アグネイヤIV世

東沢さゆる

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第二章 輝ける乙女

后妃9

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 僅か数日のうちに、二度も虜囚の憂き目を見るとは思わなかった。
 無遠慮に槍を突きつけた兵士は、盗賊たちとなんら変わることはない。態度も表情も、
「あなたたちには、矜持プライドってものがないわけ?」
 思わずマリサが嘆息するほど、柄が悪かった。一方、ティルはマリサを庇うように常にその身を盾とし、リィルやルーラにも気を配っている。アウリールも上司の心を汲んでいるのか、ルーラの、否、ルーラの抱くリィルの元から離れようとはしなかった。ふたりとも、いたって紳士的である。
 これでは、どちらが盗賊かわからない。
 マリサは、苦笑した。
 ちらりと視線を動かせば、『囚われの姫君』ということで、リオラは丁寧に扱われているようである。常に兵士の中から
「大丈夫ですか」
「お怪我は」
 そういった声をかけられているようであった。そのたびにリオラは優雅な都の姫君を体現し、ゆったりとした所作で彼らに応えている。時折、主人であるマリサを睨みつけながら。
 リオラは本心から、マリサを亡き者にしようと考えているのだろうか。
 そんなことをすれば、彼女だけではなく、彼女の実家もただでは済まされない。リオラの両親はもとより、一族全てが処刑されることだろう。良くて流刑だ。それを承知で、彼女は行動を起こしたのか。
(……)
 マリサは、眼を細めた。どこか、腑に落ちない部分がある。
 リオラは、何を思って巡察に同行したのだろう。普段からマリサの元に侍っているのは、リオラよりも寧ろツィスカのほうであった。ツィスカは国王の母方の遠縁に当たる娘で、名実共にマリサの監視となっている。その彼女が同行するのであればまだしも、何故にリオラが。出発のときに覚えた疑問が、再びマリサの中に蘇る。
 ツィスカは、なぜ、同行を申し出なかったのか。
 リオラは何を思って、同行したのか。
 同行した上に、辱めを受けたことで、マリサを逆恨みして――
(変ね)
 ありえない、とマリサは呟いた。ティルが「何だ」、という風に首を傾げる。マリサは兵士の目を盗み、そっとティルに耳打ちした。
「リオラが囚われていたときの状況を、説明して頂戴」
「なに?」
「アウリール、彼が呼びに言ったとき。リオラは、その」
 陵辱されている最中であったのか。そう聞こうとして、マリサは口をつぐんだ。形式だけは人妻とはいえ、流石に若い娘が口にする言葉ではないだろう。この先は察してくれ、と目で彼に訴えたが、
「その、何だって?」
 ティルはニヤリと笑い、続きを促す。こういうところ、食えない相手である。マリサは、軽く肩をすくめ
「乱暴されているところだったの?」
 早口で問いかける。と、更に何か言うであろうとの予想に反して、ティルは一瞬真摯な眼差しに戻った。彼は、そっとリオラを見、それからアウリールを見やってから
「――いや、確認は出来ていない」
 端的に答える。
 アウリールが出向いたとき、リオラはあられもない姿ではあったが、陵辱の痕は特に見られなかった。危ういところで助けられたのだろう、そうティルは思ったようだが。
「考えれば、変だな」
「どういうこと?」
「愛撫の痕がない」
 さらりと直接的な台詞を口にされ、マリサは赤面した。ああそう、と唇を尖らせてから、あることに気づく。
 ということは、リオラは穢されてはいないということになる。
 ならば何故わざわざ、辱めを受けたと、そんなことを口にするのだろうか。リオラの意図を想像し、眉を寄せるマリサを、兵士の一人が槍の柄で小突いた。
「ほら、たらたらしないで、さっさと歩け」
 王太子妃に向かって、なんとぞんざいな。
 マリサが呆れて彼を見ると、ルーラが怒りに燃えた目でその兵士を睨みつけ、
「無礼者」
 鋭く声を上げたのだった。
「無礼者ぉ?」
 兵士は一瞬きょとんとしたが、やがて笑い出した。周囲の兵士も一斉に笑い出す。盗賊風情が何を抜かす、辺境訛でそんな野次が飛んできた。
「……!」
 更に何か言い募ろうとするルーラを視線で制し、マリサは、兵士の長らしき壮年の男性に声をかける。
「こちらの『関所』の、一番上の方に面会したいのだけれど」
 唐突な申し出に、兵士長は目を丸くした。彼はマリサを頭の上から爪先まで、じろじろと無遠慮に眺め、それから下卑た笑いを浮かべる。そうだな、と彼女の顔を覗き込んで、
「夜伽でもすれば、早めにここから出してもらえるかもしれないな」
 ルーラにも一瞥を投げる。彼らは『関所』を通る者達から、法外な通行料をせしめていた。それが支払えなければ、旅人の妻や娘、姉や妹の身体を要求したという。どこまでも堕ちた輩だ、とマリサは溜息をつき、哀れみの眼を彼に向ける。兵士長はそれを誘いと受け取ったのか、舌なめずりをせんばかりの勢いで、マリサの頤に手を伸ばす。
「おっと、職権乱用」
 ティルが彼の魔手からマリサを守ろうと身を乗り出したとき、か細い少女の声が聞こえた。リィルである。
「るきあ、あぶない」
 少なくとも、マリサにはそう聞こえた。彼女はリィルの姿を探し、薄暗がりのなか、その瑠璃の瞳を捉えると、内容の説明を促すように首を傾けた。
「どういうことなの」
 目で問いかけるが、リィルは同じ言葉を繰り返すだけだった。
「リィル?」
 ルーラも訝しく思った様子である。不審そうに腕の中の白髪の娘を見つめ、眉を寄せる。
「るきあ、ころされる。ころされる。あおいめの、おんな」
 青い眼の女。
 自身のことを言われたと思ったのか、ルーラはびくりと身を硬くした。
(違うでしょう)
 青い瞳の女性は、もうひとりいる。この場に限定すれば、の話だが。それにルーラは厳密な意味女性ではない。マリサは、リオラを見た。リオラはリィルの言葉を聞いたのか、聞かなかったのか。どちらとも取れるような態度であった。青ざめた顔に何かしらの決意を秘めて、じっとマリサを見つめている。『青い眼の女』――リオラは、逆恨みからマリサの命を狙っているというのか。本気で彼女を殺すつもりでいるのか。
(リオラ)
 リオラ・ナル・オルウィス。オルウィス伯爵の令嬢。オルウィスといえば。
(レンディルグ辺境候領)
 その、遠縁に当たるという。レンティルグ辺境侯といえば、帝国以前の血、と呼ばれる古き血脈で、カルノリア帝室の祖となったエレヴィア家の縁者でもある。フィラティノアに属しているわけではなく、古くからその土地を治めており、神聖帝国時代にもかの国に下ることはなかった。今も決して狭くはない領域を支配している。
 国を名乗らず、かといってどこかの国に与することもなく。ただ、一族。それが、レンティルグである。辺境候、という呼称はあくまでも便宜的なものであり、正式な称号ではない。
 また。現在のフィラティノア王妃は、レンティルグ辺境侯の姉であり、タティアンの侯爵の寡婦であったラウヴィーヌだった。
(そういうこと、なのかしら?)
 マリサは、リオラに疑いの目を向ける。彼女が巡察に同行したのも、途中盗賊に遭遇したのも、偶然ではない。『関所』を抜けることになったのは、それこそマリサの気まぐれからであるが。
(もしかして……)
 マリサは、ティルに視線を戻し、小声で彼に尋ねた。
「最近、急に仲間になった、そういうひとたちはいるかしら?」
 ティルは察しが良かった。マリサの言わんとしていることを理解して、
「赤毛の男。あのお嬢さんを連れて行った奴がそうだ」
 即答する。
 赤毛の男は二人いたが、そのうちのひとりがつい最近仲間にして欲しいと出向いてきたのだという。それまでは、アダルバードにて職人をやっていたのだが、借金のかたに顧客も商売道具も全て奪われ、路頭に迷った末に盗賊となったと言っていたらしい。
「それから、もうひとり」
 密色の髪をした男。赤毛の男と行動を共にしていたが、こちらは目立たぬ風貌のせいか、マリサの記憶にも残ってはいなかった。
「蜜色の、髪」
 それは、レンティルグ地方の特徴でもある。蜂蜜色の髪と、緑青の瞳。王妃ラウヴィーヌも、まさにそのふたつを持っていた。
「やっぱり」
 マリサは、頷く。闇に繋がる線が、見えてきた。リオラの不可解な行動、それはラウヴィーヌが関係しているに違いない。前王妃を追放した後、王妃の座を射止めたラウヴィーヌ。彼女は、義理の娘の存在を快く思っていないのだろう。レンティルグの宗家は、『帝国以前の血』。大陸最古の高貴なる血脈といわれる、ミアルシァ王家ミーアと同じくらい古いといわれている。帝国が興る前は、レンティルグこそが北方の支配者として君臨していた時代もあった。ラウヴィーヌにも名門出身の誇りがあるのだろう。『帝国』の末裔であり、同時にミアルシァの血を引くマリサの存在を、快く思わないことも理解できる。
(でも、それだけで?)
 義理の娘を抹殺しようと考えるだろうか。
 マリサは、自身の考えを否定する。違う。王妃は、別の理由でマリサを疎んじている。ディグルに対する邪恋か、もしくは宮廷内での自身の地位が、マリサの輿入れで危うくなってきたと感じたか。そのどちらも根拠が薄い気がするが。
「彼女が私を抹殺しようとしていることは、事実のようね」
 青い瞳の女。――ラウヴィーヌも、緑青の瞳を持っている。青といえば、あお。リィルは何かを感づいたのか。リオラの行動から、気配から。
「彼女――? あの、侍女さんか?」
 ティルが眉を寄せる。マリサは
「違うわ」
 とそれを否定し。
「そうとわかれば、権力を行使させていただくわよ」
 ぽそりと呟き、徐に手近な兵士を捕まえて、その腕をねじりあげる。兵士は痛みのあまり蒼白になりながら、けれども声一つ発することが出来ずに、目を白黒させてマリサを見た。自身に苦悶を与えている、小さな少女を。
「きさま」
 同僚の危機に感づいた兵士が、マリサに槍を向けるが、すかさずティルがその穂先を捕らえ、逆に相手から得物を奪い取る。赤い瞳の盗賊は、槍を手の中で回転させると、器用にそれを構えた。彼が使える武器は短剣だけではないのかと、感心するマリサを背に庇うようにして。
「はい、お妃様。これからどうするの?」
 茶目っ気たっぷりの笑顔を振りまく。お妃様、との言葉に兵士達の間にざわめきが走る。

「お妃様」
「王妃様?」
「いや、まさか」

 妃といえば、王妃、としか頭に浮かばぬのかこの連中は、と。マリサは、額に青筋を立てそうになる。権力とは行使するべきときに行使するのだと、かつて剣の師であるセレスティンも言っていた。マリサは、凛と顔を上げると一同を見回す。その鋭くも厳しい視線に気圧された兵士達は、おのずと彼女を遠巻きにした。兵士らの顔をひとりひとり確認するように見つめてから、
「フィラティノア王太子妃の名を、言って御覧なさい」
 鈴を転がす美声で問いかける。
 と、再び兵士達の間にざわめきが起こった。
「王太子妃の、容姿は?」
 重ねた問いかけに、ざわめきが大きくなった。
 王太子妃は、アヤルカス帝国の――神聖帝国の姫。かの国から嫁いできた美姫は、濡れ羽の髪に暁の瞳を持つ。辺境にある兵士達ですら、その事実は知っている。彼らは、目の前に立つ女賊の容貌を凝視した。
 結わずに垂らされた、腰丈ほどもある素直な黒髪。一同を見据えるのは、赤味の強い紫の瞳。これを、古代紫というのだと、彼らはこのとき初めて知ったのだろう。
「ああ」
 兵士の一人が悲鳴を上げる。
 マリサに囚われていた兵士は、驚愕に身を震わせた。

「妃殿下」
「妃殿下だ」

 その事実を認識してもなお、彼らは半信半疑であるのか。口々に畏怖の言葉を紡ぎながら、平伏もせずにその場に佇んでいた。ただ、その人垣の向こうでリオラだけが、更に顔色を失っていた。彼女は口元を押さえると、ひらりと踵を返す。マリサの正体が発覚して、自身の立場が危うくなったことを察したのだろう。
「あの娘を捕らえなさい」
 マリサの命令に、我に返った兵士達が動き出す。彼らに取り押さえられたリオラは、マリサの前に引き出され、悄然と項垂れた。
「造反、ね。わたしに対する」
 死の宣告にも等しい言葉を聞いて、リオラの身体が硬直した。彼女は肩を震わせながら、しかし何も言わず。マリサの視線を避けるように俯いたままであった。
「誰に頼まれたのか、は、大体わかるわ。王后陛下、でしょう?」
 びくん、とリオラの身体が揺れる。図星だったのだろう。マリサは、口元に微笑を上らせた。わかりやすい。なんと解りやすいのだろう、この娘は。この娘だけではない。兵士達も。彼らの行動、思考、それらが手に取るようにわかってしまう。
「わたしを、亡き者にするつもりだったの? そのために、巡察に同行したの?」
 そうでしょう、と確認を取るように問いかければ、リオラは更に俯いた。言葉はなくとも、それが肯定の意であることは一目瞭然。浅はかな『刺客』は、いとも簡単に追い詰められていく。もしも相手が『大陸の狼』エルディン・ロウであったのなら、これほど容易く尻尾はつかめなかったであろう。サリカに纏わりついていたふてぶてしい男の顔を思い出し、マリサは苦笑する。
「主人に背いた罪。何よりも重いわよ?」
 厳かに告げる。リオラは小さく首を振った。何かを否定するように。恐れるように。嫌がるように。そうして、一瞬。彼女の小さな身体が強張った。
「……っ!」
 反応したのは、ティルであった。マリサが気づくよりも早く、彼はリオラを抱き起こす。けれども時既に遅く、
「だめだ」
 ティルは緩くかぶりを振る。彼の腕の中にぐったりと身を投げ出したリオラの口の端から、つぅ、と一筋血が流れた。舌を噛み切ったのだ。自身に繋がる全てを守るためなのか。それとも、これから待ち受けている苦難から逃れるためか。徐々に硬直していくリオラの身体を床に下ろし、ティルは彼女の瞼を指先で閉ざした。

「妃殿下、ご無礼を」

 水を打ったように静まり返った廊下に、張りのある声が響いたのは、その直後であった。兵士達には覚えのある声、彼らが慌てて避けて作った道を足早にやってくるのは、初老の男性であった。レンティルグ特有の蜜色の髪と、うっすらと積もった雪を思わせる灰の瞳を持つ男性。騎士の正装をしているところから見ると、彼がこの『関所』の責任者なのだろう。マリサは顔を上げ、正面から彼を見据えた。
「妃殿下には、大変ご無礼を致しました。『砦』の主、ラトウィスにございます」
 彼がマリサの足元に跪くと、兵士達も一斉にそれに倣う。まるで芝居を見ているようだと、ティルがからかい半分に口笛を吹いた。
 そう、それほど、この光景は、滑稽であったのだ。
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