傲慢な伯爵は追い出した妻に愛を乞う

ノルジャン

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「ランドルフ、起きて。ここは戦場ではないわ。あなたは家に帰ってきたのよ」

「アガトン……やめろ、やめてくれっ……。俺が、俺のせいだ、……俺が全て悪かったから」

「アガトンはもういないわ、目を覚まして」

 弟のアガトンは、修道院に入って少しした後に亡くなっている。自殺してしまったのは、アガトンには厳しすぎる環境に馴染むことができなかったせいだと思う。

 朝方までずっとうめき、謝り続ける彼の姿を見て、ほんの一晩ですっかり心がまいってしまいそうだった。手を握って、固く強張った体に触れたが、少しも緊張がほぐれる様子もない。汗ばんだ額にタオルを押し付けたが、また汗が噴き出てきている。

 ──こんなに何もできないなんて。

 ランドルフの苦しみを取り除いてもあげられない、彼の痛みを完全に理解することもできない。自分はなんて無力なんだと思った。彼を支えてやらなければ、と思いクリスティーナの望むままに屋敷へと舞い戻ってきたのに、役立たずにも程がある。
 そしてクリスティーナがずっと1人で彼を支えてきたのだと思うと辛くなった。

 涙なんて私には流す資格なんてない。きゅうっと固く口を結んで押し込んだ。

 しばらくうめいた後、やっと目を開いて起きたランドルフはさらに私の胸を抉った。
 
「君たちを守るために戦ったのに、最後は仲間に庇われて仲間は死に、俺は助かってしまった。今、死にきれなくて情けない姿を晒してしまっている自分が恥ずかしい」

「そんなことない。あなたは充分に立派だわ。生きて帰ってきてくれただけで私は嬉しいの」

「アガトンが責めるんだ。俺のせいだと。全ては俺のせいだと」

 自らを隠すように頭を両手で抱えた。

「違うわ。あなたのせいじゃない。大丈夫よランドルフ。大丈夫」

 そう言い聞かせて弱々しく震える体を抱きしめた。体の芯まで冷え込んで、鍛え抜かれていた体は嘘のように脆くなってしまったのがわかった。

 ランドルフがようやくまた眠りにつき、私は起こさないようにそっとベッドサイドから立ち上がった。
 眩しい朝日がカーテンの隙間から漏れてランドルフの顔を照らそうとしていたことに気づき、私はカーテンの隙間を閉めようとした。

 その時にキャビネの上の花瓶の花に、袖がふれてしまった。

 花瓶が落ちる!

 私は手を思い切り伸ばした。寸前のところで私は反射的に花瓶を手でキャッチできた。

 ──よかった……。

「うぅ……っ」

 ランドルフは寝返りをうっただけで、起きなかった。

 ドクドクと私の心臓の音がうるさかったが、ランドルフは起きていないことにホッと息をして、花瓶を元に戻す。

 だが傾いた際にキャビネに花瓶の中の水が漏れて濡れてしまった。まずい。引き出しの中まで水が入ってしまったかもしれない。

 私は引き出しを音を立てないように開けて、濡れてしまった部分を拭き取ろうとした。

 中に入っていた手紙や書類が少し濡れているくらいだったが、1番下に押し込んである手紙を確認すると、外側がべっちゃりと濡れていた。


 どうしよう、このままじゃ中の手紙が滲んでダメになってしまうかも。でも、中を取り出したら手紙の内容を勝手に見てしまうことになる。

 私は迷ったが、中の手紙を破かないように慎重に取り出した。

 内容を見ないようにして、手紙がダメになってしまう前に、すぐに水を拭き取って乾かそう。

 私は手紙を開いた。

『兄さんへ』

 その文字を見た時、この手紙は最後にアガトンがランドルフにあてたあの時の手紙だとわかった。

 見てはいけないとわかっているのに、目が自然と次の文字を追いかけてしまった。


『兄さんへ

兄さんのせいにしてごめんなさい。

全部、僕が弱い人間だったせいだ。

僕が悪かった。


兄さん、ごめんなさい。さようなら。


アガトン』


 ランドルフはこの手紙を読んだのだろうか。
 読んでいたとしたら、悪夢にうなされることもなかったのか。いや、読んでしまったからこそ、アガトンの死は自分のせいだと自分で自分を追い込んでしまっているのかもしれない。

 キャビネの上にそっと手紙を置いた。

 私はランドルフのそばに近寄って、汗の滲む額を撫でた。
 少しだけ、苦しそうな表情が和らいだ気がした。




 私が屋敷に戻って1週間が経った。いまだ精神的に安定していないランドルフに、セーラを会わせても大丈夫かと迷ったが、会わせることにした。

 すると、その日からぱったりと悪夢を見てうなされることがなくなった。
 日中、セーラと触れ合う時間が増えていくたびに、ランドルフには正気が戻ってきた。
 積極的に部屋の外に出て、よちよち歩きのセーラと共に庭に散歩に出る。歩き始めのセーラの歩幅と、ランドルフの歩幅は同じくらいでちょうどよかった。

「セーラ、どこにいる?」

「あーぅー!」

 手探りで声だけを頼りにランドルフがセーラのいる場所を探した。

 セーラの手をランドルフが見つけ、ペタペタと体中を触って確かめる。

「ここにいたのか。見つけたぞ」

 ランドルフが座ったままセーラを高く抱き抱える。きゃっきゃと楽しそうに笑うセーラ。太陽のきらきらとした光が眩しく輝いて見えた。

 私は、彼に真実を伝えるべきなのだろうか。セーラが私たちの子供だということを。

 ランドルフがセーラを抱いて手を合わせて遊んでいた時に、ランドルフが突然、私に言った。

「私たちの子どもが産まれていたら、と思わずにはいられない。君には本当に酷いことを言った。堕ろせなどと、もう一度作ればいいなどと。どうしてあんなことが言えたのか……」

「もういいのよランドルフ」

「いや、よくないよ。許されないことを君と俺たちの子にしでかしたんだ」

「これ以上自分を責めないで」

「だから、……代わりというわけではないんだ。だけど、セーラの洗礼式が済んでいなければこの子の名付け親になりたい。後継人として、この子の援助をしたい。頼む。この子が困った時には助けになりたい。君たちのために何かしたいんだ。俺の子どもではないが、君と君の愛した人の子どもなんだろう。俺も君の愛する子を大切にしたい。親である君を尊重したい」

 ずっと言って欲しかった言葉だった。ランドルフからずっと聞きたかった言葉。

 妻としてだけでなく、母親として認められたかった。私の全て受け入れて欲しかったと、この時初めて気づいた。
 
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