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ニンニクの香りの距離
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トランシルヴァニアの古城に住むドラキュラ伯爵は、
2025年の秋に初めて「人間の女に本気で惚れた」
彼女の名前は架純。
東京から単身でルーマニアに留学に来た大学院生で、
民俗学を専攻している。
伯爵の城を「フィールドワークの聖地」だと喜んで、
毎週のように古い回廊をうろついていた。
最初はただの獲物だった。
血の匂いが甘くて、首筋の血管が美しく脈打っていて、
「今夜こそ」と何度も近づいた。
でも毎回、寸前で止まる。
理由はシンプルだ。
架純が、
とんでもなくニンニクを愛していたから。
彼女は毎食のようにニンニクをまるごと焼いて食べ、
ニンニクバターをパンに塗りたくっては「これ最高~!」と頬を緩ませ、
研究室代わりに使っている城の厨房では
ニンニクの香りが常に充満していた。
伯爵は吸血鬼だ。
ニンニクは文字通り「死の匂い」である。
近づくだけで目がくらみ、牙が震え、
喉が焼けるように痛む。
それでも、架純の笑顔を見ると、
胸の奥に何かが灯る。
600年以上生きてきて初めての感覚だった。
「伯爵さん、今日もお城ありがとうございます!
あ、そうだ。これ食べてみてください!」
架純が差し出したのは、
ニンニクをたっぷり入れたアヒージョ。
オリーブオイルの中でニンニクが黄金色に輝いている。
「……遠慮しておこうか」
「えーっ、美味しいのに!
私、ニンニクさえあれば生きていける体質なんです」
その言葉に、伯爵は静かに目を伏せた。
「君のその体質が、私を殺すのかもしれないな」
架純は笑いながら首をかしげた。
「え、伯爵さんって吸血鬼ですよね?
だったらニンニク嫌いなの?
古典通り?」
「……ああ。古典通りだ」
「じゃあ、私とキスとか……無理?」
伯爵の心臓が、止まっていたはずなのに、
一瞬だけ強く打った。
「無理だ。
君の唇がニンニクの香りを纏っている限り、
私は灰になる」
架純は少し考えてから、
真剣な顔で言った。
「じゃあ、私がニンニクやめたら……
キス、してくれる?」
伯爵は驚いて彼女を見た。
「君は……ニンニクを愛しているのだろう?」
「うん、大好き。
でも、伯爵さんのことの方が、もっと好きになっちゃったみたい」
その言葉は、伯爵にとって600年ぶりの甘い毒だった。
それから二人は、
奇妙な「距離の恋」を始めた。
架純はニンニクを控える努力をした。
最初は1日3片→1片→匂いだけ残さないように生で食べない、
という段階を踏んだ。
伯爵も努力した。
架純が近くにいるときは息を止める練習をし、
彼女の首筋に顔を近づけても耐えられるよう、
古い呪文を何度も唱えた。
そして、
ついにその夜が来た。
架純は3日間、完全にニンニクを断った。
唇にはほんのりミントの香りだけが残っている。
伯爵は震える手で彼女の頬に触れた。
「本当に……いいのか?」
「うん。
私、伯爵さんにキスしてほしい」
ゆっくりと、二人の顔が近づく。
あと数センチ。
その瞬間――
架純のポケットから、
小さなプラスチックの袋が落ちた。
中身は、
「にんにく味のスナック」だった。
「……架純?」
「え、あっ、ごめん!
これ、昨日食べたやつの袋で……まだ入ってただけ!
匂い移ってないよ、絶対!」
伯爵は一瞬固まり、
そして、
深い深いため息をついた。
「……やはり、運命は私たちを許さないらしいな」
架純は慌てて袋を遠くに投げ捨て、
泣きそうな顔で伯爵を見上げた。
「でも……私、まだ諦めたくない」
伯爵は静かに微笑んだ。
初めて見せる、優しい笑顔だった。
「ならば、もう少しだけ待とう。
君がニンニクを本当に忘れられる日まで。
それとも、私が……ニンニクに慣れる日まで」
架純は目を潤ませて頷いた。
「うん。
どっちが先でもいい。
私たち、絶対にキスするんだから」
それから二人は、
また少しだけ距離を保ったまま、
古城の窓辺で寄り添った。
外では満月が輝き、
厨房からは、
誰かがこっそり焼いているニンニクの香りが、
ほんの少しだけ漂ってくる。
伯爵は小さく呟いた。
「……まったく、
愛とはなんと残酷で、
なんと美味しいものなのか」
架純はくすっと笑って、
伯爵の冷たい手に自分の手を重ねた。
二人の指は絡まり、
でも唇は、まだ触れ合わない。
いつか、
きっと。
2025年の秋に初めて「人間の女に本気で惚れた」
彼女の名前は架純。
東京から単身でルーマニアに留学に来た大学院生で、
民俗学を専攻している。
伯爵の城を「フィールドワークの聖地」だと喜んで、
毎週のように古い回廊をうろついていた。
最初はただの獲物だった。
血の匂いが甘くて、首筋の血管が美しく脈打っていて、
「今夜こそ」と何度も近づいた。
でも毎回、寸前で止まる。
理由はシンプルだ。
架純が、
とんでもなくニンニクを愛していたから。
彼女は毎食のようにニンニクをまるごと焼いて食べ、
ニンニクバターをパンに塗りたくっては「これ最高~!」と頬を緩ませ、
研究室代わりに使っている城の厨房では
ニンニクの香りが常に充満していた。
伯爵は吸血鬼だ。
ニンニクは文字通り「死の匂い」である。
近づくだけで目がくらみ、牙が震え、
喉が焼けるように痛む。
それでも、架純の笑顔を見ると、
胸の奥に何かが灯る。
600年以上生きてきて初めての感覚だった。
「伯爵さん、今日もお城ありがとうございます!
あ、そうだ。これ食べてみてください!」
架純が差し出したのは、
ニンニクをたっぷり入れたアヒージョ。
オリーブオイルの中でニンニクが黄金色に輝いている。
「……遠慮しておこうか」
「えーっ、美味しいのに!
私、ニンニクさえあれば生きていける体質なんです」
その言葉に、伯爵は静かに目を伏せた。
「君のその体質が、私を殺すのかもしれないな」
架純は笑いながら首をかしげた。
「え、伯爵さんって吸血鬼ですよね?
だったらニンニク嫌いなの?
古典通り?」
「……ああ。古典通りだ」
「じゃあ、私とキスとか……無理?」
伯爵の心臓が、止まっていたはずなのに、
一瞬だけ強く打った。
「無理だ。
君の唇がニンニクの香りを纏っている限り、
私は灰になる」
架純は少し考えてから、
真剣な顔で言った。
「じゃあ、私がニンニクやめたら……
キス、してくれる?」
伯爵は驚いて彼女を見た。
「君は……ニンニクを愛しているのだろう?」
「うん、大好き。
でも、伯爵さんのことの方が、もっと好きになっちゃったみたい」
その言葉は、伯爵にとって600年ぶりの甘い毒だった。
それから二人は、
奇妙な「距離の恋」を始めた。
架純はニンニクを控える努力をした。
最初は1日3片→1片→匂いだけ残さないように生で食べない、
という段階を踏んだ。
伯爵も努力した。
架純が近くにいるときは息を止める練習をし、
彼女の首筋に顔を近づけても耐えられるよう、
古い呪文を何度も唱えた。
そして、
ついにその夜が来た。
架純は3日間、完全にニンニクを断った。
唇にはほんのりミントの香りだけが残っている。
伯爵は震える手で彼女の頬に触れた。
「本当に……いいのか?」
「うん。
私、伯爵さんにキスしてほしい」
ゆっくりと、二人の顔が近づく。
あと数センチ。
その瞬間――
架純のポケットから、
小さなプラスチックの袋が落ちた。
中身は、
「にんにく味のスナック」だった。
「……架純?」
「え、あっ、ごめん!
これ、昨日食べたやつの袋で……まだ入ってただけ!
匂い移ってないよ、絶対!」
伯爵は一瞬固まり、
そして、
深い深いため息をついた。
「……やはり、運命は私たちを許さないらしいな」
架純は慌てて袋を遠くに投げ捨て、
泣きそうな顔で伯爵を見上げた。
「でも……私、まだ諦めたくない」
伯爵は静かに微笑んだ。
初めて見せる、優しい笑顔だった。
「ならば、もう少しだけ待とう。
君がニンニクを本当に忘れられる日まで。
それとも、私が……ニンニクに慣れる日まで」
架純は目を潤ませて頷いた。
「うん。
どっちが先でもいい。
私たち、絶対にキスするんだから」
それから二人は、
また少しだけ距離を保ったまま、
古城の窓辺で寄り添った。
外では満月が輝き、
厨房からは、
誰かがこっそり焼いているニンニクの香りが、
ほんの少しだけ漂ってくる。
伯爵は小さく呟いた。
「……まったく、
愛とはなんと残酷で、
なんと美味しいものなのか」
架純はくすっと笑って、
伯爵の冷たい手に自分の手を重ねた。
二人の指は絡まり、
でも唇は、まだ触れ合わない。
いつか、
きっと。
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