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3.柊の花
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しおりを挟むそれから、町に戻れるようになるまでに、更に三日かかった。ほとんどお粥や重湯、薬と水しか飲んでいなかった胃を起こし、運動不足の足腰を鍛え直す必要があった。ふらつく小和の傍を、御堂は付いて歩いていた。滝までの散歩や、栢と薪の枝を拾いに行く時も、御堂は付いてきた。と言って、何か話をするというわけでもなかった。小和が倒れたことに責任を感じているようで、何か困っているとすぐに手を貸してくれたが、一言二言交わすだけで、厳つい顔を崩すことはほとんどなかった。
そんな御堂が頓狂な声を上げたのが、三日目の昼食時だ。
「俺に町に降りろと!?」
御堂の向かいで、小和も呆気にとられていた。囲炉裏を囲んで、りくの作ってくれた薬膳粥を、人数分に分けていたところだ。小和の手が止まる。
「ええ、今回の事、御堂さんも責任をとりたいと仰ってましたよね。小和さんは明日には町に戻れますけど、まだ暫く様子見が必要でしょうし。小和さんの小間使いとして、ご一緒に町に降りてはどうかと」
「ま、待って下さい、りく」
白湯の入った湯呑みをのんびりと傾けるりくに、御堂よりも、小和の方が先に声を上げた。
本来なら、人前には滅多に姿を現さないお方だと、りくが言ったのに。
「私は大丈夫ですから、」
「駄目ですよ小和さん。御堂さんにも、いい機会なんですから」
「で、でも、おかみさんたちに、何て言ったら……」
「それも含めて、ですよ」
小和さんが倒れて、碧水屋のおかみさんたちや常連さんたちが、とても心配されていたんですよと、りくは言った。言葉の内容とは裏腹に、朗らかな声で。
「人の身に起きたことは、その人と、その人と関わりのある人みんなに、起きたことなんです。責任を取ると言うなら、おかみさんたちに心配をかけた分も取ってもらわないと。倒れたことで、小和さんは周囲の人の気持ちにも対応しなくてはなりません。そういったことへの配慮も含めて、責任の内です」
責任って言葉は面倒ですねと、りくは楽しそうに笑った。
「僕は責任と言う言葉はあまり好きじゃないですが。でも、誰かに誠実であろうとするなら、必要なものだと僕は思います」
言いながら、りくは小和の手からお玉をとり、囲炉裏にかけた粥をお椀によそっていった。あ、と小和が眉を下げるのを制するように、りくは微笑む。
「というわけで、小和さん、御堂さんを宜しくお願いします」
「おい、俺がこいつの世話をするって話じゃなかったのか?」
御堂のぼやきに、答えるものはいなかった。
カタン、カコン、と、下駄の音が高く響く。
楓や桂や銀杏の葉がかさかさと風に揺れていた。枯れ草と黄落した葉で道は黄褐色に染まり、よく晴れた高空に懸巣の鳴き声が響いている。もう少しすれば、渡り鳥の鳴き声を町で聞くこともあるだろう、そう思いながら、小和は山道を下りていた。
車が通れるよう、広く土が均された町への一本道は、道の両側から、鮮やかな紅葉が枝をかざしている。
カコン、カタン。
小和の後ろから、下駄の音が続く。ちらりと振り返れば、小和の数歩後ろを、鉄黒の紬を着た御堂が、片手を紺の帯にやり、もう片手には大きな風呂敷包みを提げて、歩いていた。包みの中身は、半分は御堂のもので、もう半分は小和のものだ。寝込んでいる間に、りくが碧水屋から持ってきてくれた身の回りのものと、それから、薬が入っている。
りくの小屋を発つ際に、自分で持つと言ったのだが、御堂は頑として頷かなかった。その上、りくの小屋を出てから、一言も口を開かない。小和も決してお喋りな方ではなかったが、申し訳なさと、それからほんの少しの怖さで、道中ずっと気不味い思いをしていた。
カタン、カコン、下駄の音だけがやけに大きく響く。小和は持て余した手をきゅ、と組んで、意を決してあの、と御堂に声をかけた。
「御堂さん、」
「……」
「あの、」
御堂はこちらに視線も向けない。仕方なく、小和は返事を待たずに口を開いた。
「あの、おかみさんに、御堂さんのことをどうお話ししたらいいですか」
そこでようやく、御堂がこちらを見る。太い眉をわずかに上げた。
「りくの知り合いだと言えばいい。碧水屋のおかみなら、それで大体は通じるはずだ」
小和は眉を下げた。
確かに、おかみさんならりくのことを知っている。町の古くからいる人たちも、それで納得するだろう。けれど、姉さんたちは。
――昔から、近隣の親を亡くした子とか、親戚の子とかね。引き受けてお茶汲みをやってもらってたんだけど。私の時にはとんと人手がなくてねぇ。お客の子がたまたま住むとこがないって言うもんだから、その子を雇ってからかねぇ。今みたいなのは。
いつだったか、おかみさんはそう言っていた。
昔は、薬師は今よりも頻繁に町に下りていた。お茶汲み娘の姉さんたちも、当然、薬師のことはよく知っていたのだから、暗黙の了解をしていたはずだ。けれど、今の姉さんたちは、お山の薬師そのものを知らない。りくも町にはほとんど降りない。
時代は移り変わっていくのだと、りくは言っていた。
「……旅の修行僧だとでも言っておけ。それ以外は知らぬと言えば、十分だろう」
俯いたまま、黙ってしまっていた小和に、御堂が耐えかねたように口を開いた。首の後ろをがしがしと掻いている。
「分かりました」
小和は、少しほっとして頷いた。
ふと、山の匂いが変わる。
秋の馥郁とした爽やかな風が、坂道をさっと吹き下りていった。つられるようにして前を向けば、もうすぐそこに、尾羽の町が見えている。
大通りには板葺きの屋根が立ち並び、右手の山沿いには茶畑が、左手には魚を養殖する溜め池と、その手前の、広々とした屋敷の棟が見えている。あの一帯は町の名士が軒を連ねている。
小和が生まれた村より、尾羽の町はずっと活気があった。商店が並び、家々が隙間なく建ち、白い土が踏み固められた、大きな道がある。ここより人の多いところは、小和には想像がつかないが、笹岡や姉さんたちなどは、帝都はもっとすごいのだと言っていた。鉄道の大きな駅があり、町中をたくさんの馬車が行き交い、お山の学校のような洋風建築が、いたるところに建ち並んでいるのだと。
「随分変わったな」
立ち止まった小和の、隣まで来た御堂が言った。小和は一瞬びくりとして、その巨躯を見上げる。小和よりも、頭二つ分は高いところにある顔が、静かに町を見下ろしていた。
「変わったんですか?」
その表情が、存外穏やかなことに助けられて、小和は問いかける。
「ああ。以前はもっと畑が広かったな。屋根も茅葺きが半分、洋風の建物などは、ほんの十年前には全く無かった……道だけがいつも変わらん。尾羽の山から続く商店の大通り、茶畑に上がる坂、溜め池と繋がった水路、商店と屋敷の間にある少路、」
文句のような口調で御堂は言ったが、その声はどこか、懐かしそうな、優しい響きを持っていた。
ああ、と小和は思う。
――御堂にとって、尾羽の町は、長く見てきた町なのだ。
変化も不変も、その長い時間の中では、繰り返されてきた話なのかもしれないのだった。
山道の入り口まで下りると、尾羽山に一番近い商店である牟田酒店のおじさんが、店の前で煙草を吸っていた。
「あれっ、小和ちゃん」
煙草を口から離して、目を丸くする。
「おじさん、お久しぶりです」
「いやあ、しばらくお山から帰ってこないから、心配してたんだよ、三角はもう大丈夫なのかい」
「はい、ご心配をおかけして、すみません」
小和が頭を下げると、おじさんはそこで、後ろに佇む御堂に気付いて息を呑んだ。
「小和ちゃん、こちらさんは」
「あ、あの、りくの知り合いで、旅のお坊様の……」
「御堂と申す」
強く太い声が、小和のあとを引き継ぐ。
「修験の道の途中で尾羽に立ち寄らせていただいた。りくに勧められてしばらく逗留するが、よろしく頼む」
「ああ、りくの……」
牟田のおじさんは、少し目を瞠ってから、御堂に丁寧に頭を下げる。
「碧水屋さんはここから八軒先のお茶屋です。ご宿泊は」
「碧水屋は女ばかりだろう。できれば近くに宿を頼みたいが」
「でしたら、はす向かいの倉戸屋さんに話をしてみますが」
「よろしく頼む」
御堂が頷くのを見て、おじさんは煙草を店先の樽に乗せていた盆に捨てると、手早くそれを片づけて足早に通りを去っていく。
その後を追うこともせず、ゆっくり歩きだした御堂に、小和も従った。物慣れた言い方に、少なからず驚いていた。
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