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第7章 リアリスティック・ドリームワールド
132 深淵
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「危ない!」
吹き上がった闇に、私よりも透子ちゃんが先に反応した。
私とレイくんを遮った闇は、遥か下方から間欠泉のように飛び上がって、既に私たちよりも高くへ昇っている。
そして周囲にその黒を振りまかんばかりに、私たちの頭上で大きく広がった。
透子ちゃんは私を後ろから抱き寄せると、急速に後方へと飛び退いた。
咄嗟のことでされるがままの私は、しかしそれでも前方のレイくんから目を離さなかった。
「レイくん!」
私に向かって手を伸ばしていたレイくんに、闇の噴出をかわす術はなかった。
前のめりになっていたその体は、吹き上がってきた闇をもろに受け、押し飛ばされてよろめいていた。
この闇がなんであるかなんて、考える必要もない。
あの心が凍り付くような声は、彼女の以外には有り得ない。
ドルミーレがこちらに意識を向けてきたんだ。
吹き出した闇はあっという間に周囲を覆い尽くし、その場を離脱しようとした私たちごと深い黒で閉じ込めた。
光は一瞬で消え去り、温かみは引いていき、寂しく悲しい冷たさだけが空間を満たす。
何もかも無くなったような闇の中で、抱きしめてくれている透子ちゃんの温もりだけが、唯一私がここにいると教えてくれた。
しかし、それは強引な力で引き剥がされた。
固く抱きしめてくれていた透子ちゃんの腕は、濁流に流されるかのように解け、あっという間にその感覚が遠のいてしまった。
けれどそれを止めることも、存在を確かめることもできず、私は闇の奔流に身を委ねるしかなかった。
肌で、全身で、ドルミーレの強い気配を感じる。
いや、心の中の世界にいる今、私の丸裸の心が直に彼女を感じている。
僅かでも気を抜けば押し潰されそうな、異次元の存在の圧力を。
そして、唐突に闇が晴れ、視界が戻ってきた。
そう認識した瞬間、宙に浮いていたはずの足がストンと地面に降り立った。
私たちは既に上空にはおらず、どんよりと暗い森の只中に立っていた。
「────────」
全く見覚えのない、暗く重苦しい森。
いつもの巨大な森でもなく、その更に深くにある小さすぎる森でもない。
等身大のスケールの、凡そ常識の範囲内の大きさの森だ。
けれど木々は焼け焦げたように黒ずみ枯れていて、降り注ぐ光もない黒に満ちた森。
視覚が情報を認識できるのが不思議なくらい、暗い場所だった。
透子ちゃんの姿はやはりなく、私は自分だけの力でこの場に立ち尽くしていた。
そしてすぐ横にはレイくんが膝をついていて、引き立った顔で一点を見つめている。
その先にいるものはわかり切っていたけれど、だからこそ、視線を追うのには少し勇気が必要だった。
けれど、戸惑っている場合じゃない。
この場にいる不安と恐怖、それに透子ちゃんの心配に心が駆り立てられるけれど。
今は、目の前にあるものに集中しなければならない。
「本当に、あなたは絶え間なく騒がしいわね」
ドルミーレが、静かにそう言った。
黒塗りの大きな椅子に身を預け、目蓋を閉じたまま。
私と全く同じ姿をした、私ではない人。
黒いドレスを身にまとい、髪は真っ直ぐ下ろしてはいるけれど、私と瓜二つの顔を持つ人。
私の過去の切り離しであったあの『お姫様』であれば、同じ姿を持っていることに納得がいった。
けれど私の一部ではない彼女が、どうして私の姿をしているのか疑問だった。
でも、今ならわかる。私が、彼女に似て生まれたんだ。
私が、彼女の夢だから。
「ドルミーレ…………」
彼女が、彼女こそが本物。私の正体。
こうしてあらゆる隔たりを乗り越えて対面すると、今までとは比べ物にならない圧力を感じた。
奥底で眠っていた時、封印されていた時の彼女など、その本領に到底及んでいなかったんだ。
今にも押し潰されそうなのを堪えて、逃げ出したくなるのを堪えて、対面する同じ顔の人の名を口にする。
するとドルミーレはピクリと眉を動かしてから、ゆっくりと目蓋を開いた。
宇宙の全てを内包しているような、果てしなく黒い瞳が私に向けられる。
「まったく、トラブルを持ち込んでくるなんて呆れたわ。あなたは以前、自分のことは自分ですると言ったから、多少騒がしいことには目を瞑っていたのに。まぁ、無礼者には我慢できなかったけれど」
ドルミーレは浅い溜息をつきながら、ポツリとそう言った。
レオとの戦いの時私が言ったことを、彼女なりに守っていたらしい。
確かに彼女が怒って表に出ようとした時、私が強く拒めば引っ込んでくれた。
もちろん、昨日のように例外もあったけれど。でもきっとあれは、私の弱さが原因だ。
「あなたは私。けれど私とあなたは相入れない別物。あなたはただ、私にその景色を見せてくれていれば良かったのに。自分から色んなことに首を突っ込んで、果てにこんなところまで他人に許してしまうなんて」
ドルミーレは肘置きで頬杖をつきながら、気怠そうにそうこぼす。
終始静かに眠ることを望んでいた彼女にとって、私が『まほうつかいの国』の問題に関わることは想定外、且つ不本意だったんだ。
それでも彼女の逆鱗に触れること以外は関与してこなかった。
けれど私の心の中、彼女に近いところまで問題は転がり込んできてしまった。
だから流石の彼女も無視はできなくなったんだ。
「……私は、花園 アリス。あなたの夢によって生まれた存在だとしても、私はあなたじゃなく私。私は、自分の心と意志で今を生きる」
やれやれと肩を竦めるドルミーレに、私は深呼吸をしてから意思を示した。
何もかもが自分中心だと思われたらたまらない。
私は私なんだと、彼女にわからせる必要があるから。
「ここは私の心の中だ。あなたに大きな顔なんてして欲しくない。ここに来た友達のことも、踏み込まれてしまったことも、全部私の問題だから。眠っていたいのなら、あなたはずっと眠っていればいい」
「言うわね」
ドルミーレは可笑しそうに薄く微笑んだ。
そこには嘲笑も含まれており、向けられた視線は冷ややかだった。
「もちろんあなたの言う通り、あなたの問題はあなたが自分でどうにかすればいいでしょう。けれど、私も以前に言ったわよ? 私に向けられた害意を無視はできないってね」
そう言うと、ドルミーレはようやく私の横に視線をずらした。
その先にいるレイくんは膝をついたまま息を飲んだ。
「私の心を勝手に他へと映し出し、剰えその力を下品に振りかざし、果てには私の心へ踏み込もうとする。ここまで侮辱されて、黙っているのは難しいわね」
「ッ………………」
その声は、本来の冷たさを更に上回った冷ややかさを持っていた。
燃え滾るような怒りではなく、氷のように凍てついた静かな怒り。
その感情の全てを視線と言葉に乗せ、ドルミーレはそっと憤る。
真奈実さんに投影され、力を使われたこと。それに対する怒りは、やはり彼女の死をもってしても晴れてはいなかった。
ただぶつける先がなくなったことで、黙らざるを得なかっただけだ。
しかしそれを導いたレイくんが、彼女を目指してここまで乗り込んできた。
それを堪える彼女ではない。
「ドルミーレ、僕は……」
レイくんはようやく口を開いた。
本来ならば再会を喜びたいだろうに、しかし向けられる威圧がそんなことは許さない。
それでも直向きに真っ直ぐに。
顔を引き締めながらも、レイくんは縋るような目を向ける。
「僕は君を────」
親愛のこもった瞳で声を上げ、レイくんが立ち上がろうときた時。
どこかともなく現れた漆黒の『真理の剣』が六本、レイくんの首に囲むように突き付けられた。
吹き上がった闇に、私よりも透子ちゃんが先に反応した。
私とレイくんを遮った闇は、遥か下方から間欠泉のように飛び上がって、既に私たちよりも高くへ昇っている。
そして周囲にその黒を振りまかんばかりに、私たちの頭上で大きく広がった。
透子ちゃんは私を後ろから抱き寄せると、急速に後方へと飛び退いた。
咄嗟のことでされるがままの私は、しかしそれでも前方のレイくんから目を離さなかった。
「レイくん!」
私に向かって手を伸ばしていたレイくんに、闇の噴出をかわす術はなかった。
前のめりになっていたその体は、吹き上がってきた闇をもろに受け、押し飛ばされてよろめいていた。
この闇がなんであるかなんて、考える必要もない。
あの心が凍り付くような声は、彼女の以外には有り得ない。
ドルミーレがこちらに意識を向けてきたんだ。
吹き出した闇はあっという間に周囲を覆い尽くし、その場を離脱しようとした私たちごと深い黒で閉じ込めた。
光は一瞬で消え去り、温かみは引いていき、寂しく悲しい冷たさだけが空間を満たす。
何もかも無くなったような闇の中で、抱きしめてくれている透子ちゃんの温もりだけが、唯一私がここにいると教えてくれた。
しかし、それは強引な力で引き剥がされた。
固く抱きしめてくれていた透子ちゃんの腕は、濁流に流されるかのように解け、あっという間にその感覚が遠のいてしまった。
けれどそれを止めることも、存在を確かめることもできず、私は闇の奔流に身を委ねるしかなかった。
肌で、全身で、ドルミーレの強い気配を感じる。
いや、心の中の世界にいる今、私の丸裸の心が直に彼女を感じている。
僅かでも気を抜けば押し潰されそうな、異次元の存在の圧力を。
そして、唐突に闇が晴れ、視界が戻ってきた。
そう認識した瞬間、宙に浮いていたはずの足がストンと地面に降り立った。
私たちは既に上空にはおらず、どんよりと暗い森の只中に立っていた。
「────────」
全く見覚えのない、暗く重苦しい森。
いつもの巨大な森でもなく、その更に深くにある小さすぎる森でもない。
等身大のスケールの、凡そ常識の範囲内の大きさの森だ。
けれど木々は焼け焦げたように黒ずみ枯れていて、降り注ぐ光もない黒に満ちた森。
視覚が情報を認識できるのが不思議なくらい、暗い場所だった。
透子ちゃんの姿はやはりなく、私は自分だけの力でこの場に立ち尽くしていた。
そしてすぐ横にはレイくんが膝をついていて、引き立った顔で一点を見つめている。
その先にいるものはわかり切っていたけれど、だからこそ、視線を追うのには少し勇気が必要だった。
けれど、戸惑っている場合じゃない。
この場にいる不安と恐怖、それに透子ちゃんの心配に心が駆り立てられるけれど。
今は、目の前にあるものに集中しなければならない。
「本当に、あなたは絶え間なく騒がしいわね」
ドルミーレが、静かにそう言った。
黒塗りの大きな椅子に身を預け、目蓋を閉じたまま。
私と全く同じ姿をした、私ではない人。
黒いドレスを身にまとい、髪は真っ直ぐ下ろしてはいるけれど、私と瓜二つの顔を持つ人。
私の過去の切り離しであったあの『お姫様』であれば、同じ姿を持っていることに納得がいった。
けれど私の一部ではない彼女が、どうして私の姿をしているのか疑問だった。
でも、今ならわかる。私が、彼女に似て生まれたんだ。
私が、彼女の夢だから。
「ドルミーレ…………」
彼女が、彼女こそが本物。私の正体。
こうしてあらゆる隔たりを乗り越えて対面すると、今までとは比べ物にならない圧力を感じた。
奥底で眠っていた時、封印されていた時の彼女など、その本領に到底及んでいなかったんだ。
今にも押し潰されそうなのを堪えて、逃げ出したくなるのを堪えて、対面する同じ顔の人の名を口にする。
するとドルミーレはピクリと眉を動かしてから、ゆっくりと目蓋を開いた。
宇宙の全てを内包しているような、果てしなく黒い瞳が私に向けられる。
「まったく、トラブルを持ち込んでくるなんて呆れたわ。あなたは以前、自分のことは自分ですると言ったから、多少騒がしいことには目を瞑っていたのに。まぁ、無礼者には我慢できなかったけれど」
ドルミーレは浅い溜息をつきながら、ポツリとそう言った。
レオとの戦いの時私が言ったことを、彼女なりに守っていたらしい。
確かに彼女が怒って表に出ようとした時、私が強く拒めば引っ込んでくれた。
もちろん、昨日のように例外もあったけれど。でもきっとあれは、私の弱さが原因だ。
「あなたは私。けれど私とあなたは相入れない別物。あなたはただ、私にその景色を見せてくれていれば良かったのに。自分から色んなことに首を突っ込んで、果てにこんなところまで他人に許してしまうなんて」
ドルミーレは肘置きで頬杖をつきながら、気怠そうにそうこぼす。
終始静かに眠ることを望んでいた彼女にとって、私が『まほうつかいの国』の問題に関わることは想定外、且つ不本意だったんだ。
それでも彼女の逆鱗に触れること以外は関与してこなかった。
けれど私の心の中、彼女に近いところまで問題は転がり込んできてしまった。
だから流石の彼女も無視はできなくなったんだ。
「……私は、花園 アリス。あなたの夢によって生まれた存在だとしても、私はあなたじゃなく私。私は、自分の心と意志で今を生きる」
やれやれと肩を竦めるドルミーレに、私は深呼吸をしてから意思を示した。
何もかもが自分中心だと思われたらたまらない。
私は私なんだと、彼女にわからせる必要があるから。
「ここは私の心の中だ。あなたに大きな顔なんてして欲しくない。ここに来た友達のことも、踏み込まれてしまったことも、全部私の問題だから。眠っていたいのなら、あなたはずっと眠っていればいい」
「言うわね」
ドルミーレは可笑しそうに薄く微笑んだ。
そこには嘲笑も含まれており、向けられた視線は冷ややかだった。
「もちろんあなたの言う通り、あなたの問題はあなたが自分でどうにかすればいいでしょう。けれど、私も以前に言ったわよ? 私に向けられた害意を無視はできないってね」
そう言うと、ドルミーレはようやく私の横に視線をずらした。
その先にいるレイくんは膝をついたまま息を飲んだ。
「私の心を勝手に他へと映し出し、剰えその力を下品に振りかざし、果てには私の心へ踏み込もうとする。ここまで侮辱されて、黙っているのは難しいわね」
「ッ………………」
その声は、本来の冷たさを更に上回った冷ややかさを持っていた。
燃え滾るような怒りではなく、氷のように凍てついた静かな怒り。
その感情の全てを視線と言葉に乗せ、ドルミーレはそっと憤る。
真奈実さんに投影され、力を使われたこと。それに対する怒りは、やはり彼女の死をもってしても晴れてはいなかった。
ただぶつける先がなくなったことで、黙らざるを得なかっただけだ。
しかしそれを導いたレイくんが、彼女を目指してここまで乗り込んできた。
それを堪える彼女ではない。
「ドルミーレ、僕は……」
レイくんはようやく口を開いた。
本来ならば再会を喜びたいだろうに、しかし向けられる威圧がそんなことは許さない。
それでも直向きに真っ直ぐに。
顔を引き締めながらも、レイくんは縋るような目を向ける。
「僕は君を────」
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