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序章: なぜあの時、言わなかったのか
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しおりを挟む沈黙の中、村山しおりは地面に座り込んだまま、震えていた。
数分後——彼女は突然、立ち上がった。
「……あかね、ここから離れよう」
高瀬あかねは、みのりの顔を覗き込んでいた手を止める。
「は? 何言ってるの……今すぐ警察に——」
「ダメ。絶対ダメ」
しおりの声は、震えながらも鋭かった。
「私のパパ、文部科学省にいる。娘が事故で人を死なせたなんて、絶対に許されない。私だけじゃない……あかね、あなたも巻き込まれる」
「……は?」
「アンタは自転車を。私は、気絶してるこの馬鹿を運ぶから」
あかねは立ち上がり、しおりの肩を掴んだ。
「それでも、逃げるなんて……人が死んでるんだよ! それを隠すなんて……」
しおりは目を逸らさずに言った。
「あなた、医学部目指してるでしょ。推薦枠、もうすぐ決まる。事故の関係者になったら、全部消えるよ」
あかねの手が震えた。
「……それって、脅し?」
「違う。現実」
しおりの声は冷たく、そして悲しげだった。
「私たちがここで正義を貫いても、誰も守ってくれない。父は私を切る。あなたの将来も潰れる。みのりは……何も覚えてない。今なら、まだ間に合う」
あかねは、目を閉じた。
風が、頬を撫でる。
「……最低だよ、私たち」
「仕方ないでしょ! こうするしか! この子は、可愛そうかもしれないけど」
あかねは、気絶したみのりの身体をそっと抱き起こした。
「……ごめん、みのり」
しおりは、みのりの自転車を起こした。
二人は、夕陽に染まる坂道を後にした。
風は、何も語らず、ただ静かに三人の背中を押していた。
その場には、少女の小さな身体だけが、取り残されていた。
夕陽が、坂道を赤く染めていた。
事故から十分が過ぎ、風は再び静かに吹いていた。
その坂道を、ひとりの男が歩いていた。
陽菜の父、健一。
仕事帰りに遠回りして、娘の通学路を歩いていた。理由はなかった。ただ、なんとなく、今日は娘とすれ違える気がした。
「陽菜、今日はランドセル重かったって言ってたな……」
そんなことを思いながら、坂の曲がり角を曲がった瞬間——
彼の足が止まった。
「……え?」
視界の先に、見慣れたランドセル。
そして——
地面に横たわる、小さな身体。
「……陽菜……?」
声が震える。
健一は駆け寄った。
「陽菜! おい、陽菜!」
娘の顔は、夕陽に照らされていた。
その瞳は、もう何も映していなかった。
「……陽菜……陽菜ぁぁぁぁぁぁっ!!!」
健一の叫びが、坂道に響き渡った。
彼は娘の身体を抱き上げようとするが、力が入らない。膝が崩れ、地面に倒れ込む。
「誰だ……誰が……!」
周囲には誰もいない。
風だけが、静かに吹いていた。
健一は、娘の頬に手を添えながら、嗚咽を漏らした。
「……なんで……なんでこんなことに……」
その叫びは、誰にも届かない。
今朝はあんなに笑顔だった娘が、今は人形のように無表情だ。
ふざけて胸に飛び込んできた身体は冷たく、パンチラを恥ずかしがっていた乙女の秘所は風を受けて無様に露わになる。
途端に込み上げる衝動。
「い、今なら。いや、今しか・・・・・・」
願わくば十年、いや二十年後、望んでいた。
もし陽菜に良縁がなければ、健一と肉体の交わりを得る許しを。
自分と、自分が愛した妻の血を受け継ぐ、父親にとって最も肉欲をそそる娘の身体。
だが今となっては、娘の成長はもうあり得ない。
収穫の時は、もはやこの瞬間しかなかった。
坂道の夕陽は、ただ赤く、静かに沈んでいった。
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