春告げ

菊池浅枝

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3.柊の花

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 二階では、おかみさんが御堂に二煎目のお茶を淹れているところだった。座敷に客は御堂しかおらず、中庭と尾羽の山が一度に見渡せる、座敷の中でも一等の席に座している。小和が顔を出すと、御堂は心得た様子で、目線で階段のすぐ脇を示した。そこに、小和の荷物が、御堂のものと分けておいてあった。

「あ、ありがとうございます。申し訳ありません、失礼いたします」

 肩を縮こまらせて小和が殊更に頭を下げると、構わん、と御堂が短く答える。おかみさんは、空になった急須と盆を抱えてこちらに戻ってきながら、小和に、急がなくていいから、ゆっくり片づけてきなさい、と小声で言った。

 小和は頷いて、荷物を持って蔵の二階の自室に行く。ゆっくりと言われてできるはずもなく、荷を解くのを後にして、部屋の箪笥から小さな赤い巾着を取り出した。中に入れていた瓶の中身を確かめて、一つ頷くと、店に引き返す。

 店の一階では、奈緒が笹岡と増穂に茶を出していた。それに軽く会釈をし、先に二階へと上がる。二階では、御堂が一人、まだお茶を飲んでいた。茶菓子の胡桃饅頭は、二つとももうなくなっている。

「……旨い茶だ」

 御堂が茶碗を茶托に置いて、言った。小和は顔を綻ばせる。

「はい、おかみさんのお茶は、いつもとても美味しいんです」
「お前が胸を張るのを、初めて見たな」
「……、すみません」
「なぜ謝る。それだけお前が、ここのおかみを尊敬しているという証だ。弟子が師匠を褒められて、嬉しがるのは当たり前だろう」

 他人の威を借るのと尊敬は別物だぞ、と、御堂は眉を顰める。はい、と小和は俯いた。

「馳走になった。下にお前を訪ねてきた客がいるようだが、相手は程々にしろよ。まだ本調子じゃない」

 そのための目付役みたいなものなんだからな俺は、と、独りごちるように言って、御堂は立ち上がった。お茶は綺麗に飲み干されていた。
 階下の出来事を全て諒解しているような物言いに、やはり、人ではない方なのだと小和は思う。

「あの」
「何だ」

 すれ違い様に、何とか声をかけると、御堂は足を止めた。

「これを、宜しければ。送っていただいたお礼です。おかみさんのお茶とは、比べるべくもないものですが、私が拵えた琥珀糖で……」
「貰おう」

 意外にも、御堂は小和が差し出した赤い巾着袋を、すんなりと受け取ってくれた。
 階段を下りていく御堂の後を、小和も追いかける。店の入り口で、御堂がおかみさんに礼を言い、ちょうどよく迎えに来ていた倉戸の番頭さんに案内されて行くのを見送ってから、ようやく、小和は小さく息をついた。

「小和、小和」

 ちかが、横からそっと肩を叩いてくる。

「一応聞いておくけど、本当に、小和の好い人、じゃないんだよね?」

 その、言葉の意味を、少しだけ考えて。
 そうして小和は、顔をすっかり茹で蛸のようにした。

「ち、違います、まさか!」
「あら、違うの?」

 軽やかな声が、ちかとは別の方から小和の耳に届く。まろやかな、ミルクの。
 縁台に腰かけて、揶揄うような声をかけた増穂は、胡桃饅頭を膝の上で丁寧に切りながら、悪戯っぽく頬笑んだ。

「今、ちかさんや笹岡先生と、そんな話をしていたんですのよ。立派な殿方でしたから、つい」
「御堂さんは、お坊様で」
「あら、下世話なことを申しました。気を悪くなさらないでね、本気で話していたわけではないの」
「いえ、その……」

 言葉に詰まる小和に、増穂がにっこり笑いかける。

「小和さん、病み上がりですから、無理にとは言いませんけれど、良ければこちらにお座りにならない? このお饅頭、とっても美味しいわ」
「あ、ありがとうございます。ぜひ、尾羽のお茶も楽しんでいってください。ちか姉さんの点てるお抹茶は本当に美味しくて」
「あら、じゃあそちらもいただこうかしら。ちかさん、お抹茶二つ、頼んでもよろしい?」
「ぜひ。よければ来年の、春のお茶会にもいらしてくださいよ」

 ちかが元気に腕をまくるのに、増穂も笹岡も勿論と頷いて、小和は、思わず広げてしまった会話を閉じれないままに、あれよという間に増穂の隣に座らされてしまった。

 おかみさんも奈緒も、これで小和が働こうとしなくて助かる、といった顔で、笹岡たちに一礼をして給仕に戻っていってしまう。そうして、どうしたらよいのか分からないまま四半刻ほど、小和はただ、くるくると話題の変わる、けれど決して喧しくはない増穂の声を、聞いていた。

 増穂の声は、とても聞き心地がよかった。
 小和はただ頷いていることしかできなかったが、しばらくすると、あまり長くお邪魔しても身体によくないわねと、増穂はあっさり立ち上がった。

「また、お店に来るわね。その時はまた、お話し相手になってもらえると嬉しいわ」

 隣町から呼んだ馬車に、笹岡と共に乗り込みながら、増穂はそう言ってにこりと小和に笑いかける。
 小和は戸惑ったまま、いつものように、お待ちしてます、と答えていた。
 これほど慌てた半日はなかったかもしれない。

 ――また、お話し相手になってね。

 増穂の、温かいミルクのような声が、小和の耳にとけるように残った。


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