最後に幸せだったと言えるように

もりもり

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少年と出会い少女の人生は動きだす

小林 春香は少しずつ前に進む

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「あれ……私……」

 正午を過ぎて昼食が恋しくなってきた頃、様子を伺っていた照の前で、冬美は目を覚ました。

「あ、目が覚めましたか。良かった」
「照君……どうして」

 今日は確か平日。彼はこの時間学校にいるはずだ。なのに何故こんな所にいるのだろう。

「ハルが俺に連絡してくれたんです。びっくりしましたよ、冬美さんが倒れたって言うんですもん。学校なんて早退してきちゃいました」
「そんな、駄目よ照君。私はもう大丈夫だから、今からでも学校に戻って……」

 冬美がベッドから起きて、言い終わる前にフラッと視界が眩む。

「っと。あんまり無理しないでください。お医者さんの話だと過労だそうです。大丈夫ですよ1日ぐらい。俺頭良い方ですし、家事とかも代わりにしておきますから、冬美さんはゆっくり休んでください」

 フラついた冬美を照が支え、ゆっくりと再びベッドに寝かせる。
 うぅ……年下の学生に気を使われるとは……情け無い。
 そう感じながら冬美はふと、先ほどから気になっている事を照に尋ねた。

「照君。春香はどうしたの?」

 大切な娘にも心配させてしまった。救急車を呼ばなくてもいいと言ったのは、単に不安にさせないようにと思っての事だったが、照にこうも頼りっぱなしではまるで説得力が無い。

「ああ、ハルなら実は「先輩!」」

 照が答えようとした所に、リビングの方から春香の声が聞こえてきた。

「あ、出来たみたいですね。冬美さん、ちょっと待っててください」
「え? あ、ちょ、照君!?」

 春香に呼ばれた照が、そそくさと出て行って、冬美は一瞬1人となったが、すぐに開いた扉から春香がちょこんと顔を覗かせた。

「お母さん。大丈夫?」

 照がいるからか、自分が思っていたよりも春香がしっかりとした表情をしていて、冬美は少し複雑な気分である。

「春香。心配させてごめんなさい。少し熱があるだけだから大丈夫よ」

 自分の言葉に、顔だけ覗かせた春香は良かったと安堵の息を吐く。

「そ、それじゃあお母さん。お粥……作ってみたんだけど、良かったら食べて」
「え?」

 そう言って、照に車椅子を押されて入ってきた春香の手には、美味しそうな香りを漂わせた、たまご粥があった。
 ベッドの横にある小さなテーブルに置かれたお粥は、少し焦げが見えるものの、香ばしい香りを放っていた。

「え? 何、春香が? これを?」

 冬美は信じられない物を見たように目を見開いて、春香とお粥を交互に見ていた。

「家事を覚えたいんですって。朝から頑張って作ってました。あ、味は俺が確認したんで保証しますよ」

 照の言葉の後、春香は少し照れ臭そうに言った。

「す、少し焦げちゃったけど……」

 冬美は驚いていた。
 たまご粥自体は作りも単純で、それ程難しい訳ではない。しかし、春香が作るとなると別だ。
 ただでさえ車椅子に座らなければ移動出来ない春香には、簡単な物であってもその難しさは跳ね上がる。
 そして何より驚いたのは、春香が自分から家事を覚えたいと言った事である。

 チラッと照を見る。彼が春香にそうするように言ったのではないかと思ったからだ。
 しかし、目のあった照は小さく首を横に振る。つまり春香が自らの意思で言ったということだ。

「お母さんあのね……」

 春香は少し気恥ずかしそうに。そして強い意志を持った目をして冬美を見つめる。

「私、頑張るから。今更かもしれないけど。少しずつだけど。ちゃんとできるようになるから」

 そう言って春香は冬美の手を握る。

「だから……もう私のために無理しないで」


 今まで、春香が事故に会ってから冬美は春香に何かを強いる事は無かった。
 朝に弱くてなかなか起きられない事も、学校に行かなくなった事も、冬美は決して春香を責めなかった。このままではいけないと思いつつも、頑張れなんて言わなかった。

 頑張るという事は苦しむという事だ。だから、もう春香は頑張らなくていいと思った。
 娘はもう……十分苦しんで来たのだから。

 それでも、今のままではいたくないのだと、春香は進む事を選んだ。
 春香が変わるきっかけには、やはり彼の存在が大きいのかもしれない。
 照が来てから、ふさぎこんでいた春香は少しずつ明るくなり、自分の意思を表に出す様になった。
 彼には感謝しても仕切れない。
 そして、自分の事を気遣って、変わろうとしてくれた春香には謝るよりも、この言葉を言うべきだと思った。

「ありがとう春香」


「えっと……それでどうしたの? 春香」

 お粥を持って来てくれて、変わると宣言してから、すぐに春香は2人で話をしたいと、照を部屋から追い出したのだ。

「あのね、先輩……学校もバイトも休んだから、今日はずっといてくれるんだって」
「そう。なら私も安心して休めるわね」
「うん。でも……その……トイレだけでもすませておきたくて。あと、髪とか上手く結えなくて、服もパジャマのままだし……ごめんなさい」

 顔を赤く染めて、春香は片手で寝起きのボサボサな髪をなんとか戻そうとしていた。
 あぁなるほど。確かにトイレは勿論、着替えなどで照の手を借りるには、年頃の娘には恥ずかしいのか。
 それにしてもあの春香が髪にまで気を使うとは。

「ふふ。分かったわ。それだけは今の内に済ませちゃいましょうか」

 冬美は重い身体に鞭を打って立ち上がる。
 なんだ。しっかりと乙女しているじゃない。
 

 照にリビングで待ってもらっている間に、トイレや着替えを済ませた春香はベッドの上に座る冬美に髪をとかしてもらっていた。

「ねぇ春香」

 いつもと逆の場所で髪をとく冬美は、少しばかりの新鮮さを感じながら春香に問いかける。
 なんだかちょっと意地悪をしたくなったのだ。

「トイレとか着替えはともかく、髪は照君に結ってもらったらよかったんじゃない?」
「ふぇ!」

 カァァと途端に耳まで赤くなる春香はなんとも可愛らしく、初々しかった。

「えっと……ほら、先輩も髪を結った事なんてないと思って……」

 春香の声が段々小さくなっていく。

「そうかしら。照君ならできそうな気がするけど」

 本当に、なんだかんだ彼なら出来そうだ。学校に行かなくなってから、また少しずつ長くなりだした春香の髪を凄く凝った髪型に結いそうである。
 それは春香もなんとなく思っていたのか、う~と唸る。
 その姿を可愛いな~と髪をときながら冬美は思う。

 春香が歩けなくなってから、こんなことを思ったりするのは初めてかもしれない。
 余裕が無かったのだ……自分も、春香も。

 今まで娘の世話をする事に、苦を感じた事はないけれど。
 心配をかけて、本来なら他人の筈の照にまで迷惑をかけてしまったけれど。
 今だけは、倒れて良かったと思えた。
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