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皇女誘拐事件
しおりを挟む「ねぇ、獅子。そろそろお昼の時間じゃない?」
鉄格子の奥から桃色の指先を伸ばして、少女が言った。格子の前に置かれていた月餅と蓬茶を手に取り、ひょいと口に放り込む。
「今食べてるでしょう」
「そうね、でもこれおやつでしょう? お粥とたくあんで良いからおかずがそろそろ欲しいわ」
これもとっても美味しいけれど、と息を零す唇は艶めく桜色で、音を立てない美しい所作でお茶を飲み干していく。大きな瞳を瞬かせ、結うのは大変だからと下ろしたたっぷりの栗色の髪と煌びやかな一斤染の衣をひらめかせ、少女は立ち上がった。
「ないなら良いの、月餅があってお粥やたくあんのひとつもないとは思わないけれど、ここの資源は貴重だものね、備蓄のためにとっておくということはあるでしょう。ならばやはり、私も己を養わねば」
「は」
「さあ獅子、山に行きましょう、今の時期なら胡桃も団栗も山葡萄も採り放題よ」
ここ開けてくれる? と、にっこり微笑んで宣う少女に、鉄格子の前で見張り番をしていた少年――獅子は、名に負けるような情けない声で吠えた。
「だから、あんたは、人質なんだよ栗姫!!」
あらあ、と残念そうに眉を下げる姫君は、衣の裾を丁寧に払って、再び牢屋にちょこんと座った。
獅子、十三歳。
栗姫、十四歳。
義賊団紫苑党による第三皇女栗姫誘拐事件の、真っ最中だった。
彩葉の国は山野に囲まれた小国で、東は海に面した芳野の大国、北は巨大な平野を抱える六嘉国に接し、細やかな外交と自給自足生活で細々と生き残ってきた。山の実りは豊かだが農作地の少ない彩葉は、皇宮のある都以外はほとんど狩猟で生計を立てており、近年、都と地方で貧富の格差が大きくなり始めていたところであった。
「都と地方での取引価格の是正を求めて、地方豪族が結託して蜂起したのが先月半ば。義賊集団だった紫苑党と手を組み、皇宮でふらふら夜の散歩をしていた第三皇女を盗み出し、人質として交渉を始めてそろそろひと月。ねえ、皇宮からの返事はどうなっているの?」
「自分でふらふらって言うんだな」
「ちょっと迂闊だった自覚はあるのよ、一応。でもほら、皇宮にも木は多いから、いろいろ採れてね、そろそろ収穫時期だと思って」
「何で姫宮が自分で収穫してるんだよ、それも夜に」
「夜じゃないと人目についちゃうじゃない」
それは世に言うお忍びである。つまり、決して褒められた行動ではなかった。
獅子は鉄格子の前で火を熾し、干し飯を煮て粥を作っていた。漬け物は壺ごと炊事場から拝借し、たくあんと梅干しとついでに干し柿も小皿に盛ってやる。日焼けした手とぼろぼろの爪は毎日の水仕事によるもので、獅子の髪は明るい茶髪だが、ぱさついてところどころが白くなっていた。後ろで一つにまとめたその硬い髪を、鉄格子から指を伸ばして、栗姫が先ほどからちょいちょいと弄んでいる。
山中にある大きな洞窟を根城にする紫苑党は、もとは普通に暮らしていた地方の狩猟民だ。数年前、拠点にしていた山が地震で崩れ、食うに困って他の山に住む者たちの何でも屋をやり始めると、とたんに義賊として持ち上げられた。山での収穫は一定しない。都の求める税が払えずに困窮する人々を数回、頭の切れる奴らで助けてやっただけなのだが、それが瞬く間に広がった。今ではこうして、新たな拠点である洞窟に隠れ住む日々である。
正直、獅子はこんなことになるとは思っていなかった。ましてや、皇女の誘拐をする羽目になるとは。
洞窟の奥に急ごしらえで作った牢屋は、鉄格子以外は本当にただの居室だ。岩を削って作った寝台には柔らかな布が掛けられているし、茣蓙《ござ》に枕に脇息も揃えている。室の奥には厠もあり、着替えのための几帳も、蘇芳の織りが美しい大きなものを置いていた。全部、獅子が行商人と交渉して用意したり、自ら斧を取って作ったりしたものだ。
「姫様迎えることになるなんて本当に思ってなかったのに」
「やあね獅子、迎えたんじゃなくて連れてきたのよ、お前が。私を攫うときに最初に声をかけてきたのはお前じゃない」
「あっさりついてくると思わなかったんだ!」
つんつんと、旋毛をつついてくる栗姫の手を振り払って、獅子は額を手で覆う。それでも干し飯が鍋の中ですっかりゆるんだのを見ると、粥を椀に盛り、漬け物と干し柿を盛った皿と一緒に鉄格子の中へ手際よく差し入れた。
ぱ、と栗姫の目が輝く。
「きゃあ、干し柿!」
「昼の用意が遅れてこれしか用意できなくて済みません。月餅はたまたま朝に頭領からもらっただけだけど、夕飯には猿梨とか胡桃も出せると思いますよ、あと雉とか」
「獅子は本当に優しいわね。普通、人質にそんな貴重な食糧を分けないでしょう」
「だってあんた悪くないもん。あと可愛いし」
呆れたように溜息をつきながら獅子がそう言えば、鉄格子の奥で、栗姫がぽかんとした。何言ってるんだこの子、という顔である。
獅子は首の後ろを掻く。
「皇宮の庭で、団栗拾って茹でようとするような皇女が、俺たちの敵なわけないだろ。実際あっさりついてきてくれたし、今だって俺たちの生活を気遣ってくれてるし」
「そこじゃあないんだけど……でもご飯と几帳はきっちり請求したわよ」
「当たり前でしょう、それ。気付くのが遅れたこっちが悪い。あとちゃんとそこ請求できるのが可愛いんじゃん、あんた」
「……そんな褒め言葉は初めて聞いたわ?」
口を尖らせた獅子が言うのに、栗姫はひどく訝しげに首を傾げる。
「いいから早く食べろよ、冷める」
「そうね、ありがとう」
姫が腕に箸をつけると、あたりはしんと静まった。
姫を捕らえている牢屋は、広く入り組んだ洞窟の中でも最も奥まった場所に作られている。紫苑党の者たちが寝起きしている室とは離れており、耳を澄ませても足音や声は聞こえない。間にいくつか物置部屋があるから、姿を見ることもなかった。逆に言えば、こちらのこともよほど近づかねば誰かに知られることはない。
見張りは獅子一人で、栗姫のことは全て獅子に任されていた。年若く人質としては大人しい栗姫を、紫苑党の頭領も、危険ではないと判断してのことだった。
「それにしたって、人手がなさ過ぎるけど」
獅子が独り言つと、栗姫は咀嚼していたたくあんを飲み込んで、眉を下げる。
「獅子が過労死するくらいなら、やっぱり私が自分でご飯作るわ。大丈夫、木の実の茹で方くらい知ってるし、最悪足を牢に繋げば、戸を開けても大丈夫でしょう?」
竈はそこに獅子が作ってくれたのがあるものね、と、栗姫は粥を煮るために積んだ石を指して微笑んだ。
獅子は眉を顰めて首を横に振る。
「あんたのこと以外、やることないから死なない」
「そう? 良かった」
嬉しそうにふふ、と笑う栗姫を、獅子は膝に肘をついて眺めた。
子どもだから忍び込みやすいだろう、と、皇宮に一番に入った獅子は、庭でひとり団栗を採っていたこの姫を見つけて、手を差し出した。遊ぼうなんて声をかけたわけではない。そこまで姫も幼くない。しっかり自分たちの正体と目的を告げた上で、手を取った姫を連れて、獅子は仲間たちの元に戻った。大人が追いつくよりもずっと早く戻ってきた二人を見て、仲間たちが驚きで目を丸くさせている中、彼女はおもむろに口を開いた。
――必要であれば、どうぞ連れて行って下さい。ただ、申し訳ないのですが、
夜闇に静かに、決して大きな声ではないのに、凜と響く声で。
――私に、人質としての価値は、ないかも知れません。
内容とは裏腹に、毅然と言い放ったその声が、ひと月経った今も獅子の胸に巣くっている。
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