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第5章 フローズン・ファンタズム

34 汚点

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「どうして? どうしてそんなこと言うの?」
「…………」

 私は食ってかかるようにアリアに尋ねた。
 けれどアリアは唇を噛んで、言い辛そうに迷いの表情を浮かべていた。

「諦めるなんて、そんなことできるわけないよ。だって氷室さんは私の大切な友達なんだから!」
「でもね、アリス。相手が悪すぎるの。ただの魔法使いならまだしも、相手はロード・スクルドなんだから」
「そんなの関係ない! どんなに凄い人が相手だって、それが助けに行かない理由にはならないよ!」
「関係あるの!」

 いますぐにでも駆け出したい衝動に駆られながら喚くように言う私に、アリアは強く言い放った。

「私、聞いたことがあるの。ロード・スクルドの家が魔女を出したって噂を。その噂はいつしかうやむやになって、囁かれることはなくなったけど、きっと本当だったんだよ」
「それが、氷室さんだって言うの……?」

 アリアは頷いた。そうとしか考えられないと言うように。
 確かにロード・スクルドは氷室さんのことを妹だと呼んでいた。
 でも本当に実の妹だとしたら、あの冷徹な態度はあまりにも酷すぎる。

「魔法使いにとって、魔女は忌み嫌う存在。しかもロード・スクルドの家は、代々魔女狩りの長を務める高貴なる家柄だった。そんな家から魔女を出したとなれば、家名に泥を塗ることになる。だからきっとあの子は……」
「家から追放されて、いなかったことにされた……?」

 想像したくもない考えが頭をよぎり、咄嗟にそれを口にしてしまった。
 それに対してアリアは静かに頷いた。

『まほうつかいの国』の人々にとって、魔女はそれほどまでに迫害されるものなんだ。
 以前会ったまくらちゃんも、魔女になったことで捨てられてしまったと言っていた。
 氷室さんもまた、同じような経験をしていたってこと?

「殺されなかったのは、せめてもの情けなのかな。詳しいことはもちろんわからないけれど、こっちの世界に追いやることで完全に家から抹消したんだと思う」
「そんな、酷い……」

 家族なのに、兄妹なのに、魔女になったからという理由で簡単に捨ててしまえるなんて。
 殺さないことはせめてもの情けと言っても、血を分けた家族からいらないものだと捨てられる悲しみや苦しみは、きっと一生残る深い傷だ。

「『魔女ウィルス』に侵されているのだから、放っておけば死ぬだろうし、別の世界に放っておけば関わることもない。そういうことだったんじゃないかな。そんな子がまさか生きていて、しかも姫君たるあなたと一緒にいることを知って、ロード・スクルドは慌てて飛んできたんだと、そう思う」
「今度は確実に、息の根を止めるために……?」
「多分、ね。代々魔女狩りの長を務めたきた高貴なる家系の者として、家の汚点をこれ以上野放しにできないと思ったのかもしれない。あなたの側にいれば、いつしか彼女と家の関係性に気付く人がでるかもしれないから」
「そんなのって、ないよ……」

 住む世界が違うのだから、過ごしてきた文化が違うのだから、もちろん価値観が違って当たり前だ。
 魔女の存在を忌み嫌う『まほうつかいの国』の人たちの、気持ちそのものを否定するつもりはない。
 でも、家族なのに。血の繋がった兄妹なのに。それなのにそんなに簡単に切り捨てることができるなんて、あまりにも酷すぎる。

 異なる世界に捨て放ってしまうだけでも非道で、存在しなかったことにしてしまうのも残虐だ。
 そこまでしてその存在を否定したのに、まだこれから命まで奪おうとする。
 その感情を一身に受けている氷室さんは、一体どんな気持ちで……。

「アリアも、そうするべきだと思うの? 氷室さんは殺されて当然だって、そう思うの?」
「私は…………ごめんなさい。私は魔法使いで魔女狩りだから、根本的に魔女は存在してはならないものだという考えがあるから……」
「そっか、そうだよね……」

 アリアは申し訳なさそうに項垂れながら答えた。
 その返答は仕方のないもの。けれどその言葉がとても悲しくて、私もまた項垂れてしまった。
 そんな私を見てアリアは慌てて言葉を付け加えた。

「でもね、本来ならあの子を助けに行くあなたを止めようとは思わない。アリスにとってあの子が大切な友達なら、あなたは助けることを迷わないだろうし。けど……」
「けど……?」
「やっぱり、相手が悪いの。単純にロード・スクルドが強力な魔法使いだということもあるけれど、恐らくさっき言ったような理由で、ロード・スクルドはあの子を殺すことに強い執着を持っているだろうから。きっと手段は、選ばない。アリスにも危険が及ぶかもしれない」

 アリアが心配しているところはそれなんだ。
 私が氷室さんを助けることが問題なんじゃなくて、その相手がロード・スクルドであることが問題なんだ。
 氷室さんを殺すことに拘るロード・スクルドは、見境がないかもしれない。
 今はアリアに私を離れさせたけれど、私が飛び込んでいって邪魔をすれば、構わず私を排除しようとしてくるかもしれない。

「ロード・スクルドは魔法使いの中でも特に魔法使いらしい人。地位や権威、体制や在り方をとても気にする人だから。自身の、家の汚点は決して許さない。それを拭い去るためなら、あなたすらも手にかけたっておかしくない」
「……例えそうだとしても、私は氷室さんが殺されるのを指咥えて見ていることなんてできないよ」
「アリス……!」

 引きつった顔で私を見るアリアの手を、私はそっと握った。
 不安に揺れる瞳と同じように、その手もまた震えていた。

「心配してくれてありがとう。でもアリアも言ってたでしょ? 私、友達を助けないなんてできないよ。それがどんなに危険だとしても。だって氷室さんは、いつだって私のことを助けて、守ってくれたんだから。どんなに危険な時だって」

 どんな時だって、いつだって氷室さんは私のそばにいてくれて、私を守ってきてくれた。
 氷室さんがいなければ、私はきっと今ここにはいない。
 だから、今度は私が守る番なんだ。支えてあげる番なんだ。助けてあげる番なんだ。

「私は行くよ。氷室さんを助けに行く。わかるの。氷室さんが私を呼んでる。相手なんて関係ない。危険かどうかもどうでもいい。私は、大切な友達の側にいるために行くんだよ」
「……アリスはやっぱり、そう言うんだね」

 私の言葉にアリアは困ったように眉を下げた。
 私がそう言うことなどわかっていたというように。
 そしてそれを止めたい気持ちと、受け入れる気持ちがせめぎ合っているように。

「アリスはいつもそう。いつもそうやって人のことばっかり優先して、自分の危険も顧みずに飛び込んでいって。アリスは昔から、変わんないね」
「昔から、か……」
「うん。私たちはそれにいつもハラハラしてた。でもアリスはいつだって、最後は笑顔で解決しちゃう。沢山の心を繋ぐあなたの力は、いつだって誰かを救ってた」

 アリアは薄く微笑んだ。それを誇らしく思っているかのように。
 どうしようもないと思いつつも、そんな私を受け入れてくれているとわかる。
 仕方ないなぁと、困った笑みを浮かべるアリア。

「止めても無駄だってことは、わかってた。今は、きっとアリスにとって一番大切なのはあの子だから。私が何を言ったところで、アリスが止まらないことくらいわかってたよ。私、これでもアリスの親友だからね」
「……ごめんないさい、アリア」
「別に謝らなくていいよ。それがアリスらしい。友達を放っておくような子は、アリスじゃないからね」

 そっと優しくアリアの手が私の頭を撫でた。
 とっても優しくて温かくて心が安らぐような、お姉さんのような撫で方。
 その手が、強張っていた私の心を解してくれた。

「私も行くよ。アリスを一人では行かせられない」
「ううん。それはダメだよ。ロード・スクルドは魔女狩りの偉い人でしょ? アリアが行ったら怒られちゃうよ」
「でも……!」
「アリアは、レオのことをお願い」

 強い決意を見せてそう言ってくれるアリアに私は首を振った。
 今レオが何を考えているのかはわからない。
 けれど今レオに寄り添える人がいるとすれば、それはアリアだけだから。

「でも、今のレオは私でも何が何だか……」
「それでも、レオにはアリアしかいないよ。だって今の私じゃ、レオに何も言ってあげられないもん。だから、お願い」
「……わかった。レオのことは一旦私に任せて。その代わり、絶対に死んじゃダメだからね、アリス」
「うん。わかってる」

 私は頷くとアリアの手を放して一歩退がった。
 心配そうに見つめるアリアの目が、私を放さない。

 胸に手を当てて氷室さんの心を感じる。
 強い恐怖と苦しみに苛まれて、悲鳴を上げているのがわかる。
 心細くて、それでも挫けないで自分を奮い立たせて、必死に戦っている。
 そして私のことを、呼んでいる。

 繋がりを辿ってその心を強く感じる。
 私を求める心を、私を呼ぶ声を強く意識して、それを救いたいと望む。

「私に、友達を助ける力を貸して。氷室さんを助ける力を……」

 制限がなくなったからか、返答は早かった。
 心の奥から力が込み上げてきて、私の手の中に『真理のつるぎ』が現れる。
 その力と共に、より強く、繋がる氷室さんの心を感じた。

「じゃあアリア。行ってくるね」
「…………うん」

 私が笑いかけると、アリアはただ一言頷いただけだった。
 もう多くを語るつもりはないようで、ただ力強く頷いてくれるだけだった。
 でもそれが何だか心強くて、信じてもらえていると思えて嬉しかった。

 だから私もそれ以上は何も言わずにアリアに背を向けた。
 振り返ることなく、口を開くこともなく体に光をまとわせて、光速でビルの屋上を飛び立つ。
 ただ一直線に、氷室さんの元へ向かって夜の空を駆けた。
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