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第2章 正しさの在り方
27 氷の華
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冷たく固い木の感触が押しつけられる。
等身大の木偶人形は一体いったいがそもそも重くて、それが幾重にも重なってくれば、その重量は尋常ではなかった。
最後に向けられた、あの正くんのゴミを見るような冷めた目が、脳裏から離れない。
それは打ち捨てられた悲しみではなく、彼の心がそこまで壊れてしまっていたんだって気がついたから。
人一人、私みたいな小娘一人殺すのに、これだけの木偶人形があれば余るほど。
下手な小細工も難しい命令も必要ない。ただ物量で押しつぶすだけ。
単純明快。とてもわかりやすくてシンプルだ。
カタカタと軽い音とは裏腹に、重く重なり合って光を遮るほどに包み込む木偶人形。
正くんの姿はもう見えない。すぐに何にもわからなくなった。
私が押し潰れてぺしゃんこになってしまうのも、もう時間の問題。
痛いとか苦しいとか、そんなことを感じている余裕もなくて。だからあんまり怖くもなかった。
けれど悔しかった。ここで正くんに殺されるということは、結局私は、彼の力に屈してしまったことと同じだから。
それは、嫌だった。ただ力を振りかざして、自分勝手に生きる彼の力に屈するなんて。
だってそれは、善子さんが望まないこと。正しく生きようとする善子さんが、良しとしないことだから。
それに、私だって死にたくない。まだまだやりたいことが沢山ある。
何のために私は、覚悟を決めて戦うことを選んだのか。
私の毎日を守るため。大好きな友達と離れないため。そしてその友達を守るため。
それなのに、こんなところで終わりたくない。
こんな理不尽、こんな身勝手で。
まだ私は戦ってない。抗ってない。
自分の責任を果たしてない。守るべきものを守れてない。
私は、私が戦わなきゃいけないものと、まだ戦ってすらいない。
だから、こんなところで負けたくない。
だから。だからお願い。誰か助けて────
『────────』
その時、誰かの声が聞こえた気がした。
とても聞き馴染みのある、心を落ち着かせる声だった。
心に、何か温かいものが宿るのを感じた。
この耳に響くのは、木偶人形が重なり合う木々が擦れる音だけ。
でも確かに聞こえたんだ。私の心には、確かにその声が。
氷のように冷たくて、でも炎のように熱い。
私の心に今、深くあるその声は────
『────アリスちゃん……!』
私の胸元に青い炎が灯った。決して熱くない。まるで氷のように静かな、鮮やかで涼やかな炎。
光を絶たれた暗闇の中でそれは一筋の光を生み出して、そして急激に膨れ上がった。
膨れ上がった青い炎は、瞬く間に火柱となって吹き上がり、私に覆い被っていた木偶人形を吹き飛ばした。
青い業火に周囲の木偶人形は次々と燃え盛り、火が移ったものは瞬く間に灰燼に帰した。
天井まで到達した火柱は、部屋中を舐め回すように広がって一面を火の海にした。
けれど実際に炎が焼いているのは木偶人形だけで、天井も壁も床も、そして本棚やその中の本も、火が伝っているだけで全く燃えていなかった。
青い炎は的確に、木偶人形だけを燃やし尽くしている。
目の覚めるような鮮やかな青で満ち溢れ、あっという間に部屋中の木偶人形が燃え尽きた。
それを察知したかのように炎も消えていき、火柱もその勢いを失った。
私の胸元から上がった火柱は、拳大の大きさまで縮んだかと思うと、まるで一輪の花のようにゆらゆらと揺らめいて。
そして気がつけば、私の胸元には氷の華が咲いていた。
私の胸の真ん中に、まるでブローチのように氷の華が咲いている。
形のなかった炎が形ある氷となって、私の胸元に残った。
それはまるで私の心に寄り添うように。私の心を守るように。
透き通った氷の華はとても儚く綺麗で、でもそこからは、とても温かいものを感じた。
私たちはいつも繋がっているって、そう言ってくれている気がしたんだ。
「……ありがとう、氷室さん」
私は胸に手を当てて呟いた。この心地好い温もりに感謝しながら。
圧迫されて身体中が痛むけれど、私はなんとか立ち上がった。
正くんといえば、状況が理解できずにただ呆然と私の胸元の華を見つめていた。
「何なんだよ……」
たどたどしく後ずさって本棚にぶつかりながら、正くんはうわ言のように呟いた。
「何なんだよそれ。どういうことだよ。特別なのは、僕だけじゃないのかよ……」
顔面は蒼白で、今にも倒れてしましそうなほどにゆらゆらと、力なく正くんは言葉を吐き出す。
「ふざけんなよ。ふざけんなよ! そんなの、認められるかよ! 俺は特別なんだ。俺だけが特別なんだ。お前なんかが俺に逆らうなんて、許されないんだよぉ!!!」
正くんのピアスが煌めいた。
その瞬間、静かになった図書室の中に、どこからともなく大量の木偶人形が現れた。
全て何も変わらない。能面で無機質な量産された紛い物。
「殺せ! この女を殺しちまえ! もうこんな奴、いらないんだよ!!!」
喚き散らすように、正くんが木偶人形たちに命令をする。
けれど、もうそんな暇は与えなかった。
正くんの怒号が木偶人形に届く前に、もう全ては終わっていた。
私の胸元の氷の華が煌めいたかと思うと、その花弁が散布した。
まるで砕け散るような勢いで放たれた氷の花弁は、木偶人形や床や壁、何かに触れた瞬間、新たな華を咲かせた。
後はそれの繰り返し。咲いた華の花弁が新たな華を咲かせる。辺りは一瞬で氷の花畑へと変貌した。
私の胸元の物と同じ華が一面に咲き乱れて、そして一斉に砕け散った。
後には何も残らない。私の元にあるもの以外の華は、氷漬けになった木偶人形と共に、跡形もなく消え去っていた。
「バカな……」
正くんは呆然と、膝から崩れ落ちた。
成す術もなくその全てを私に打ち砕かれた正くんは、もう口を開く気力もないのか、虚ろな目で空を見つめていた。
もう、正くんに争う意思は感じられない。
「────話をしよう。正くん」
私の言葉が正くんに届いているのかはわからない。
正くんは何も答えてくれなかった。
等身大の木偶人形は一体いったいがそもそも重くて、それが幾重にも重なってくれば、その重量は尋常ではなかった。
最後に向けられた、あの正くんのゴミを見るような冷めた目が、脳裏から離れない。
それは打ち捨てられた悲しみではなく、彼の心がそこまで壊れてしまっていたんだって気がついたから。
人一人、私みたいな小娘一人殺すのに、これだけの木偶人形があれば余るほど。
下手な小細工も難しい命令も必要ない。ただ物量で押しつぶすだけ。
単純明快。とてもわかりやすくてシンプルだ。
カタカタと軽い音とは裏腹に、重く重なり合って光を遮るほどに包み込む木偶人形。
正くんの姿はもう見えない。すぐに何にもわからなくなった。
私が押し潰れてぺしゃんこになってしまうのも、もう時間の問題。
痛いとか苦しいとか、そんなことを感じている余裕もなくて。だからあんまり怖くもなかった。
けれど悔しかった。ここで正くんに殺されるということは、結局私は、彼の力に屈してしまったことと同じだから。
それは、嫌だった。ただ力を振りかざして、自分勝手に生きる彼の力に屈するなんて。
だってそれは、善子さんが望まないこと。正しく生きようとする善子さんが、良しとしないことだから。
それに、私だって死にたくない。まだまだやりたいことが沢山ある。
何のために私は、覚悟を決めて戦うことを選んだのか。
私の毎日を守るため。大好きな友達と離れないため。そしてその友達を守るため。
それなのに、こんなところで終わりたくない。
こんな理不尽、こんな身勝手で。
まだ私は戦ってない。抗ってない。
自分の責任を果たしてない。守るべきものを守れてない。
私は、私が戦わなきゃいけないものと、まだ戦ってすらいない。
だから、こんなところで負けたくない。
だから。だからお願い。誰か助けて────
『────────』
その時、誰かの声が聞こえた気がした。
とても聞き馴染みのある、心を落ち着かせる声だった。
心に、何か温かいものが宿るのを感じた。
この耳に響くのは、木偶人形が重なり合う木々が擦れる音だけ。
でも確かに聞こえたんだ。私の心には、確かにその声が。
氷のように冷たくて、でも炎のように熱い。
私の心に今、深くあるその声は────
『────アリスちゃん……!』
私の胸元に青い炎が灯った。決して熱くない。まるで氷のように静かな、鮮やかで涼やかな炎。
光を絶たれた暗闇の中でそれは一筋の光を生み出して、そして急激に膨れ上がった。
膨れ上がった青い炎は、瞬く間に火柱となって吹き上がり、私に覆い被っていた木偶人形を吹き飛ばした。
青い業火に周囲の木偶人形は次々と燃え盛り、火が移ったものは瞬く間に灰燼に帰した。
天井まで到達した火柱は、部屋中を舐め回すように広がって一面を火の海にした。
けれど実際に炎が焼いているのは木偶人形だけで、天井も壁も床も、そして本棚やその中の本も、火が伝っているだけで全く燃えていなかった。
青い炎は的確に、木偶人形だけを燃やし尽くしている。
目の覚めるような鮮やかな青で満ち溢れ、あっという間に部屋中の木偶人形が燃え尽きた。
それを察知したかのように炎も消えていき、火柱もその勢いを失った。
私の胸元から上がった火柱は、拳大の大きさまで縮んだかと思うと、まるで一輪の花のようにゆらゆらと揺らめいて。
そして気がつけば、私の胸元には氷の華が咲いていた。
私の胸の真ん中に、まるでブローチのように氷の華が咲いている。
形のなかった炎が形ある氷となって、私の胸元に残った。
それはまるで私の心に寄り添うように。私の心を守るように。
透き通った氷の華はとても儚く綺麗で、でもそこからは、とても温かいものを感じた。
私たちはいつも繋がっているって、そう言ってくれている気がしたんだ。
「……ありがとう、氷室さん」
私は胸に手を当てて呟いた。この心地好い温もりに感謝しながら。
圧迫されて身体中が痛むけれど、私はなんとか立ち上がった。
正くんといえば、状況が理解できずにただ呆然と私の胸元の華を見つめていた。
「何なんだよ……」
たどたどしく後ずさって本棚にぶつかりながら、正くんはうわ言のように呟いた。
「何なんだよそれ。どういうことだよ。特別なのは、僕だけじゃないのかよ……」
顔面は蒼白で、今にも倒れてしましそうなほどにゆらゆらと、力なく正くんは言葉を吐き出す。
「ふざけんなよ。ふざけんなよ! そんなの、認められるかよ! 俺は特別なんだ。俺だけが特別なんだ。お前なんかが俺に逆らうなんて、許されないんだよぉ!!!」
正くんのピアスが煌めいた。
その瞬間、静かになった図書室の中に、どこからともなく大量の木偶人形が現れた。
全て何も変わらない。能面で無機質な量産された紛い物。
「殺せ! この女を殺しちまえ! もうこんな奴、いらないんだよ!!!」
喚き散らすように、正くんが木偶人形たちに命令をする。
けれど、もうそんな暇は与えなかった。
正くんの怒号が木偶人形に届く前に、もう全ては終わっていた。
私の胸元の氷の華が煌めいたかと思うと、その花弁が散布した。
まるで砕け散るような勢いで放たれた氷の花弁は、木偶人形や床や壁、何かに触れた瞬間、新たな華を咲かせた。
後はそれの繰り返し。咲いた華の花弁が新たな華を咲かせる。辺りは一瞬で氷の花畑へと変貌した。
私の胸元の物と同じ華が一面に咲き乱れて、そして一斉に砕け散った。
後には何も残らない。私の元にあるもの以外の華は、氷漬けになった木偶人形と共に、跡形もなく消え去っていた。
「バカな……」
正くんは呆然と、膝から崩れ落ちた。
成す術もなくその全てを私に打ち砕かれた正くんは、もう口を開く気力もないのか、虚ろな目で空を見つめていた。
もう、正くんに争う意思は感じられない。
「────話をしよう。正くん」
私の言葉が正くんに届いているのかはわからない。
正くんは何も答えてくれなかった。
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