3 / 10
栗姫と獅子
しおりを挟む
常山木の実や赤く紅葉した桜の葉を集めて牢に持って行ってやれば、栗姫はきらきらと顔を輝かせた。
「こんなにいっぱい! 大変だったでしょう」
「狩りに比べれば大変じゃない。重くもないし」
きゃあきゃあと歓声を上げながら、栗姫は濃い藍色の実や赤い落ち葉の入った袋を見つめた。それからいそいそと後ろを向いて、牢の奥の行李から麻糸と端布を取り出す。獅子が用意したものだった。行李の中身は栗姫の日用品やら手遊びに姫が作ったおもちゃなどが入っていて、それも大体は、獅子が用意したものだ。
「椿の灰汁はある?」
「あります。染め物はうちでもやるし、俺もやったことあるんで」
竈に火を入れながら、獅子は答える。
「皇宮でもやるのよ。春と秋の行事の一つなの。まあ、基本女房がやるんだけど」
「だろうな。あんたは勝手に自分でやって怒られてそう」
「ふふふ、その通りよ」
栗姫は何故か胸を張った。
鍋に水を入れ、竈にかけて先ずは糸と端布をそこに浸す。椿の灰汁を使って繊維の汚れを落とすと、今度は別の鍋に水と桜の葉を入れて、煮出した。何度か鍋の水を替え、いくつか色の違う染液を作り、最後は常山木の実を鍋に入れる。実は袋に入れて投入した。後で実を潰して煮出すためだ。
十分に煮た実を一度取り出し、栗姫に木の棒と一緒に渡して潰してもらうと、それを再び鍋で煮出す。一通り染液を作り終えたら、栗姫にどれをどの染液に浸すか訊いて、一つ目の染め物を鍋にかけながら、獅子は訊いた。
「やる?」
「やる!」
即座にいい返事が返ってくる。獅子は洗った布や糸と一緒に、長く削った箸を姫に渡した。
数日前に、竈の位置を栗姫でも手が届くところに作り直していた。絶対にやりたがると思ったからだ。勿論、火には触れないよう、火入れ口は牢と反対に作り、熱い石にも触れないように背には分厚い石を並べている。栗姫は鉄格子から腕を伸ばし、格子にへばりつきながら鍋をかき混ぜた。
「私も材料集めに行きたかったわ。木登り好きなのよ」
くるり、ぐつぐつ煮立つ鍋の中に視線を落としながら、箸を回して栗姫が言う。
「何で姫が木登りしてんだよ、服引っかけるだろ」
「そう、服はいつも悩みの種なのよね。でも逆にこの服でも登るコツを覚えたのよ、ちょっと自慢なんだけれど」
「自慢にするもんじゃない気がする」
「皇宮って暇なのよ、特に子どものうちは」
大人になれば、姫といえど何かやるべきこともあるのだろうが、幼いうちにさせてもらえることなど、裕福であればあるほど、なかった。一通りの遊び道具や教養のための本は与えられていたが、物心つく頃にはすでに母を亡くしていた栗姫は、皇宮ではあまり気にかけられない存在だった。
部屋での一人遊びが好きではなかったのだと、栗姫は肩を竦める。
「女房も少なかったから、みんな忙しそうだったし。ひとりで部屋にいるくらいなら、外の空気を吸って体を動かしている方がいくらかマシだったの。皇王陛下の行幸に何度か無理に連れて行ってもらったこともあるけれど、皇宮にも林や森のようなところはあったから、よく散歩に出てた。春には花が咲いたし、夏には虫がわんさかいたし、秋は美味しいものがいっぱい採れた」
そうして時折、子どもでも登れる木によじ登って、庭の木から皇宮を見渡していた。
「……空がよく見えた。自分が住んでいる所で、どれだけの人が働いているのかも。あんまりぼんやりしていると、鳥が近くの枝に留まってくれるの」
「それは自慢して良い」
「ぼんやりしてたことを?」
「鳥が警戒しないほど無心になれるのは、凄い。狩りにも有用な技術だし、それだけ心を静められるってのは、そうなれるよう努力したんだろ。格好いいよ」
「……獅子は本当に、変なところを褒めるわね」
ふふ、と笑いながら、栗姫は端布を少し持ち上げて、そろそろいいかしら、と呟いた。
獅子が鍋を火から下ろして、色の染みこんだ布を軽く絞って、もう一度灰汁につける。灰汁が発色を良くしたり色止めになるのだ。酢や明礬を使うこともあるが、どちらも貴重な資源の一つなので、あまり頻繁には使わない。
桜の葉で染めた布は、染液の煮出し具合によってそれぞれ朱色から桃色に。
常山木の実で染めた布は、鮮やかな空色になる。
同じく多色に染めた糸を干し竿に引っかけて晒しながら、獅子は笑った。
「女衆たちが喜ぶよ、作業が少し減ったって」
端布は栗姫のために用意したものだが、糸は、紫苑党の女衆たちからついでにと頼まれたものだった。栗姫が嬉しそうに微笑む。
「機織りまでやりましょうか、織機ある?」
「牢屋で織るのはさすがに無理」
獅子は眉根を寄せて、溜息をついた。
その数日後、獅子がいくつかの丸い棒と杼だけで織る織機を持っていくと、栗姫は、目をぱちぱちと瞬かせた。
「この前、牢では無理だと言っていなかった?」
「あんたが知ってるような織機は大きすぎて無理。これ、使ったことありますか?」
「無いわね……」
「腰幅までの布なら織れる。目の前で俺もやるから、見て真似てください」
獅子は牢の前で手早く織機を設置して、巻具に糸を通して、ぴん、と張った。そこでふと、先日、躊躇なく織機を所望した姫の言葉を思い出す。
「そう言えば、皇女も機織りするのか?」
栗姫は獅子を真似て織機を設置しながら、頷いた。
「七夕では皇族の姫が織った布を献上するから、一通りは。まあ、大きいものは例によって女房とか職人が織って、姫が自分で織るのは帯布くらいのものなんだけれど」
「その布は献上してどうすんの」
「七夕の後に焼くわね、天に献上するものだから」
うわもったいね、と獅子が目を眇めると、栗姫はでしょう、としたり顔で同意した。
その日は一日、機織りに明け暮れて、織り上がった帯布を、栗姫は獅子に差し出したのだった。
「こんなにいっぱい! 大変だったでしょう」
「狩りに比べれば大変じゃない。重くもないし」
きゃあきゃあと歓声を上げながら、栗姫は濃い藍色の実や赤い落ち葉の入った袋を見つめた。それからいそいそと後ろを向いて、牢の奥の行李から麻糸と端布を取り出す。獅子が用意したものだった。行李の中身は栗姫の日用品やら手遊びに姫が作ったおもちゃなどが入っていて、それも大体は、獅子が用意したものだ。
「椿の灰汁はある?」
「あります。染め物はうちでもやるし、俺もやったことあるんで」
竈に火を入れながら、獅子は答える。
「皇宮でもやるのよ。春と秋の行事の一つなの。まあ、基本女房がやるんだけど」
「だろうな。あんたは勝手に自分でやって怒られてそう」
「ふふふ、その通りよ」
栗姫は何故か胸を張った。
鍋に水を入れ、竈にかけて先ずは糸と端布をそこに浸す。椿の灰汁を使って繊維の汚れを落とすと、今度は別の鍋に水と桜の葉を入れて、煮出した。何度か鍋の水を替え、いくつか色の違う染液を作り、最後は常山木の実を鍋に入れる。実は袋に入れて投入した。後で実を潰して煮出すためだ。
十分に煮た実を一度取り出し、栗姫に木の棒と一緒に渡して潰してもらうと、それを再び鍋で煮出す。一通り染液を作り終えたら、栗姫にどれをどの染液に浸すか訊いて、一つ目の染め物を鍋にかけながら、獅子は訊いた。
「やる?」
「やる!」
即座にいい返事が返ってくる。獅子は洗った布や糸と一緒に、長く削った箸を姫に渡した。
数日前に、竈の位置を栗姫でも手が届くところに作り直していた。絶対にやりたがると思ったからだ。勿論、火には触れないよう、火入れ口は牢と反対に作り、熱い石にも触れないように背には分厚い石を並べている。栗姫は鉄格子から腕を伸ばし、格子にへばりつきながら鍋をかき混ぜた。
「私も材料集めに行きたかったわ。木登り好きなのよ」
くるり、ぐつぐつ煮立つ鍋の中に視線を落としながら、箸を回して栗姫が言う。
「何で姫が木登りしてんだよ、服引っかけるだろ」
「そう、服はいつも悩みの種なのよね。でも逆にこの服でも登るコツを覚えたのよ、ちょっと自慢なんだけれど」
「自慢にするもんじゃない気がする」
「皇宮って暇なのよ、特に子どものうちは」
大人になれば、姫といえど何かやるべきこともあるのだろうが、幼いうちにさせてもらえることなど、裕福であればあるほど、なかった。一通りの遊び道具や教養のための本は与えられていたが、物心つく頃にはすでに母を亡くしていた栗姫は、皇宮ではあまり気にかけられない存在だった。
部屋での一人遊びが好きではなかったのだと、栗姫は肩を竦める。
「女房も少なかったから、みんな忙しそうだったし。ひとりで部屋にいるくらいなら、外の空気を吸って体を動かしている方がいくらかマシだったの。皇王陛下の行幸に何度か無理に連れて行ってもらったこともあるけれど、皇宮にも林や森のようなところはあったから、よく散歩に出てた。春には花が咲いたし、夏には虫がわんさかいたし、秋は美味しいものがいっぱい採れた」
そうして時折、子どもでも登れる木によじ登って、庭の木から皇宮を見渡していた。
「……空がよく見えた。自分が住んでいる所で、どれだけの人が働いているのかも。あんまりぼんやりしていると、鳥が近くの枝に留まってくれるの」
「それは自慢して良い」
「ぼんやりしてたことを?」
「鳥が警戒しないほど無心になれるのは、凄い。狩りにも有用な技術だし、それだけ心を静められるってのは、そうなれるよう努力したんだろ。格好いいよ」
「……獅子は本当に、変なところを褒めるわね」
ふふ、と笑いながら、栗姫は端布を少し持ち上げて、そろそろいいかしら、と呟いた。
獅子が鍋を火から下ろして、色の染みこんだ布を軽く絞って、もう一度灰汁につける。灰汁が発色を良くしたり色止めになるのだ。酢や明礬を使うこともあるが、どちらも貴重な資源の一つなので、あまり頻繁には使わない。
桜の葉で染めた布は、染液の煮出し具合によってそれぞれ朱色から桃色に。
常山木の実で染めた布は、鮮やかな空色になる。
同じく多色に染めた糸を干し竿に引っかけて晒しながら、獅子は笑った。
「女衆たちが喜ぶよ、作業が少し減ったって」
端布は栗姫のために用意したものだが、糸は、紫苑党の女衆たちからついでにと頼まれたものだった。栗姫が嬉しそうに微笑む。
「機織りまでやりましょうか、織機ある?」
「牢屋で織るのはさすがに無理」
獅子は眉根を寄せて、溜息をついた。
その数日後、獅子がいくつかの丸い棒と杼だけで織る織機を持っていくと、栗姫は、目をぱちぱちと瞬かせた。
「この前、牢では無理だと言っていなかった?」
「あんたが知ってるような織機は大きすぎて無理。これ、使ったことありますか?」
「無いわね……」
「腰幅までの布なら織れる。目の前で俺もやるから、見て真似てください」
獅子は牢の前で手早く織機を設置して、巻具に糸を通して、ぴん、と張った。そこでふと、先日、躊躇なく織機を所望した姫の言葉を思い出す。
「そう言えば、皇女も機織りするのか?」
栗姫は獅子を真似て織機を設置しながら、頷いた。
「七夕では皇族の姫が織った布を献上するから、一通りは。まあ、大きいものは例によって女房とか職人が織って、姫が自分で織るのは帯布くらいのものなんだけれど」
「その布は献上してどうすんの」
「七夕の後に焼くわね、天に献上するものだから」
うわもったいね、と獅子が目を眇めると、栗姫はでしょう、としたり顔で同意した。
その日は一日、機織りに明け暮れて、織り上がった帯布を、栗姫は獅子に差し出したのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる