栗姫と獅子 ―第三皇女誘拐事件―

菊池浅枝

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夜空と轟音

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――栗の実の幾久しくとつやめくをあたためむとぞおもひあふれば






「でもどうして、獅子は最初から私を攫うって決めてたの?」

 都の外れの山を獅子に手を取られて登りながら、栗姫は問うた。切った長袴は動きやすかったのでそのままに、上には都の市場で買った裾の短い単を着て、腰を撫子の帯で結んでいる。くぬぎで染めた、黄橡きつるばみ色の衣だった。

「あんたは覚えてないだろうけど」

 獅子はその黄金色の髪を揺らしながら、栗姫を振り返らずに言う。銀杏の葉が獅子の擦り切れた衣の肩にかかっていた。栗姫と獅子の手は、今、同じくらい土で汚れている。

「昔、一度だけ会ってる。四年前、先の皇王陛下が俺たちの住んでた山に行幸みゆきに来たときだ。あんたは俺に、団栗をくれたんだ」

 四年前。
 都の監視官が強引に差し出させようとした胡桃の代わりに、ころんと手に転がった艶やかな褐色の実を見たとき。
 獅子は本気で、この皇女をいつか迎えに行こうと思った。
 あの数個の団栗が、獅子たちの胡桃を守ったのだ。

「木の実一つの、重みを知ってるんだと思ったんだ」
「覚えてるわよ」
「え?」

 桜の木の枝に手をかけ、すすきの茂みを迂回しようとしていた獅子が栗姫を振り返る。
 東宮殿を出て三日、朱雀と穂刈たちは、獅子と栗姫を伴って、まだ都にいた。豪族たちと皇宮の交渉が始まったので、紫苑党も同席することになったらしい。栗姫と獅子は、慌ただしく働いている大人たちを尻目に、約束していた栗拾いをしに来ていた。南の方はもうとっくに獣に食われてしまっているが、都でも北の山ならまだ生っているところがありそうだと、昨日、山に様子を見に行っていた獅子が言ったのだ。

「最初に獅子を見たときに悲鳴を上げなかったの、見覚えがあったからだもの」
「でも俺、あの時とは髪色が」

 栗姫はふふん、と胸を張る。

「それくらいで見間違えたりしないわ。記憶力は良い方なの。私ね、あの時、獅子を利用したのよ。大人だと団栗を突き返されてしまうかも知れなかったから。同じくらいの歳の子が近くにいるのを見つけて、強引に握らせたの」

 だからよく覚えてる、と栗姫は言った。
 ――明るい色の少し吊った目、薄茶色に焼けた髪。髪の色は随分白くなってしまっていたけれど、あの時渡した団栗を、ぜひ食べて欲しいと願った少年で間違いなかった。

「利用した罪悪感があったから、お詫びにどうしても食べて欲しかったの。あの団栗は絶対に美味しいと思ったから」
「美味かったよ、すごく」
「本当? やったぁ!」

 獅子が微笑むのに、栗姫も満面の笑みで返した。

 朱雀と穂刈が良いと言ったので、あの団栗は獅子が持ち帰って、母親と二人でそのまま生で食べたのだ。甘くて美味しいねと、獅子の母は笑っていた。皇女様からいただいた団栗なんて、一生に一度、あるかないかの僥倖ぎょうこうねぇ、と。
 あの時、一緒に椎の実を食べた母は、もういないけれど。

「栗姫、もう少し登るけど大丈夫か」

 獅子が訊ねると、栗姫は繋いだ手をぎゅ、と握り返す。

「勿論!」

 まだ少し青い銀杏の葉が、はらりと風で落ちていく。涼やかな秋風が、二人の髪を揺らしていった。

 耳の奥底に響く、地の震える轟音も。
 独り見上げた、夜空の遠さも。
 まだ二人の近くにあったけれど。

 それでも、何よりも傍で繋いだ手は、今、とてもあたたかかった。







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