56 / 72
9章 次はその手を掴む
56
しおりを挟む
流石は男の子です。彦君の手を掴むと、私は軽々と引っ張り上げられました。これで私も登頂成功です。しかし、登頂の喜びよりも感謝のほうが先です。
「……ありがと」
「いいって。これぐらい」
彦君は、涼しい顔で素っ気なく応えます。その様子が気にくわなかったのか、それとも火星で竜巻に飛ばされたときのことを思い出したからなのかは分かりませんが、つい聞きたくなってしまいました。
「今度は、下の名前で呼んでくれないんだ?」
火星で飛ばされたとき、間違いなく彦君は私のことを下の名前で「緋色」と呼んでいました。
「気づいてたのかよ」
「あれだけ叫んでたら気づくよ」
でも、彦君が私の名前を叫んでくれたから私も手を伸ばしたんです。
「みんな下の名前で呼んでいたからつい口に出たんだよ。嫌だったら謝る」
「別にいいよ。呼びやすいならそれで」
下の名前で呼ばれたというのは、なんだか嬉しくもあります。中学生から男子の友達がいなかったので、きっとそれが原因でしょう。
「じゃあ、私も……でもなぁ……私は彦君で慣れちゃったしな……」
「好きな方でいいだろ。別に矯正するようなことでもないんだし」
「じゃあ、私は彦君のままで」
そちらの方がなんだか落ち着きます。
「でも、意外だな。彦君の下の名前、鷲斗でしょ? てっきりサッカー部だと思ってた。中学まで野球部だったんでしょ?」
「そうだけど、誰に聞いたんだ?」
「マリさん。もしかして、そう言うのは自分の口から言いたかったとか?」
「別にそんなんじゃないよ。隠すようなことでもないしな」
その続きを聞いてもいいのか悩みます。ですが、彦君は手を差し伸べてきたのです。今度は私が一歩踏み込む番です。
「なんで、野球、やめちゃったの?」
それはきっと、他人には踏み込まれたくない心に残った傷です。それでも、話してくれました。
「肩を壊してな……」
「えっ……じゃ、じゃあ、こういうのダメなんじゃないの?」
「遊び程度ならいいんだ。ただ、肩を酷使しなければ……。野球は肩を酷使するスポーツだからな。このまま野球を続ければ、肩を壊して日常生活にも支障を来すって言われたよ。諦めるしかなかったんだ」
夏にはプロ野球を目指す少年たちが競い合う姿をテレビで見ます。そして、破れていった選手たちが涙を流す姿も。しかし、それが全てではありません。彦君のように人知れず夢を断たれるような人もいるのです。そんな人にかける言葉なんて、私にはありません。
「別にさ、高校からサッカー部に入ってもよかったんだ。けど、今更、他のスポーツを始める気にもなれなくてさ。俺は野球がやりたかったんだから。だから、この野球にかける気持ちと同じ物をつぎ込める何かを探したんだ」
「それが、火星探査部?」
「あぁ。高校生限定で自分たちの未来を切り開ける。こんなにやり甲斐がある部活なんてありはしないって思ってさ。そんな気持ちだったけど、初めて火星に行ったら想像を軽く超えたよ。野球以上だって。可能性しか広がっていなかった」
彦君と同じとは言えませんが。私も初めての火星は感動しました。火星と知っていなくても感動したほどです。
しかし、疑問もあります。
「でも、どこで火星探査部のこと知ったの? 勧誘とか最初はやってなかったみたいだし」
「中学の時に決まってるだろ? 高校で何やりたいかは中学の時に決めるべきだ」
「えっ? じゃあ、火星探査部があるから桜井高校に入学したの?」
「そうだけど?」
「あぁ……それで……」
彦君の成績は学年でもトップクラスです。そう言う人ならもっと上の高校を目指せばいいのにと思っていたのですが、ちゃんと理由があってこの学校を選んでいたのです。入試で鉛筆を転がしていた私とは大違いです。
もう少し話を聞きたい私でしたが、これで話は終わりというように、彦君は両手を叩きました。
「そろそろ降りよう。こんな場所であんまり長話もしていられないし、下でマリさんも待ちくたびれているだろうしさ」
そう言われて下を見ると、マリさんが腕を組んで此方を睨んでいます。あれはきっと鬼コーチの目です。私の背中に先ほどまでの恐怖が這い寄ります。
「怖いなら手ぐらい握ってやるぞ?」
彦君が再び手を差し出してきます。しかし、今度はその手を跳ね返しました。
「調子に乗るなっての。一回一人で降りてるんだよ? そんなの必要ないし」
そう言って、私は一人で飛び降りました。
彦君は大葉部長が狙いだと思っていたのですが、案外、隅に置けない男子だったようです。
「……ありがと」
「いいって。これぐらい」
彦君は、涼しい顔で素っ気なく応えます。その様子が気にくわなかったのか、それとも火星で竜巻に飛ばされたときのことを思い出したからなのかは分かりませんが、つい聞きたくなってしまいました。
「今度は、下の名前で呼んでくれないんだ?」
火星で飛ばされたとき、間違いなく彦君は私のことを下の名前で「緋色」と呼んでいました。
「気づいてたのかよ」
「あれだけ叫んでたら気づくよ」
でも、彦君が私の名前を叫んでくれたから私も手を伸ばしたんです。
「みんな下の名前で呼んでいたからつい口に出たんだよ。嫌だったら謝る」
「別にいいよ。呼びやすいならそれで」
下の名前で呼ばれたというのは、なんだか嬉しくもあります。中学生から男子の友達がいなかったので、きっとそれが原因でしょう。
「じゃあ、私も……でもなぁ……私は彦君で慣れちゃったしな……」
「好きな方でいいだろ。別に矯正するようなことでもないんだし」
「じゃあ、私は彦君のままで」
そちらの方がなんだか落ち着きます。
「でも、意外だな。彦君の下の名前、鷲斗でしょ? てっきりサッカー部だと思ってた。中学まで野球部だったんでしょ?」
「そうだけど、誰に聞いたんだ?」
「マリさん。もしかして、そう言うのは自分の口から言いたかったとか?」
「別にそんなんじゃないよ。隠すようなことでもないしな」
その続きを聞いてもいいのか悩みます。ですが、彦君は手を差し伸べてきたのです。今度は私が一歩踏み込む番です。
「なんで、野球、やめちゃったの?」
それはきっと、他人には踏み込まれたくない心に残った傷です。それでも、話してくれました。
「肩を壊してな……」
「えっ……じゃ、じゃあ、こういうのダメなんじゃないの?」
「遊び程度ならいいんだ。ただ、肩を酷使しなければ……。野球は肩を酷使するスポーツだからな。このまま野球を続ければ、肩を壊して日常生活にも支障を来すって言われたよ。諦めるしかなかったんだ」
夏にはプロ野球を目指す少年たちが競い合う姿をテレビで見ます。そして、破れていった選手たちが涙を流す姿も。しかし、それが全てではありません。彦君のように人知れず夢を断たれるような人もいるのです。そんな人にかける言葉なんて、私にはありません。
「別にさ、高校からサッカー部に入ってもよかったんだ。けど、今更、他のスポーツを始める気にもなれなくてさ。俺は野球がやりたかったんだから。だから、この野球にかける気持ちと同じ物をつぎ込める何かを探したんだ」
「それが、火星探査部?」
「あぁ。高校生限定で自分たちの未来を切り開ける。こんなにやり甲斐がある部活なんてありはしないって思ってさ。そんな気持ちだったけど、初めて火星に行ったら想像を軽く超えたよ。野球以上だって。可能性しか広がっていなかった」
彦君と同じとは言えませんが。私も初めての火星は感動しました。火星と知っていなくても感動したほどです。
しかし、疑問もあります。
「でも、どこで火星探査部のこと知ったの? 勧誘とか最初はやってなかったみたいだし」
「中学の時に決まってるだろ? 高校で何やりたいかは中学の時に決めるべきだ」
「えっ? じゃあ、火星探査部があるから桜井高校に入学したの?」
「そうだけど?」
「あぁ……それで……」
彦君の成績は学年でもトップクラスです。そう言う人ならもっと上の高校を目指せばいいのにと思っていたのですが、ちゃんと理由があってこの学校を選んでいたのです。入試で鉛筆を転がしていた私とは大違いです。
もう少し話を聞きたい私でしたが、これで話は終わりというように、彦君は両手を叩きました。
「そろそろ降りよう。こんな場所であんまり長話もしていられないし、下でマリさんも待ちくたびれているだろうしさ」
そう言われて下を見ると、マリさんが腕を組んで此方を睨んでいます。あれはきっと鬼コーチの目です。私の背中に先ほどまでの恐怖が這い寄ります。
「怖いなら手ぐらい握ってやるぞ?」
彦君が再び手を差し出してきます。しかし、今度はその手を跳ね返しました。
「調子に乗るなっての。一回一人で降りてるんだよ? そんなの必要ないし」
そう言って、私は一人で飛び降りました。
彦君は大葉部長が狙いだと思っていたのですが、案外、隅に置けない男子だったようです。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる