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礼拝堂に住み始めて、早いものでひと月が過ぎた。
日々は、思っていたよりもずっと穏やかに、淀みなく流れている。はじめのうちこそ、慌ただしさや戸惑いや、色んなものに埋め尽くされていたけれど。それもやがて日常の一部となって溶け込んでゆくと、私の周りはすっかり凪いだ水面のように落ち着いていった。以前では信じられないほどの穏やかさと、たくさんの笑顔ばかりが満ちる、長閑な日常。それが、少しずつこの手の中に根づきはじめている。
ノルナ村――というのが、ロアンさんたちの住んでいる村の名前――に馴染むまでには、やはり少しだけ時間は必要だった。私が“魔女”であり、故に王都を追われた身であることは、聖神院の報せによって、もちろんノルナ村の人々にも知られていたからだ。
広場の隅で野菜や果物を売っている露店主には眉を顰められたし、ヴィオラさんの友人だという婦人たちには、怯えたような顔をされもした。声を潜めて耳打ちし合う老人たち、不審がるような目で遠巻きに様子を伺う男性たち、不安そうに身を竦める少女。
彼ら彼女らの反応は様々だったけれど、しかしどれも初めて見るものではなかった。今までに何度も経験してきたこと。ただ、顕著な態度――罵声を浴びせたり、憎悪を投げつけたり――をとる人がいなかった、というだけ。敵意そのものを向けられこそしなかったけれど、だからといって決して歓迎されていたわけではない。
それでも、マルセルさん夫妻やアレク君、ロアンさんは、私を見放すことはしなかった。彼らが私のために声を上げ、村に居場所を作るきっかけを与えてくれたのだ。どうしてそこまでしてくれるのだろう、と思ってしまうくらい、熱心に。
たとえばヴィオラさんの場合、彼女はあの日の出来事を、村中の婦人に吹聴して回った。ルクス熱に罹ったアレク君を助ける為に、貴重なノクシールを差し出してくれたこと。それによってアレク君は後遺症もなく無事に元気を取り戻せたことなどを、感情たっぷりに。
時には私を連れて買い物に出かけると、行く先々で顔を合わせた人々にもまた、彼女は全く同じようにした。私がどんなに必死で、懸命に尽くしてくれたかを、芝居がかった大仰さで――目を潤ませたり、声を震わせたり、果てには両手を握り合わせて祈る仕草をしたり、兎にも角にも舞台役者のように――語る。そんなふうだから、隣に立っている私の方が恥ずかしくてたまらなかったのだけれど。
――女という生き物は、感情に訴えるのが一番なのよ。
そう言って片目を瞑る彼女に、私はただ苦笑を滲ませるしかなかった。
その言葉が正しかったのかどうかは、分からない。けれど、最初に打ち解けてくれたのは、確かに村の女性たちだった。すれ違いざまに、ひとりの婦人から初めて会釈されたあの瞬間を、今でもはっきりと憶えている。胸の奥に広がった、じんとしたぬくもりも、鮮明に。
ヴィオラさんのそういった演技――と言ったら、多分怒られるだろう――の甲斐はありつつも、しかし何より一番影響があったのは、子どもたちの行動だったのかもしれない、と思っている。聖神院の報せを理解出来なかったり、“魔女”という言葉に込められた偏見を汲み取ることも出来ない子どもたちは、故に私が“魔女”であることなどはじめから気にしていなかった。
――お姉さんは、僕を助けてくれた女神様だよ。
そんな小恥ずかしいことを、アレク君が常々友達の前で口にしていたせいもあるのだろうけれど。それでも、無垢な子どもたちは、打ち解けるだとか否かとかそれ以前に、そもそもそんな考えを抱くことすらなく、ただ無邪気に私へ笑いかけ、手を伸ばしてくれた。なんの躊躇いもなく、子どもだからこその純粋さで。絵本を読んでほしいと頼んできたり、一緒に追いかけっこをしようと誘ってきたり、文字を教えてほしいとこっそり耳打ちしてきたり。
そんな子どもたちの、素直に懐いている様子を見て、大人たちの警戒が徐々に解れていったのは確かだろう。ヴィオラさんの話も相まって。先ずは彼らの母親である婦人たちから。そしてその輪は、夫である男性たちや老人たちへと、ゆっくりと広がっていた。
今では露店主の男性は、溌剌とした笑顔と快活な笑い声とともに気前よく野菜や果物を売ってくれるし、村に唯一ある雑貨店では他の村人同様、当たり前のように日用品を買うことも出来る。井戸端会議に出会せば手招きされて混ざり込むことや、日向ぼっこをする老人たちの昔話に耳を傾けることも。
――良かったじゃん。村の人たちと仲良く出来て。
先日、ふらりと礼拝堂を訪れたベル様にそう言われ、何故かたっぷりの果物を“祝の品”として贈られた。近くに成っていたチェリーやアプリコットではあったけれど。それでも、彼のその言動がなんだかこそばゆくて、私はにやけるのをどうしても抑えることが出来なかった。君もそういう顔するんだね、と、ベル様にはもちろん笑われてしまった――というより、からかわれた――けれども。
ごく普通の人と変わらない“日常”を取り戻すことが出来たのは、本当に心から嬉しく思っている。温かい食事があり、屋根のある寝床があり、村に行けばたくさんの笑顔と、子どもたちの賑やかな声が聞こえる――そんな平穏な日々に、小さな幸せを感じているのも、紛れもない事実だ。
けれど、そうした日常が“当たり前”になったからこそというべきか、新たな悩みは生まれてしまうもので――。
日々は、思っていたよりもずっと穏やかに、淀みなく流れている。はじめのうちこそ、慌ただしさや戸惑いや、色んなものに埋め尽くされていたけれど。それもやがて日常の一部となって溶け込んでゆくと、私の周りはすっかり凪いだ水面のように落ち着いていった。以前では信じられないほどの穏やかさと、たくさんの笑顔ばかりが満ちる、長閑な日常。それが、少しずつこの手の中に根づきはじめている。
ノルナ村――というのが、ロアンさんたちの住んでいる村の名前――に馴染むまでには、やはり少しだけ時間は必要だった。私が“魔女”であり、故に王都を追われた身であることは、聖神院の報せによって、もちろんノルナ村の人々にも知られていたからだ。
広場の隅で野菜や果物を売っている露店主には眉を顰められたし、ヴィオラさんの友人だという婦人たちには、怯えたような顔をされもした。声を潜めて耳打ちし合う老人たち、不審がるような目で遠巻きに様子を伺う男性たち、不安そうに身を竦める少女。
彼ら彼女らの反応は様々だったけれど、しかしどれも初めて見るものではなかった。今までに何度も経験してきたこと。ただ、顕著な態度――罵声を浴びせたり、憎悪を投げつけたり――をとる人がいなかった、というだけ。敵意そのものを向けられこそしなかったけれど、だからといって決して歓迎されていたわけではない。
それでも、マルセルさん夫妻やアレク君、ロアンさんは、私を見放すことはしなかった。彼らが私のために声を上げ、村に居場所を作るきっかけを与えてくれたのだ。どうしてそこまでしてくれるのだろう、と思ってしまうくらい、熱心に。
たとえばヴィオラさんの場合、彼女はあの日の出来事を、村中の婦人に吹聴して回った。ルクス熱に罹ったアレク君を助ける為に、貴重なノクシールを差し出してくれたこと。それによってアレク君は後遺症もなく無事に元気を取り戻せたことなどを、感情たっぷりに。
時には私を連れて買い物に出かけると、行く先々で顔を合わせた人々にもまた、彼女は全く同じようにした。私がどんなに必死で、懸命に尽くしてくれたかを、芝居がかった大仰さで――目を潤ませたり、声を震わせたり、果てには両手を握り合わせて祈る仕草をしたり、兎にも角にも舞台役者のように――語る。そんなふうだから、隣に立っている私の方が恥ずかしくてたまらなかったのだけれど。
――女という生き物は、感情に訴えるのが一番なのよ。
そう言って片目を瞑る彼女に、私はただ苦笑を滲ませるしかなかった。
その言葉が正しかったのかどうかは、分からない。けれど、最初に打ち解けてくれたのは、確かに村の女性たちだった。すれ違いざまに、ひとりの婦人から初めて会釈されたあの瞬間を、今でもはっきりと憶えている。胸の奥に広がった、じんとしたぬくもりも、鮮明に。
ヴィオラさんのそういった演技――と言ったら、多分怒られるだろう――の甲斐はありつつも、しかし何より一番影響があったのは、子どもたちの行動だったのかもしれない、と思っている。聖神院の報せを理解出来なかったり、“魔女”という言葉に込められた偏見を汲み取ることも出来ない子どもたちは、故に私が“魔女”であることなどはじめから気にしていなかった。
――お姉さんは、僕を助けてくれた女神様だよ。
そんな小恥ずかしいことを、アレク君が常々友達の前で口にしていたせいもあるのだろうけれど。それでも、無垢な子どもたちは、打ち解けるだとか否かとかそれ以前に、そもそもそんな考えを抱くことすらなく、ただ無邪気に私へ笑いかけ、手を伸ばしてくれた。なんの躊躇いもなく、子どもだからこその純粋さで。絵本を読んでほしいと頼んできたり、一緒に追いかけっこをしようと誘ってきたり、文字を教えてほしいとこっそり耳打ちしてきたり。
そんな子どもたちの、素直に懐いている様子を見て、大人たちの警戒が徐々に解れていったのは確かだろう。ヴィオラさんの話も相まって。先ずは彼らの母親である婦人たちから。そしてその輪は、夫である男性たちや老人たちへと、ゆっくりと広がっていた。
今では露店主の男性は、溌剌とした笑顔と快活な笑い声とともに気前よく野菜や果物を売ってくれるし、村に唯一ある雑貨店では他の村人同様、当たり前のように日用品を買うことも出来る。井戸端会議に出会せば手招きされて混ざり込むことや、日向ぼっこをする老人たちの昔話に耳を傾けることも。
――良かったじゃん。村の人たちと仲良く出来て。
先日、ふらりと礼拝堂を訪れたベル様にそう言われ、何故かたっぷりの果物を“祝の品”として贈られた。近くに成っていたチェリーやアプリコットではあったけれど。それでも、彼のその言動がなんだかこそばゆくて、私はにやけるのをどうしても抑えることが出来なかった。君もそういう顔するんだね、と、ベル様にはもちろん笑われてしまった――というより、からかわれた――けれども。
ごく普通の人と変わらない“日常”を取り戻すことが出来たのは、本当に心から嬉しく思っている。温かい食事があり、屋根のある寝床があり、村に行けばたくさんの笑顔と、子どもたちの賑やかな声が聞こえる――そんな平穏な日々に、小さな幸せを感じているのも、紛れもない事実だ。
けれど、そうした日常が“当たり前”になったからこそというべきか、新たな悩みは生まれてしまうもので――。
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