オートマーズ

小森 輝

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9章 次はその手を掴む

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 流石は男の子です。彦君の手を掴むと、私は軽々と引っ張り上げられました。これで私も登頂成功です。しかし、登頂の喜びよりも感謝のほうが先です。
「……ありがと」
「いいって。これぐらい」
 彦君は、涼しい顔で素っ気なく応えます。その様子が気にくわなかったのか、それとも火星で竜巻に飛ばされたときのことを思い出したからなのかは分かりませんが、つい聞きたくなってしまいました。
「今度は、下の名前で呼んでくれないんだ?」
 火星で飛ばされたとき、間違いなく彦君は私のことを下の名前で「緋色」と呼んでいました。
「気づいてたのかよ」
「あれだけ叫んでたら気づくよ」
 でも、彦君が私の名前を叫んでくれたから私も手を伸ばしたんです。
「みんな下の名前で呼んでいたからつい口に出たんだよ。嫌だったら謝る」
「別にいいよ。呼びやすいならそれで」
 下の名前で呼ばれたというのは、なんだか嬉しくもあります。中学生から男子の友達がいなかったので、きっとそれが原因でしょう。
「じゃあ、私も……でもなぁ……私は彦君で慣れちゃったしな……」
「好きな方でいいだろ。別に矯正するようなことでもないんだし」
「じゃあ、私は彦君のままで」
 そちらの方がなんだか落ち着きます。
「でも、意外だな。彦君の下の名前、鷲斗でしょ? てっきりサッカー部だと思ってた。中学まで野球部だったんでしょ?」
「そうだけど、誰に聞いたんだ?」
「マリさん。もしかして、そう言うのは自分の口から言いたかったとか?」
「別にそんなんじゃないよ。隠すようなことでもないしな」
 その続きを聞いてもいいのか悩みます。ですが、彦君は手を差し伸べてきたのです。今度は私が一歩踏み込む番です。
「なんで、野球、やめちゃったの?」
 それはきっと、他人には踏み込まれたくない心に残った傷です。それでも、話してくれました。
「肩を壊してな……」
「えっ……じゃ、じゃあ、こういうのダメなんじゃないの?」
「遊び程度ならいいんだ。ただ、肩を酷使しなければ……。野球は肩を酷使するスポーツだからな。このまま野球を続ければ、肩を壊して日常生活にも支障を来すって言われたよ。諦めるしかなかったんだ」
 夏にはプロ野球を目指す少年たちが競い合う姿をテレビで見ます。そして、破れていった選手たちが涙を流す姿も。しかし、それが全てではありません。彦君のように人知れず夢を断たれるような人もいるのです。そんな人にかける言葉なんて、私にはありません。
「別にさ、高校からサッカー部に入ってもよかったんだ。けど、今更、他のスポーツを始める気にもなれなくてさ。俺は野球がやりたかったんだから。だから、この野球にかける気持ちと同じ物をつぎ込める何かを探したんだ」
「それが、火星探査部?」
「あぁ。高校生限定で自分たちの未来を切り開ける。こんなにやり甲斐がある部活なんてありはしないって思ってさ。そんな気持ちだったけど、初めて火星に行ったら想像を軽く超えたよ。野球以上だって。可能性しか広がっていなかった」
 彦君と同じとは言えませんが。私も初めての火星は感動しました。火星と知っていなくても感動したほどです。
 しかし、疑問もあります。
「でも、どこで火星探査部のこと知ったの? 勧誘とか最初はやってなかったみたいだし」
「中学の時に決まってるだろ? 高校で何やりたいかは中学の時に決めるべきだ」
「えっ? じゃあ、火星探査部があるから桜井高校に入学したの?」
「そうだけど?」
「あぁ……それで……」
 彦君の成績は学年でもトップクラスです。そう言う人ならもっと上の高校を目指せばいいのにと思っていたのですが、ちゃんと理由があってこの学校を選んでいたのです。入試で鉛筆を転がしていた私とは大違いです。
 もう少し話を聞きたい私でしたが、これで話は終わりというように、彦君は両手を叩きました。
「そろそろ降りよう。こんな場所であんまり長話もしていられないし、下でマリさんも待ちくたびれているだろうしさ」
 そう言われて下を見ると、マリさんが腕を組んで此方を睨んでいます。あれはきっと鬼コーチの目です。私の背中に先ほどまでの恐怖が這い寄ります。
「怖いなら手ぐらい握ってやるぞ?」
 彦君が再び手を差し出してきます。しかし、今度はその手を跳ね返しました。
「調子に乗るなっての。一回一人で降りてるんだよ? そんなの必要ないし」
 そう言って、私は一人で飛び降りました。
 彦君は大葉部長が狙いだと思っていたのですが、案外、隅に置けない男子だったようです。
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