不思議なショートストーリーたち

フジーニー

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魔法の万年筆

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雨が叩きつける夜、僕は「月影堂」に逃げ込んだ。

佐藤悠人、29歳。元新聞記者。二年前、スクープを追っていたら、上司の汚職を暴く寸前で罵倒され、証拠を「捏造した」と逆に告発された。会社を追われ、精神を病み、以来引きこもり。夜は悪夢にうなされ、誰の言葉も信じられなくなっていた。

店内は薄暗く一つの燭台だけが灯り、影がうごめいていた。棚の奥、ガラスケースの中に一本の万年筆。黒い軸はまるで生き物の骨のように艶めき、ペン先には血痕のような赤い筋が走っていた。

老婆の店主が、闇の中から現れた。顔はシワだらけで、目は底なしの井戸のようだった。

「……それを選んだのかい。悪い子じゃのう」

「値段は?」

「一万円。ただし、忠告しておく。これは『魔法の万年筆』じゃ。書いた願いは、必ず叶う。だが、条件が三つ。一つ、心の底から信じて書くこと。二つ、一度書いたことは二度と消せぬ。三つ……代償は、必ず『等価』じゃよ。奪われるものは、君が一番大切に思うもの。」

僕は嘲笑った。魔法など信じない。でも、なぜか一万円を握りしめていた。

家に帰り、震える手でインクを入れた。店主がくれた瓶のインクは、まるで新鮮な血のように濃く赤かった。

試しに書いた。

『明日の朝、玄関に十万円の入った封筒が置かれている。』

信じていない。翌朝、何もなかった。

次に、

『昔の同僚・田中から連絡が来て、仕事の話が持ち上がる。』

これも信じられなかった。翌日、電話は鳴らず。

苛立ちと同時に、恐怖が芽生え始めた。この万年筆は、本当に何も起こさないのか?

ふと思い出した。あの事件の核心――上司が隠した証拠の場所を、僕は知っている。でも触れられない。触れたら、自分が壊れる。

老婆の言葉。「心の底から信じて」。

僕は、涙を流しながら書いた。

『あの事件の真相が、必ず明るみに出る。上司の犯罪が暴かれる。』

これだけは、信じたかった。信じなければ、生きていけないと思った。

その夜から、異変が始まった。

まず、夢。万年筆が脈打つように光り、無数の手が僕を引きずり込む夢。そして、耳元で囁く声。

「代償を……代償を……」

翌朝、郵便受けに差出人なしの手紙。開けると、古いUSBメモリ。

挿すと、二年前の録音。上司が「証拠を消せ」と指示する決定的な音声。

どうして? 僕は誰にも話していないのに。

震える手で警察に匿名通報した。三日後、ニュースが流れた。上司が逮捕された。会社は大混乱。

僕は歓喜した。本当に……万年筆が?

興奮のあまり、また書いた。

『この録音を送ってきた人物がわかる。』

翌朝、玄関のチャイム。開けると、黒いコートの男。

「佐藤さん……あなたのおかげで、母の仇が取れました」

男は封筒を渡し、去った。中には写真。――月影堂の老婆の若い頃。そして隣に立つ、僕の上司。二人とも笑っている。

背筋が凍った。上司は、老婆の息子だった?

急いで月影堂へ向かったが、店は消えていた。まるで最初からなかったように。

恐怖が押し寄せた。僕はさらに書いた。

『万年筆のすべてがわかる。秘密を、すべて。』

その夜、夢がより鮮明になった。老婆が僕の前に立ち、歯を剥いて笑う。

「代償の時間じゃ。願いを叶えるたび、君の『大切なもの』が一つずつ削られていく。最後に残るのは、空っぽの殻だけじゃよ」

目覚めると、机の上に古い革表紙の日記。

開くと、万年筆の履歴が綴られていた。

この万年筆は、百五十年前、呪術師が自らの血で作ったもの。願いを叶える代わりに、使用者の「魂の一部」を喰らう。しかも、願いが強ければ強いほど、代償は残酷になる。過去の使用者は全員、発狂するか、自ら命を絶った。

最後のページに、新たな墨で書かれた文字。

『2026年1月×日。佐藤悠人の願いにより、私の息子の人生は終わりを迎えた。代償として、佐藤悠人の「最も大切な記憶」を奪う。次は「感情」。その次は「理性」。最後は……』

突然、頭が裂けるような痛み。

大切な記憶が、引きちぎられるように消えた。

――母親の顔。幼い頃の笑顔。死に際に握った手。すべてが、真っ白に。

僕は叫んだ。でも声が出ない。喉が凍りついたように。

鏡を見ると、自分の目が……老婆と同じ、底なしの井戸のようになっていた。

万年筆を握り、最後に書こうとした。

『すべてを元に戻せ。この魔法を終わらせろ。』

だが、手が動かない。心の底から信じられない。なぜなら、僕はもう「願い」を信じることすら、恐ろしくてできなくなっていたから。

翌朝、近所の人が異臭に気づいて部屋に入った。

僕は机に突っ伏し、万年筆を握りしめたまま死んでいた。目は見開かれ、口元には不気味な笑みが浮かんでいた。

机の上には、最後に書かれた文字。

『私は、幸せだ。』

――だが、それは僕の字ではなかった。

今も、どこかの古い店で、あの万年筆は次の持ち主を待っているという。

触るな。決して、触るな。
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