栗姫と獅子 ―第三皇女誘拐事件―

菊池浅枝

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 夕飯の材料をもらいに炊事場に行くと、ちょうど豪族たちとの渉外を終えて帰ってきた一行が水を飲んでいた。

「お、獅子。姫宮の飯か?」

 獅子が近づくと、一団の中央で水どころか酒を仰いでいた若い男が手を上げる。赤い髪に五色の腰飾りをつけた、派手な男だ。

「ああ、雉とか兎とかとれてないか?」
「狩りに行ってた奴らが仕留めてきてたぞ」

 男は酒の入った杯で炊事場の外を指す。
 この男が、紫苑党の頭領、朱雀すざくだった。
 齢二十五にして一党の頭になり、蜂起した地方豪族との取引をとりまとめ、姫宮誘拐の作戦を考案した張本人である。朱雀は襟足で短く切った赤髪を掻き上げ、ご苦労様だな、と笑った。

「雉が一、兎が四。今絞めてる。好きな部位をもらっていけ」
「分かった」
「お前ももう少し気ぃ抜けよ。うちの奴が作る飯に、毒が入る訳ないだろ」
「うちの中は疑ってないよ。でも外から買い付けるものだってあるだろ。ましてや、今は豪族たちとのやりとりもある。どこで混入するか分からない」
「……ここを教えたことはないが、ま、忍び込もうと思えば忍び込めるか。一応、俺たち自身も他の山にすぐ移動できるようにはしておけよ」
「分かってる」

 朱雀はその大きな手で獅子の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。大柄というわけではないが、朱雀は手がとても大きい。なのに背は大して伸びなかったので、同年代の奴らには何度も愚痴をこぼしているが、獅子はこの手が好きだった。

 朱雀が撫でたのを皮切りに、周囲の若衆が次々と獅子を撫で回す。そちらはさっさと振り払って、獅子は炊事場から外に出た。入り組んだ洞窟にはいくつか秘密の出口があって、炊事場の奥がその一つだ。すぐ側には川が流れていて、その川縁で女たちが狩りに行っていた男衆と雑談しながら、絞めた獣を切り分けている。

「雉の手羽と兎の腹、一切れずつもらえるか」
「おや獅子、姫様の話し相手は終わったの」
「……終わってない」

 む、とした顔で獅子が言えば、女たちはあははと笑って、切り分けた肉を焼いた笹に包んでくれる。猿梨や胡桃は、昼餉のあと獅子が自分で少し採ってきていた。あとはいつもの粥で十分だろう。

「獅子」

 不意に後ろから声をかけられる。
 獅子が顔を上げれば、朱雀の側近である背の高い男が、炊事場の方からやってきていた。

穂刈ほかり。何かあったのか」

 先ほど朱雀は何も言わなかったのに、頭領からは言いにくいことでもあるのだろうかと獅子が眉を顰めると、いや、と穂刈は首を振る。その甘めの垂れ目で獅子を見下ろして、

「……何もないことが、むしろ良くない。豪族たちの屋敷で確認してきたが、どうやら、未だに皇宮から返事が来ない」

 声を低めて、呟いた。
 獅子は拳をぎゅ、と握る。

 人質をとっての政治交渉。
 正直に言って、悪手だった。成功したところで後々ひっくり返される可能性が高いし、そうされてもこちらが文句を言えないほどには心証が悪い。しかし、危険を冒してでもそれを紫苑党が引き受けたのには、理由がある。

「……皇宮は今、それほどに地方を気にかけている余裕がない」
「ああ。芳野と六嘉の大使が、どうもまだ帰っていないようだ」

 ――それは、地方豪族たちが価格是正を唱えて蜂起した、そのすぐあとに分かったことだった。
 都に二大国の大使が来ている。
 それも民衆には全く知らせず、それぞれが別々にお忍びで来ているようなのだった。彩葉は大国に挟まれた小国だ、立ち位置を見誤れば、すぐにどちらかに攻め入られてしまう。
 間が悪い。これでは皇宮は腰を据えて豪族たちの話を聞くどころではない。それでも声を上げてしまった以上、今ここで要求を通してもらわねば、皇宮が民衆の反感を買いかねなかった。そうなれば国力が衰退して、大国の圧に屈してしまうという本末転倒になりかねない。

 それで、相談を持ちかけられた紫苑党が、皇宮が言い訳として要求を呑みやすいよう、密かに皇宮の姫を攫うという案を出したのだった。

「条件は伝えてる。要求を呑んでくれれば豪族たちは皇王陛下へ恭順を示し、領地の一部を返上して、対外的には和睦が成立したと見せる。悪い条件じゃないはずなんだ。なのに返事が来ないということは」
「……芳野と六嘉の大使の要件が、皇宮にとってよっぽど大事か」

 獅子は唇を歪めた。
 内紛を長引かせ、皇女の命を無視するほどの、大事。
 外交には一番気を遣う国だ。しかしだからこそ、内紛の放置は危険なはずだった。
 ぽん、と肩に手が置かれる。獅子は顔を上げた。

「ほどほどにしとけよ、獅子……また髪が白くなる」

 もう、三分の一ほどが白化してしまっている獅子の髪を、穂刈がひと撫でしていくのを、獅子は甘んじて受けた。

 ――四年前、自分の掌に転がり落ちてきた団栗の輝きを、今でも覚えている。
 ぱんぱんに膨れた褐色の実は今にも皮を割りそうで、小さな掌の中で、あの団栗は、太陽をいっぱいに吸った香りがしていた。

 背を向けて戻ろうとする穂刈を、獅子は呼び止める。

「なあ穂刈、頼みがあるんだけど」





「獅子、このお水美味しい。一体どうやって作ったの」
「香草を入れて煮出したのと割っただけです。それを川の水で冷やしました。あとこれ、髪洗えるように椿油もらってきました。あとうちぎの裾がほつれてたので直しといた。新しいのは買えないから、でもその代わり働くんで」
「服なんて、自分で切っちゃったりするくらいなんだから、少しほつれたくらい気にしないのに。至れり尽くせりねぇ」
「それは切る前に言えっての、端布はぎれくらいあったのに!」

 ほう、と息をついた栗姫は、今日もはきはきと朝から牢の掃除をし、獅子の持ってきた団栗で独楽こまを作り、常山木くさぎの実を使って染める布は綺麗なのだと言って、一緒に常山木をとりに行こうと誘ってきた。人質なのだから牢から出せるわけがないのだが、しかし彼女は逃げるために外に行きたいと言っているわけではない。自分の衣服の一部を切って、染める布まで用意しての発言である。

 たおやかに吐息を零す栗姫とは対照的に、はあ、と大きく溜息をつきながら、獅子は自分の横に置いたいくつもの水桶に視線をやった。

「栗姫、奥の大桶を手前に持ってきてくれるか?」
「ああ、今髪を洗えってことね? 分かった」

 牢の奥に置いてある、体を拭いたりするための大桶を少し踏ん張りながら栗姫が引いてくる。細い腕に申し訳なかったが、見張りが人質から目を離すようなことをするわけにもいかなかった。
 牢の端に置かれた大桶に外から水を注ぎ入れ、八分目までが溜まると、獅子は牢の鍵を懐から取り出した。

「髪洗います。入りますよ」
「えっ。いい、いい、自分で洗う!」
「あんたの手、油塗れにさせられないだろ」

 とたん、頬を赤くした姫を、獅子は無視して牢の戸を開けた。子どもが腰を屈めてやっと通れる程度の入り口を開き、栗姫から目は離さないようにしながら、戸を閉めて掛け金を下ろす。狭い室だ、立ち上がって狼狽うろたえている栗姫に、邪魔だから大人しくしてと獅子が言えば、姫も早々に観念した。うぅ、と頬に手を当て唇を歪ませながら、ぽすんと大桶の側に座る。
 牢の外に置いた残りの水桶で手を洗いつつ、獅子は栗姫の柔らかな髪を手に取った。

 ひと月、まともに手入れができずとも、毎日自分でくしけずっていたらしい。髪は驚くほどさらさらだった。あまりに自分と手触りが違うので、これは本当に同じ髪かとさえ疑う。手入れの仕方は女衆に聞いていたが、手順を間違えてしまいそうだった。
 栗姫に脇息を使って屈んでもらい、その豊かな髪を水に浸す。
 埃を落とし、ひと月の洞窟生活で付着した泥汚れなども落ちるように、丁寧に水に潜らせた。さらりと髪が水に揺れ、梳く指が、抵抗なく髪の間を通るようになる。
 と、姫が、ごろんと脇息を使って仰向けに横たわった。

「……」
「ねえ、獅子」
「何」

 栗姫はじ、と獅子の顔を見つめていた。先ほどの赤面は何だったのか、ともすれば鼻が触れそうなほど、顔が近い。

「私の母上は身分が低いの」
「知ってる」

 うん、と、栗姫は嘆息するように、僅かに胸を上下させた。

「しかも病ですぐに亡くなってしまったしね。一の姫の望月もちづき様は、先の皇后の姫で皇太子の妹君、二の姫の柘榴ざくろ様は、今の皇后様の一人娘で祭事に欠かせない斎宮様。望月様は、重臣への降嫁も決まっているわ」

 だから。

「何の立場も、約束もないのは、私だけなの」

 栗姫は、そう言って笑った。

「――人質になれなくて、ごめんね」
「……あんたは悪くない」
「うん。でも、望月様でも柘榴様でも、攫われたら身の上に傷がつく。今の立場を失うわ。だから攫うのは私にして欲しかったの」

 本当はお二人のどちらかを攫おうとしてたんでしょう? と、栗姫は獅子を真っ直ぐ見上げる。あの日、人質としての価値はないかも知れないと告げたときと、同じ目で。

「役に立たないかも知れないのに、身内贔屓しちゃったから。ごめんなさい」
「あんたは悪くないだろ」

 獅子は水に浸した髪を撫でつけた。十分に水の中でほぐし、ぎゅ、と絞って布で拭く。その布を床に敷いた上に髪を置いて、椿油に指を浸した。
 栗姫の額の生え際に、ひたりと指を添える。

「あんたが可愛いから、俺が攫ったんだ」

 栗姫が、目を見開いた。
 じわり、首までを真っ赤にして、視線をうろつかせる。体勢のせいでろくに身動きもできないので、やがて途方に暮れたように、眉を下げた。
 その様子が、この姫にはあまりに珍しくて。
 獅子は思わず、破顔した。







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