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5章 焔哭山と火の贖罪
第42話 風成平野、樹影の市で外拍を整える
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緑陰が切れ、風が地表を刈るように走った。波打つ草は刃の面のように光り、丘のうねりの陰に淡い影の帯が生まれては消える。
俺たちは鈴幕を荷の上に保ち、偽車輪を軽く鳴らさぬまま輪転の拍だけ置いて歩いた。
「この風なら“鈴の網”は緩い。――ただ、見張りの旗が前方に三」
ロゥナが草の梢越しに数を示す。「市の手前の検問ね。旅商かどうか“見て”決める」
「声を通さず、歩幅で通す」
セリューナが帯を低く撫で、道鈴Aへ触れずに合いの音を揃える。「三吸二吐、巡回商の歩」
《鈴遮蔽:巡回商(安定)》
《二核:外拍=良/火紋残滓=微/影反響=微》
草の稜を二つ越えた先、樹冠の陰に市場――樹影の市が見えた。
幹に沿って張られた布屋根、風向きで回る看板、低い台には木鈴や車輪、乾き物と塩。
入口の旗杭の脇には、帯に細い金具を通した見張りの娘が二人、手に小さな木製の**風査(ふうさ)**を持っている。
「名と目的、足の拍」
短い言葉。声は張らず、風査の枠を俺の胸元へすべらせてきた。枠は鳴らない。ただ拍の“高さ”を測る器具だ。
「レク・エルディアス、乾き物の補充と鈴幕の補修、外拍の再調律(軽)」
俺たちが順に言い、三吸二吐の歩幅をきっちり刻む。
枠が一度だけ、息を吸うみたいに沈んで戻った。娘は頷き、通路を指す。
「どうぞ。――ただ、今日は空に紙凧が上がる。書の連中の“巡見”だ。鳴らした音は拾われる」
「鳴らさない。撫でる」
セリューナが微笑み、帯を二本指でなぞった。
◇
市の奥、“風合わせ小屋”。
壁に木鈴が等間隔で吊られ、床には藁を詰めた低い座がいくつも。
俺は封球をその一つへ寝かせ、鈴幕の縁を少しめくる。セリューナが外膜を点検し、ロゥナが座の撓みを整える。
「外拍の揺れ、ごく微。峠の反響はもう抜けてる」
セリューナが水糸で封球の表面に細い円を描き、そこで一度だけ押して戻した。「仕上げに“合わせ”を一つ」
俺は帯の内で“風返しの綾”を指先で軽く引き、核の拍へ端撫を乗せる。
ロゥナが地の座をほんの薄く落とし、戻す。
二つの核が外拍にぴたりと合った。
《調律:外拍再整(軽)—完了》
《二核:搬送安定=高/追尾成功率=低》
その時、小屋の壁がひと鳴りして、外の風向きが変わった。
陰の布の切れ目から、空へ糸を伸ばす紙凧が二枚、重なって見える。墨で描いた輪と舌。
凧の舌が風査を模した“枠”を吊り下げ、街道の上を撫でるように巡っている。
「紙凧は“撫で”が上手い。こっちも撫でで返す」
セリューナが帯へ綾を回し、俺は偽車輪を半拍だけ空転。
小屋の軒の木鈴が、その空転の拍を吸って外へ返す。
凧の枠は“確かさ”を失い、輪郭が一度だけぼやけた。
《風返しの綾×木鈴:反響返送/紙凧の捕捉=鈍》
「調律は終わり。――補給を済ませて、西へ」
ロゥナが地図の土粉をはらい、小屋を出る。
屋台で干し魚と乾き豆を買う。布屋で鈴幕の縁を補強し、車輪細工の店で枠の緩みを直す。
支度を終えた時、背後で低い紙擦れ。
一人、墨の縁の外衣をまとった旅人がこちらを見ていた。仮面はつけていない。だが、動きが“書”。
目が合うと、彼は浅く会釈し、どうでもよさそうな声で言った。
「旅の写しを、塔で受けたろう。――いい鈴だ」
「旅の鈴は、旅のために鳴る」
俺が返すと、彼は口の端をほんの僅か動かした。笑ったのか、影か。
「“記録”は重い。抱えるなら、置き場を選べ」
それだけ言って、雑踏へ消えた。
「半月の“観測役”……か、あるいは競り合いの別派」
セリューナが帯を押さえる。「市では刃は抜かない。撫でで通る」
空の紙凧は少しずつ遠のき、風は乾いて高くなる。
俺たちは市の端の「風見杭」に道鈴Aを軽く撫でて照合し、西の道へ踏み出した。
《市照合:通過》
《追跡:紙凧=減衰/観測役=不追尾》
《二核:外拍=良》
◇
平野の西側は、草が低く、石の背骨が地表に出ている。
鈴の網は疎だが、遠くに黒い点がいくつか――騎影。塔の護りではない。盾形の布、傭兵宿の紋。
「路銀目当ての検問商会ね。鈴ではなく“目”で見る」
ロゥナが距離を測る。「偽車輪と鈴幕が活きる」
「歩幅は“商”のまま。話しかけられたら、印で返す」
セリューナが木札の束から、潮見の塔の「道鈴受領」の小札と、渡し守から貰った「影抜け」の木札を出す。「どちらも“旅の筋”の証明」
近づくと、前に出た若い傭兵が手を上げた。
「荷は? 目的は?」
「旅の鈴の道具と乾き物。緑陰の小庫へ寄贈の座金具も」
俺が言うと、彼は鈴幕の縁を見て、偽車輪の縄を軽く叩いた。音は出ない。拍だけが手へ伝わる。
「……通れ。西は“石橋の切れ目”に注意しろ」
彼は短く顎をしゃくり、脇へ退いた。
鈴より早い、実務の判断だ。旅の写しは、こういう場所で効く。
《野営検問:通過/鈴幕・偽車輪=有効》
そのまま西へ。
風が一段強くなり、遠くの地平に薄青い霞。石橋の切れ目が近い。
地続きのように見える尾根の真ん中に、古い崩落の窪みがあり、そこに風が巻いている。
「ここ、歩幅が暴れる。――“撫で”で保つ」
セリューナが帯を握り、ロゥナが尾根の肩へ薄い座を二枚、互い違いに敷く。
俺は偽車輪の撥を一打だけ入れ、封球の重みを前へ送った。
切れ目の縁で、空に反射が走った。
紙ではない。熱でもない。硝子片だ。どこかの「写し屋」が撒いた、影写し用の鏡砂。
「踏むな。風で掃く」
俺は帯の内で綾を軽く引き、風の刃で鏡砂を散らす。
同時に、ロゥナの座が縁を撓ませ、セリューナが封球の外膜に水の薄皮を増す。
鏡砂に写る影は崩れ、切れ目を渡る三歩が素直に繋がった。
《危険:鏡砂—除去/追い鍵回復阻止》
尾根を越えた先、風はさらに乾き、陽の傾きが早く見える。
今日はここまで。石背の陰に小さな風よけを組み、鈴幕を少し緩める。
セリューナが封球の膜を点検し、ロゥナが足裏の砂を払う。
《二核:外拍=良(高)/搬送安定=高》
《追跡:黒閲覧=視覚追尾の芽を摘み済み/火輪=消散》
《提案:明日“丘間の宿”で一泊→西方“川回廊”にて水路撹乱へ移行》
「火は遠い。紙も鈍い。――ここでいったん眠る」
俺は封球へ掌を置き、二つの息を胸に通した。
風よけの陰で、草の擦れが子守歌のように続く。
眠りに落ちる前、帯の奥で短いログが灯る。
《旅路ログ:樹影の市—外拍再整/石背渡り—成功》
《備考:観測役“書”と遭遇(交戦なし)/置き場の示唆=要検討》
置き場。
抱え続けるか、預けるか。――選ぶのは、走りの先のどこかだ。
今はただ、拍を保ち、撫でて抜ける。
風は背で、静かに同意した。
俺たちは鈴幕を荷の上に保ち、偽車輪を軽く鳴らさぬまま輪転の拍だけ置いて歩いた。
「この風なら“鈴の網”は緩い。――ただ、見張りの旗が前方に三」
ロゥナが草の梢越しに数を示す。「市の手前の検問ね。旅商かどうか“見て”決める」
「声を通さず、歩幅で通す」
セリューナが帯を低く撫で、道鈴Aへ触れずに合いの音を揃える。「三吸二吐、巡回商の歩」
《鈴遮蔽:巡回商(安定)》
《二核:外拍=良/火紋残滓=微/影反響=微》
草の稜を二つ越えた先、樹冠の陰に市場――樹影の市が見えた。
幹に沿って張られた布屋根、風向きで回る看板、低い台には木鈴や車輪、乾き物と塩。
入口の旗杭の脇には、帯に細い金具を通した見張りの娘が二人、手に小さな木製の**風査(ふうさ)**を持っている。
「名と目的、足の拍」
短い言葉。声は張らず、風査の枠を俺の胸元へすべらせてきた。枠は鳴らない。ただ拍の“高さ”を測る器具だ。
「レク・エルディアス、乾き物の補充と鈴幕の補修、外拍の再調律(軽)」
俺たちが順に言い、三吸二吐の歩幅をきっちり刻む。
枠が一度だけ、息を吸うみたいに沈んで戻った。娘は頷き、通路を指す。
「どうぞ。――ただ、今日は空に紙凧が上がる。書の連中の“巡見”だ。鳴らした音は拾われる」
「鳴らさない。撫でる」
セリューナが微笑み、帯を二本指でなぞった。
◇
市の奥、“風合わせ小屋”。
壁に木鈴が等間隔で吊られ、床には藁を詰めた低い座がいくつも。
俺は封球をその一つへ寝かせ、鈴幕の縁を少しめくる。セリューナが外膜を点検し、ロゥナが座の撓みを整える。
「外拍の揺れ、ごく微。峠の反響はもう抜けてる」
セリューナが水糸で封球の表面に細い円を描き、そこで一度だけ押して戻した。「仕上げに“合わせ”を一つ」
俺は帯の内で“風返しの綾”を指先で軽く引き、核の拍へ端撫を乗せる。
ロゥナが地の座をほんの薄く落とし、戻す。
二つの核が外拍にぴたりと合った。
《調律:外拍再整(軽)—完了》
《二核:搬送安定=高/追尾成功率=低》
その時、小屋の壁がひと鳴りして、外の風向きが変わった。
陰の布の切れ目から、空へ糸を伸ばす紙凧が二枚、重なって見える。墨で描いた輪と舌。
凧の舌が風査を模した“枠”を吊り下げ、街道の上を撫でるように巡っている。
「紙凧は“撫で”が上手い。こっちも撫でで返す」
セリューナが帯へ綾を回し、俺は偽車輪を半拍だけ空転。
小屋の軒の木鈴が、その空転の拍を吸って外へ返す。
凧の枠は“確かさ”を失い、輪郭が一度だけぼやけた。
《風返しの綾×木鈴:反響返送/紙凧の捕捉=鈍》
「調律は終わり。――補給を済ませて、西へ」
ロゥナが地図の土粉をはらい、小屋を出る。
屋台で干し魚と乾き豆を買う。布屋で鈴幕の縁を補強し、車輪細工の店で枠の緩みを直す。
支度を終えた時、背後で低い紙擦れ。
一人、墨の縁の外衣をまとった旅人がこちらを見ていた。仮面はつけていない。だが、動きが“書”。
目が合うと、彼は浅く会釈し、どうでもよさそうな声で言った。
「旅の写しを、塔で受けたろう。――いい鈴だ」
「旅の鈴は、旅のために鳴る」
俺が返すと、彼は口の端をほんの僅か動かした。笑ったのか、影か。
「“記録”は重い。抱えるなら、置き場を選べ」
それだけ言って、雑踏へ消えた。
「半月の“観測役”……か、あるいは競り合いの別派」
セリューナが帯を押さえる。「市では刃は抜かない。撫でで通る」
空の紙凧は少しずつ遠のき、風は乾いて高くなる。
俺たちは市の端の「風見杭」に道鈴Aを軽く撫でて照合し、西の道へ踏み出した。
《市照合:通過》
《追跡:紙凧=減衰/観測役=不追尾》
《二核:外拍=良》
◇
平野の西側は、草が低く、石の背骨が地表に出ている。
鈴の網は疎だが、遠くに黒い点がいくつか――騎影。塔の護りではない。盾形の布、傭兵宿の紋。
「路銀目当ての検問商会ね。鈴ではなく“目”で見る」
ロゥナが距離を測る。「偽車輪と鈴幕が活きる」
「歩幅は“商”のまま。話しかけられたら、印で返す」
セリューナが木札の束から、潮見の塔の「道鈴受領」の小札と、渡し守から貰った「影抜け」の木札を出す。「どちらも“旅の筋”の証明」
近づくと、前に出た若い傭兵が手を上げた。
「荷は? 目的は?」
「旅の鈴の道具と乾き物。緑陰の小庫へ寄贈の座金具も」
俺が言うと、彼は鈴幕の縁を見て、偽車輪の縄を軽く叩いた。音は出ない。拍だけが手へ伝わる。
「……通れ。西は“石橋の切れ目”に注意しろ」
彼は短く顎をしゃくり、脇へ退いた。
鈴より早い、実務の判断だ。旅の写しは、こういう場所で効く。
《野営検問:通過/鈴幕・偽車輪=有効》
そのまま西へ。
風が一段強くなり、遠くの地平に薄青い霞。石橋の切れ目が近い。
地続きのように見える尾根の真ん中に、古い崩落の窪みがあり、そこに風が巻いている。
「ここ、歩幅が暴れる。――“撫で”で保つ」
セリューナが帯を握り、ロゥナが尾根の肩へ薄い座を二枚、互い違いに敷く。
俺は偽車輪の撥を一打だけ入れ、封球の重みを前へ送った。
切れ目の縁で、空に反射が走った。
紙ではない。熱でもない。硝子片だ。どこかの「写し屋」が撒いた、影写し用の鏡砂。
「踏むな。風で掃く」
俺は帯の内で綾を軽く引き、風の刃で鏡砂を散らす。
同時に、ロゥナの座が縁を撓ませ、セリューナが封球の外膜に水の薄皮を増す。
鏡砂に写る影は崩れ、切れ目を渡る三歩が素直に繋がった。
《危険:鏡砂—除去/追い鍵回復阻止》
尾根を越えた先、風はさらに乾き、陽の傾きが早く見える。
今日はここまで。石背の陰に小さな風よけを組み、鈴幕を少し緩める。
セリューナが封球の膜を点検し、ロゥナが足裏の砂を払う。
《二核:外拍=良(高)/搬送安定=高》
《追跡:黒閲覧=視覚追尾の芽を摘み済み/火輪=消散》
《提案:明日“丘間の宿”で一泊→西方“川回廊”にて水路撹乱へ移行》
「火は遠い。紙も鈍い。――ここでいったん眠る」
俺は封球へ掌を置き、二つの息を胸に通した。
風よけの陰で、草の擦れが子守歌のように続く。
眠りに落ちる前、帯の奥で短いログが灯る。
《旅路ログ:樹影の市—外拍再整/石背渡り—成功》
《備考:観測役“書”と遭遇(交戦なし)/置き場の示唆=要検討》
置き場。
抱え続けるか、預けるか。――選ぶのは、走りの先のどこかだ。
今はただ、拍を保ち、撫でて抜ける。
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