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十三話
しおりを挟む磯崎にはずっと会わなかった。直樹は住宅情報誌を買ってきてアパートを探した。磯崎にはっきり聞きたいが、どちらにしても磯崎が結婚するのなら出て行った方がいいと直樹は思い始めていた。けじめとして。
営業車に住宅情報誌を積んでいるのを香田が目ざとく見つけた。日頃のそっけない態度を置いて直樹に聞いてくる。
「家を探しているのか? いよいよ年上の彼女と結婚するのか」
「違いますよ」
直樹は久しぶりに香田が話しかけてきたのが嬉しかった。
「居候なんでそろそろ出て行こうかと思っているんですよ」
直樹の笑顔を香田は眩しそうに見てそうかと頷いた。
その日の仕事は何事もなく忙しいままで終わった。
直樹が事務所に戻って日報を書いていると景山が出先から帰って来た。そのまま直樹の机の側まで来て低い声で言った。
「私が君の評価をしているんだよ」
「そう伺いましたが」
「この会社は能力主義だ。給与の査定、賞与の査定、出世も全て私の評価が規準になる。私が君を評価しなければ、君はいつまでたっても芽が出ないんだ」
不意に足元を攫われたような気がした。直樹は景山課長の次の言葉を暗澹とした思いで待った。
景山が次の言葉を言う前に事務所のドアを開けて香田が入って来た。明るい声で「三日月君」と声をかけてきて、影山は気まずそうに口を噤んで自分のデスクに戻った。
「お帰りなさい、香田さん」
直樹がホッとしたように声をかけると、香田は磊落そうに笑って手に持ったケースの中から茶封筒を取り出した。直樹が中をチラリと見ると間取り図のようなものが見えた。
「これ…」
「今日言っていただろう。よかったら飲みに行って─」
香田が言葉を切って酒を飲む真似をする。直樹は笑顔になって頷いた。目の端を景山の白い額と眼鏡のフレームが横切る。磯崎のところを出て、この職場も失えば路頭に迷わなくてはならない。直樹はとりあえず考える時間が欲しいと思った。
街は賑やかで忘年会帰りの連中がうようよと何処に向かってか、気儘に泳ぎ回っていた。直樹は香田と一緒にこの前と同じ居酒屋に繰り出した。
「近くに小奇麗なアパートがあるんだ。そこは一間しかなくて狭いから俺は諦めたんだがお前にはいいんじゃないかと思ってな」
香田が渡してくれた茶封筒の中には、前に直樹が住んでいたアパートと似たような部屋の間取り図が記してあった。
直樹の頭の中にあの狭い部屋が甦る。大学に入って両親が借りてくれた部屋だった。付き合った女の子は片手ぐらいか、結婚したあの女も何度かそこに来たことがあった。
そして磯崎が来た。一目見て狭いとほざいたけれど、あの広い屋敷と比べれば本当に狭い。またその狭い部屋に逆戻りするのかと思うと心が痛い。そう、決して磯崎と別れるのが辛いわけではない。
しばらく自分の思いに浸っていた直樹は、ふと目を上げて香田の視線とぶつかった。香田は慌てたように視線を逸らせたが、やがて溜め息を吐いて直樹にチラリと視線をやり言った。
「三日月君は綺麗だな」
「え」
「触れるのも躊躇うような人っているだろう。君は本当に空にある月のようにシンとして綺麗だ。冴え冴えとして」
「よ、よしてくださいよ」
(俺はそんなんじゃない)
直樹がユエンや磯崎を相手にやっていることを見たら香田は何と言うだろうか。
「そこが気に入ったらいつでも言ってくれ。缶ビールひとケースで引越しの手伝いぐらいはしてやるぞ」
「ちえ、その分こき使いますよ。でもその時はお願いします」
香田が磊落に笑ったので直樹はそう言って頭を下げた。
* * *
同じ屋敷に住んでいるはずの磯崎とは会わないままに日が過ぎた。あの自己中心主義で傲慢な男は何処で何をしているのか殆んど直樹に言わない。結婚すると言ったきりで、相手も式の日取りも何も聞いていなかった。
出て行くにしても一言何か言っておきたいと直樹は思う。決して未練とかではなく礼儀として。
磯崎の式の日取りを教えたのは景山だった。その日、直樹の最後の仕事先である百貨店で待ち構えていた。
ディスプレイも終り、担当者との打ち合わせも済んで、店を出る直樹と並んで帰る道すがら、思わせぶりに聞いてきた。
「義妹の式の日取りを知っているか?」
返事が出来ずに直樹が無言で景山を見返すと「もうすぐだ」と笑った後「式を壊してもいいんだ」と物騒な言葉を吐いた。
「あなたにそんなことが…」
「出来るんだよ。これでもいいところの出だからな。妾腹だがね」
景山の頬が歪んだ。フレームレスのレンズが店の明るい照明を弾いて揺れる。それから変に明るい声で、周囲に聞こえるように言った。
「食事がまだだろう。いいところを知っているんだ」
断ることも出来ずに直樹は頷いた。
それから車で三十分程かけて、閑静な住宅街にある割烹料亭に連れて行かれた。間口は狭く打ち水などして綺麗にこじんまりとしつらえてあったが、迎えに出た仲居に案内されて歩く廊下は奥へ奥へと折れ曲がってどこまでも続いた。
通されたのは離れだった。障子が開けてあって、照明を当てた庭が見えるようになっている。座席に座るとすぐに仲居が料理を運んできた。
もしかしたらユエンが来ているのじゃないかと気を張っていた直樹は、拍子抜けした思いでそれでも飲み過ぎないようにと自重しつつ箸を取った。
景山は食事の間、話を切り出さなかった。ここの何が美味しいと直樹に料理の薀蓄を傾けてしきりに勧め、自分もまたせっせと箸を動かしている。
直樹は景山の言う式の日取りが気になりつつも自分からは切り出せないで、景山の勧めるままに箸を動かした。
目の前が揺れる。景山の声が近くなったり遠くなったりする。直樹は立とうとして膝から崩れ落ちた。
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