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01 中継ぎの婚約者
しおりを挟む「薔薇のアーチですの?」
「それはもう綺麗に咲いていますの。香りがとても良くて」
「まあ素晴らしいですわね」
「羨ましいですわ、わたくしたちは行けませんもの」
男爵令嬢アンジュが取り巻きと話している。緑の瞳が輝き、ピンクのハーフツインテールが嬉しそうに揺れている。
近頃、王太子テオドゥル殿下のお気に入りのアンジュの周りはいつも華やいでいる。誰もレティシアが王太子の婚約者だという事を忘れている。レティシアがそう願ったから。
今日はこのエルデセント王国の王太子テオドゥル殿下とのお茶会の日だ。でも彼は来ない。レティシアはいつもの応接室で冷めた紅茶に口を付ける。
王宮の侍女にお花摘みに行くと断って、いつもの宮殿の応接室から庭園に面した回廊に向かう。途中で回廊のテラスから庭に下りた。昨日、学校でアンジュたちが噂をしていた、王宮の庭園にある薔薇のアーチを見たい。濃いピンクのバラが秋の最中なのに美しく咲き誇っているという。
目立たないようにと願いつつ、庭園をしばらく歩くとバラの香りが漂って来る。甘くて華やかなダマスクの香りだ。
王宮の庭園には濃いピンクの薔薇の咲き誇るアーチがある。返り咲きの薔薇の香りは濃厚で甘い。花の香りに誘われるように歩いていると、薔薇のアーチのある庭園の向こうに白いガゼボがあるのが見えた。そのガゼボにも蔓薔薇が絡みついているが花は咲いていなくて内部が見える。
植え込みに隠れるように近付いたのはガゼボの中に人がいるのが見えたからだ。その人物がレティシアの良く知っている人物に思えたからだ。殿下の護衛がいるけれど見つからないようにと願って、彼らの横を通り過ぎる。咎められたりはしない。
やはりというかその人はレティシアの婚約者のテオドゥル王太子殿下と、殿下の恋人だと噂の男爵令嬢アンジュであった。彼はレティシアのことは忘れ果て、恋人との逢瀬を楽しんでいる。深いキスを交わし、アンジュは殿下の首に腕を回している。ドレスは乱れ息も上がって声も漏れ聞こえてくる。
「ああ……ん、テオドゥル様……、もう……」
こんな濡れ場を観賞する趣味はない。レティシアはガゼボに背を向けた。
◇◇
レティシアはもうすぐ十八歳になるリヴィエール公爵家の長女だ。下に弟二人と妹がいる。学園の最上級生で同い年の王太子テオドゥル殿下の婚約者となってもう八年が経った。
テオドゥル殿下は小さい頃から金髪碧眼の目の覚めるような美男子だった。それに引き換えレティシアは、鈍色の髪に、黒に近い濃い紫の瞳で顔にそばかすもあり、痩せっぽちで大層みっともない少女だった。殿下はレティシアに引き合わされるとみるみる不機嫌になった。
レティシアを睨みつけるテオドゥル王子。そこには歩み寄りも何も、話しかけることさえ許される気配がなかった。ただただ嫌悪の感情があるばかりだ。
レティシアはうつむき気味に目を伏せる。諦めるのはいつものことだ。
テオドゥル王子はその後すぐ王妃殿下のサロンに押しかけて「あのようなみっともない女が私の婚約者なのですか!」と文句を言ったという。王妃殿下も女官たちも窘めもせずに微苦笑していたらしい。
リヴィエール公爵家は領地が広く財政豊かで、近年、財政が苦しい王家にとって、そして王太子の後ろ盾としても、願ってもない政略結婚相手であった。
殿下と婚約してすぐの頃にはお茶会で軽い悪戯と称して下剤や眠剤をお茶に入れられたこともあった。眠剤が効きすぎて目が覚めなくて宮廷医師が呼ばれ、国王陛下が殿下をお叱りになってやっと悪戯は止んだ。
代わりにその頃から、テオドゥル殿下は可愛い女の子を見つけては側に侍らせた。お茶会は、彼が他の女の子と楽しく語らうのを見せられるお茶会になった。
最近はお茶会に来もしない。来てもお茶を一口飲んでどこかに行ってしまう。
テオドゥル殿下は元々浮気性であった。度重なる浮気を訴えて婚約の解消を願ったが、父親のリヴィエール公爵は取り合わない。
「若い頃はそんなものだ。お前こそちゃんと仕えているのか」
そして「もし婚約を無いものにされたら、その時はお前が至らなかったのだと思え」と、父にはきっちり言われている。
父親の最初の妻であるレティシアの母親は、レティシアが二歳の時に儚くなった。レティシアは鈍色に濃い紫の瞳と死んだ母親によく似ている。
次に娶った女性から男の子が二人生まれて、公爵は喜んだが彼女も二人目の肥立ちが悪くて亡くなった。三人目の妻が今の継母で金髪碧眼の華やかな女性であった。彼女は自分によく似た娘を生んだ。レティシアと八歳離れた妹である。
丁度、候補に挙がっていたレティシアがテオドゥル殿下の婚約者となった時「中継ぎに丁度よいではないか」父親は継母に言った。
テオドゥル殿下とアンジュの仲はもはや公然の秘密である。どうせレティシアは中継ぎの婚約者で、その役目も殿下の恋人に奪われてしまうような女だ。レティシアは華やかで甘いバラの香りに追い払われるようにその庭園から出て行く。
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