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5章 焔哭山と火の贖罪
第40話 緑陰街道、影写しの追鍵を削る
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草波を渡って半刻、石が縫い上がる小丘が見えた。
風下に浅い窪み、足を休めるには丁度いい。俺たちは“石小丘”の陰へ回り込み、荷の体裁を整えた。
「まず視覚偽装」
セリューナが封球の上に鈴幕(薄)をふわりとかけ、縁を帯の内で固定する。
「次に聴覚偽装」
ロゥナが偽車輪を担ぎ枠の両側に結わえ、半回転だけ回して拍を置いた。鈴は鳴らないが、耳に気持ちよい輪転が走る。
《視覚偽装:荷=旅商の道具》
《聴覚偽装:車輪拍=付与/鈴網誤読率=上昇》
《二核:外拍=安定/火紋残滓=微》
「手は?」
「叩かないで来れてる。撫でで十分だ」
小箍の撫調を一度だけ通して、俺たちは小丘を回り、書庫外縁帯の南端へ向かった。
◇
外縁帯は、鈴杭が疎に、旗と板が密に。
風は乾き、塔の影が遠くへ続く。ここは“読む”より“見て数える”ための網――記録の入口を選別する縁(へり)だ。
「ここから“巡回商”の歩幅」
セリューナが帯を低く撫で、俺は道鈴Aを衣の内で撫でる。鳴らさない。ただ拍を整える。
ロゥナは半歩先で石筋を読み、偽車輪の輪転を刻む。
《鈴遮蔽:巡回商(低~中)》
《網反応:視覚優位/聴覚は車輪拍を採用》
旗の影が三つ目を過ぎた時、草の端がざらりと逆立った。
風ではない。地面の上に薄い墨影――俺たちの影がもう一組、遅れてついてくる。
影は肩の荷の膨らみまで真似ている。負荷の推定を掛けて、追い鍵を合わせるつもりだ。
「半月の“影写し”。鏡じゃない、演算で作る影」
セリューナが低く言う。「鈴を鳴らさず、見た情報だけで“鍵”を復元する手」
「前に“捨て歩幅”を撒いておいて正解ね」
ロゥナが小声で応じ、地面の角度をわずかに整える。「ここでノイズを足す」
俺は偽車輪を半回転ズラし、歩幅の三拍目だけ半足遅らせた。
セリューナが帯へ風返しの綾を一撫でし、視覚の“確かさ”を滲ませる。
影は追う。だが、三歩目の膨らみが影だけ過剰に出た。――演算の仮定が狂い始める。
《撹乱:影写し—確率分布の偏り発生》
《追い鍵:信頼度 82%→67%》
次の影が、旗の陰から貼り付くように伸びてきた。今度は足首へ黒い輪線が走る。
鈴はない。紙もない。地面そのものに“鍵穴”を描く、書の投影だ。
「輪線は切らない。外す」
俺は刃の背で足元の影だけを軽く弾く。輪は影の位相を基準に締まるから、影が滑れば噛み損ねる。
同時に、ロゥナが路肩の石を撓ませ、セリューナが帯で合いの音をわずかに落とす。
輪線が鳴り損ねて、鍵穴は半拍遅れた。
《追い鍵:同期エラー/補正試行=増加》
「補正してくる。――次は“二重影”で来る」
セリューナの言葉どおり、旗の向こうからもう一組の影が重なって出現した。
片方が軽い、片方が重い。どちらが本物か、鍵が選ぶための二択を突きつける手。
「二択なら、三つ目を足す」
俺は偽車輪の拍へ、ごく短い“撥(ばち)”を挟んだ。
歩幅は変えない。車輪だけに一打。
セリューナが綾でその撥を海鳴りに散らし、ロゥナが足元へ“柔らかい座”を一枚差し込む。
影は二択に第三の揺らぎを足され、選別の根拠を失う。
《追い鍵:確率収束失敗/信頼度 67%→41%→28%》
半月の影写しは、なおも食い下がった。
今度は俺自身の影の“手”が伸びる。影の掌に、薄い銘――鍵銘(キーネーム)が浮かび、封球の上の鈴幕に押印しようとする。
「押させない。撫でで返す」
俺は道鈴Aを衣の内で撫で、帯の合いの音を反転させた。
風返しの綾が影の掌を滑らせ、押印の圧だけを海鳴りへ投げ返す。
同時に、ロゥナが地の座を踵一枚ぶんだけ落とし、セリューナが鈴幕の縁へ水のひげを走らせる。
影の掌は空を掴み、鍵銘は自分の影へ滲んで消えた。
《追い鍵:押印失敗/鍵銘ループ(自己写し)発生》
《黒閲覧側:追鍵品質=低下(階級ペナルティ)》
旗の陰の向こうで、仮面の声が短く舌打ちする気配がした。
半月本人ではない。書の下位術師だ。だが、黒閲覧の網に“罰点”が立つのは効果が高い。
「もう一押し。削る」
俺は偽車輪を一度、わざと空転させた。拍だけが残り、車輪は進まない。
セリューナが綾でその拍を二重にうつし、ロゥナが石筋に浅い段差を作る。
影写しは“進行”を前提に計算しているから、停滞に弱い。二重写しと段差で、誤差履歴が累積する。
《追い鍵:履歴誤差 蓄積/鍵の“確かさ”=16%》
《網処理:この経路の“優先追尾”フラグ → 解除》
「抜ける」
俺たちは歩幅を旅人へ戻し、旗の列を超えた。
背で、紙も鈴も鳴らない。ただ、計算の沈黙が残る。追い鍵は、削れた。
◇
外縁帯の先に、濃い緑の帯が横たわる。
大樹が並び、その枝に木鈴がいくつも吊られた古い道――緑陰街道。
風が葉の裏を走り、木鈴が乾いた、しかし柔らかな音を刻む。鈴の網だが、塔の鈴とは別系統の“旅の鈴”。
「ここなら“安置(仮)”の目星が付けられる」
セリューナが木鈴の調子を読み、頷く。「内容(本文)を写さない“歩幅の蔵”が並ぶわ。旅鈴の衆が昔使ってた緑陰の小庫」
「地図も合う。根の下に浅い“風穴”、横に“息留め石”が置ける所が二、三」
ロゥナが幹の根を指で叩き、空洞の鳴りを確かめた。
「今は預けない。――蓋だけ作る」
俺は封球を抱えたまま頷き、目立たない根の間に小さな座と、偽車輪一枚分の蓋(ふた)の当たりを付けた。
何かあれば、ここに封球を滑り込み、木鈴の外拍で覆ってやれる。
《安置(仮)点:緑陰街道・三の根》
《設営:座(浅)/蓋(偽車輪)/目印=“葉裏の切れ”》
《道鈴A:照合—登録(私的)》
道に戻ると、林の奥から駄鈴の音。
肩に箱を下げた三人の旅人が、同じ木鈴に歩幅を合わせて出てきた。
目が合う。互いに“旅の礼”。余計な詮索はしない。
「ここから西へ二里で、影溜りの渡し」
一人が教えてくれた。「木鈴が濃い。撫でで行くなら楽だよ」
「助かる」
礼を言い、すれ違う。
木漏れ日の下、封球の二核は外拍を保ち、重みは肩に馴染む。
焔哭山の紅は、もう木鈴の陰では鳴らない。
◇
日が傾き、影溜りの渡し手前で小休止。
セリューナが膜を張り直し、ロゥナが根際に短いつっかえを置く。
俺は偽車輪の縄を締め、鈴幕の皺を手で伸ばした。
《二核:外拍=良/追跡フラグ=低》
《黒閲覧:追い鍵—品質劣化(継続)》
《提案:次回“影溜り”で道鈴B(遠鐘)を試写のみ/本使用は不可》
「Bは試写だけ。鳴らさない。撫でる」
セリューナが釘を刺す。「一度きりの“遠鐘”は、本当に奪われた時のために」
「分かってる」
俺は封球へ掌を置き、二つの核の息を胸で数えた。
木鈴の音が、一拍遅れて心の中へ落ちてくる。外拍は揺れない。
「行こう。影写しは削った。次は影溜りだ」
緑陰が濃くなる。葉裏を撫でる風は涼しく、歩幅は軽い。
撫でて、抜ける。――記録を抱えたまま、先へ。
風下に浅い窪み、足を休めるには丁度いい。俺たちは“石小丘”の陰へ回り込み、荷の体裁を整えた。
「まず視覚偽装」
セリューナが封球の上に鈴幕(薄)をふわりとかけ、縁を帯の内で固定する。
「次に聴覚偽装」
ロゥナが偽車輪を担ぎ枠の両側に結わえ、半回転だけ回して拍を置いた。鈴は鳴らないが、耳に気持ちよい輪転が走る。
《視覚偽装:荷=旅商の道具》
《聴覚偽装:車輪拍=付与/鈴網誤読率=上昇》
《二核:外拍=安定/火紋残滓=微》
「手は?」
「叩かないで来れてる。撫でで十分だ」
小箍の撫調を一度だけ通して、俺たちは小丘を回り、書庫外縁帯の南端へ向かった。
◇
外縁帯は、鈴杭が疎に、旗と板が密に。
風は乾き、塔の影が遠くへ続く。ここは“読む”より“見て数える”ための網――記録の入口を選別する縁(へり)だ。
「ここから“巡回商”の歩幅」
セリューナが帯を低く撫で、俺は道鈴Aを衣の内で撫でる。鳴らさない。ただ拍を整える。
ロゥナは半歩先で石筋を読み、偽車輪の輪転を刻む。
《鈴遮蔽:巡回商(低~中)》
《網反応:視覚優位/聴覚は車輪拍を採用》
旗の影が三つ目を過ぎた時、草の端がざらりと逆立った。
風ではない。地面の上に薄い墨影――俺たちの影がもう一組、遅れてついてくる。
影は肩の荷の膨らみまで真似ている。負荷の推定を掛けて、追い鍵を合わせるつもりだ。
「半月の“影写し”。鏡じゃない、演算で作る影」
セリューナが低く言う。「鈴を鳴らさず、見た情報だけで“鍵”を復元する手」
「前に“捨て歩幅”を撒いておいて正解ね」
ロゥナが小声で応じ、地面の角度をわずかに整える。「ここでノイズを足す」
俺は偽車輪を半回転ズラし、歩幅の三拍目だけ半足遅らせた。
セリューナが帯へ風返しの綾を一撫でし、視覚の“確かさ”を滲ませる。
影は追う。だが、三歩目の膨らみが影だけ過剰に出た。――演算の仮定が狂い始める。
《撹乱:影写し—確率分布の偏り発生》
《追い鍵:信頼度 82%→67%》
次の影が、旗の陰から貼り付くように伸びてきた。今度は足首へ黒い輪線が走る。
鈴はない。紙もない。地面そのものに“鍵穴”を描く、書の投影だ。
「輪線は切らない。外す」
俺は刃の背で足元の影だけを軽く弾く。輪は影の位相を基準に締まるから、影が滑れば噛み損ねる。
同時に、ロゥナが路肩の石を撓ませ、セリューナが帯で合いの音をわずかに落とす。
輪線が鳴り損ねて、鍵穴は半拍遅れた。
《追い鍵:同期エラー/補正試行=増加》
「補正してくる。――次は“二重影”で来る」
セリューナの言葉どおり、旗の向こうからもう一組の影が重なって出現した。
片方が軽い、片方が重い。どちらが本物か、鍵が選ぶための二択を突きつける手。
「二択なら、三つ目を足す」
俺は偽車輪の拍へ、ごく短い“撥(ばち)”を挟んだ。
歩幅は変えない。車輪だけに一打。
セリューナが綾でその撥を海鳴りに散らし、ロゥナが足元へ“柔らかい座”を一枚差し込む。
影は二択に第三の揺らぎを足され、選別の根拠を失う。
《追い鍵:確率収束失敗/信頼度 67%→41%→28%》
半月の影写しは、なおも食い下がった。
今度は俺自身の影の“手”が伸びる。影の掌に、薄い銘――鍵銘(キーネーム)が浮かび、封球の上の鈴幕に押印しようとする。
「押させない。撫でで返す」
俺は道鈴Aを衣の内で撫で、帯の合いの音を反転させた。
風返しの綾が影の掌を滑らせ、押印の圧だけを海鳴りへ投げ返す。
同時に、ロゥナが地の座を踵一枚ぶんだけ落とし、セリューナが鈴幕の縁へ水のひげを走らせる。
影の掌は空を掴み、鍵銘は自分の影へ滲んで消えた。
《追い鍵:押印失敗/鍵銘ループ(自己写し)発生》
《黒閲覧側:追鍵品質=低下(階級ペナルティ)》
旗の陰の向こうで、仮面の声が短く舌打ちする気配がした。
半月本人ではない。書の下位術師だ。だが、黒閲覧の網に“罰点”が立つのは効果が高い。
「もう一押し。削る」
俺は偽車輪を一度、わざと空転させた。拍だけが残り、車輪は進まない。
セリューナが綾でその拍を二重にうつし、ロゥナが石筋に浅い段差を作る。
影写しは“進行”を前提に計算しているから、停滞に弱い。二重写しと段差で、誤差履歴が累積する。
《追い鍵:履歴誤差 蓄積/鍵の“確かさ”=16%》
《網処理:この経路の“優先追尾”フラグ → 解除》
「抜ける」
俺たちは歩幅を旅人へ戻し、旗の列を超えた。
背で、紙も鈴も鳴らない。ただ、計算の沈黙が残る。追い鍵は、削れた。
◇
外縁帯の先に、濃い緑の帯が横たわる。
大樹が並び、その枝に木鈴がいくつも吊られた古い道――緑陰街道。
風が葉の裏を走り、木鈴が乾いた、しかし柔らかな音を刻む。鈴の網だが、塔の鈴とは別系統の“旅の鈴”。
「ここなら“安置(仮)”の目星が付けられる」
セリューナが木鈴の調子を読み、頷く。「内容(本文)を写さない“歩幅の蔵”が並ぶわ。旅鈴の衆が昔使ってた緑陰の小庫」
「地図も合う。根の下に浅い“風穴”、横に“息留め石”が置ける所が二、三」
ロゥナが幹の根を指で叩き、空洞の鳴りを確かめた。
「今は預けない。――蓋だけ作る」
俺は封球を抱えたまま頷き、目立たない根の間に小さな座と、偽車輪一枚分の蓋(ふた)の当たりを付けた。
何かあれば、ここに封球を滑り込み、木鈴の外拍で覆ってやれる。
《安置(仮)点:緑陰街道・三の根》
《設営:座(浅)/蓋(偽車輪)/目印=“葉裏の切れ”》
《道鈴A:照合—登録(私的)》
道に戻ると、林の奥から駄鈴の音。
肩に箱を下げた三人の旅人が、同じ木鈴に歩幅を合わせて出てきた。
目が合う。互いに“旅の礼”。余計な詮索はしない。
「ここから西へ二里で、影溜りの渡し」
一人が教えてくれた。「木鈴が濃い。撫でで行くなら楽だよ」
「助かる」
礼を言い、すれ違う。
木漏れ日の下、封球の二核は外拍を保ち、重みは肩に馴染む。
焔哭山の紅は、もう木鈴の陰では鳴らない。
◇
日が傾き、影溜りの渡し手前で小休止。
セリューナが膜を張り直し、ロゥナが根際に短いつっかえを置く。
俺は偽車輪の縄を締め、鈴幕の皺を手で伸ばした。
《二核:外拍=良/追跡フラグ=低》
《黒閲覧:追い鍵—品質劣化(継続)》
《提案:次回“影溜り”で道鈴B(遠鐘)を試写のみ/本使用は不可》
「Bは試写だけ。鳴らさない。撫でる」
セリューナが釘を刺す。「一度きりの“遠鐘”は、本当に奪われた時のために」
「分かってる」
俺は封球へ掌を置き、二つの核の息を胸で数えた。
木鈴の音が、一拍遅れて心の中へ落ちてくる。外拍は揺れない。
「行こう。影写しは削った。次は影溜りだ」
緑陰が濃くなる。葉裏を撫でる風は涼しく、歩幅は軽い。
撫でて、抜ける。――記録を抱えたまま、先へ。
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