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第二章 輝ける乙女
辺境1
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「権力の正しい使いかた、ってヤツをはじめて見たね」
ティルは揶揄とも尊敬とも取れぬ言葉を吐いて、マリサを見た。
関守の責任者に案内されて通されたのは、彼が居室として使用している部屋であった。辺境にあっては、まずまずの設備を用意されているこの部屋、それもそのはず関守の長であるこの男は、首都に居た折はそれなりの地位にあった人物だった。辺境に派遣される人物には珍しく、爵位も持ち合わせており、子爵といえど古参の名門、彼の祖父の代から現在の王家に仕えているとのことである。現王妃ラウヴィーヌの輿入れに関して、あれこれと尽力したのも彼とその父。蜜色の髪と緑青の瞳、『帝国以前』の血を持つ彼は、何かと国王に重宝されていたはずである。
そのような人物が何故、ここに追いやられたのか。聞かずとも大体見当はつく。
邪魔になったのだ。
フィラティノア王妃となったラウヴィーヌは、彼を疎んじた。自身の力で王妃の座を得たのだ、と、主張するラトウィス親子の存在が邪魔になり、口実をつけて辺境に流した。
(よくある話だわ)
そして、理不尽な目に合った彼は、この地で吸える限りの甘い汁を吸っている。愚かしいことだ。
ラトウィスがラウヴィーヌに対して恨みを抱いているとしても、ここで気を許すわけには行かない。彼はもともとレンティルグに近しい存在、いつ権力ほしさにラウヴィーヌに擦り寄るかわからない。マリサの殺害を機に、再び宮廷に返り咲く、そんな夢を抱いてもおかしくない人物である。
フィラティノアも、恨みの凝り固まった国だと思う。どこの国も、それなりに愛憎が交錯している。ことに歴史があればあるほど、絡み合う糸は複雑化し、ミアルシァの如く呪われた血脈が生まれるのだ。実の兄弟と殺し合い、肉親とも情を交わす。マリサの感覚から行けば、異常としか思えぬ獣の行為を平気でする一族である。その血を濃く受け継いでいる自身のことも、おぞましいといえば、おぞましい。現在アヤルカス公爵となったジェルファが、姪であるサリカに邪な感情を抱いていることは、早くから解っていた。解っているからこそ、早く『姉』を隣国に嫁がせたいと思っていたが、結果的に自分が嫁ぐ羽目になってしまった。そこは大きな誤算でもあるが、サリカも、もう子供ではない。自分の身くらい自分で守れるであろう。
それに、サリカであれば、このフィラティノアに巣食うレンティルグの毒蜘蛛に、太刀打ちできるかどうか。
やはり、ここは自分が来て良かったのだと改めて感じる。
(レンティルグ辺境侯――侮れないわね)
当主は、ラウヴィーヌの甥に当たる青年が務めているが、その男も油断がならない。時折宮廷にも出仕して、国王夫妻と会食をしているそうだが、残念ながらマリサは、まだ対面してことはなかった。年齢的にはディグルよりも少し上と聞くが、いまだ正妻を持たず、数人の愛妾を侍らせているらしい。
リオラの件も、ラウヴィーヌのほかに彼が関係しているとしたら――更に厄介である。レンティルグはマリサを排して、自身に都合の良い花嫁をディグルに押し付けるつもりであろう。前妃エリシアを廃し、ラウヴィーヌを王妃の座につけたように。
「あのおっさんも、ムシが好かないねえ。意味もなく他人を持ち上げるヤツは、ろくなヤツじゃないからね」
ティルは胡散臭そうにラトウィスを見つめる。自らいそいそとマリサの世話を焼こうとする彼は、哀れな道化に見えた。王太子妃巡察の令が出ていれば、真っ先に出迎えたのだと彼は主張し、マリサを賊として捕らえた者たちを即刻処罰、リオラの亡骸は『壁』の向こう、蛮族の地に埋葬するよう、指示を出したと誇らしげに告げている。
「リオラの亡骸は、――埋葬するのは良いけれど、ちゃんと丁重に葬って頂戴。身につけていた装飾品、それから、髪を一房。遺品としてオルウィス伯爵夫妻に持参します」
マリサの言葉に、ラトウィスは、かしこまりましたと深く礼をする。彼もオルウィス伯爵とは旧知の仲、リオラとの面識もあるであろうに。よくぞここまで言えたものだと思う。旧友の娘を謀反人扱いし、あまつさえその遺体を放置に等しい形で埋葬する気であったとは、名門が聞いて呆れる。
マリサは肩をすくめ、傍に寄りそうティルとルーラを見やった。ルーラはまだ、リィルを抱いたままである。子供とはいえ、十歳近い少女を抱いたままでは、幾らルーラが『男性』だといっても疲れるのではないか。マリサが椅子を勧めても、彼女は頑として座らなかった。主人であるマリサを立たせたまま、自身が座ることは出来ないと、青い瞳が主張している。忠義もここまでくれば見上げたものだと、ティルが笑った。
「この『関所』の体質を改善しない限り、アーシェルの未来は、暗いわね」
彼女の言葉に、ティルは頷いた。
「こんな奴らが幅利かせてるんじゃ、どうしようもないしね。お嬢さん――いや、王太子妃殿下。あんたの権力でなんとか出来ない?」
「殿下はやめて頂戴。こんなところで。ルキアでいいわ。旅行手形は、そうなっているのだから」
「あっ、そ。じゃあ、ルキア。あんた宮廷での権力はどんなもんなの? 旦那は、あんたの言うこと聞いてくれるわけ?」
「それは」
マリサは、即答しかねた。
ディグルとの夫婦仲は良くも悪くもない。マリサとしては、『良好』と言いたいが、世間的にはどうなのだろう。彼女は明らかに処女妻であるし、ディグルはいまだに、ルーラ一筋である。それが気に入らぬわけでもなく、さりとて、嫌いというほど彼のことを知っているわけでもなく。
「ご想像にお任せするわ」
あえて明言を避ければ、
「ふーん?」
ティルは知った風に眼を細めた。
どう見ても『遊び人』と思える彼は、女性経験もそれなりに豊富だろう。顔立ちも悪くなく、寧ろ野性味を帯びてはいるがどことなく品のある容貌に、女性は惹かれるに違いない。彼はおそらく気づいているはずだ。マリサが生娘であることに。だからこそ、あえて彼は、マリサを『お嬢さん』と呼んでいる。その辺りの作為が見えているだけに、彼とは話しにくかった。逆に彼を懐に取り込んで、参謀として役立てれば、これ以上ない優秀な部下となるだろう。けれども、マリサがそれを申し出たとして。ティルが素直に応じるであろうか。
ティルは、マリサに纏わりついている刺客とはまた異なる性質の持ち主である。サリカとであれば、友情を育むことも出来ようが、自分と彼では友情は芽生えない。対等の関係はありえない。どちらかが優位に立たねば、関係は成り立たない。
「いやはや、お待たせいたしました」
マリサとティルのきわどい会話をさえぎるように、ラトウィスが入室してきた。彼は部下に持たせた包みを卓上に置かせ、その中身を検分するように封を開かせる。出てきたのは、女物の装飾品と、紙に包まれた一房の髪の毛であった。
「これが、オルウィス伯爵令嬢の遺品にございます」
さすがに業突く張りな役人どもも、リオラの遺品には手をつけていなかった模様である。彼女が身に着けていた髪留め、首飾り、耳飾、指輪、そして足輪、全てが揃っていた。どれも、宮廷に上がる際に恥をかかぬようにと両親が揃えたものであろう。そう考えると、マリサは僅かに胸が痛んだ。オルウィス夫妻は、娘の最期を知って、どう思うであろうか。夫妻もラウヴィーヌの陰謀に加担していたとしたら、当然マリサを恨むであろう。先に刺客を送っておきながら、娘を殺されたと訴えることもあり得る。これは厄介なことになった、と、マリサも頭痛がしてきた。こんなことであれば、リオラの同行の申し出を断ればよかった。
(あとの祭りだわ、本当に)
軽く溜息をつき、彼女は関守の長に礼を述べた。彼は嬉しそうに頭を垂れ、
「では、このようなところではありますが、妃殿下にはぜひ、こちらにご滞在いただきたく」
もみ手をせんばかりの態度で逗留をすすめる。マリサは、このようなところに長居をするつもりはなく、
「いいえ、結構」
そういいかけたが、
(……)
ふと、あることを思いついた。
「ティル」
傍らに佇む赤い瞳の盗賊に声をかけ、そっと耳打ちする。彼は一瞬眉を寄せたが、彼女の言わんとしていることを理解したらしい。
「了解」
ニヤリと笑い、ルーラの背後に立つアウリールの元に歩み寄り、彼に一言二言囁きかけた。
「長」
アウリールも一瞬訝しげな顔をして、首領とマリサの顔を見比べたが、不承不承といった体で頷き。
「解りました」
ひとり、部屋を出て行く。彼の後姿を見送ったティルは
「さて、オレもこういうところは苦手なもんで。失礼させていただくわ」
明るく言い放つと、ルーラの傍をすり抜ける際に、ぽんとリィルの頭を叩いて
「そゆことだから。ねーさんたちに面倒かけるなよ、チビ」
噛んで含めるように言い、マリサには手を振った。マリサも笑顔でそれに答えると、彼が退室するのを見届けてから、改めてラトウィスに向き直る。
「折角ですから、逗留させていただきますわ、ラトウィス子爵」
膝を折り、裾を持ち上げる形で貴婦人の礼をとると、ラトウィスは年甲斐もなく、照れたように顔を赤らめた。
宴とは名ばかりの茶番を経たあと、マリサとルーラは、再びラトウィスの部屋に通された。関守は、召し上げた女性たちをこの部屋で弄んでいたのか、その寝台は辺境役人には不相応なほど大きかった。彼が使用したままのものを使わされるのかと思っていたが、さすがに宴の最中に敷布その他は真新しいものと交換したらしい。布に触れてみれば、それは、ぱりっと糊が効いていた。
「それなりに、気を使ってくれているのかしらね」
本心かどうかは、不明だが。
マリサが皮肉を口に上らせると、ルーラは無言で頷いた。
部屋には寝台がひとつだけ。マリサとルーラ、それにリィルが横になったとしても、十二分な広さを有する寝台であるが、
「わたしは、こちらで休ませていただきます」
ルーラはひとり、続き部屋の長椅子へと歩み寄っていった。それを見たリィルは
「いや。るーら、いや。りぃるといっしょ、るきあといっしょ」
唐突にぐずり始めたのである。
「リィル。わたしは、妃殿下――いや、ルキアの家臣だ。一緒の床になど、就くことは出来ない」
大人に語るのと同じ口調で彼女を説得するものの、幼女にそんな理屈は通用しない。リィルは、瑠璃の瞳に涙を一杯ためて、
「だめなの。るーら、いっしょ。るきあもいっしょ」
駄々をこね続ける。
「リィル」
これにはルーラも参ったらしい。途方にくれた様子で、どうやってこの幼女を説き伏せるか――真剣に悩んでいる模様である。その様子がおかしくて、寝台に腰掛けたマリサは、声を立てて笑った。
「妃殿下、笑い事ではございません」
ルーラの眉が、僅かに動く。けれども、
「そうそう。そうね、笑い事じゃないわね」
言いつつも、笑いながら寝台を転がるマリサの姿を目の当たりにして、僅かにその視線が揺れた。一瞬、青い瞳の奥に迷いの影が走り、それから、彼女は慌ててマリサから目を逸らす。
何か、よからぬ光景を妄想してしまったようである。
マリサも、ルーラの気持ちは解っているつもりであった。彼女――実際は『彼』なのだ――が、マリサに対して、どのような想いを抱いているのか。愛情とも違う。恋とも違う。男女間のそれとは微妙に異なる複雑な感情を抱えたルーラが、マリサと床を共にすることなど出来るわけがない。ディグルはルーラの異心を疑っているようだが、ルーラは忠実なディグルのしもべである。主人の妻であるマリサに、間違っても情交を迫ることなどありえない。
ルーラは、知らないのだ。マリサが、ルーラの『身体』についてマリサから聞かされていることを。だからこそ、余計に気を使うのだろう。臣下の立場だけではない、それ以上に重い鎖に、ルーラは囚われているのだ。
「わたしは、気にしないわ」
できるだけ明るく、マリサが言い放つが、
「わたしは、気にします」
ルーラも、すかさず応戦する。彼女としては、なんとしても一人で別室に行きたいのだろう。衣服を脱げば、おのずと身体の線が見えてしまう。女性でないことが、解ってしまう。その不安もあるのだ。そして、リィルが傍にいるとわかっていても、間近にマリサの体温を感じたら。
ルーラの理性と感情は、壮絶な葛藤を始めるだろう。
「るーら、いっしょ。るーらがむこうにいくなら、りぃるもいく」
リィルは余程ルーラが気に入ったらしい。ルーラと共に別室の長椅子で眠るという。まだ幼い子供にそんなことをさせるわけには行かない。
「いいわ。わたしが長椅子で寝るから」
毛布を一枚手に取り、マリサは、寝台を滑り降りる。
「妃殿下……ルキア」
ルーラは、焦ったようにマリサを止めた。それだけはいけません、と、必死の形相で叫ぶ。とはいえ、傍目に見れば殆ど表情は変わっていないと思うが――マリサには、ルーラの感情の揺れが手に取るように解った。
「じゃあ、一緒に寝ましょう。わたしが右端、ルーラが左端。間に、リィル。これでいいわね?」
ティルは揶揄とも尊敬とも取れぬ言葉を吐いて、マリサを見た。
関守の責任者に案内されて通されたのは、彼が居室として使用している部屋であった。辺境にあっては、まずまずの設備を用意されているこの部屋、それもそのはず関守の長であるこの男は、首都に居た折はそれなりの地位にあった人物だった。辺境に派遣される人物には珍しく、爵位も持ち合わせており、子爵といえど古参の名門、彼の祖父の代から現在の王家に仕えているとのことである。現王妃ラウヴィーヌの輿入れに関して、あれこれと尽力したのも彼とその父。蜜色の髪と緑青の瞳、『帝国以前』の血を持つ彼は、何かと国王に重宝されていたはずである。
そのような人物が何故、ここに追いやられたのか。聞かずとも大体見当はつく。
邪魔になったのだ。
フィラティノア王妃となったラウヴィーヌは、彼を疎んじた。自身の力で王妃の座を得たのだ、と、主張するラトウィス親子の存在が邪魔になり、口実をつけて辺境に流した。
(よくある話だわ)
そして、理不尽な目に合った彼は、この地で吸える限りの甘い汁を吸っている。愚かしいことだ。
ラトウィスがラウヴィーヌに対して恨みを抱いているとしても、ここで気を許すわけには行かない。彼はもともとレンティルグに近しい存在、いつ権力ほしさにラウヴィーヌに擦り寄るかわからない。マリサの殺害を機に、再び宮廷に返り咲く、そんな夢を抱いてもおかしくない人物である。
フィラティノアも、恨みの凝り固まった国だと思う。どこの国も、それなりに愛憎が交錯している。ことに歴史があればあるほど、絡み合う糸は複雑化し、ミアルシァの如く呪われた血脈が生まれるのだ。実の兄弟と殺し合い、肉親とも情を交わす。マリサの感覚から行けば、異常としか思えぬ獣の行為を平気でする一族である。その血を濃く受け継いでいる自身のことも、おぞましいといえば、おぞましい。現在アヤルカス公爵となったジェルファが、姪であるサリカに邪な感情を抱いていることは、早くから解っていた。解っているからこそ、早く『姉』を隣国に嫁がせたいと思っていたが、結果的に自分が嫁ぐ羽目になってしまった。そこは大きな誤算でもあるが、サリカも、もう子供ではない。自分の身くらい自分で守れるであろう。
それに、サリカであれば、このフィラティノアに巣食うレンティルグの毒蜘蛛に、太刀打ちできるかどうか。
やはり、ここは自分が来て良かったのだと改めて感じる。
(レンティルグ辺境侯――侮れないわね)
当主は、ラウヴィーヌの甥に当たる青年が務めているが、その男も油断がならない。時折宮廷にも出仕して、国王夫妻と会食をしているそうだが、残念ながらマリサは、まだ対面してことはなかった。年齢的にはディグルよりも少し上と聞くが、いまだ正妻を持たず、数人の愛妾を侍らせているらしい。
リオラの件も、ラウヴィーヌのほかに彼が関係しているとしたら――更に厄介である。レンティルグはマリサを排して、自身に都合の良い花嫁をディグルに押し付けるつもりであろう。前妃エリシアを廃し、ラウヴィーヌを王妃の座につけたように。
「あのおっさんも、ムシが好かないねえ。意味もなく他人を持ち上げるヤツは、ろくなヤツじゃないからね」
ティルは胡散臭そうにラトウィスを見つめる。自らいそいそとマリサの世話を焼こうとする彼は、哀れな道化に見えた。王太子妃巡察の令が出ていれば、真っ先に出迎えたのだと彼は主張し、マリサを賊として捕らえた者たちを即刻処罰、リオラの亡骸は『壁』の向こう、蛮族の地に埋葬するよう、指示を出したと誇らしげに告げている。
「リオラの亡骸は、――埋葬するのは良いけれど、ちゃんと丁重に葬って頂戴。身につけていた装飾品、それから、髪を一房。遺品としてオルウィス伯爵夫妻に持参します」
マリサの言葉に、ラトウィスは、かしこまりましたと深く礼をする。彼もオルウィス伯爵とは旧知の仲、リオラとの面識もあるであろうに。よくぞここまで言えたものだと思う。旧友の娘を謀反人扱いし、あまつさえその遺体を放置に等しい形で埋葬する気であったとは、名門が聞いて呆れる。
マリサは肩をすくめ、傍に寄りそうティルとルーラを見やった。ルーラはまだ、リィルを抱いたままである。子供とはいえ、十歳近い少女を抱いたままでは、幾らルーラが『男性』だといっても疲れるのではないか。マリサが椅子を勧めても、彼女は頑として座らなかった。主人であるマリサを立たせたまま、自身が座ることは出来ないと、青い瞳が主張している。忠義もここまでくれば見上げたものだと、ティルが笑った。
「この『関所』の体質を改善しない限り、アーシェルの未来は、暗いわね」
彼女の言葉に、ティルは頷いた。
「こんな奴らが幅利かせてるんじゃ、どうしようもないしね。お嬢さん――いや、王太子妃殿下。あんたの権力でなんとか出来ない?」
「殿下はやめて頂戴。こんなところで。ルキアでいいわ。旅行手形は、そうなっているのだから」
「あっ、そ。じゃあ、ルキア。あんた宮廷での権力はどんなもんなの? 旦那は、あんたの言うこと聞いてくれるわけ?」
「それは」
マリサは、即答しかねた。
ディグルとの夫婦仲は良くも悪くもない。マリサとしては、『良好』と言いたいが、世間的にはどうなのだろう。彼女は明らかに処女妻であるし、ディグルはいまだに、ルーラ一筋である。それが気に入らぬわけでもなく、さりとて、嫌いというほど彼のことを知っているわけでもなく。
「ご想像にお任せするわ」
あえて明言を避ければ、
「ふーん?」
ティルは知った風に眼を細めた。
どう見ても『遊び人』と思える彼は、女性経験もそれなりに豊富だろう。顔立ちも悪くなく、寧ろ野性味を帯びてはいるがどことなく品のある容貌に、女性は惹かれるに違いない。彼はおそらく気づいているはずだ。マリサが生娘であることに。だからこそ、あえて彼は、マリサを『お嬢さん』と呼んでいる。その辺りの作為が見えているだけに、彼とは話しにくかった。逆に彼を懐に取り込んで、参謀として役立てれば、これ以上ない優秀な部下となるだろう。けれども、マリサがそれを申し出たとして。ティルが素直に応じるであろうか。
ティルは、マリサに纏わりついている刺客とはまた異なる性質の持ち主である。サリカとであれば、友情を育むことも出来ようが、自分と彼では友情は芽生えない。対等の関係はありえない。どちらかが優位に立たねば、関係は成り立たない。
「いやはや、お待たせいたしました」
マリサとティルのきわどい会話をさえぎるように、ラトウィスが入室してきた。彼は部下に持たせた包みを卓上に置かせ、その中身を検分するように封を開かせる。出てきたのは、女物の装飾品と、紙に包まれた一房の髪の毛であった。
「これが、オルウィス伯爵令嬢の遺品にございます」
さすがに業突く張りな役人どもも、リオラの遺品には手をつけていなかった模様である。彼女が身に着けていた髪留め、首飾り、耳飾、指輪、そして足輪、全てが揃っていた。どれも、宮廷に上がる際に恥をかかぬようにと両親が揃えたものであろう。そう考えると、マリサは僅かに胸が痛んだ。オルウィス夫妻は、娘の最期を知って、どう思うであろうか。夫妻もラウヴィーヌの陰謀に加担していたとしたら、当然マリサを恨むであろう。先に刺客を送っておきながら、娘を殺されたと訴えることもあり得る。これは厄介なことになった、と、マリサも頭痛がしてきた。こんなことであれば、リオラの同行の申し出を断ればよかった。
(あとの祭りだわ、本当に)
軽く溜息をつき、彼女は関守の長に礼を述べた。彼は嬉しそうに頭を垂れ、
「では、このようなところではありますが、妃殿下にはぜひ、こちらにご滞在いただきたく」
もみ手をせんばかりの態度で逗留をすすめる。マリサは、このようなところに長居をするつもりはなく、
「いいえ、結構」
そういいかけたが、
(……)
ふと、あることを思いついた。
「ティル」
傍らに佇む赤い瞳の盗賊に声をかけ、そっと耳打ちする。彼は一瞬眉を寄せたが、彼女の言わんとしていることを理解したらしい。
「了解」
ニヤリと笑い、ルーラの背後に立つアウリールの元に歩み寄り、彼に一言二言囁きかけた。
「長」
アウリールも一瞬訝しげな顔をして、首領とマリサの顔を見比べたが、不承不承といった体で頷き。
「解りました」
ひとり、部屋を出て行く。彼の後姿を見送ったティルは
「さて、オレもこういうところは苦手なもんで。失礼させていただくわ」
明るく言い放つと、ルーラの傍をすり抜ける際に、ぽんとリィルの頭を叩いて
「そゆことだから。ねーさんたちに面倒かけるなよ、チビ」
噛んで含めるように言い、マリサには手を振った。マリサも笑顔でそれに答えると、彼が退室するのを見届けてから、改めてラトウィスに向き直る。
「折角ですから、逗留させていただきますわ、ラトウィス子爵」
膝を折り、裾を持ち上げる形で貴婦人の礼をとると、ラトウィスは年甲斐もなく、照れたように顔を赤らめた。
宴とは名ばかりの茶番を経たあと、マリサとルーラは、再びラトウィスの部屋に通された。関守は、召し上げた女性たちをこの部屋で弄んでいたのか、その寝台は辺境役人には不相応なほど大きかった。彼が使用したままのものを使わされるのかと思っていたが、さすがに宴の最中に敷布その他は真新しいものと交換したらしい。布に触れてみれば、それは、ぱりっと糊が効いていた。
「それなりに、気を使ってくれているのかしらね」
本心かどうかは、不明だが。
マリサが皮肉を口に上らせると、ルーラは無言で頷いた。
部屋には寝台がひとつだけ。マリサとルーラ、それにリィルが横になったとしても、十二分な広さを有する寝台であるが、
「わたしは、こちらで休ませていただきます」
ルーラはひとり、続き部屋の長椅子へと歩み寄っていった。それを見たリィルは
「いや。るーら、いや。りぃるといっしょ、るきあといっしょ」
唐突にぐずり始めたのである。
「リィル。わたしは、妃殿下――いや、ルキアの家臣だ。一緒の床になど、就くことは出来ない」
大人に語るのと同じ口調で彼女を説得するものの、幼女にそんな理屈は通用しない。リィルは、瑠璃の瞳に涙を一杯ためて、
「だめなの。るーら、いっしょ。るきあもいっしょ」
駄々をこね続ける。
「リィル」
これにはルーラも参ったらしい。途方にくれた様子で、どうやってこの幼女を説き伏せるか――真剣に悩んでいる模様である。その様子がおかしくて、寝台に腰掛けたマリサは、声を立てて笑った。
「妃殿下、笑い事ではございません」
ルーラの眉が、僅かに動く。けれども、
「そうそう。そうね、笑い事じゃないわね」
言いつつも、笑いながら寝台を転がるマリサの姿を目の当たりにして、僅かにその視線が揺れた。一瞬、青い瞳の奥に迷いの影が走り、それから、彼女は慌ててマリサから目を逸らす。
何か、よからぬ光景を妄想してしまったようである。
マリサも、ルーラの気持ちは解っているつもりであった。彼女――実際は『彼』なのだ――が、マリサに対して、どのような想いを抱いているのか。愛情とも違う。恋とも違う。男女間のそれとは微妙に異なる複雑な感情を抱えたルーラが、マリサと床を共にすることなど出来るわけがない。ディグルはルーラの異心を疑っているようだが、ルーラは忠実なディグルのしもべである。主人の妻であるマリサに、間違っても情交を迫ることなどありえない。
ルーラは、知らないのだ。マリサが、ルーラの『身体』についてマリサから聞かされていることを。だからこそ、余計に気を使うのだろう。臣下の立場だけではない、それ以上に重い鎖に、ルーラは囚われているのだ。
「わたしは、気にしないわ」
できるだけ明るく、マリサが言い放つが、
「わたしは、気にします」
ルーラも、すかさず応戦する。彼女としては、なんとしても一人で別室に行きたいのだろう。衣服を脱げば、おのずと身体の線が見えてしまう。女性でないことが、解ってしまう。その不安もあるのだ。そして、リィルが傍にいるとわかっていても、間近にマリサの体温を感じたら。
ルーラの理性と感情は、壮絶な葛藤を始めるだろう。
「るーら、いっしょ。るーらがむこうにいくなら、りぃるもいく」
リィルは余程ルーラが気に入ったらしい。ルーラと共に別室の長椅子で眠るという。まだ幼い子供にそんなことをさせるわけには行かない。
「いいわ。わたしが長椅子で寝るから」
毛布を一枚手に取り、マリサは、寝台を滑り降りる。
「妃殿下……ルキア」
ルーラは、焦ったようにマリサを止めた。それだけはいけません、と、必死の形相で叫ぶ。とはいえ、傍目に見れば殆ど表情は変わっていないと思うが――マリサには、ルーラの感情の揺れが手に取るように解った。
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そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
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