は、どこからどう見ても【お母さん】にしか見えず、そのちぐはぐな感じが可笑しくて吹き出すのを堪えるが辛かった。

 さて無事に本を入手できた私だけど、風神さんの言う通り、この世界の文字は読めるけど、残念ながら私の知能は日本と変わりない。つまり、薬学や戦術の専門書はまったく理解ができなかった。

 ということで、いわゆる小説と呼ばれるものから、情報収集するのが一番妥当という結論に至った。───でも、意外にこの国の小説って面白いんだな、これが。

 とりあえず、私が覚えたのは、この世界で私がいる国は【コキヒ】という王国。そして王様はで聖上と呼ばれていること。数年前に国内で大きな内乱があって、今も小競り合いが続いてるところは確かに戦国時代っぽいのだ。私が受けた矢も、その小競り合いの一つだったのかもしれない。まったくいい迷惑である。

 ただ内乱に至った経緯ついては、よくわからない。
 なにせ週刊誌や新聞、ましてやネットなどないこの世界では、情報というのはとても曖昧なもので真実を探るのは不可能だ。それに私はこの国でまぁまぁ生活できる情報が欲しいだけで、真実を知りたいわけではない。



 そういうわけで、今日も私は縁側で読書に勤しんでいたのだけど───。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「そんなところで何をしておるのだ?」

 ふわっと文字に影がさしたと思ったら、突然声をかけられて、私は驚いて顔をあげた。

「うわぁ!──あ………シュウト」

 顔をあげると、シュウトが不思議そうにこちらを覗き込んでいた。全く気配に気付かなかった私は思わず悲鳴を上げてしまった。

 ただその後、どういう顔をすればいいのかわからず、とりあえず目を伏せる。

 なぜなら同じ屋敷にいるが、シュウトと顔を合わせるのは今日で3度目。しかも過去の2回は思い出したくもないけれど、添い寝をされたり、キスをされたりと何かしら苦い思い出がある。

 正直言って、同じ屋根の下いつかは顔を合わさないといけないとわかりつつ、できればまだ会いたくなかったのか本音だ。

 しかし、露骨に顔を顰めた私に、シュウトは飄々と受け流し、すぐ横によいしょと腰掛ける。良く言えば自然体、悪く言えば遠慮がないシュウトの態度に、私は間に一人分の距離を空けて座り直した。

「あの、何か───」
「まだ、寒いというのに………こんなところにおっては、怪我の治りも遅くなるぞ」

 私の言葉を遮って シュウトは口を開いた。その口調は怒っているのか荒々しい。

 思い当たるフシはないけど、理由もわからないまま、怒られるのは慣れている。こういう時はしおらしくして、早々にその場を立ち去れば大概は乗りきれるものだ。

 そんな訳で、私は俯きながら当たり障りのない言葉を口にした。

「あの、今日は天気が良くて縁側が気持ちよさそうだったから、ここで読書をしていたんです。すいません、すぐに部屋に戻ります」  

 そう言って、側に積んであった本を小脇に抱え、部屋に戻ろうとした。が、腕を掴まれ再び着席を余儀なくされる。

「誰も戻れなど言ってない。本を読むならここの方が読みやすいだろう」

 確かに読書をするには室内は少し暗い。それに引き換えこの縁側は、とても日当たりが良い。そしてこの日当たりの良い縁側は、私が使わせて貰っている部屋の前にある。なので、わざわざ別の縁側に移動するのはあからさま過ぎるだろうか。

 ───と、つらつらと他事を考えていたら、何か冷たいものが額に当たった。思わず持っていた本が、手から滑り落ちる。

「え!?」

 俯いた顔を上げると、目の前にシュウトの顔がある。どうやら冷たいと思ったものは、シュウトの額だった。咄嗟に突き飛ばそうとしたけど、その前にシュウトから離れてくれた。

「熱は、ないようだな」
「……はい、そのようですね」

 シュウトの口調は今度は、怒り口調ではなく半ば呆れた口調だった。
 私は適当に同意の言葉を口にしながら庭に転がった本を拾い上げる。けれど心中、穏やかではない。
 
 彼と私では、距離感が決定的に違う。また前回のように苦い思いをしない為にも、この期にしっかり、距離のすり合わせが必要だ。

「あの……お願いがあります」
「ん?何だ、言ってみろ」

 身体ごと向き合った私に、シュウトは嬉しそうに眼を細める。ああ、まただ、シュウトのその眼に私は既視感を覚えてしまう。けれど今、その記憶を追う時ではない。傷が癒えるまでの間、平穏に過ごせるかどうかがかかっているのだ。

「あまり私に近づかないでくださ」
「断る」

 い、まで言えなかった。そして、はっきりと断られてしまった。
 そうだ忘れていた。シュウトは人の話を聞かない人だった。なら、遠回しな言い方をしても、伝わるわけがない。はっきりと要求を口にしないといけなかった。

「ここに居る間、変なことはしないとシュウトは約束しました。でもシュウトは、約束を破りましたよね?ですので金輪際、私には近づかないでください」

 ぴしゃりと言い切った私に対し、シュウトは訝しげに眉をひそめた。

「瑠璃殿、何を言っているんだ?俺は約束は覚えている、第一、何もしていないのに、何故そのようなことを口にする?」
「…………………………は?」

 シュウトの言葉に思わず耳を疑ってしまった。添い寝は約束をする前だったから、置いておこう。けれどあの口移しは、変なことに含まれないというのだろうか。いや、でも独りで飲めると言った私の言葉を無視して、彼は強引に口移しをしたのだ。

 ただ、【この前、私にキスしたでしょっ】とあからさまに言葉にするのは憚られる。どう表現すればいいのだろうか。もじもじと俯く私の仕草でシュウトは察してくれたようだったが、訳の分からないことを口走った。

「あれは、瑠璃殿が悪い」
「!?」

 しれっと、人のせいにするシュウトに、思わず眉間に皺が寄ってしまう。

「何日も目を覚まさなかった怪我人がやっと目を覚ましてくれたのだ。そうなれば嬉しくなって、口移しで飲ませたくなるのも仕方がない」

 これほどまでに身勝手な言い分を聞いたことがない。あんぐりと口を開けた私に、シュウトは、不服そうに口を尖らせた。

「それに、舌を絡ませたかったのに、口移しだけにしたのだ。だから、そう睨まれることはしていないぞ」

 さらりと言った言葉を頭で反芻した瞬間、ぼっと首まで赤くなってしまった。羞恥で顔を歪めた私とは対照的に、シュウトはくっくと可笑しそうに喉を鳴らした。

「まぁ、瑠璃殿にとっては、いささか不慣れなことであったのだろう。それは申し訳なかった。ああ、そうだ、お詫びも兼ねて渡したいものがある。待っていてくれ」

 そんなこと謝っても欲しくないし、いちいち言葉にしないで欲しい。

 けれど当の本人は、そう言い捨てると、私が引き留める間もなく、あっという間に姿を消してしまった。




 突然やってきて、好き勝手なことを言って、気付いたら去っている───まるで、台風みたいな人だ。……そして私は、言いつけ通り待っていた方が良いのだろうか。

 とりあえず、いつでも部屋に逃げ込めるよう準備はしておこう。私は、縁側に置きっぱなしになっている本を一纏めにして立ち上がった。
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