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第二幕 嘆きの乙女
三章 2
「イクス、見つけたわよ」
レニーが帰った後、ジゼルはニーネの仕立て屋を出て、ダルフィンズ通りに面した安宿〈野バラ〉へと姿を現した。そして、腰に手を当てて、息子であるイクスに冷たい眼差しを向けた。
「げ、母さん……!」
狭い部屋に置かれたテーブルで羊皮紙の束を捲っていたイクスは、戸口を向いた顔を引きつらせた。
「そういう顔をするんだから、自分が気まずくなるようなことをしたと分かっているわけね?」
扉を閉め、つかつかとイクスの元までやって来ると、ジゼルは威圧を込めてイクスを見下ろした。
「あんた、レニーのことを嫌ってるんでしょう? なのに、どうしてわざわざ探し出して会いに行く真似なんかするの? 嫌がらせでそこまでする? お母さん、いい加減怒るわよ」
「なっ、別に俺はレニーのことを嫌ってなんか……!」
憤然と椅子を蹴立てて立ち上がるイクス。その勢いに、ジゼルは後ろに一歩下がった。しかしすぐに詰め寄りなおす。
「嘘おっしゃい! 妹の部屋に蛙や虫を投げ込んだり、暴言吐いたりすることのどこが嫌がらせじゃないっていうの? 妹なんだから仲良くしなさいって何度も言ってるでしょう? 幾らリックが死んだからってね、あの子はもう私達の家族なの。リックの死に際に、家族として守るって約束したのよ。あんたは父さんの遺言もまともに守れないの?」
落ち着いた声音で淡々と話しかけながら、ジゼルはだんだん情けなくなってきた。彼女には、どこで息子の育て方を間違えたのか、皆目見当がつかなかったのだ。
「レニーは妹じゃないし、俺は兄じゃない」
イクスがうめくように返すと、ジゼルの我慢は限界だった。思わず平手でイクスの左頬を叩いた。
乾いた音が室内に響く。
「何でそこまで嫌うの? 何がいけないの?」
自分の子どものことなのに、考えがさっぱり理解出来なくて、ジゼルは涙ぐんだ。そんなジゼルを気まずげに見て、イクスはとうとう観念したように告白した。
「――逆だよ。好きなんだ」
「……は?」
聞こえた言葉が信じられず、ジゼルはハンカチで目元を拭う手を止め、唖然とイクスを見た。
イクスはすねたようなしかめ面で、乱暴に椅子に座り直す。
「だから、好きなんだって!」
また聞こえた。
(好き? 待って、好き……?)
ジゼルは無言のまま、静かに混乱する。
(私の知っている“好き”とは違うわよ)
普通、好きな女の子には優しくしたくなるのではないだろうか? だが、それなら頑なに兄ではないと言い張るイクスの心情は分からないでもない。
「だったらなんで、虫や蛙なんか部屋に放りこむの? 可愛くないとか女の子が傷つくようなこと平気で言うの? なんなのあなた、十歳の子どもなの?」
「レニーに会った時はガキだったろ」
「…………」
確かにそうだ。だが、解せない。
「でも最近でもそうだったわよね? 何であんな苛めみたいなことしていたの?」
これははっきりさせなくては。ジゼルはキッとイクスに鋭い視線を向ける。イクスはやはり気まずげにそっぽを向いている。
「……イクス、あんたの上っ面なんて私には通用しないのよ? そんな顔したって無駄。きりきりお吐き」
しばらく黙り込んでいたイクスだが、ジゼルが頑として動かないことに観念したのか、ぼそりと答える。
「…………から」
「なあに、聞こえないわよ」
「泣き顔が可愛かったからだよ! また見たかったんだよ、悪かったな!」
「なぁ……っ」
ジゼルは衝撃のあまり、ふらりとよろけた。
そんな幼稚な理由で、レニーに嫌がらせじみたことをしていたのか。
だんだん怒りを覚えてきて、ジゼルはぷるぷると震えた。部屋のベッドに近付き、枕を掴む。
「この馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
「いた! いたた! 馬鹿なのは俺が一番知ってるよ!」
ジゼルに綿入りの枕で叩かれたイクスは、腕で枕をガードするが、あまり意味は無い。
「母さん、情けないわよ! 好きならもうちょっとやりようがあるでしょう! 大馬鹿ね! 細工の腕はあんなに繊細なのに、なんなのその不器用ぶりは!」
「ううううるさいな! 母さんだって不器用な癖に! 感情表現下手すぎるだろ!」
「まああっ、実の母親になんて言いぐさなのっ?」
「いたっ、ちょっと叩くなよ! 綿入りでも痛いんだよっ!」
ぎゃあぎゃあと母と子での言い合いは、宿の従業員が苦情を言いに来るまで続いた。
それで落ち着くと、ベッドに座りこんだジゼルは、両手を顔に押し当てて落ち込んだ。
「ああ、最低。そんなところまで似なくていいのに……」
「俺もそう思う」
喧嘩後でふてくされたまま、イクスも呟いた。
似た者親子だと判明し、二人は同時に大きな溜息を吐くのだった。
*
オレンジ色を地平線に残し、藍色に沈み始めた空に、星が瞬き始めた。
レニーは緑色の毛糸の手袋をはめた両手を擦り合わせた。壁に預けた背中や、雪の積もった地面を踏んでいる足の先が冷たい。だが、工房に戻る気にならず、太陽が一片の光を残して消えるのをにらみつける。
(反省するのよ、レニー。あんたは義理の母さんが苦手だからって、全部悪いように受け取ってたのよ。そりゃあ、言葉が足りないジゼルお母さんも悪いけど、素直に聞き取っちゃう私も悪かったはずよ。言葉そのままで、裏読みするから誤解しちゃうんだわ)
リッドフォード家に戻るなり、レニーは冷たい外の空気にわざと身を置いて、自己反省をしていた。寒さは頭を冷えさせるから都合が良い。小さい頃から、ジゼルの言葉で誤解した気のする出来事を一つ一つ取り上げて、どういう意味だったか考え直していた。そして、レニーは一つの問題点に行き当たった。
(元々の原因って、父さんにある気がしてきたわ。父さんってば、実の娘が継母と仲良くなれるようになんて、一度も気遣ったことないのよね)
レニーの実の父親リックが再婚したのは、レニーが十歳になった辺りだ。
実の母親はレニーが八歳の時に亡くなり、仕事以外てんで駄目駄目なリックの生活力を見かねた父方の親類が世話をして、ジゼルとの再婚が決まったのである。
(仕事以外、ろくでなしなんだから)
記憶に残る父の姿は、工房で細工に向かう背中だ。父といえば背中というくらい、レニーは背中ばかり見ていた。それ以外は、今更ながら驚くことに、食事の時以外でまともに顔を合わせたことが無い。そんな父は細工については手先が器用だったが、家事能力が全く無く、まだ幼いレニーは、再婚までの二年間、必死に家事をしていた。
(お隣さんがたまに手伝いに来てくれなかったら、どうなってたんだろ。思い出してもゾッとするわよ)
今なら平気でこなせる家事だが、八歳の子供にはきつい仕事だった。しかも、リックは「よくやった」なんて褒める真似はしない人だから、余計に大変に感じたものだ。
怒りを覚えたレニーだが、すぐにその顔を緩ませる。
(あんな駄目父だったけど、細工を教えてくれる時は優しかったんだよね)
最初はリックの関心をひきたくて、細工を教えろとせがんだけれど、レニーはたちまち細工に魅了されたのだ。それに、細工が上手く出来た時は、リックがぽんと頭を軽く撫でてくれた。あの大きな手の平を今でもよく覚えている。
レニーの胸に、荒波が押し寄せた。衝動的に、レニーは小さく呟いた。
「お父さんの馬鹿」
波はあっという間に小さくなったが、視界がうるみ、レニーはぱちぱちとまばたきを繰り返して、涙をこらえる。
家族を残してさっさと死んでしまうなんて、やはり駄目父だと思う。せめてレニーの成人を見届けて欲しかった。
やり場のない気持ちを静める為に、レニーは大きく息を吐いた。足元を見つめていると、雪を踏む足音が聞こえた。
顔を上げたレニーは、母屋から工房へ続く小道に立つ紺色の影を見つけた。それは灰色の外套を紺色のドレスの上に纏ったエリックだった。右手でカンテラを掲げ、驚いたような顔をしている。
エリックの左手に熊のぬいぐるみを見つけ、レニーは変な取り合わせだと怪訝に思った。エリックが近づいてくるのを、レニーがしゃがみこんだ姿勢のまま見ていると、ようやく前に着いたエリックは当惑した様子で問う。
「やっぱりレニーだ。そんな所で何してるの? まるで捨てられてしょぼくれた子犬みたい」
「しょぼくれた子犬って何よ……」
相変わらず失礼な人だと、レニーはエリックをにらむ。が、エリックは更に動揺した様子で、一歩後ずさる。
「いつもの覇気はどうしたんだい、レニー。さてはお腹が空いているとか?」
「失礼ね! あなた、私のことを何だと思ってるのよっ」
レニーが声を荒げると、エリックはほっとしたように頷く。
「ああ、それでこそレニーだ。――ねえ、まさか泣いてたの? 出かけてたんだろう? もしかして君のお兄さんに何かされたのかい?」
「何もされてないわよ。なんなの、怖い顔して。ただ自主反省してるだけよ。こういう時って、黙って立ち去るのが紳士ってやつじゃないの?」
「僕は今、レディーだから関係無い」
真顔で否定したエリックを、レニーは唖然と見た。相変わらずの理解出来ない思考回路に、どっと疲労を覚え、レニーは額に右手の平を押し当てる。
(話が噛み合わない……)
エリックは実は人間ではなくて妖精ではないだろうか。それならこの変わり者ぶりも理解出来るのにと心底思う。
黙り込むレニーの姿に何を思ったのか、はっと気づいたようにエリックは声を上げる。
「あっ、もしかしてミラベルを怒らせるようなことをして、反省するようにと締め出されたとか?」
「ミラベルがそんなひどい真似をするわけないでしょ!」
とんでもない飛躍に驚いたレニーは、ほとんど怒鳴るように訂正する。そして、眉を寄せる。
「どうしてそんな想像がすぐに出来るのよ? まさか、エリックってば、締め出されたことあるの?」
「小さい頃に父さんにされたんだよ。でも、僕が大人しく外でじっとしてると思うかい?」
「いえ、全然」
エリックの問いに、レニーは即答した。エリックは満足げに首肯する。
「その通り。せっかくだからとそのまま敷地の外に出て行って遊んでたら、諦めた父さんが迎えに来たよ。それで家に入れてくれた。反省部屋に地下室を選んだ時も思ったけど、反省させたいなら、もう少し考えないと駄目だよね」
「地下室ならどうしてたのよ……?」
「昼寝するに決まってるじゃないか」
「……私、ウォルドさんが気の毒になってきたわ」
話を聞いていると、レニーの胸が切なくなってきた。
(なんて手ごわい悪ガキなのよ。エリックって昔からこうだったのね……)
もしレニーがウォルドだったら、諦めるよりもひどい癇癪を起こしているだろう。容易く想像が出来たので、ウォルドの寛容さに尊敬の念を抱いた。
エリックは首を傾げる。
「レニー、結局、どれが正解なんだい? 気になって夜も眠れないよ」
「嘘ばっかり。そんなことを言いながら、お休み三秒なんでしょ? 言っておくけど、どれも違うわよ。ジゼルお母さんの言葉が足りてなかっただけだって分かったから、反省してるの」
エリックはますます不思議そうに眉を寄せる。
「それは君の母親が悪いんじゃないの?」
「苦手だからって悪く受け取ってた私も悪いでしょ? 追い出されてなかったのはほっとしたわ。家にいた時はイクスに意地悪されてたのを見かねて、距離を取らせてくれたんだって」
「そういう誤解なら解けて良かったね、おめでとう。僕には君が反省する理由がさっぱり分からないけどね。喜べばいいだけの話じゃない? 変なとこで真面目だよねえ、君ってさ」
エリックは大仰に肩をすくめて空を仰ぐ。レニーは複雑な気持ちになった。変人に理解出来ないと言われるなんて、レニーの方が余程変人みたいではないか。
「結果が良かったなら、もう反省終わり。いったいいつからそこに座りこんでたの? 唇が紫色だよ」
呆れながら手を差し出すエリック。レニーは渋々その手に掴まって立ち上がる。確かにとても寒い。
そのまま工房の中に押されるようにして入ると、ミランダが明るい笑顔を向けて挨拶した。
「あ、お帰りなさい、レニーお嬢さん。夕食のご用意が出来ておりますよ! ――っと、若旦那様!? 失礼致しました、どうぞこちらへ。お茶をお持ちいたします」
「今日はいらないよ、ミランダ。すぐに戻るから。それより、レニーにホットミルクを」
「まあ、ほんと! よっぽど寒い中を帰っていらしたんですね、お顔が真っ青です。すぐにご用意いたしますね」
何も知らないミランダは不憫そうにしかめ面をして、レニーの外套やマフラー、手袋を服掛けに置くや、すぐにキッチンに向かい、ホットミルクを運んできた。
レニーは暖炉前に置かれた椅子で体を温め、礼を言ってカップを受け取った。
「そういえば、エリックは何の用事で来たの?」
寒さが落ち着くと、レニーには当然の疑問が浮かんだ。
「うん。これをプレゼントするよ」
「え?」
あいている左手に熊のぬいぐるみを押し付けられたレニーは、きょとんと熊のぬいぐるみを見下ろす。黒いつぶらな瞳と目があった。ぬいぐるみの毛皮はとても上等らしく、滑らかな肌触りで、レニーはぎょっとする程だった。
「え? 何で? いつもに増して考えが分からないんだけど、とりあえずこんな高価な物は受け取れないわ!」
レニーはテーブルにホットミルクの入ったカップを置き、エリックに熊のぬいぐるみを返す。だが、エリックは受け取った熊のぬいぐるみを、チェストの上に置いた。
「この間、君のバルバレ人形を勝手に燃やしたから、そのお詫びだよ」
エリックの言い分に、レニーは絶句した。
「え? まさかあの不気味な人形の代わりってこと? ちょっと、流石にそれはこの熊が嘆くわよ!」
「レニーってときどき本当に失礼だよねえ。隣国の由緒正しい品だってちゃんと説明しただろ?」
「私にはただの呪われた品よ。もう、受け取れないって言ってるのに。――うわなに、このふわふわ加減!」
膨れながら熊のぬいぐるみを両手に持ったレニーは、今度はきちんと触ったことで、その滑らかな毛触りが分かり、たちまち魅了された。しばらく無心で背中を撫でた後、子どもじみている自分の有様に恥ずかしくなる。
「気に入ってくれたみたいで良かった。もしあの人形に愛着があっても、これで代わりになると思うよ」
「だから愛着なんかないってばっ」
レニーは語調を強める。エリックはわざとなのか本気なのか判断出来ない態度で、にっこりと笑う。
「それならいいんだ。じゃあ、レニー、今日はこれで。明日はパーティーの打ち合わせだからそのつもりでよろしく。嘆きの聖女は当日の夕方、準備が整ったら見せてあげるよ」
「分かった」
パーティーについて考え込んだレニーは、ふと顔を上げ、エリックがいないことに気付いた。
「あっ、やられた! 結局受け取っちゃった……」
がっくりとうなだれ、レニーは熊のぬいぐるみを見下ろす。
「良かったですね、お嬢さん」
ミランダがにこにこと笑って言い、レニーは首を横に振る。
「良くないわ。こんな贅沢品、庶民の敵よ」
そう力無く呟いたものの、あまりに素晴らしい触り心地に、気付けば熊のぬいぐるみを夢中で撫でてしまうレニーだった。
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