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あなたの正しい時間になりたい
逆転
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少ない時間の中で最高のものを提案できた手ごたえがあったのに、次の日、MINAXISからの回答は無常にも、
『他社さんに決まりました』という連絡だった。
誰もが澪緒の案が採用されると思った。澪緒にも自信があった。
だから正式発注を受けてないのにレース部分の図案を作り上げ、ラベルと紙袋の入稿データを夏目に送信済みだった澪緒は柏木からそう報告を受けてしばらく動けなかった。
「どうして…」
「10案出してきたことがよほど佐伯部長に響いたようだ。あとは、見積り」
「金額?今回は特別な場だから予算は多めにとってあるって言ってたのに」
「大いにMINAXISのセンスを疑う決定だ。本気で冷蔵庫売る気があるのか疑う。それとも予算があるというのはただの見栄なのかもな。もしかして上の人間が澪緒の案を見てないんじゃないか?」
「こらこら、どんな場面であってもクライアントの悪口は御法度だぞ」
氷室が柏木をなだめる。
「部長は悔しくないんですか」
「悔しいに決まってる。だからホラ、柏木と澪緒ちゃんにアイスコーヒー!飲んで忘れてスッキリしよう!」
「いただきます」
柏木がアイスコーヒーを一気に流し込む。
澪緒以上に納得のいかない表情を浮かべ憤慨してくれる柏木に澪緒は少し救われた気がした。
図案の再確認作業をしていたデータを閉じた。
「でも加熱型押し加工という手法を知れたのは大きな収穫でした。今回はワインのラベルでしたけど日本酒とかにも合いそうな手法だと思いました。今後の提案に生かしましょう。ね?柏木さん」
澪緒が上目遣いで見上げると、柏木は無言で澪緒の肩を抱いた。
副島が外出から帰ってきて制作室に姿を見せても、しばらくそうしていた。
発表会のノベルティが正式に他社に決まって数日後。
澪緒と柏木はMINAXIS広報部を訪れていた。
広報部の高山が、補填としてわざわざ別案件の制作を有川デザインオフィスに依頼してくれたのだ。
「弊社の都合で他社さんに決まってしまって、本当に有川さんにはなんとお詫びしてよいかと広報内でも話ているところです」
「とんでもない。今回はお力添えできず、残念でした」
「澁澤さん、本日お願いするイベントチラシは制作から納品まで全て私の裁量でできるものなのでご安心ください。今営業の上の者も謝罪に参ります」
「そんな、恐縮です。弊社の力不足です。今回お話いただいたフライヤーの件、喜んで制作させていただきます」
その言葉とは裏腹に、渾身の案が全て無しになってしまった澪緒はやはり傷ついていた。
いくら大人になったからといって人間傷付く時は傷付く。
でも、いつまでも傷付いているわけにはいかない。
気持ちを切り替えて新規案件の打ち合わせに集中する。
「すみません、遅れまして」
打ち合わせが終わりに近づいた頃、ノックと共に50歳前後の男が入室してきた。
ひとめで営業部のトップに立つ人間だと分かる迫力に条件反射で澪緒と柏木が席から立ち上がる。
「有川デザインオフィスの営業の柏木です。本日はこのような機会を頂戴いたしまして誠にありがとうございました」
「制作室の澁澤です。よろしくお願いします」
柏木がすぐに営業らしいスピードで名刺交換をする。澪緒も遅れてそれに続く。
「営業の奥平です。高山から大体のあらましは聞きました。直前でキャンセルになってしまいまして誠に申し訳ありません」
MINAXISに比べたら路傍の石のような存在の有川デザインオフィスにここまで謝罪するのは、きっと大企業のコンプラの一環なのだろう。
澪緒はそう思いながら着席する。
「澁澤さんの案は大変魅力的でした。こんなことがあってなんですが、新作発表会にご招待いたしますので、そこで我が社を知っていただいてまた別の形でお付き合いを継続していきたいと思っております。こちら正式な招待状と…他社さんにお願いすることになったワインボトルのサンプルが上がってきたのでお持ちください」
「ありがとうございます」
渡されたボトルは5本。飲んでくれといったところだろうか。その中のひとつを手に取る。
ラベルのデザインは、黒の四角のシールの内側に沿うように金色の額縁のような囲み線があり、その中央に同じ金色でMINAXISのロゴが配置され、その上下に植物の模様が金色で入っていた。
別に悪いところは何もない。
スーパーにこれが並んでたら手に取るだろうとも思う。
ロゴを目立たせる案として依頼があったならこれが正解だとも思う。
でもやっぱり、自分の案の方が良いと澪緒は思う。
「ロゴが…目立っていいですね」
隣の柏木も同じ思いのようで褒め言葉が見当たらず珍しく陳腐な感想を述べている。
その感想に少し苦笑いし奥平も高山も肩の力を抜いた。
場の空気が緩む。
「正直、私は断然澁澤さんの案が良かったんです」
高山がポツリと感想を述べた。
「弊社の経営理念である『感謝の心で創造』と白物家電のパイオニアである歴史にまで言及してくださったのは、長く広報部に所属しておりますが澁澤さんだけでした。その両方をしっかりとトレンド感あふれるデザインに落とし込んでいただいて、もうこの案以外考えられないと思っていたのですが…佐伯を説得することはできませんでした。力及ばず申し訳ありません」
高山が深々とお辞儀をする。柏木が謙遜する。
サンプルのボトルに全員の視線が集まる。
澪緒の脳裏にプロジェクトの立ち上がりから今までが走馬灯のように駆け巡る。
商品を理解するために冷蔵庫の説明書を読み込んで温度調節のやり方も完璧に覚えた。修理センターの電話番号でさえまだ覚えている。
企画を考え、柏木とフードセレクトショップのFØODIT.に行ってその場でワインの卸しに電話してくれて柏木の自宅で試飲までしたのに他社からラベル10案と見積書が送られてきて…。
「あれっ」
沈黙の中で澪緒が声を上げた。全員の視線が澪緒に集まる。
「どうしました?」
「参考までにお伺いしたいのですが、印刷内容は最初のお見積りに記載されていた通りだったのでしょうか?」
「同じです。10案のうちのひとつが、初稿のままのデザインで採用になりましたので」
澪緒の脳内に柏木のPC上で見た見積書が思い浮かぶ。
澪緒の様子を見てすぐさま柏木がPCを開きフォルダをクリックして該当の見積書を表示した。その画面を澪緒に向ける。澪緒は礼を言ってワインボトルと見積書を見比べる。
「何か問題でも?」
奥平が澪緒に問いかける。
「このラベル、ひとつ加工が抜けてます」
高山と奥平が顔を合わせる。
打ち合わせ室に緊張が走る。
「加工が抜けてる?」
「この見積書にある箔押し+エンボス加工となっているところ。そのエンボス加工が抜けています。このラベルにはエンボス加工がされていません」
「エンボス加工というは?」
「エンボス加工は紙の表面に凸凹の処理をすることです。例えばですが…たい焼きの型ってあるじゃないですか。魚の模様がつく金型。ああいう感じで模様の入った金型で紙をプレスするんです。そうすると金型の部分だけに立体感のある模様が出ます。その加工がされてません」
奥平がラベルに触れる。
「そのエンボス加工っていうのは、このラベルのどの部分に施す予定だったか見当がつきますか?」
「MINAXISのロゴとその上下にある植物の模様にエンボス加工をする予定だったと思います。箔押しとエンボス加工を組み合わせて高級感を出すことは、印刷物ではよく使う手法です」
「素人だと分からないが…そのエンボス加工がされてない…と。印刷所が忘れたのか?」
奥平が高山に問う。
「正直、加工までは…」
「まだ本番の印刷前だよな?印刷所に確認できる?」
「はい。すぐに」
高山が携帯を握りしめ急いで部屋を出ていった。
澪緒はミスを事前に発見できて良かったと胸を撫で下ろしているが柏木は澪緒の様子とは違っていた。
なぜか緊張感をまとわせ奥平にたたみかける。
「もし御社の都合で弊社のご提案に戻す場合のお見積りと納期、至急印刷所に確認して本日中に再見積もりをご提出いたします。その際どうしても特急料金が加算されることをご了承頂けたらと思います」
「もちろん。本当に申し訳ない…澁澤さんの案で再見積り頼めますか。いや、もう高山の電話が終わったら弊社も再見積りを待たずにすぐ発注書を送ります。新作発表会は絶対に…クリーンでいきたい」
「承知いたしました。本日は招待状とフライヤーのお打ち合わせ、誠にありがとうございました。それでは」
「えっ」
「澁澤さん、行きましょう」
澪緒は何が起きているのか分からないまま奥平にお辞儀をして柏木にエスコートされ外に出る。
MINAXISの本社ビルから出ると午前中降っていた雨が上がっていた。濡れたアスファルトが太陽光を反射して眩しい。
「理緋都、どういうことだ?俺全然話についていけてない」
「説明する。待て」
柏木はその場で夏目に電話をして澪緒の案で正式依頼をする。
柏木は大通りに出て手を上げタクシーを止めた。
急いで2人で乗り込む。運転手に行き先を告げて、柏木がスマホを開く。
「澪緒、俺からのメッセージを見ろ」
タクシーの運転手にさえ話を聞かれたくないのか車内であるにも関わらずメッセージアプリで会話をする。
その会話画面には言葉少なだったが澪緒に衝撃を与えるに十分な内容が書いてあった。
『エンボス加工をしてない差額 誰かの懐に入っている』
メッセージを確認するなり澪緒は柏木の横顔を見る。
「嘘」
「推測だが多分あってる。奥平部長もそれを察して俺の再見積もりを快諾した」
急いでメッセージを返信する。
『でもまた新たにラベル作ったら予算オーバー じゃないのか?』
『MINAXISくらいの大企業ならこんな予算、子どもの小遣い程度 差額の行き先が万が一MINAXISの社員でそれが悪い奴の耳に入りマスコミに売られたら癒着だなんだと大騒ぎだ』
『本当?奥平さんもちゃんと確認してから発注しないと自分の立場 危ないんじゃ?』
『危機を事前に察知して回避する 上の人間に課された使命だ』
『こんな事初めて 広告業界もこんな汚いことあるんだな』
澪緒のそのメッセージを見て今度は柏木の顔色がサッと変わった。
柏木の脳裏に先程の奥平の言葉と、以前副島と一対一で食事をした日のことがよぎる。
『妙なことを勘繰るなよ。広告業界だって汚いことはいくらでもある』
『素人だと分からないが…そのエンボス加工がされてない…と』
タクシーが銀葉町に入った。
「澪緒、今回のエンボス加工のように、素人では分からない印刷上の加工はあるか?加工じゃなくてもいい、とにかく素人目には分からない、今回と同様のことが起こりそうな可能性があるものが」
「素人目からじゃお金がかかってるって分からないような部分ってこと?」
「そうだ」
澪緒は柏木にそんなことを聞いてどうすると聞きたかったが口をつぐんだ。
柏木が真実に近づいたような確信めいた表情を浮かべてたからだ。
澪緒はしばらく記憶をたどり始めるとそれはすぐ思い浮かんだ。
こないだ死ぬ思いをした『Lustre』のポスター。
「すぐ思い浮かぶのは、特色」
「特色?」
「普通、印刷物っていうのはシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色で印刷するんだ。その4色で再現できない色、例えば蛍光色とか金、銀とかを出したいとき特色と呼ばれるインクを使う。4色プラス特色1色を使う場合は使ってるインクがひとつ増えるから1色分金額が上がる」
「なるほど。理屈は理解したがそれはどういう時に使うんだ?普通のパンフレットでも使うか?」
「たとえば…」
考える澪緒の視界にある建物が目に入る。
「あっ!運転手さん!ここで止まってください!あと領収書お願いします!理緋都、行くぞ!」
突然タクシーを降りる澪緒。
呆気にとられながら、柏木はその背を追いかける。
美しい人間は後頭部も美しい。
そんなことを思いながら。
『他社さんに決まりました』という連絡だった。
誰もが澪緒の案が採用されると思った。澪緒にも自信があった。
だから正式発注を受けてないのにレース部分の図案を作り上げ、ラベルと紙袋の入稿データを夏目に送信済みだった澪緒は柏木からそう報告を受けてしばらく動けなかった。
「どうして…」
「10案出してきたことがよほど佐伯部長に響いたようだ。あとは、見積り」
「金額?今回は特別な場だから予算は多めにとってあるって言ってたのに」
「大いにMINAXISのセンスを疑う決定だ。本気で冷蔵庫売る気があるのか疑う。それとも予算があるというのはただの見栄なのかもな。もしかして上の人間が澪緒の案を見てないんじゃないか?」
「こらこら、どんな場面であってもクライアントの悪口は御法度だぞ」
氷室が柏木をなだめる。
「部長は悔しくないんですか」
「悔しいに決まってる。だからホラ、柏木と澪緒ちゃんにアイスコーヒー!飲んで忘れてスッキリしよう!」
「いただきます」
柏木がアイスコーヒーを一気に流し込む。
澪緒以上に納得のいかない表情を浮かべ憤慨してくれる柏木に澪緒は少し救われた気がした。
図案の再確認作業をしていたデータを閉じた。
「でも加熱型押し加工という手法を知れたのは大きな収穫でした。今回はワインのラベルでしたけど日本酒とかにも合いそうな手法だと思いました。今後の提案に生かしましょう。ね?柏木さん」
澪緒が上目遣いで見上げると、柏木は無言で澪緒の肩を抱いた。
副島が外出から帰ってきて制作室に姿を見せても、しばらくそうしていた。
発表会のノベルティが正式に他社に決まって数日後。
澪緒と柏木はMINAXIS広報部を訪れていた。
広報部の高山が、補填としてわざわざ別案件の制作を有川デザインオフィスに依頼してくれたのだ。
「弊社の都合で他社さんに決まってしまって、本当に有川さんにはなんとお詫びしてよいかと広報内でも話ているところです」
「とんでもない。今回はお力添えできず、残念でした」
「澁澤さん、本日お願いするイベントチラシは制作から納品まで全て私の裁量でできるものなのでご安心ください。今営業の上の者も謝罪に参ります」
「そんな、恐縮です。弊社の力不足です。今回お話いただいたフライヤーの件、喜んで制作させていただきます」
その言葉とは裏腹に、渾身の案が全て無しになってしまった澪緒はやはり傷ついていた。
いくら大人になったからといって人間傷付く時は傷付く。
でも、いつまでも傷付いているわけにはいかない。
気持ちを切り替えて新規案件の打ち合わせに集中する。
「すみません、遅れまして」
打ち合わせが終わりに近づいた頃、ノックと共に50歳前後の男が入室してきた。
ひとめで営業部のトップに立つ人間だと分かる迫力に条件反射で澪緒と柏木が席から立ち上がる。
「有川デザインオフィスの営業の柏木です。本日はこのような機会を頂戴いたしまして誠にありがとうございました」
「制作室の澁澤です。よろしくお願いします」
柏木がすぐに営業らしいスピードで名刺交換をする。澪緒も遅れてそれに続く。
「営業の奥平です。高山から大体のあらましは聞きました。直前でキャンセルになってしまいまして誠に申し訳ありません」
MINAXISに比べたら路傍の石のような存在の有川デザインオフィスにここまで謝罪するのは、きっと大企業のコンプラの一環なのだろう。
澪緒はそう思いながら着席する。
「澁澤さんの案は大変魅力的でした。こんなことがあってなんですが、新作発表会にご招待いたしますので、そこで我が社を知っていただいてまた別の形でお付き合いを継続していきたいと思っております。こちら正式な招待状と…他社さんにお願いすることになったワインボトルのサンプルが上がってきたのでお持ちください」
「ありがとうございます」
渡されたボトルは5本。飲んでくれといったところだろうか。その中のひとつを手に取る。
ラベルのデザインは、黒の四角のシールの内側に沿うように金色の額縁のような囲み線があり、その中央に同じ金色でMINAXISのロゴが配置され、その上下に植物の模様が金色で入っていた。
別に悪いところは何もない。
スーパーにこれが並んでたら手に取るだろうとも思う。
ロゴを目立たせる案として依頼があったならこれが正解だとも思う。
でもやっぱり、自分の案の方が良いと澪緒は思う。
「ロゴが…目立っていいですね」
隣の柏木も同じ思いのようで褒め言葉が見当たらず珍しく陳腐な感想を述べている。
その感想に少し苦笑いし奥平も高山も肩の力を抜いた。
場の空気が緩む。
「正直、私は断然澁澤さんの案が良かったんです」
高山がポツリと感想を述べた。
「弊社の経営理念である『感謝の心で創造』と白物家電のパイオニアである歴史にまで言及してくださったのは、長く広報部に所属しておりますが澁澤さんだけでした。その両方をしっかりとトレンド感あふれるデザインに落とし込んでいただいて、もうこの案以外考えられないと思っていたのですが…佐伯を説得することはできませんでした。力及ばず申し訳ありません」
高山が深々とお辞儀をする。柏木が謙遜する。
サンプルのボトルに全員の視線が集まる。
澪緒の脳裏にプロジェクトの立ち上がりから今までが走馬灯のように駆け巡る。
商品を理解するために冷蔵庫の説明書を読み込んで温度調節のやり方も完璧に覚えた。修理センターの電話番号でさえまだ覚えている。
企画を考え、柏木とフードセレクトショップのFØODIT.に行ってその場でワインの卸しに電話してくれて柏木の自宅で試飲までしたのに他社からラベル10案と見積書が送られてきて…。
「あれっ」
沈黙の中で澪緒が声を上げた。全員の視線が澪緒に集まる。
「どうしました?」
「参考までにお伺いしたいのですが、印刷内容は最初のお見積りに記載されていた通りだったのでしょうか?」
「同じです。10案のうちのひとつが、初稿のままのデザインで採用になりましたので」
澪緒の脳内に柏木のPC上で見た見積書が思い浮かぶ。
澪緒の様子を見てすぐさま柏木がPCを開きフォルダをクリックして該当の見積書を表示した。その画面を澪緒に向ける。澪緒は礼を言ってワインボトルと見積書を見比べる。
「何か問題でも?」
奥平が澪緒に問いかける。
「このラベル、ひとつ加工が抜けてます」
高山と奥平が顔を合わせる。
打ち合わせ室に緊張が走る。
「加工が抜けてる?」
「この見積書にある箔押し+エンボス加工となっているところ。そのエンボス加工が抜けています。このラベルにはエンボス加工がされていません」
「エンボス加工というは?」
「エンボス加工は紙の表面に凸凹の処理をすることです。例えばですが…たい焼きの型ってあるじゃないですか。魚の模様がつく金型。ああいう感じで模様の入った金型で紙をプレスするんです。そうすると金型の部分だけに立体感のある模様が出ます。その加工がされてません」
奥平がラベルに触れる。
「そのエンボス加工っていうのは、このラベルのどの部分に施す予定だったか見当がつきますか?」
「MINAXISのロゴとその上下にある植物の模様にエンボス加工をする予定だったと思います。箔押しとエンボス加工を組み合わせて高級感を出すことは、印刷物ではよく使う手法です」
「素人だと分からないが…そのエンボス加工がされてない…と。印刷所が忘れたのか?」
奥平が高山に問う。
「正直、加工までは…」
「まだ本番の印刷前だよな?印刷所に確認できる?」
「はい。すぐに」
高山が携帯を握りしめ急いで部屋を出ていった。
澪緒はミスを事前に発見できて良かったと胸を撫で下ろしているが柏木は澪緒の様子とは違っていた。
なぜか緊張感をまとわせ奥平にたたみかける。
「もし御社の都合で弊社のご提案に戻す場合のお見積りと納期、至急印刷所に確認して本日中に再見積もりをご提出いたします。その際どうしても特急料金が加算されることをご了承頂けたらと思います」
「もちろん。本当に申し訳ない…澁澤さんの案で再見積り頼めますか。いや、もう高山の電話が終わったら弊社も再見積りを待たずにすぐ発注書を送ります。新作発表会は絶対に…クリーンでいきたい」
「承知いたしました。本日は招待状とフライヤーのお打ち合わせ、誠にありがとうございました。それでは」
「えっ」
「澁澤さん、行きましょう」
澪緒は何が起きているのか分からないまま奥平にお辞儀をして柏木にエスコートされ外に出る。
MINAXISの本社ビルから出ると午前中降っていた雨が上がっていた。濡れたアスファルトが太陽光を反射して眩しい。
「理緋都、どういうことだ?俺全然話についていけてない」
「説明する。待て」
柏木はその場で夏目に電話をして澪緒の案で正式依頼をする。
柏木は大通りに出て手を上げタクシーを止めた。
急いで2人で乗り込む。運転手に行き先を告げて、柏木がスマホを開く。
「澪緒、俺からのメッセージを見ろ」
タクシーの運転手にさえ話を聞かれたくないのか車内であるにも関わらずメッセージアプリで会話をする。
その会話画面には言葉少なだったが澪緒に衝撃を与えるに十分な内容が書いてあった。
『エンボス加工をしてない差額 誰かの懐に入っている』
メッセージを確認するなり澪緒は柏木の横顔を見る。
「嘘」
「推測だが多分あってる。奥平部長もそれを察して俺の再見積もりを快諾した」
急いでメッセージを返信する。
『でもまた新たにラベル作ったら予算オーバー じゃないのか?』
『MINAXISくらいの大企業ならこんな予算、子どもの小遣い程度 差額の行き先が万が一MINAXISの社員でそれが悪い奴の耳に入りマスコミに売られたら癒着だなんだと大騒ぎだ』
『本当?奥平さんもちゃんと確認してから発注しないと自分の立場 危ないんじゃ?』
『危機を事前に察知して回避する 上の人間に課された使命だ』
『こんな事初めて 広告業界もこんな汚いことあるんだな』
澪緒のそのメッセージを見て今度は柏木の顔色がサッと変わった。
柏木の脳裏に先程の奥平の言葉と、以前副島と一対一で食事をした日のことがよぎる。
『妙なことを勘繰るなよ。広告業界だって汚いことはいくらでもある』
『素人だと分からないが…そのエンボス加工がされてない…と』
タクシーが銀葉町に入った。
「澪緒、今回のエンボス加工のように、素人では分からない印刷上の加工はあるか?加工じゃなくてもいい、とにかく素人目には分からない、今回と同様のことが起こりそうな可能性があるものが」
「素人目からじゃお金がかかってるって分からないような部分ってこと?」
「そうだ」
澪緒は柏木にそんなことを聞いてどうすると聞きたかったが口をつぐんだ。
柏木が真実に近づいたような確信めいた表情を浮かべてたからだ。
澪緒はしばらく記憶をたどり始めるとそれはすぐ思い浮かんだ。
こないだ死ぬ思いをした『Lustre』のポスター。
「すぐ思い浮かぶのは、特色」
「特色?」
「普通、印刷物っていうのはシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色で印刷するんだ。その4色で再現できない色、例えば蛍光色とか金、銀とかを出したいとき特色と呼ばれるインクを使う。4色プラス特色1色を使う場合は使ってるインクがひとつ増えるから1色分金額が上がる」
「なるほど。理屈は理解したがそれはどういう時に使うんだ?普通のパンフレットでも使うか?」
「たとえば…」
考える澪緒の視界にある建物が目に入る。
「あっ!運転手さん!ここで止まってください!あと領収書お願いします!理緋都、行くぞ!」
突然タクシーを降りる澪緒。
呆気にとられながら、柏木はその背を追いかける。
美しい人間は後頭部も美しい。
そんなことを思いながら。
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