『不思議さんと僕』

水由岐水礼

文字の大きさ
3 / 9
『雨の日、明日を探す少女 ~不思議さんと僕~』

03

しおりを挟む

    3

 ずっと欲しかった玩具を買ってもらった子供の笑顔でも、いま僕の目の前にある笑顔には敵わないだろう。
 自分の姿が見える人間に出会えたのが、そんなに嬉しかったんだろうか。女の子は、満面の笑みで僕を見上げていた。
 こちらまでどこか嬉しくなってきて、頬が弛んでしまいそうな。それは何の混じりっ気もない、ただ純粋な感情だけを伝えてくる笑顔だった。
 けれど、それは逆を返せば……。
 僕と目が合うまで、彼女はそれだけ寂しい思いを味わっていた、ということなのかもしれない。
 ずっと独りぼっちで、不安な気持ちを抱えて……。
「こんにちは、お嬢さん」
 僕はもう一度、女の子に声を掛けてみた。
「違うよ、お嬢さんじゃないよ」
 一度目の挨拶には返事がなかったけれど、今度はちゃんと言葉が返ってきた。
「葵、わたしは葵なんだから。真咲葵。ちゃんと葵って呼んで」
 この不思議さんには、なにやら名前に拘りがあるらしい。
 その顔から笑顔を消し、女の子は少し怒ったようにそう言った。
 お嬢さん……はダメだったようだ。僕は、彼女のご機嫌を損ねてしまったらしい。
 だけど、それよりも……。
 ふざけてるのかな、この子?
 彼女が名乗った名前の音は、僕の名前を洋風に言った時のものだった。
 つまり、僕の名前の姓と名をひっくり返した響き。それと同じ響きを、彼女の名前は持っていた。
 けれど。相手は、初対面の不思議さんなわけだし……そんなことはないか。
 余計な推測を頭から追い出し、僕は言い直す。改めて、女の子に挨拶した。
「こんにちは、葵ちゃん」
 なのに……またダメ出しをされてしまう。
「違う。どうして『ちゃん』なの? さっきはちゃんと、『さん』だったのに……」
 今度は、名前の後の「ちゃん」付けが、お気に召さなかったようだ。
 女の子は、ぷうっと頬を膨らませた。
 ……子供扱いはダメ、ってことなのかな。
 小さくても、心は立派にお年頃……たぶん、そういうことなんだろう。
 我ながら、なんとも気の利かないことで。
 確かに、レディーに対して「ちゃん」は失礼だよな。
「えーっと……葵さん? これでいいのかな?」
「うん!」
 女の子の顔に笑顔が戻る。蛇の目の下で、葵さんは大きく頷いた。
 ようやく貰えた合格に、思わず、ほっとため息が零れた。
 じゃあ、僕の方も自己紹介をするかな。
「よし。それじゃあ、次は僕の番だね。僕は蒼井……」
「正樹! 正樹お兄ちゃん!」
 葵さんが大きな声で言った。
「えっ……」
 僕の名乗りを遮る形で彼女が口にした名前は、確かに僕の名前だった。
 どうして、知っているんだ……?
 少なからず驚いている僕を前に、葵さんはニコニコしている。
 ……僕と彼女の名前。
 それは、ただの言葉遊びみたいだけれど……。
 あおい・まさき。
 まさき・あおい。
 と、二つの名前は、姓名が逆になっているだけで、その響きは同じだし。
 この子と僕の間には、何かしらの繋がりがあったりするのかもしれない。
 僕はそんなことを思った。
 だからといって、それがいったい何なのか、僕には何の考えもないけれど。
 推測の一つもなく、まったくの真っ白け。何の見当もつかない。さっぱりだ。
 でも、相手は不思議さんなんだし。それは当り前のことだった。
 いつものことといえば、いつものことだ。
 とどのつまり、考えるだけ無駄、ということだ。
 僕は気分を切り替えて、葵さんに訊ねた。
「ねえ、葵さん。君はどうして、僕の名前を知ってるの?」
 けれど……また失敗してしまったらしい。
 ご機嫌を損ねてしまったようで、葵さんの頬が少し膨らむ。
 その頬っぺたが膨らんだ顔は、実はとっても可愛らしくもあったりするんだけれど。いくら可愛らしくても、それは不機嫌さを表わしているわけで……。
〝君はどうして、僕の名前を知ってるの?〟
 それの、何がいけなかったのか。
 僕からすれば、当然の疑問だったんだけど。
 葵さんにとっては、僕がそれを彼女に訊いたことは、不愉快なことだったらしい。
 まあ、葵さんが僕にしか見えないことに比べれば、それは小さな不思議だし……。
 もちろん、とても気にはなるんだけれど、とりあえず今は訊くのを止めておこうか。
 何事もなかったかのように、僕は葵さんに別の質問をした。
「ねえ、葵さん。君はこんなところで、何をしているの?」

「それはね……」

「──明日(あした)を探しているんだよ」
 大きな蛇の目傘を差した少女は、僕の目をしっかりと見つめ、そう答えた。

〝明日を探しているんだよ〟
 また一つ、不思議というか……謎が増えたな。
 心の中でこっそり、僕はこの不思議さん、葵さんを「明日を探す少女」と名づけた。

 それにしても……。
 明日を探している、か……。
 これは……そう簡単には済みそうにないな。
 ……遅刻は訂正かな。
 高校に入学してから、まだ二週間にもならないんだけどな。早くも一回目のサボりか……。
「明日か。よし、僕も一緒に探してあげるよ」
 遅刻じゃなく欠席、休み。
 高校に入学して、初めての雨の日。どうやら、今日は自主休校ということになりそうだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

月弥総合病院

僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。

雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。 その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。 *相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。

幼馴染の許嫁

山見月 あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...