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3.柊の花
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しおりを挟む碧水屋に着く頃には、牟田のおじさんが報せたのだろう、おかみさんと奈緒が、店先に出て待っていた。
「小和!」
奈緒が、ほ、と顔を綻ばせて、小走りに小和に駆け寄ってくる。小和は頭を下げる間もなく、その白萩の袖に抱き竦められた。
「お帰り、もう大丈夫なの?」
「はい、暫くはまだ、いつもよりたくさんお薬を飲まないといけないですけれど」
「そう……でも、顔色は良さそうね。あ、ええと、こちらが?」
奈緒が顔を上げて問う。小和の隣に立つ長身の大男を改めて眺めると、驚くように少し口を開けた。
「はい、りくの知り合いで」
「御堂と申す」
低く張りのある声が、先ほどと同じように短く答えて、会釈した。奈緒はそれを見て、さっと居住まいを正す。
「無作法をいたしました。妹のような子の顔を久しぶりに見たもので、ご容赦ください」
「よい、私はただの行きあいだ」
素っ気ない言い方に奈緒が戸惑った顔を見せるのを、小和はどうにか繕おうと口を開く。しかし、何も言えないうちに、おかみさんが声をかけた。
「御堂さま、どうぞ店へいらっしゃいませ。お礼にお茶をお淹れいたします」
言いながら、おかみさんは、深々と頭を下げた。
「ご厚意痛み入る」
店の二階席の、一番良い席に御堂を通して、おかみさんは厨房で茶葉を用意する。小和はおかみさんの後を追って、客席の常連客や姉さんたちへの挨拶もそこそこに、厨房に入って手伝おうとした。けれどそれを、おかみさんが止めた。
「いいから、あんたはみんなに顔を見せてきな。元気そうで安心した」
「いえ、ご心配をおかけしてすみません。お茶会も、何にも手伝えなくって……」
「いいんだよそんなの、身体が一番。ほら、今日は休んどきな」
「でも……」
迷うことなく選んだ茶筒から、おかみさんが茶葉を取り出し、茶碗で少し冷ました湯を、そっと急須に入れて、蒸らす。
茶碗に注がれたお茶は、美しい碧の水色をしていて、熟した茶葉の、深い香りがした。
「……去年できた品種ですね」
小和が言うと、おかみさんが、顔をそっと綻ばせた。
「今年の秋はこれが一番良い。茶の旨味が濃くて、それでしつこくない。――小和、お帰り」
「はい、ただいま帰りました」
小和ははにかんで、頭を下げた。
ただいま、と言える場所が、小和には随分増えた。今はもうない生まれた郷、りくの小屋、碧水屋に、尾羽の町。
おかみさんに追い出されて、あらためて客席の方へ顔を出すと、今か今かと待っていたような顔で姉さんたちとお客さんが迎えてくれる。
「姉さんたち、すみません、ただいま帰りました」
「お帰り、小和!」
店で客に茶を出していたちかが、大きな声で言った。茶を飲んでいた常連客も、他の姉さんたちも笑って、小和ちゃんお帰り、お帰り、と口々に言って手を振る。
「二階にお通しした人、りくさんの知り合いなんだって?」
「小和が大男と連れ立って帰ってきたって聞いて、そりゃもうみんなびっくりして」
「帰ってきたばっかりですぐに手伝おうとするところが、小和よねぇ」
「おかみさんが一から全部、お茶を淹れるなんて、よっぽどの人なのね」
「だから言ったろ、りくんとこから来た人なら心配はないよ」
「重さんたちはそれですぐ納得したけどさ、私らはやっぱり、気になるよ」
碧水屋の常連は、町に古くから住んでいる人が多い。やはりみな、りくの知り合いというだけで、何かを納得ずくのようだった。
厨房を振り返る。おかみさんが、茶菓子とお茶を盆に載せて、二階に上がっていく。
あんなにゆっくりとした手つきで――ともすれば、震えそうな繊細さで――おかみさんがお茶を用意するのを、小和は見たことがなかった。いつだって、丁寧な手付きではあるけれど、長年身体に染みこんでいる故の、俊敏な動きにいつも見とれるのに。
やはり、大変な人を連れてきてしまった。
そんな申し訳なさが、胸の底にぼんやりと漂う。
言い付けたのはりくだが、発端は自分だった。否、そもそも、もっと気を付けて、お遣いをしているとはいえ、笹岡たちとあまり親しくならないようにしていれば――と。
そこまで考えたとき、ごめんください、と客の声がした。
ちかが振り返る。
「いらっしゃいませ……あら、」
小和も振り向いて、息を呑んだ。
笹岡が、店の入り口から顔を覗かせていた。その後ろに、見覚えのある少女がいる。
「ああ、小和さん。今そこで、町の人からご快復したとお聞きしたんですよ。お元気そうで良かった」
小和と目の合った笹岡が微笑んだ。
その、後ろ。
艶やかな黒髪を下げ髪に結い、雪輪に紅葉の透かしが入った、縹色の小紋。肩に藤色のショールを掛けた美しい和装姿で、舘川増穂が、そっとこちらを窺って小和に手を振った。
学校で会った時のセーラー服も清楚で上品に映ったが、今日はより華やかで、どこか眩く見える。
小和は、咄嗟のことですっかり強張ってしまった体を、ハッと動かして、ぎこちなくお辞儀を返した。
「ご、ご心配をおかけしました、すみません」
「いえいえ、そんな」
「そうですわ、頭を上げて下さいませ。謝ることではありませんわ。でも良かった、ご快復なさって。私、あれからずっと、小和さんにまたお会いしたかったの」
ミルクのような、そのなめらかな声を震わせて、増穂は小和に近寄って、その白皙の指で小和の手をとる。小和は、心臓が跳ねるのを耳で感じた。それが、増穂から感じる眩しさからなのか、それとも、二階に御堂がいる不安からなのか、分からない。
「せんせ、こちらは?」
ちかが、楽しそうに笹岡に訊ねた。増穂のことだろう。表から戻って接客をしていた奈緒も、こちらの様子をそれとなく窺っている。
笹岡は、ちかから水を受け取りながら、答えた。
「舘川さんは、学年でも一等成績の優秀な方なんです。僕の授業も、与太話まで楽しそうに聞いているんですよ。それで、前から僕がよく話すこちらのお店に、行ってみたいと仰っていて。今日は連れてきました。運良く小和さんにも会えて良かった」
「小和さんとは一度、先生の資料室でお会いしたんです」
ね、と増穂が頬笑む。小和は、とられた手をそのままに、とりあえず席を勧めた。動悸を落ち着かせるためにも、そのまま給仕につこうとして、今度は奈緒に止められる。
「いいから、それより荷物を片付けて、二階の方に一度顔を出してきなさい。送っていただいたんでしょう?」
言われて、小和はまだ荷物を御堂に預けたままだったことを思い出した。さ、と血の気が引く。
「は、はい! すみません、失礼します!」
「小和がそんなに慌てるのも、珍しいわね」
小和が早足で店の二階に向かうと、転ばないようにね、と奈緒が笑った。
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