栗姫と獅子 ―第三皇女誘拐事件―

菊池浅枝

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皇宮

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 兵士たちは獅子と栗姫を囲いながらも、乱暴に触れることはなく、皇宮の裏門からこっそりととある一画に二人を導いた。楓や紅葉、松の木が植えられた庭園に、広い池と築山が設けられている。日が暮れ始めたためか石灯籠には火が灯され、どこかから、伽羅の香りが漂っていた。

 栗姫はここに何度か来たことがある。いくら皇宮ではほとんど気にかけられていなかったとは言え、年中行事の挨拶などには、ここに来ていた。
 皇宮の東の一画――東宮殿とうぐうでん
 皇太子の住まう宮だった。

 ここはその東宮殿の外れにあたる。東宮としての政務や謁見を行う間、それと皇太子自身が寝起きする生活空間はもっと別のところにあって、ここは、廊下を繋げてはいるがかなり遠くの離れになる。皇太子が私的に招く客をもてなすためだけの部屋で、一応皇族であり身内の栗姫は、行事の挨拶を形式的に済ませた後、ここに通されて菓子を振る舞われることもままあった。とはいえ、一応兄である皇太子――月雲宮つくものみやは、人嫌いなのか滅多に姿を現すことがなく、栗姫も片手で数えるほどしか会話をしたことがないのだが。

 離れの部屋に通される前、栗姫は兵士たちから身支度の用意の申し出を受けたが、断った。さすがに獅子とともに足は拭かせてもらったが、獅子に用意されない身支度を、受ける必要性を感じなかった。ただ、獅子が眉を顰めて、単と袿くらいは着てくれと言ったので、それだけは受け取ることにした。まあ確かに、小袖というのは本来下着兼寝間着だ。
 女官服である萌葱もえぎの重ねを受け取って、袖を通す。ずっと大事に身につけていた撫子の帯はそのままに、獅子と二人、庭を一望する部屋に通された。

 奥の畳の置かれたには簾が下りている。しかし、そこに人のいる気配はなかった。その手前、家臣やお付きの者が控える場所に、皇宮では見かけない簡素な袴姿の二人の青年が並んで座っている。

 見覚えがあった。一人は、獅子とともに自分を攫いに来た者の中にいた、背の高い男で、もう一人は、あの洞窟に着いてから一度だけ顔を合わせた相手だ。赤い髪の、確か、朱雀と名乗った――紫苑党の、頭領。

 いよいよ訝しんで、栗姫が獅子を見ても、獅子はばつの悪そうな顔をするだけだった。朱雀たちに向かうように置かれた円座に腰を下ろしても、少し待ってみても何も言わない。それでも、握った手は離そうとしなかったが。

「ねえ、獅子。説明して」

 握られた手を強めに握り返して問う。獅子はさらに苦虫を噛み潰した顔になった。

「……あんたは、皇宮に帰らなくても良くなった」
「……? 帰らなくても?」

 ようやく得た返答に、しかし栗姫は、首を傾げる。

 帰らなくても、とはどういう意味だろう。もしや、皇宮が豪族たちの要求に応じた――のならば、むしろそれこそ自分は皇宮に返されるはずだった。皇后が意見を取り下げ、このまま元の目論み通り人質になっていて良いと言うのなら、わざわざ東宮殿に通された意味が分からない。自分たちは、皇太子の兵にここまで連れてこられたのだ。

 一体どういうことなのかとさらに獅子を問い詰めようとしたところで、にやにやと笑ってこちらを見ていた朱雀が口を開く。

「姫、あんま獅子を責めてやるな。実は昨日な、皇太子が即位したんだ」
「え?」
「んで、滞在してた二国の大使を同時に呼びつけて、『戦くらい自分たちで勝手にやれ、それでも大国なのか見苦しい』……みたいなことを、まあ、慇懃無礼に言いくるめて、追い返してしまったんだよ」
「……はあ!?」

 今度こそ、頓狂な声を上げて、栗姫は立ち上がった。隣に座している獅子は、ばつの悪そうな顔を一向に変えない。どういうことだと紫苑党の二人を見返し、朱雀がにやにやと笑っているだけなのを見て、通された部屋を見渡した。

 紅葉こうようした楓の枝が生けられた壺、埃一つ無い床板、客人をもてなす女房たちのための屏風に、皇太子が座る御簾の向こうの厚畳や脇息。攫われる前の夏の行事で訪れたときと、壺に生けられた枝以外は何も変わっていない。冗談だろうか。否、それはない。こんなこと、いくら義賊団でも、冗談で言えるはずがない。

 即位。それが本当だとするなら。
 つまり、皇王陛下が譲位したということだ。
 皇太子はまだ二十歳で、まさか、皇王陛下が、お斃れになったのか。
 栗姫がさっと顔色を青くしたところで、獅子が慌てて言いさす。

「即位したのが昨日なんで、まだ居所の移動が済んでないけど、上皇陛下は明日中には西院せいいんへの隠居が済む。安心しろ、平和的な譲位だ」
「……隠居」
「そう、隠居」
「え? 待って、なんで獅子がそんなことを知っているの」
「俺がそうしろって皇太子にけしかけたから」
「ええ!?」

 驚きで立ち上がっていた足から、今度は力が抜けそうになった。頭の処理が追いつかなくて目眩を覚える。何とか踏ん張る。額に手を当てる。

「順を追って話すと」

 獅子が言った。

「うん」
「俺は、最初っから、栗姫を攫いに来たんだ」
「え?」

 獅子が渋面のまま、とりあえず座れ、と言うので、栗姫は力が抜けそうだった足をようやく休めさせることはできた。が、言われた内容は理解ができない。

「……私を? 何故?」

 首を傾げた栗姫に、獅子が眉をつり上げて吐き捨てる。

「当たり前だろ、このままあんたがどっかの国の大臣と結婚なんて、冗談じゃない。ずっと、俺がもらうって決めてたんだ」
「……え?」
「だから、最初から俺は、あんたを狙って皇宮に一番乗りしたんだよ」

 栗姫はぽかんとした。
 今。すごいことを言わなかったか、獅子は。

 二の句が継げないでいる栗姫に、朱雀の隣で嘆息していた長身の青年――確か穂刈と呼ばれていた男が、口を挟む。

「獅子はな、紫苑党では朱雀の片腕の一人なんだよ。本人は頑なに雑用だって言うけど」

 獅子は顔を逸らして、雑用だ、と小さく呟いた。

「そもそもうちが義賊団なんて呼ばれ出したのも、獅子と朱雀が共謀して都の役人を追っ払ったりしたからなんだけどな。皇女誘拐策を発案したのは朱雀だが、具体的な道や方法を決めたのは、獅子なんだ。まあ俺たちも、最初から獅子が第三皇女目当てだったとは知らなかったんだけど」
「え、だっ、でも、」

 栗姫は必死で言葉を探す。

「だって獅子、こんなことになるとか、姫を迎えることになるとは思ってなかったって」

 あの牢屋で、確かにぼやいていたはずだった。それを混ぜっ返すのが楽しかったので、はっきりと覚えている。

「牢屋に迎える気はなかったんだよ!」

 獅子が吠えた。

「私がついてくるとも思ってなかったって」
「自ら! ついてくるとは、だ! 仲間が追いつくのを待って事前に想定してた巡回の兵に見つかれば、穂刈たちもすぐそこにいる姫を攫うのに協力してくれるだろうって算段だったんだ。あんたの居所も夜中の散歩も事前に調べて知ってたし、二の姫や一の姫を探してる時間なんか無いように、計算してたんだよ」
「……こいつやばいよな、身分のことは完全に無視して、あんたを迎えに行くことだけは確定してたみたいだぞ」

 朱雀が、片手に頬を乗せながらぼそりと言った。
 栗姫は一瞬、息が詰まりそうになる。やはり、先ほど獅子が言った「俺がもらう」という言葉は、空耳ではないらしい。
 胸の不整脈をどうにか無視して、栗姫はできうる限り平静を装いながら、獅子を睨んだ。

「……なんで私の降嫁のことを知って」

 軽く胸を押さえながら問えば、獅子は「水飲むか?」と的外れな心配をする。要らない、大丈夫だと首を振った。

「……豪族たちに協力することになった時点で、都に非公式で滞在し続ける使者と皇宮の動向は、探ってたんだよ。あんたを攫うより前にも、何度か皇宮に忍び込んでる。まあ、皇后の案を知ったときは本気で頭が真っ白になったけど……最初から、全部知ってて、仕掛けたんだ」

 言いながら、獅子は口を尖らせた。
 言っていることと表情が合っていない。子どもの悪戯を告白しているようなばつの悪さで、とんでもないことを言っていた。

 それでも流石に、話を望月姫に飛び火させてまで栗姫を――ひいては国内の紛争を、皇后が無視するとは獅子とて思っていなかったようだ。今の皇后にとってはそれほど、自分の娘以外が――皇王の寵愛を受けた証が、憎かった。

 それを思えば、栗姫も唇を噛むしかない。
 獅子が嘆息した。

「栗姫、小さい頃から皇后に目の敵にされてただろ。だから女房も少なかったし、衣染めの行事だって自分でやらなきゃいけなかった。夜中に一人で外をうろついてても、ろくに見向きもされなかった」
「……行事の邪魔をされるくらい、たいした嫌がらせでもなかったわ、私は楽しかったし。あとは、宮中でのご挨拶を全部無視されるくらいで……殺したいほど憎まれているようなのは、顔を合わせれば察せられたけれど、まさか、国政を混乱させてまでとは」

 ごめんなさい、と、栗姫は朱雀と穂刈に向かって頭を下げる。これに関しては本当に申し訳なかった。都と地方の取引価格の是正は、自分のせいでおじゃんになったようなものだ。

 いやいや、と朱雀が手を振る。そもそも面倒くさいことになったのは皇后と皇太子のせいだと、あけすけに語った。

「ちなみに今回の計画でいけば」

 と穂刈が続けた。

「姫宮を人質にしての取引に皇宮が応じた時点で、外交に勘の良い豪族を皇王に直に引き合わせて、二国の使者を退けさせる予定だったんだ、獅子は。それまでは姫を紫苑党で匿って、降嫁させないよう、さらには皇后の手の者にこれ幸いにと殺されないよう、警戒していた」
「そうだったの?」
「うん」

 獅子があっさり頷く。それでは、自分の世話は獅子にとってかなり負担だったのではないかと思った。ほとんど獅子一人が、栗姫の傍にいたのだ。しかし、獅子の顔に、先ほどまでの渋面は見られない。
 穂刈が続ける。

「しかしどうやら皇宮が取引に応じそうにない。てことで、実はひと月ぐらい前から、獅子に頼まれて皇宮のとある人物を探ってて、」
「――それが私だ」

 パシン、と。
 扇を打つような音がした。

 は、と全員が部屋の奥を振り向く。部屋に来たときから下ろされていた御簾の向こう。先ほどまで、確かになかったはずの人影が、そこにあった。
 脇息にもたれかかるようにして、泰然とこちらを睥睨へいげいしているのが、空気で分かる。

「皇太子さ……いえ、皇王陛下」

 栗姫が慌てて頭を下げるのに、他の三人も一斉に従った。どうやら獅子たちも、いつの間に陛下が部屋に来ていたのか、気が付いていなかったらしい。

 御簾の向こうで、昨日即位したばかりという皇王――一昨日までは皇太子であった月雲宮が、もう一度パシンと扇を打つ。脇息からゆっくり身を起こし、自ら御簾を上げ、畳を下りて姿を見せた。

 涼やかな切れ長の目に、怜悧な頬。母親譲りの真っ黒な黒髪に、皇王のみが身につけることを許される、瑞祥紋の黒紫のほうを身に纏っている。人嫌いの評判を証明するかのような冷めた視線と表情で、月雲宮は、一同を見回した。

「全く、ひどいことをしてくれたものだ。俺はまだ、当分ここに引きこもって、もっとゆっくり即位するつもりだったんだがな」
「無理だろ」

 間髪入れずに獅子が突っ込んだ。
 栗姫はひゅ、と息を呑む。叩頭したままさっと視線を走らせれば、獅子もまた叩頭したままではあったが、そのぞんざいな口調のまま言葉を続けた。

「一の姫に話が飛んだ時点で、あんたが即位しなきゃ話がまとまらなかっただろうが、この妹狂い」
「望月に望まぬ婚姻などさせられないからなぁ」
「そのくせ往生際悪く皇太子の身分のままでことを進めようとして、だから事態が膠着したんだろうに」
「俺は人が嫌いなんだ。有能な奴がいないと俺がたくさん働きかけなきゃいけないだろう。だから即位はまだしたくなかったんだ」
「……あの、面倒くさがらないで下さい、陛下」

 獅子と月雲宮の応酬に、堪えかねて栗姫は口を開いた。
 昔から、こういった感じの人ではあった。しかし既に皇王となられたのであれば、民に対して――その態度がいかに不敬なものといえ――そんなことを言ってしまうのは、色々と問題がある。

「……ここで注意するのが俺なのか?」

 拗ねるような口調で返した月雲宮に、傍らで獅子が、だから好きなんだ、と小声で零した。
 栗姫は、床についた指先までが火照りそうになる。ここで言う言葉ではないだろう、と頬を熱くした。

「ま、こいつの無礼っぷりは面白いから構わんのだが」

 あっさりとそう宣った月雲宮は、ふいに、栗姫の前までやってきて、しゃがみ込んだ。

「……お前には、申し訳なかったとは思ってるよ」

 栗姫は顔を上げた。
 その切れ長の目が、僅かにゆるんで、栗姫を見ている。

「お前は兄と呼ぼうとしないが、俺は一応、妹だと思っていた。柘榴もだ。だが、お前に話が出たときは、俺は動かなかった」
「……兄上が、望月様のこと以外で腰が重いのは、承知しています」

 私の降嫁先は決まっていませんでしたし、と笑って告げれば、月雲宮ではなく、獅子の方が肩を震わせた。栗姫は眉を下げる。自分は一度、獅子の手を離した。
 月雲宮は、扇でトントンと己の肩を叩く。

「まあ、それで、一昨日そこの童が俺の庭に入り込んできてな。さっきみたいな勢いで、俺の胸ぐら掴んで今すぐ即位しろと迫ってきた。今この皇宮で、皇后の意見を退け、なおかつ二国の使者をどうにかできる能力を持っているのは俺だけだろう、とな」

 炯眼だ、もっと俺を褒め称えて良いぞ。

 涼しい顔で宮が言うのに、いつの間にか顔を上げていた朱雀と穂刈、それに獅子が、げんなりした顔を見せていた。栗姫は慣れている。片手ほどの会話でも、この人はとにかくこういう人なので、一度会話すれば大体分かる。恐らく獅子も、それを見越してのその強引な交渉だったのでは、と、察しがついた。

「豪族たちとの取引価格の是正もすぐに取りかかる。人質などはいらん。――だから、お前が皇宮に帰ってくる必要はない」
「は、」

 息を零した栗姫に、月雲宮は屈めていた腰を上げる。

「このまま、攫われておけ」

 手にしていた扇を、ぽん、と栗姫に投げてよこす。と、そのまま宮は御簾の内へと戻って、声をかける暇もなく部屋を退出していった。
 栗姫は、ぽかんと渡された扇を見る。
 これまでしかめっ面ばかり見せていた穂刈や朱雀、そして獅子も――深く息をついて、胸を撫で下ろしていた。それを見て、栗姫は扇を開いてみる。

 鮮やかな紅葉が摺り染めされた地紙。その端に、歌が一首と、覚えのある花押が書き添えられている。

「――父上」

 ほたりと。
 涙が扇を濡らす前に、栗姫はその扇を胸に掻き抱いた。
 横にいた獅子が、栗姫を心配そうに覗き込む。その手を、今度は、栗姫から強く握った。







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