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第二幕 嘆きの乙女
三章 不器用な人 1
しおりを挟む「エリック、待って待って、ストップ!」
エリックの指定した部屋にやって来たレニーは、部屋の真ん中に置かれたドレスを目にするや、くるりとエリックを振り返り落ち着くようにと手で促した。
「僕はなんにも急いでないよ、レニー」
動揺しておかしなことを口にしたレニーに、エリックはマイペースに返した。
「分かってる、分かってるのよ。落ち着くべきなのは私の方だってことはね! だけど待って、本当に待って。……このドレスを着るの? 私が?」
出来れば答えを知りたくない問いかけだったが、レニーはドレスと向き直り、やむをえず口にした。
今にも逃げ帰りたいレニーの前で、トルソーにかけられたローズピンク色のドレスは燦然とその姿を誇示している。詰まった襟元には白いレースのリボンがつけられ、袖口にもたっぷりとレースが使われている。見た目はとても素晴らしいのだ。ビスクドールの為にあつらえたかのような、これでもかと可愛らしくしたドレスだから。
それをレニーが着るというのが問題だ。非常に問題だ。レニーが着たら、レースの海に沈没して窒息してしまいそうだ。つまり究極に似合わないってことだ。
「もちろんだよ。君が着るんだ」
レニーの右斜め後ろに立ったエリックが、ドレスの向こうにある姿見の中で、嫣然と微笑む。灰色を基調としたドレスに身を包んだ彼は、今日も美少女モード全開だ。
「ねえ、ディアナ様が似合うドレスを選んだっていうことは分かるわよ? ローズピンク色なんて子ども向けの色だもの。でもね、エリック、私が着るのよ? たまたまディアナ様に顔立ちが似てるだけで、全然美人じゃない私がね!」
「レニー、ディアナにそっくりなんだから、君はなかなか良い素地をしている。それは間違いない。ただ、その野暮ったい紺色のワンピースや、がさつな歩き方や態度に問題があるだけだ」
「野暮ったい? 仕事着だからそうかもしれないけど、そこまで言わなくてもいいじゃないの。てゆーか、がさつだと思ってたわけ!」
レニーがこめかみに青筋を立ててエリックに詰め寄ると、エリックはそっと目を伏せた。その今にも風に飛ばされそうな儚げな様子に、レニーの勢いは急速にしぼんだ。
「君が自分を繊細だと思ってたなんて思わなかった。ごめんね、レニー」
「謝ってないでしょ、それ」
だが、そんなエリックの返事に、レニーの怒りは再燃した。そのことに気付いたのか、エリックは誤魔化すようにもう一つのドレスを手で示す。
「それともあちらのドレスの方が良かったかな?」
「いやいや、だから、何でこの二択なの?」
ローズピンク色のドレスの隣に置かれた、小ぶりな花飾りがついた白いドレスを見つけたレニーは、頭痛を覚えた。どちらも子どもだから着られる色合いのドレスだが、白いドレスはいかにも繊細な作りで、ローズピンクのドレスよりもっと似合わなさそうだ。
レニーはじっとりと重たい視線をエリックへとぶつける。
「もしかして、この色のチョイスは、成人したばかりの私への嫌がらせなの?」
「大丈夫だよ、レニー。君に大人のレディーの色気は見当たらないから」
「それって私には全然大丈夫なことじゃないわ!」
笑顔で失礼な発言をするエリックに、レニーは勢いよく噛みついた。
しぶとく食い下がるレニーに、エリックは困ったような顔をして、手札を切った。
「嘆きの乙女を見たいんだろう? レニー」
エリックは悪魔の囁きを口にして、有無を言わせぬ笑みでレニーに選択を迫る。嘆きの乙女、その言葉は、子ども向けの似合わないドレスを着ることへの不愉快さを弾き飛ばすだけの威力はあった。
レニーは渋々ドレスに向き直り、どちらを着るかを選ぶ。
「う。ううう。うううーっ」
レニーにとっては究極の選択だ。
悩みに悩んだ末、結局、ローズピンク色のドレスを無言で指差した。
エリックは満足げに頷く。
「じゃあ、このドレスで決まりだね。レニーって可愛いよね。この二つを並べたら、絶対にこっちを取ると思ったよ」
「遠回しに馬鹿にしてるでしょ?」
エリックのいう“可愛い”には、“馬鹿だから”という隠された言葉がついていた。間違いない。
レニーはエリックを睨んだけれど、エリックが呼んだメイドにより、すぐにレニーは着付けの為に別室へ誘導されたので、結局文句を言えず仕舞いだった。
*
「レニーお嬢さん、お疲れ様です。きっとお疲れだろうと思って、お茶をご用意しておりますよ」
ドレスのサイズ調整だけでぐったりと疲れ果てたレニーが工房に戻ると、ミラベルが温かい笑みとともに労ってくれた。
「ありがとう、ミラベル……!」
「いえいえ。それとですね、お嬢さん、ニーネさんから伝言をお預かりしています」
「え? ニーネさんから?」
レニーは早速茶菓子を摘まみながら、テーブルの傍に立つミラベルを見た。
「はい。レニーお嬢さんのお母様がおいでになっているから、仕立屋の方に戻るそうです。お嬢さんの用事が終わるのが遅い時間でなければ、仕立屋においで、だそうですよ。無理なら明日でも良いとのことですが、いかがなさいますか?」
ミラベルの問いかけに、レニーは時計を見た。ちょうど正午近い時間帯だ。
「時間は余裕があるから、お昼ご飯を食べた後に出かけるわ」
「でしたらすぐにご用意いたしますね」
キッチンへと引っ込むミラベル。
レニーはお茶の入ったカップを見下ろす。レニーの好きな薬草ブレンドティーの薄黄色の水面には、眉間に皺を寄せたレニーの顔が映っている。
(お義母さん、もう来たんだ……。あんまり会いたくないけど、行くしかないよね)
あの手紙の真意を確かめなくてはいけない。
レニーは家を追い出されたはずなのに、まるでいつ帰ってきてもいいような書き方だった。後継ぎはイクスだから、レニーが出て行くのは当然だと、前にジゼルは言っていたのに。
ジゼルの冷たい眼差しを思い出して、レニーはますます会う気を削がれるのだが、後回しにしても仕方がない。
(覚悟を決めて、行ってこよう)
そして、ミラベルが用意してくれた昼食を綺麗に平らげると、気合を入れて屋敷を出た。
*
「ニーネさん、こんにちは。伝言を受け取ったので来ましたよ」
午後、リングリンド通りにあるニーネの仕立屋に顔を出したレニーは、帽子を脱ぎながら家へと入った。
しかし返事が無いので、店の奥、キッチンと食堂が同じ場所にある部屋に行くと、ニーネとジゼルが雑談に熱を入れていた。話しこむあまり、レニーの来訪に気付かなかったようだ。
「あら、レニー。お帰りなさい」
「……久しぶりね」
にこやかに笑うニーネの正面に座るジゼルが静かな茶色の目をレニーに向けた。
「久しぶり」
レニーはそう返したものの、ジゼルの前にいるとどうにも居心地が悪く、脱いだ帽子を無意味に手の中で曲げたり伸ばしたりしてしまう。
三十代後半であるジゼルは、薄茶色の髪をひっつめに結った、家庭教師でもしていそうな厳格そうな見た目をしている。格好いいと故郷の女子にモテるイクスがジゼル似なだけはあり綺麗な顔立ちをしているのだが、物静かで普段から笑うことが滅多と無いのもあり、冷たい印象があった。
ニーネの隣に座ったレニーと反対に、今度はニーネが席を立った。
「ちょうど良かったわ、レニー。ウィルの所に顔を出そうと思っていたの。じゃあ、ジゼル姉さん、ゆっくりしていって。さっきの説明で分からないことがあったらレニーに聞いてね。それじゃあ、私は失礼するわ」
「えっ、ニーネさん」
「食器の片付けはよろしくね、レニー」
「は、はい……」
同席をあてにしていたニーネが不在になり、レニーは慌てたが、ウィルという名を聞いて納得し、椅子に座り直した。ウィルはニーネが母親の代から懇意にしている布地商の息子で、ニーネの幼馴染だ。そこへ、依頼で必要な材料の話でもしに行くのだろう。邪魔は出来ない。
腹を据えて椅子に座り直したレニーだが、ジゼルに何を話しかければいいか分からず、困ってテーブルの木目を見つめた。
(沈黙が重い……!)
手紙の真相を聞くつもりだったのに、ジゼルを前にすると口が貝のようになってしまう。どうしようと焦れば焦る程、話題が何も出て来ない。
「きょ、今日は天気が良いですね!」
「……今日は曇りよ。雪が降ってたわ」
頑張って口にした内容が思い切り上滑りし、レニーは恥ずかしくなって顔を真っ赤にした。馬鹿だと思ったに違いないと、身を縮めていると、ややあってジゼルが聞いてきた。
「……元気?」
「うぇっ、は、はいっ、元気です!」
レニーがジゼル相手に敬語になってしまうのは、いつもことだ。なんとなくそうしなくてはいけない気がして、こんな話し方になってしまうのだ。
「……イクスには会った? 大丈夫だったかしら」
「え? 会いましたけど?」
大丈夫とは?
木目を見るのをやめ、レニーは恐る恐るジゼルの方を見た。冷たい目をしているかもしれないと思っていたが、思いの他、ジゼルの目には心配そうな色合いがあった。
「あの子、怒ってたから。とうとう思い余ってあんたに何かしたんじゃないかと思って……。怪我はしてない? そう、良かった」
首を横に振るレニーの仕草に、ジゼルは小さく息を吐いた。レニーは目を白黒させ、首を傾げるばかりだ。
「あの、お母さん? あの手紙といい、どういうこと?」
「どういうって? イクスが怒ってたから気を付けるようにっていうそのままだったはずだけど」
「いや、女神祭には帰っておいでって書いてあったから」
「帰ってくるでしょう?」
ジゼルは僅かに首を傾げた。
ジゼルから表情が読めず、レニーは深い困惑の淵に立たされる。
(なにかしら、話は出来ているのにかみ合ってないこの感じ)
意を決し、思い切って聞いてみることにする。
「だって、私、家を追い出されたんじゃないの?」
「追い出す? 何の話?」
「え?」
「……?」
いったいどういうことだとレニーは訳が分からず、意味もなく室内を見回す。だがどこを見ても答えは書いていない。結局、ジゼルに視線を戻す。
「だ、だって、家を出る時、イクスが後継ぎだから私が家を出るのは当然だって……」
ジゼルは相変わらず僅かに首を傾げたまま、レニーの問いかけに答える。
「当然でしょう? イクスが後継ぎになったら、あんた、ますますあの子にいびられるじゃない。家を出た方が良いに決まってる」
「はあ……。はい?」
なんだか予想外すぎるところからの返事をもらった気がする。
「イクスがあなたを苛めてたの、私はもちろん気付いてたわよ? せっかく引き離して、ニーネの所に避難させてあげたのに、どうしてイクスに会うの?」
ジゼルは眉を吊り上げて、レニーを睨んだ。
凍えるような眼差しに、レニーはビシッと背筋を伸ばす。
しかしジゼルはすぐに視線を逸らし、溜息を吐いた。
「私はあの子を連れ戻しに来たの。だからあんたは何も心配しなくていいわ」
「は、はい……」
レニーは首肯を返しながら、ジゼルをまじまじと見る。
冷たそうな外見も、少しトゲが混じるような話し方も、いつものジゼルだ。だが、この人はもしかして、言葉が足りていないだけで、本当は思いやりのある優しい人なのかもしれない。
(つまり、最初に私が追い出されたと思った言葉も、色々と説明が足りてなかったってことよね?)
継母だからと壁を感じていたのはレニーだけで、実際はそうではなかったのだろうか。
「レニー、イクスの居場所を知ってるなら教えてちょうだい。それと、ニーネから聞いたけど、お金持ちのお屋敷で仕事してるんですって?」
ジゼルの問いに、レニーは小さく頷いた。
相変わらず混乱したまま、イクスの居場所や今の仕事の話をする。ジゼルは静かに聞いている。
(誤解だったと分かっても、この空気はやっぱり苦手だわ)
息が詰まるような厳粛な空気だ。まるで見張られているかのように、どこにいても視線が追いかけてくるように感じてしまう。クラインズヒルにいた時は、外にいる時以外はなんとなく落ち着かなかったものだ。
レニーの話を聞き終えたジゼルは、僅かに眉を寄せた。
「ロザリンド・リースの嘆きシリーズ……ね」
ぽつりと呟き、ジゼルはキッチンの窓から外を見る。だが、その目は遠くを見るように細められている。
「リックが生前言ってたわ、そのシリーズには出来るだけ関わるなって」
「え……? 父さんが?」
ジゼルは僅かに目を伏せ、頷いた。
「職人なら、誰かを幸せにする作品を作るべきだ。あんな作り手の感情を露わにしたようなものは、誰かに渡すべきじゃないって」
「作り手の感情?」
「ええ。あれは嘆く女の一生をえがいた作品なのよ、レニー。……私も、あまり近付きたくはないわね」
遠くに想いをはせていた彼女は、レニーの方に向き直ると、苦いものを混ぜた笑みを薄らと浮かべた。
「お嬢様の身代わり役なんてゾッとしない話ね。でも、一度引き受けたのだから、最後まで真面目にこなしなさい。ああいう人達は気まぐれだから、敵に回さないように気を付けることね」
ジゼルはそう忠告すると、席を立つ。話は終わりらしい。ジゼルが食器を手にして水場の方に行くので、レニーも食器を手にしてそちらに向かう。
「私が洗うわ」
「いいのよ、これくらいしておくわ。あんたはもう屋敷に戻りなさい。怪我がないかだけ確認したかっただけだから」
ジゼルが、眉を寄せて怖い顔をしているのを見て、レニーは恐る恐る話しかける。
「あの、お母さん? 一応、言っておくけど、イクスには暴力を振るわれたりなんてしてないわよ?」
するとジゼルは振り返り、馬鹿にするような冷たい眼差しをした。
「なに言ってるの。虫や蛙を部屋に投げ込んだり、心無い言葉を口にしたりすることが暴力ではないというの? 神様がお嘆きになるわ」
「すみませんでしたっ」
レニーは悪くないのに、思わず深く謝罪してしまった。
だが、話の内容を聞いていなかったら、ジゼルの目は、完全に継子いびりのそれである。
(お母さんって不器用なのかな、もしかして……)
感情を露わにするのが苦手なのかもしれない。
(たぶん、綺麗だから余計に悪役じみて見えるんだろうなあ)
綺麗な人が無愛想だと普通の人よりも冷たく見えがちだ。
気付かなかったジゼルの一面に触れたレニーは、綺麗な顔をしていても損になることがあるのだなと、変な方向から感心して頷くのだった。
応援ありがとうございます!
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