迦具夜姫異聞~紅の鬼狩姫~

あおい彗星(仮)

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第5夜 星命学園

第9話 叶わぬ願い

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 バーン! っと叩きつけられるようにオープンテラスの扉が開く。
     飛び込んできたのは唖雅沙だった。緋鞠の肩をつかんでぐらぐら揺らす唖雅沙の朱色の瞳が、怒りに満ちている。

「神野緋鞠……貴様! また何をやらかした!?」
「えっ、えっ!? な、何かの間違いでは!?」
「ほう……しらばっくれるか? なら証拠を見せてやる!」

 目の前に出されたのは、瑠衣が提示した模擬戦についての書類だった。
 緋鞠は頰をぴくりと引きつらせる。

「そ、それは……」
「覚えがあるな?」
「……はい」

 認めると、唖雅沙がにやあっと妖しい笑みを浮かべた。緋鞠はへらりと笑うと、唖雅沙から逃げ出す。丸まって寝ていた銀狼も慌てたように飛び起き、緋鞠を追いかけた。

「貴様はなぜ、問題ばかり起こすんだ!?」
「好きで起こしてるんじゃなーい!!」 

 足にはそれなりに自信があるのだが、さすが元帥の秘書官だ。掬い上げられる金魚のように、あっという間に捕まった。緋鞠を助けようとした銀狼共々、小脇に抱えられ、元の位置に戻らされる。

 さっきまでのシリアスな雰囲気がぶち壊しである。視線のみを松曜に向けて様子を窺うも、さっきの続きを話す気はなさそうだ。松曜は驚いたように瞳を瞬かせながら、唖雅沙を見上げた。

「唖雅沙くん、一体何があったんですか?」
「松曜さま! 聞いてください!!」

 唖雅沙が事情を話すと、松曜は楽しげに笑った。
 緋鞠は身を縮めながら、新しく淹れられた紅茶に口をつける。

「君は楽しい子ですねぇ」
「うぅ……好きでやってるわけじゃありません!」
「しかし、蓮条の令嬢と剣崎の令息ですか。……あれ? 唖雅沙くん、両家は婚姻を結んでいませんでしたか?」

 ぶはっ!!

「何をしとるか、貴様は!!」
「いやいやいや」

 唖雅沙に手渡されたハンカチで、噴き出した紅茶に濡れた顔を拭く。

じゃなくて?」
「阿呆、だ。婚姻の約束のことだ」
「だ、だって……」

 ──あんなに仲が悪いのに!?

 緋鞠が何が言いたいのか察した松曜は、苦笑いを浮かべる。

「俗に言う政略結婚ですね。この世界ではそう珍しくないですよ。強い血を残していくことは必要なことですから」
「この歳で?」
「名家になれば、生まれた瞬間に婚約者が決まるなど珍しくもないことだ」

 あまりにも世界が違い過ぎて、緋鞠の気が遠くなった。
 別に運命の相手がいいとか、メルヘンなこと言うつもりはないけれど。まぁ、私には関係ないか。
    そんなことを思いつつ、新たに加わった茶菓子を吟味する。その様子を笑顔で見守っていた松曜が、何を思いついたのか「ああ」と声をあげた。

「そういえば、私の孫息子が貴女の一つ上にいるんですよ」
「へぇ」

 わりと歳が近いんだなぁ、と思いながら、ピンク色のマカロンに手を伸ばした。 甘い香りに顔が自然と綻ぶ。
 
「まだ誰とも婚姻を結んでいないんですよ」
「そうなんですか」

 松曜の孫であれば、血筋は確かだろうし、引く手数多だろう。というより、ストロベリーの甘酸っぱい芳香が広がり、話どころではなかった。緋鞠は他人事のように返事をし、二つ目のマカロンに手を伸ばす。

「どうです?」
「とっても美味しい……」
「緋鞠さんの婚約者に」

 どんがらがっしゃーん!!

 松曜以外が椅子から転げ落ちた。とんでも発言をした松曜は、不思議そうな顔をしている。唖雅沙は急いで椅子を元に戻すと、松曜に詰め寄った。

「松曜さま!? 何をおっしゃっているのか分かっておられるのですか!?」
「無名の緋鞠さんが大和でやっていくのは大変ですよ? 我が家の家名を使えば、少しは生きやすくなるでしょう」
『ふざけるな! 誰がお坊っちゃんなど!』
「大丈夫ですよ。一人暮らしをできる程度の常識と生活力は身につけていますから」
「なっ、なんで私なんですか!?」
「緋鞠さんは素敵なお嬢さんですし、きっとあの子も気に入ります。可愛い系が好みらしいので、ぴったりです」

    自信満々に胸を張る松曜を見て、緋鞠は危機感を覚えた。

(このおじいちゃん、ヤバい)

    お花畑もここまでくると、もはや危険領域だ。これ以上ここにいたら、本気で婚姻を結ばれかねない。
    緋鞠と銀狼は同時に立ち上がると、足下に置いておいた鞄を掴んだ。

「あっ、急に用事を思い出しました!」
『いっ、急いで帰らねばな!!』
「そうなんですか?」
「はい、ごちそうさまでした!」

 しょぼんと落ち込む姿を見ても、緋鞠には罪悪感ひとつ感じない。下手をすると、人生をまるっと持っていかれそうな恐ろしさがある。
 銀狼を伴い、オープンテラスの扉に手を伸ばす。

「──誰か、好きな人でもいるんですか?」
「っ!」

 思わず足を止めた。
 
 恋、なんて……考えたこともない。
 一番の願いは兄との、白夜との再会だ。

 ──ずっと、それだけのために生きてきたのだから。

 振り返ろうとした拍子に、首にかけたペンダントがしゃらんっと鳴った。

『一人は無理でも、二人ならきっと……』

 幼い頃に交わした、約束の指切り。 
 大事な、もう一つの約束。

『緋鞠……?』

 銀狼に呼びかけられ、我に返る。緋鞠は制服の上からペンダントを握りしめると、松曜の目をまっすぐに見つめた。

「……忘れられない人なら、います」

 名も知らない、はっきりと顔も思い出せないあの子。
 泣いている緋鞠に手を差し出してくれた優しい少年。出来ることならまた会いたい。

 けれども、願いは一つと決めた。
 二つの願いを追えるほど、自身が器用でもないことはわかっている。

 緋鞠はその場をあとにした。
 瞳の緋色は沈む夕日のように、寂しげに揺れていた。
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