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第二章 輝ける乙女
辺境2
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その後も暫くもめたことはもめたが、結局マリサが自身の提案を押し通した形となった。ルーラは渋々寝台の端に横たわり、リィルは喜んで彼女に添い寝する。まるで親子のようだとマリサは、思った。そう、早ければルーラの歳でもリィルのような子供を持つ女性も存在するのである。容姿も、ルーラとリィルは似通っていた。髪や瞳の色こそ微妙に異なるが、黙っていれば人形かと思えるほど表情の乏しい顔、どこか世を捨てたような暗い眼差し、身に纏う雰囲気。
(傍から見れば、完全親子よね)
そして、部外者のマリサ。北方には珍しい、自身の黒檀の髪を指先で弄び、彼女は溜息をついた。
「ルーラ。剣は絶対に手放さないで頂戴」
微かに呟いたマリサの唇の動きを読み取ってか、
「御意」
ルーラも、唇の動きだけで応える。
ラトウィスは、油断のならぬ男だ。何を考えているか、わからない。彼が今夜、どのような行動に出るのか――出たとしても、充分応戦は出来るはず。マリサは、寝台に立てかけた剣の感触を確かめ、
「消すわよ?」
灯りを消した。
瞬時に闇に覆われる寝室。聞こえるのは、三人の息遣いのみである。
(ティル)
マリサの心の声を、聞き取るものは誰もいない。けれども、彼女は信じていた。暁の瞳を持つ盗賊を。
マリサの手元にリィルが居る限り、彼は彼女を裏切ることはない。
(馬鹿ね)
自身を殺そうとした刺客を傍に侍らせている片翼を、最早笑うことは出来ない。分かたれた二つの魂は、やはり似通うものなのか。マリサは、ティルを信じていた。彼がマリサにとって、益をもたらす存在であるということを。
◆
漸く運が向いてきた。
ラトウィスが思うのも無理はない。まさか、このような辺境に、王太子妃がやってくるとは。しかも、ろくに供も連れず、ほぼ単身に近い状態で。更に都合の良いことに、彼女の来訪は非公式である。持参していた手形は、王太子の発行ではあるが、偽りの証明書であった。オリアの商人の妻とその義妹、――つまり、王族ではないことになっている。
王太子妃一行の中に、旧友の娘がいたことも、好機のひとつであった。オルウィス伯爵令嬢リオラの使命は、おそらく王太子妃暗殺。もしくは、それに類することである。だとすれば、それを命じたのは、他ならぬラウヴィーヌ。ラトウィスが骨を折って、王妃の座につけた女である。
(あの、女狐)
自身と同じく、帝国以前の血を持つ女性。かつて美しかった容色は日々衰え、現在は怪しげな錬金術師を手元において、若返りの秘薬を作らせていると聞く。そんな彼女は、生さぬ仲の息子の身体を狙っていると、そう言っていたのはオルウィスであったか。
自身を陥れ、辺境に追いやったラウヴィーヌ、けれども彼が再び宮廷に戻るためには、ラウヴィーヌの力が必要であった。
「閣下、ですが妃殿下のご実家は、神聖帝国です」
側近の一人の囁きに、ラトウィスの心は揺れた。
ここで自身の将来を考えるのであれば、王太子妃を取り込むべきか否か。現在宮廷における実権は、国王が握っている。国王には寵姫はなく、そばにあるのは、正妃であるラウヴィーヌただひとり。夫婦仲がどうなのか、それについての情報は入っては来ない。
「帝国以前の血とはいえ、ラウヴィーヌ妃のご実家は、一貴族にすぎませぬ、国力もさほどありますまい」
別の側近が、また、したり顔で進言する。ラトウィスの現在の取り巻きは、王太子妃の背後にある、神聖帝国、ひいては古王国ミアルシァの存在を思っているのだ。ラウヴィーヌは所詮一貴族の血縁、国王存命の今だからこそ権力を持ってはいるが、王太子が即位した暁には失脚するであろう。それが、彼らの見解である。
「王太子殿下は、ラウヴィーヌ陛下を良く思われてはおりませぬ」
「御生母様を追放した憎き女、そう思われている節があります」
側近の言葉に、ラトウィスは苦笑を浮かべる。
「あの、感情など生母の腹の中に忘れてきたような男がな」
オリアに居た折に、幾度か対面したことがある。前妃エリシアに生き写しの美貌、男とわかっていてもふるいつきたくなるほど鮮烈な印象を与える、王太子。卑しい歌姫の子供とは思えぬ気高さと品格を備えた彼は、確かにラウヴィーヌの如き田舎貴族の婦人には、眉ひとつ動かさぬだろう。ラウヴィーヌとて、若い頃は美しかった。それこそ、引く手数多の女性であった。それを射止めたのが、タティアンの貴族。彼が没して寡婦となった後は、フィラティノア国王がその容貌に目をつけ
――わが王宮に。
血縁者であるラトウィスを通して、彼女を愛妾に求めたのである。
だが。ラウヴィーヌは愛人の立場を拒んだ。自身を正室にしろと、そうでなければこの縁はなかったことにすると応じたのだ。エリシアをこよなく寵愛していた国王は、それならばと求婚を取り下げようとしたのだが。
そこで、事件が起こった。
エリシア失脚の原因となる事件。彼女と、青年騎士の不倫である。
宮廷の貴婦人達の貞節など、実際は無きに等しいものである。夫どころか子をもつ身でありながら、しかるべき地位にある夫人どもは、あるときは吟遊詩人、あるときは旅の役者、またあるときは、夫の部下、もしくは同僚。あらゆる者達と情を交わしていたのだ。王妃の乱行、というのも過去に例が無いわけではない。けれども、エリシアの場合は、違った。エリシアは国王の側近である美貌の青年騎士と道ならぬ行為に耽り、ついには国王を殺害してエリシアを女王とする――つまり、謀反を企てたのである。エリシアと青年騎士は婚姻までし、その宴も執り行ったというのだ。
彼女が書いたという青年への情熱的な恋文も何通となく発見され、エリシアは王妃の地位を剥奪、宮廷を追放された。
「本当に、あの件は骨が折れたわ」
ラトウィスは過去を振り返り、眼を細める。ラウヴィーヌを正室とするために、彼がどれほど尽力したか。財を傾けてまで、奉仕したか。ラウヴィーヌは、改めて噛み締める必要がある。
「そう。エリシア陛下も、いい女だった」
かつて彼自身が蹂躙した若い肉体を思い出し、老子爵は密かに笑った。
(傍から見れば、完全親子よね)
そして、部外者のマリサ。北方には珍しい、自身の黒檀の髪を指先で弄び、彼女は溜息をついた。
「ルーラ。剣は絶対に手放さないで頂戴」
微かに呟いたマリサの唇の動きを読み取ってか、
「御意」
ルーラも、唇の動きだけで応える。
ラトウィスは、油断のならぬ男だ。何を考えているか、わからない。彼が今夜、どのような行動に出るのか――出たとしても、充分応戦は出来るはず。マリサは、寝台に立てかけた剣の感触を確かめ、
「消すわよ?」
灯りを消した。
瞬時に闇に覆われる寝室。聞こえるのは、三人の息遣いのみである。
(ティル)
マリサの心の声を、聞き取るものは誰もいない。けれども、彼女は信じていた。暁の瞳を持つ盗賊を。
マリサの手元にリィルが居る限り、彼は彼女を裏切ることはない。
(馬鹿ね)
自身を殺そうとした刺客を傍に侍らせている片翼を、最早笑うことは出来ない。分かたれた二つの魂は、やはり似通うものなのか。マリサは、ティルを信じていた。彼がマリサにとって、益をもたらす存在であるということを。
◆
漸く運が向いてきた。
ラトウィスが思うのも無理はない。まさか、このような辺境に、王太子妃がやってくるとは。しかも、ろくに供も連れず、ほぼ単身に近い状態で。更に都合の良いことに、彼女の来訪は非公式である。持参していた手形は、王太子の発行ではあるが、偽りの証明書であった。オリアの商人の妻とその義妹、――つまり、王族ではないことになっている。
王太子妃一行の中に、旧友の娘がいたことも、好機のひとつであった。オルウィス伯爵令嬢リオラの使命は、おそらく王太子妃暗殺。もしくは、それに類することである。だとすれば、それを命じたのは、他ならぬラウヴィーヌ。ラトウィスが骨を折って、王妃の座につけた女である。
(あの、女狐)
自身と同じく、帝国以前の血を持つ女性。かつて美しかった容色は日々衰え、現在は怪しげな錬金術師を手元において、若返りの秘薬を作らせていると聞く。そんな彼女は、生さぬ仲の息子の身体を狙っていると、そう言っていたのはオルウィスであったか。
自身を陥れ、辺境に追いやったラウヴィーヌ、けれども彼が再び宮廷に戻るためには、ラウヴィーヌの力が必要であった。
「閣下、ですが妃殿下のご実家は、神聖帝国です」
側近の一人の囁きに、ラトウィスの心は揺れた。
ここで自身の将来を考えるのであれば、王太子妃を取り込むべきか否か。現在宮廷における実権は、国王が握っている。国王には寵姫はなく、そばにあるのは、正妃であるラウヴィーヌただひとり。夫婦仲がどうなのか、それについての情報は入っては来ない。
「帝国以前の血とはいえ、ラウヴィーヌ妃のご実家は、一貴族にすぎませぬ、国力もさほどありますまい」
別の側近が、また、したり顔で進言する。ラトウィスの現在の取り巻きは、王太子妃の背後にある、神聖帝国、ひいては古王国ミアルシァの存在を思っているのだ。ラウヴィーヌは所詮一貴族の血縁、国王存命の今だからこそ権力を持ってはいるが、王太子が即位した暁には失脚するであろう。それが、彼らの見解である。
「王太子殿下は、ラウヴィーヌ陛下を良く思われてはおりませぬ」
「御生母様を追放した憎き女、そう思われている節があります」
側近の言葉に、ラトウィスは苦笑を浮かべる。
「あの、感情など生母の腹の中に忘れてきたような男がな」
オリアに居た折に、幾度か対面したことがある。前妃エリシアに生き写しの美貌、男とわかっていてもふるいつきたくなるほど鮮烈な印象を与える、王太子。卑しい歌姫の子供とは思えぬ気高さと品格を備えた彼は、確かにラウヴィーヌの如き田舎貴族の婦人には、眉ひとつ動かさぬだろう。ラウヴィーヌとて、若い頃は美しかった。それこそ、引く手数多の女性であった。それを射止めたのが、タティアンの貴族。彼が没して寡婦となった後は、フィラティノア国王がその容貌に目をつけ
――わが王宮に。
血縁者であるラトウィスを通して、彼女を愛妾に求めたのである。
だが。ラウヴィーヌは愛人の立場を拒んだ。自身を正室にしろと、そうでなければこの縁はなかったことにすると応じたのだ。エリシアをこよなく寵愛していた国王は、それならばと求婚を取り下げようとしたのだが。
そこで、事件が起こった。
エリシア失脚の原因となる事件。彼女と、青年騎士の不倫である。
宮廷の貴婦人達の貞節など、実際は無きに等しいものである。夫どころか子をもつ身でありながら、しかるべき地位にある夫人どもは、あるときは吟遊詩人、あるときは旅の役者、またあるときは、夫の部下、もしくは同僚。あらゆる者達と情を交わしていたのだ。王妃の乱行、というのも過去に例が無いわけではない。けれども、エリシアの場合は、違った。エリシアは国王の側近である美貌の青年騎士と道ならぬ行為に耽り、ついには国王を殺害してエリシアを女王とする――つまり、謀反を企てたのである。エリシアと青年騎士は婚姻までし、その宴も執り行ったというのだ。
彼女が書いたという青年への情熱的な恋文も何通となく発見され、エリシアは王妃の地位を剥奪、宮廷を追放された。
「本当に、あの件は骨が折れたわ」
ラトウィスは過去を振り返り、眼を細める。ラウヴィーヌを正室とするために、彼がどれほど尽力したか。財を傾けてまで、奉仕したか。ラウヴィーヌは、改めて噛み締める必要がある。
「そう。エリシア陛下も、いい女だった」
かつて彼自身が蹂躙した若い肉体を思い出し、老子爵は密かに笑った。
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