不思議なショートストーリーたち

フジーニー

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女死神は今日も退屈だった

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彼女の名前はリリス。  
正式名称は「リリス-07-死神管理局第十三支部所属・収穫担当第三序列」だが、そんな堅苦しい肩書を口にする人間などいない。  
ほとんどの者は、最期の瞬間にただ「死神さん」と呟くか、  
あるいは何も言わずに目を閉じるだけだ。

リリスは今夜も、いつものように高層ビルの屋上を歩いていた。  
黒いワンピースの裾が風に揺れ、裾のレースが月明かりに透けて白く浮かぶ。  
銀色の長い髪は夜そのものを飲み込んだように深く、  
街灯の下を通るたびに不自然にきらめく。  
足音は一切しない。  
彼女の存在そのものが、この世界の物理法則からわずかにずれているからだ。

「また、予定より30分以上早い……」

リリスは小さくため息をついた。  
死神の収穫スケジュールは、秒単位で完璧に組まれているはずだった。  
管理局のシステムは誤差を許さない。  
なのに最近、人間たちは勝手に予定を前倒しにしてくる。  
過労で倒れる者、衝動的に命を絶つ者、  
突然の事故で消える者、病に蝕まれて急に弱る者。  
まるで、生きることに疲れ果てて、  
「もう待てない」とばかりに死の扉を叩く。

今日のターゲットは、  
佐伯夏菜。  
23歳、独身、デザイン事務所の契約社員。  
死因:心不全。  
予定時刻:午前2時47分12秒。

時計はまだ2時12分を指していた。

リリスはビルの縁に腰を下ろし、  
膝を抱えて足をぶらぶらさせた。  
下の道路では、深夜残業を終えたらしいサラリーマンが、  
肩を落としてよろよろと歩いている。  
その背中を見ながら、リリスはぼんやりと思った。

「……人間って、どうしてそんなに急ぐんだろう」

死神にとって、時間は無限に近い。  
だからこそ、退屈は果てしなく深い。

仕事は「死の瞬間」だけ。  
それ以外は待機。  
待機中は読書も、音楽も、スマホのスクロールも禁止。  
「死の公平性を損なう行為は厳禁」と管理局の規則に明記されている。  
だからリリスは、ただ空を見上げて、  
同じようなことを何百年も繰り返し考えていた。

もし自分が人間だったら。  
どんなふうに生きて、どんなふうに死にたくなるのだろう。

恋に溺れて、  
裏切られて、  
それでもまた誰かを愛して、  
最後に「もういいや」と呟いて消えるのか。

それとも、  
一つの夢を追い続けて、  
何度も叩き潰されながら、  
それでも諦めきれずに燃え尽きるのか。

「どっちにしても……  
私には、永遠に関係ないんだけど」

彼女は独り言のように呟いて、  
夜空に浮かぶ薄い月を見上げた。

2時45分。

そろそろだ。

リリスは静かに立ち上がり、  
佐伯夏菜が入院している総合病院の病棟へと移動した。  
7階の個室。  
窓の外からは、夜の街が静かに広がっている。

カーテンの隙間から病室を覗くと、  
ベッドの上に、  
細い体が横たわっていた。  
点滴のスタンドが倒れ、  
チューブが外れて床に落ちている。  
心電図モニターの画面は、長い一本の直線を描いたまま静かだ。

なのに、佐伯夏菜はまだ、目を開けていた。

「……来ちゃった?」

掠れた、ほとんど息だけの声。

リリスは思わず、窓枠を強く握った。  
死神が見える人間は珍しい。  
まして、こんなに落ち着いた声で話しかけてくる者は、初めてだった。

「見えるの?」

「うん……なんか、  
ずっと前から、  
気配みたいなの感じてた。  
最初は、薬のせいで幻覚見てるのかなって思ったけど……  
今は、はっきりわかる」

夏菜は弱々しく、でも優しく笑った。

「死神さんって、  
思ってたよりずっと……かわいいんだね」

リリスは言葉に詰まった。

死神は「かわいい」と言われる存在ではない。  
恐れられるか、憎まれるか、  
無視されるか。  
それが普通だ。

「……かわいい、って言われたの、  
生まれて初めて」

「ほんと?  
もったいないなあ」

夏菜は息を切らしながら、  
ゆっくりと手を伸ばした。  
指先が震えている。

「ねえ……  
ちょっとだけ、時間くれる?  
5分でいいから」

リリスは迷った。

規則では、予定時刻を1秒でも過ぎたら即座に魂を収穫する。  
遅延は「死の秩序の乱れ」と見なされ、処分対象だ。  
なのに、なぜか今日は、  
その震える指先に触れたいと思った。

「……5分だけ」

夏菜は目を細めて、ほっとしたように微笑んだ。

「ありがとう……  
本当に、ありがとう」

それから彼女は、  
残されたわずかな息で、  
ゆっくりと話し始めた。

学生時代に好きだった先輩のこと。  
何度も告白しようとして、結局できなかったこと。  
社会に出て、デザインの仕事に就いたけど、  
自分の作ったものが誰かの心に届いているのか、ずっと不安だったこと。  
母親に「ありがとう」と言えなかったこと。  
最後に、  
「ごめんね、もっと一緒にいたかった」と、  
父親の名前を呼んだこと。

全部、  
途切れ途切れに、  
でも一つ一つ大切に、  
言葉にしていた。

リリスは黙って聞いていた。  
死神なのに、  
胸の奥が熱くなって、  
視界がぼやけるような感覚があった。

2時50分。

予定時刻を3分過ぎていた。

夏菜の瞳から、  
光がゆっくりと薄れていく。

「……ねえ、死神さん」

「ん」

「私、  
怖くないよ。  
だって……  
ちゃんと、話せたから。  
言いたかったこと、全部言えたから」

リリスは、  
自分の手が震えていることに初めて気づいた。

「……私は、怖い」

夏菜はかすかに目を細めた。

「死神さんが?」

「うん。  
人間が、こんなに……  
まっすぐ生きて、  
まっすぐ死んでいくのを見るのが、  
怖い。  
だって、私には……  
そんなふうに生きることも、死ぬことも、できないから」

夏菜は最後の力を振り絞って、  
リリスの指先に触れた。

冷たい指先。  
でも、そこには確かに温かさが残っていた。

「じゃあさ……  
私がいなくなっても、  
たまに、思い出してね。  
夏菜って子がいたな、って。  
それだけでいいから」

「……うん」

「約束だよ」

夏菜の目が、  
ゆっくりと閉じた。

リリスは静かに、  
魂を刈り取った。

それは、いつもの仕事のはずだった。

でも、  
その夜、  
リリスは初めて、  
刈り取ったばかりの魂を、  
両手で抱きしめるようにして、  
長い間、動けなかった。

銀髪が月明かりに濡れて揺れ、  
一滴の涙が、  
頬を伝って落ちた。  
死神が泣くことなど、  
規則書にはどこにも書かれていない。

「……また、  
退屈になるんだろうな」

彼女は呟いた。

でも、その声には、  
これまでになかった柔らかい響きがあった。

人間が死ぬたびに、  
死神もまた、  
少しずつ、  
人間の痛みを知っていくのかもしれない。

リリスは病室の窓から夜空を見上げた。

次の予定まで、  
あと47分。

今夜は、  
その待機時間が、  
初めて、  
少しだけ愛おしく感じられた。
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