アグネイヤIV世

東沢さゆる

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第二章 輝ける乙女

暗殺4

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「陛下」
 眼を潤ませるフィアに、サリカは小さくかぶりを振った。
「手を、出すな」
 皇帝の命令に、衛兵も槍を納める。それを確認すると同時に、ジェリオは皇帝を抱えて、部屋を出た。廊下には、誰もいない。人の気配は、まるでない。この離宮内の衛兵は、いま、彼女の居室に集まっている者たちしかいないのだ。それを思うと、サリカは哄笑をあげたくなった。
 皆、実はこのときを待っていたのではないか。
 名ばかりの皇帝が、何者かに始末されるときを、心待ちにしていたのではないか。
 フィア以外の者達――衛兵は、侵入者が現れてくれて内心喜んでいるかもしれない。
 漸く、離宮勤めを終えられる、と。
「表に、馬がいる」
 ジェリオが耳元で囁いた。サリカは、軽く眼を見開く。
「行けるところまで」
 行くぞ、と。彼は言う。
 ジェリオはサリカを連れて、逃げるつもりなのだ。人質という形で彼女を連れ出し、そのままこの国を出る。衝動的にそう考えたのか、それとも、なにか思惑があってのことなのだろうか。
「無理だ」
 逃げたとしても、追っ手がかかる。追っ手に捕らえられれば、ジェリオは拷問の末に処刑されるだろう。
「無理じゃない」
 言い切るジェリオは、どこか、以前の彼とは違っていた。あの、軽いだけの男ではない。どこかしっかりと芯の通った大人の男であり。その毅然とした態度が、サリカの心を強く揺さぶった。
「早く、僕を殺せ」
 連れて歩けば、足手まといになることは目に見えている。ひとりなら、彼も闇に紛れて逃亡するのは楽なはず。サリカは、悲痛な声で幾度も訴えた。早く、約束を果たすように、と。だが、ジェリオはまるで耳を貸さなかった。背後から誰も追ってこないことを確認すると、サリカを横抱きにして、一気に廊下を走りぬける。そのまま裏手の階段を駆け下りると、彼は脇目も振らず森へと向かった。そこに、馬を隠しているという。果たして、朝もやの中に、一頭の馬がのんびり草を食んでいる姿が浮かび上がった。馬は主人の足音を聞きつけたのか、ピクリと耳を動かし頭を上げる。
「よし」
 ジェリオは馬の首筋を叩き、サリカを地面に下ろす。それから徐に自身の服を脱ぎ始め――
「……?」
 びくりと身を固くするサリカの前に、それを投げて寄越した。
「着ろよ」
 言われて改めて、自分があられもない姿を晒していたことを思い出し、サリカは赤面する。フィアや衛兵達にも、この姿は見られたのだ。肌蹴られた胸、そこに散る痣――皇帝の身に何が起こったか、彼女らは容易に想像できるだろう。
 ジェリオの服を纏いながら、サリカは唇を噛み締める。
 フィアたちは、サリカがジェリオに汚されたと思っているかもしれない――己の両肩を抱き、かすかに震えるサリカを、ジェリオが後ろから抱きしめた。
「あ……」
 首筋にかかる息が、熱い。彼の昂りは、まだ、おさまっていないのだ。
「俺が、嫌いか?」
 率直過ぎる問いに、サリカは思わず
「そうじゃない」
 否定してしまう。言ってしまってから、後悔しても、もう遅かった。サリカの返答を『諾』と取った彼は、彼女の首筋に強く口付け、その身体を再び軽々と抱き上げる。驚くサリカを馬上に乗せ、ジェリオは自身も馬に跨った。
「どこに、行くつもりだ?」
 観念し、彼の胸に背を預けたサリカは、うわ言のように尋ねる。ジェリオは「さあな」とだけ答え、軽く馬の腹に踵を押し付けた。ともかく、遠くへ。追っ手を振り切れるくらい遠くへ。彼の想いのままに馬が一歩を踏み出した、その足元に。
「……っ!」
 立て続けに三本、矢が突き刺さる。恐慌状態に陥った馬が棹立ちになり、ジェリオはサリカを庇って強く手綱を引いたのだが――。

「陛下を、解放しろ」

 さもなくば、次は頭を狙う。
 低い声が、前方より聞こえた。声の主――矢を放った人物に眼を向けたサリカは、小さく悲鳴を上げる。二人の視線の先、静かなる怒りを湛えてこちらに矢を向けているのは、他でもない。
 リナレス、その人であった。
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