【完結】銀月揺れる、箱庭

東沢さゆる

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08.見えてしまう将来

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 レーネが籠の中の獣だとしたら、自分はその飼育係なのだろうか。
 レーネが外に出られない限り、自分も同じくここに捕らわれたままなのかもしれない。

 日々過ごしていくうち、アデルはそんなことを考えるようになってきた。殺されなかっただけ、穢されなかっただけ、ましなのかもしれない。だが、アデルもレーネ同様、ここから出られない。レーネが幽閉されているこの塔、ここから一歩も外に出ることを許されてはいないのだ。

「ごめんなさいね」

 これも、アデルを守るためだとツィスカは言う。
 表に出れば、ツィスカは王妃の息のかかった者に殺される、と。そうなのだ、あの日、宴の席で王太子夫妻に毒杯を運ばせたのは、王妃の配下だったのだ。そのことがツィスカの口から語られたとき、アデルは真っ青になった。まさに血の気が引くとはこのことだ、と他人事のように考えるもう一人の自分も存在してはいたが。
 一歩間違えれば、王太子夫妻を暗殺していたのだ、この自分が。
「恐ろしい……」
 話を聞かされて暫く、震えが止まらなかった。
 そんなこともあったせいで、アデルもツィスカに従い、塔に籠ることになったのである。レーネの存在を知るのは、ツィスカとアデル、それに二人の看守だけだった。看守は交替で勤務に就き、それぞれにレーネと情を交わしている模様である。実年齢よりも更に幼く見えるアデルを、何も知らないねんねと思っているのだろうか。ひとりはどうせ解らぬだろうと高をくくっているらしく、割とあけすけにレーネと戯れ、今一人は逆に隠し通そうとする。
 男女の営みのなんたるかを知らぬアデルにとって、ここにいることは苦痛でしかなかった。
 看守にとっては、レーネとの交歓も報酬のうちに入っているのだろう。幸いなことに、看守がアデルに興味を示すことはなかった。もしも看守に妙なことをされそうになったら、すぐに逃げろとツィスカは言っていたが、
「どうやって逃げるの?」
 窓から外を眺め、アデルは嘆息する。塔の出入口は、一階にはない。地下にあるのだ。その地下に通じる扉を開ける鍵は、ツィスカと看守しか持ってはいない。アデルは、逃げ場すら与えられていないのだ。
「……」
 四角く切り取られた窓、そこから望む王宮。壮麗なその場所の裏側を見たような気がして、アデルは唇を噛む。以前の彼女であれば、あの場所に憧れただろう。けれども、今は。
 あの場所がどのようなところか、知ってしまった。王宮は、”恐ろしいところ”なのだということを。
 得体の知れぬ陰謀が渦巻き、影なき暗殺者が徘徊している。その闇の手に絡め取られてしまうところだったのだ。そう、エルナが助けてくれなければ。
(エリィ様)
 彼女はどうしているだろう。自分を探してくれているだろうか。それとも、一庶民に過ぎぬアデルのことなど、忘れ去ってしまっているか。忘れ去られている、その可能性の方が高い気がする。所詮、貴族と平民は違うのだ。とは思ってみるものの。
 ちくりと心が痛んだ。
 エルナに限って、そのようなことはない――不思議と、そう思いたい、勝手な想像ではあるが、エルナは普通の貴族の夫人とは違う。そんな気がしたのだ。



 檻の中の獣と、看守の営みは、時々行われていた。アデルはその行為からも現実からも目を背けるように、そういった気配を察するとすぐに、牢のある部屋を出て自身の部屋へと戻る。もともと、自分は見張りなのだ。見張りの一人。そして、塔の外からツィスカが持ち込んだ食料をレーネに与えるだけが仕事である。
 月に一度、レーネが湯を使うときは

 ――俺がやろう。

 アデルの力では無理だと言って、男性である看守が介助をしていた。そこで何が行われているかは、また、推して知るべしである。
 今日もまた、看守はアデルに
「少し、休みなさい」
 そう声をかけて来た。アデルは逆らわず、レーネの”部屋”を出る。ぱたりと閉じた扉の向こう、鮮明に想像することはできないが――なんとなく、レーネが哀れな気がした。
「あら?」
 休憩かしら、声をかけられ、アデルは顔を上げた。目の前にツィスカが佇んでいる。抱えた籠からは、葡萄酒と麺麭、それから干し肉が顔を覗かせていた。
「あのっ」
 言い淀むアデルに、ツィスカは察したのだろう。ふぅ、と軽く息をつき、籠を卓上に置いた。取り出した葡萄酒を入れた瓶を小さく振り、
「呑みましょうか?」
 微かに笑う。アデルは頷いた。
 ツィスカは手ずから酒を注ぎ、ちら、と扉に目を向ける。仕方がないわね――形の好い唇が、そう動くのが見えた。
「レーネを、城の地下に移そうと思うの」
 言われて、アデルは息を止めた。白亜宮の地下。ということは、この塔から出るということか。
「夜な夜な、塔から怪しい声が聞こえる、とね。小間使いの間で話題になりそうなの」
 場所は小まめに変えた方がいい、とツィスカは言う。
 もともと、レーネは存在してはいけない人物なのだそうだ。居てもいないものとして扱う。そんな約束がされていた。今度は地下か。まだ、塔の最上階の方が良かった、と思うアデルの心を読んだか、ツィスカが苦笑した。
「ごめんなさいね」
 ツィスカは詫びる。心が籠っているのかいないのか、まるで判らぬ淡々とした詫びだった。だが、高貴なる令嬢が下々に頭を下げることなどないこの時代、口だけでも謝罪をするツィスカは、稀有な存在なのだ。そのことを、アデルも痛感している。
(感謝、しております)
 心の中で、ツィスカに頭を下げる。
 ツィスカがアデルに与えた報酬は、それこそ目が飛び出るくらいの大金であった。アデルの家族がゆうに暮らしていけるほどの金額を、彼女は惜しげもなく提示したのだ。そうして、すぐに使いの者をエーファに向かわせ、件の金子を報酬として若者を雇い、兄に医師を付けてくれた。香草園も両親だけではなく、新たに雇った若者とヘルガも働いているという。ヘルガは幼子を見てくれる乳母のような人物を雇ってもらったと、手紙に書いて来た。相変わらず要領の得ない手紙ではあったが、義姉が言わんとしていることは判った。
 本当に、有り難いことだと思う。ツィスカには、どれだけ頭を下げても、下げ過ぎるということはない。
 だから、どれほど理不尽なことを命じられても、頷くほかはないのだ。

 そう。
 たとえ、レーネを”始末”するように言われたとしても。
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