栗姫と獅子 ―第三皇女誘拐事件―

菊池浅枝

文字の大きさ
4 / 10

獅子

しおりを挟む

 栗姫が寝ている間、獅子は牢の手前の物置部屋で寝ている。栗姫の元へ行くには必ず通るところで、万が一、栗姫が逃げ出したとしても通らねばならない場所だった。

 世話役兼見張りが獅子一人なので、食事の用意や睡眠など、どうしたって見張り続けることのできない時間は多々ある。その間、勿論一党のものに声をかけ、侵入者などには警戒してもらっているが、この物置部屋にも仕掛けがあって、通る者がいればすぐに洞内中に分かるようになっていた。
 栗姫を助けに来る者だけではない。
 栗姫を、殺しに来る者がいるかも知れなかった。

 三年前の山崩れの時から、獅子は物音に敏感で、眠りが浅かった。側を誰かが通ればすぐに目覚める。それを知っているから、朱雀や穂刈たちも、獅子に姫の見張りを任せていた。

 山の崩れる轟音が、耳の奥底に響いている。

 物置部屋の棚の陰で、獅子は体に掛けた薄い衣を掻き抱く。つい先ほどまで灯りをつけて作業をしていたせいで、いつもよりさらに寝入りが悪い。夜寒が手足に沁みていく。

 三年前、獅子の母親は、山崩れに巻き込まれて死んだ。
 一党の何人かはその山崩れで亡くなった。獅子にとって母は唯一の肉親で、父は獅子の生まれる前に亡くなっていた。
 足の悪い母だった。
 動きにくい足を抱えて、女手一つで獅子を育てるのは大変だっただろう。当時の頭領だった朱雀の父も、獅子の母のことは気にかけてくれていたが、獅子はといえば、朱雀ら血気盛んな奴らと悪さを繰り返し、その度に母に怒られていた。それでも、摺り足で歩く母の足に、毎日枇杷の葉を貼って湿布にするのは獅子の仕事だった。獅子なりに、大事にしていたつもりだった。

 山が崩れたとき、獅子は村にいなかった。朱雀たちとともに、夜通しの鹿狩りに行っていたのだ。鹿を追いかけて山を一つ越えており、空の白む直前、地の震えとともにあの轟音が響いたときには、もう、為す術もなかった。

 山に住む者は山のことを知っている。夜明け前の地震でも、一党の多くは生き残ったが、その山崩れで最後まで避難の指示を出していた頭領は死んだ。朱雀が一党を継いだのはこの時だ。崩れた斜面を掘り、何とか村の跡を見つけて、土砂に埋まった者たちを引き出したのは、山崩れから三日後のことだった。

 土砂に埋まった者は助からなかった。頭領は土に呼吸をふさがれて死に、獅子の母は、家屋の柱で頭を打って死んでいた。山が崩れる前、地震の時にはすでに、獅子の母は家から出られない状況だったのだと、大人たちが言っていた。

 土の中から掘り出された、弱り細った母の足が目に焼き付いている。狩りに出る前、獅子が貼った枇杷の葉が、その細いふくらはぎの裏にまだ残っていた。剥がし忘れたまま、寝てしまったのだ。

 どうして、家にいなかったのだろう。
 どうして、夜明け前に家に戻らなかったのだろう。
 どうして、迷惑ばかりかけて、怒らせてばかりいたのだろう。
 せめて自分が家にいれば、背負って、這ってでも――

 以来、獅子は深く眠れたことがない。

 獅子は一党の雑用に専念するようになり、若くして頭領を継いだ朱雀を手伝った。孤児となった獅子を、一党のみんな気遣ってくれたが、獅子の耳の奥底で、あの夜明け前の轟音が鳴り止む日は来なかった。やがて髪には白髪が混じり始め、半年で、獅子の髪は三分の一が白くなった。明るい茶髪は、もっと薄い、黄金みたいな色に見えるようになっていた。

 獅子は懐に入れた布を探る。
 今日、栗姫がくれた帯布だった。空色の糸と桃色の糸で綾織りに織ってあり、夜陰の中でも、その柔らかな光沢がはっきりと見えた。
 手足の冷えが少しだけ弱まる。耳の奥底の轟音が、僅かに、緩やかに遠のいていく。
 意識は常に人の気配を探りつつも、獅子はゆっくり、その目を閉じた。








しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...