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05 ヘルムート殿下
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そして夜になった。
ドアをノックしてヘルムート王太子殿下が寝室に入ってくる。
ここは宮殿にある一角、王太子宮である。王妃殿下がお住まいになる王妃宮は近くにあり、国王陛下は真ん中の王宮に、第二妃は反対側の第二妃宮に他の王子王女と共にお住まいになっている。
ヘルムート殿下の私室と私の私室はベッドルームで繋がっていて、間に浴室や洗面所、クローゼット、化粧室などがあり、両側にそれぞれの私室がある。てっきり王子妃とは名ばかりで、離れたところか離宮に寝室があるだろうと思っていたので驚きだ。
殿下は普通の夜着の上にガウンを羽織っている。私も昨日のような薄い夜着ではなく、ちゃんと長袖で襟ぐりも詰まった寝間着を着てガウンを羽織って、臨戦態勢で出迎えた。
部屋に入ってきたヘルムート殿下は、ベッドルームを見回し、気詰まりそうに私の顔を見るが、何も言わない。なんだか様子が変だ。
「皆、しばし下がれ」
彼は人払いをして、護衛と侍女たちを部屋から追い払った。
(どうしよう)
昨日の今日だ。また襲ってくるようなら、少しは手向かいしてもいいだろうか。私は“アースウォール”を唱える準備をする。
しかし殿下は私の方を向くと頭を下げたのだ。
「アガート。その、昨夜は済まなかった」
(謝罪が来たーーー!)
何故。
「君を傷つけた。身体は大丈夫だろうか」
「はい。侍女たちが手当てをして綺麗にしてくれましたわ」
「そ、そうか」
彼は適正な距離を取ったままだ。しばらく鹿爪らしい顔で横を向いていたが、やがて私の方を向く。適正な距離とはいえ間にテーブルも何もない。
銀の髪にアイスブルーの瞳が私を見る。
「うっ……」
顔面偏差値高すぎる。私の顔では到底太刀打ちできない。
思えばこのイケメンの所為で、婚約が決まった時、あれこれ言われた。一番驚いているのは私だったのに。
「どうして、あの方がヘルムート殿下の婚約者に?」
「「「穴掘り令嬢でしょう? 土壁令嬢でしょう? 地味モブ令嬢でしょう?」」」
「「「何故???」」」
「「「ヒソヒソヒソ……」」」
色々なうわさが出回ったがどれも決め手に欠けて、私たちは結婚してしまった。
ヘルムート殿下は王妃殿下に似て非常に美しい顔をしている。
前世の記憶を取り戻したばかりの私には、そのイケメンのドアップは非常に心臓に悪い。
昨日の記憶がイケメンによって塗り替えられてしまう。あんなにクソクソ心の中で罵倒したのに、あんなに涙を流して詰ったのに、そんな心はすっかりどこかに吹き飛ばされて、こんなにあっさり寝返るチョロインだったなんて。
必死で表情を取り繕う私に向かって殿下は言うのだ。
「その、これは言い訳だが聞いて欲しい」
「はい?」
「その、実は薬を盛られた」
(何ですって!)
「薬を盛られたって、どういうことですか?」
「私は未経験で、侍従に薦められて、つい」
「どんな薬を……」
「興奮する類の薬だと聞いた。しかし、自分があのような獣人モドキになるとは思っていなかった。役に立てればよいと──」
そういえば殿下は、昨夜は様子がおかしかった。鼻息が荒くて、目が座って、一直線に襲い掛かってきた。
私たちは大して交流していなかったが、お互いに礼儀正しく適切な距離を取って過ごしていた。
しかし、ひとたび閨に入れば、男というものは皆、あのような魔獣になるのかと、絶望に拍車をかけた。
「薬には気を付けていた。女性にも気を付けていた。学園でも王宮でも移動先でも、トラップはどこにでも転がっている」
「そう言えばピンクの髪の男爵令嬢とか、金髪の伯爵令嬢とか、教会の黒髪の聖女様とかが、走ったり転んだりいきなりぶつかろうとして、殿下に躱されていましたね」
「アガーテは気が付いていたんだな」
殿下はうんうんと頷く。
ヘルムート殿下は王妃殿下に似て美しい。その氷の瞳に睨まれても令嬢たちは怯みもしないで寄ってくる。
それに昨夜襲われて分かったのだが、体格もよく筋肉もキッチリついている。着痩せするタイプだ。
(いや、そこで昨夜のアレコレを思い出すんじゃない、私)
私は頬を押さえて必死でデレそうになる顔を引き締める。
彼に突撃する女性は多かった。私たちの交流はあっさりしたものだったので、私の周りにいた者の中には、ヘルムート殿下には他に気にかけておいでのご令嬢がいらっしゃるのでは、と勘繰る者もいた。私もそのひとりだが。
「殿下のお好きな方はいらっしゃいませんでしたの?」
「それどころではない。私は過ちがあれば、それで終わりだからな」
少しでも瑕疵があれば、瑕疵が無くてもでっち上げる要素があれば、第二妃ヘルミーネとアルベルティン公爵家が、黙っていないだろう。
「王太子を降りても臣籍降下などにはならず、断種手術を行い、離宮か塔に幽閉だろう」
一足飛びにそこまで行くのだろうか。
王妃殿下は隣国から来られた。強大だった隣国の国王は崩御され、王妃殿下の後ろ盾はぐらぐらしている。
国王陛下は第二妃を娶られ、第二王子に王女までいらっしゃる。公爵令嬢であった第二妃ヘルミーネ殿下の権勢は揺るぎない。
殿下の婚約者の私は、ザルム侯爵家の後ろ盾を当てにできない捨て駒で、だが侯爵家の血筋を引いているので無下にもできなくて。
「とても絶妙なバランスの上に立っているのですね、私たち」
「そうなんだ。だから君と無事に結婚するのは、ある意味私にとってゴールだったわけだが──」
薬を盛られて台無しになってしまった……。
ドアをノックしてヘルムート王太子殿下が寝室に入ってくる。
ここは宮殿にある一角、王太子宮である。王妃殿下がお住まいになる王妃宮は近くにあり、国王陛下は真ん中の王宮に、第二妃は反対側の第二妃宮に他の王子王女と共にお住まいになっている。
ヘルムート殿下の私室と私の私室はベッドルームで繋がっていて、間に浴室や洗面所、クローゼット、化粧室などがあり、両側にそれぞれの私室がある。てっきり王子妃とは名ばかりで、離れたところか離宮に寝室があるだろうと思っていたので驚きだ。
殿下は普通の夜着の上にガウンを羽織っている。私も昨日のような薄い夜着ではなく、ちゃんと長袖で襟ぐりも詰まった寝間着を着てガウンを羽織って、臨戦態勢で出迎えた。
部屋に入ってきたヘルムート殿下は、ベッドルームを見回し、気詰まりそうに私の顔を見るが、何も言わない。なんだか様子が変だ。
「皆、しばし下がれ」
彼は人払いをして、護衛と侍女たちを部屋から追い払った。
(どうしよう)
昨日の今日だ。また襲ってくるようなら、少しは手向かいしてもいいだろうか。私は“アースウォール”を唱える準備をする。
しかし殿下は私の方を向くと頭を下げたのだ。
「アガート。その、昨夜は済まなかった」
(謝罪が来たーーー!)
何故。
「君を傷つけた。身体は大丈夫だろうか」
「はい。侍女たちが手当てをして綺麗にしてくれましたわ」
「そ、そうか」
彼は適正な距離を取ったままだ。しばらく鹿爪らしい顔で横を向いていたが、やがて私の方を向く。適正な距離とはいえ間にテーブルも何もない。
銀の髪にアイスブルーの瞳が私を見る。
「うっ……」
顔面偏差値高すぎる。私の顔では到底太刀打ちできない。
思えばこのイケメンの所為で、婚約が決まった時、あれこれ言われた。一番驚いているのは私だったのに。
「どうして、あの方がヘルムート殿下の婚約者に?」
「「「穴掘り令嬢でしょう? 土壁令嬢でしょう? 地味モブ令嬢でしょう?」」」
「「「何故???」」」
「「「ヒソヒソヒソ……」」」
色々なうわさが出回ったがどれも決め手に欠けて、私たちは結婚してしまった。
ヘルムート殿下は王妃殿下に似て非常に美しい顔をしている。
前世の記憶を取り戻したばかりの私には、そのイケメンのドアップは非常に心臓に悪い。
昨日の記憶がイケメンによって塗り替えられてしまう。あんなにクソクソ心の中で罵倒したのに、あんなに涙を流して詰ったのに、そんな心はすっかりどこかに吹き飛ばされて、こんなにあっさり寝返るチョロインだったなんて。
必死で表情を取り繕う私に向かって殿下は言うのだ。
「その、これは言い訳だが聞いて欲しい」
「はい?」
「その、実は薬を盛られた」
(何ですって!)
「薬を盛られたって、どういうことですか?」
「私は未経験で、侍従に薦められて、つい」
「どんな薬を……」
「興奮する類の薬だと聞いた。しかし、自分があのような獣人モドキになるとは思っていなかった。役に立てればよいと──」
そういえば殿下は、昨夜は様子がおかしかった。鼻息が荒くて、目が座って、一直線に襲い掛かってきた。
私たちは大して交流していなかったが、お互いに礼儀正しく適切な距離を取って過ごしていた。
しかし、ひとたび閨に入れば、男というものは皆、あのような魔獣になるのかと、絶望に拍車をかけた。
「薬には気を付けていた。女性にも気を付けていた。学園でも王宮でも移動先でも、トラップはどこにでも転がっている」
「そう言えばピンクの髪の男爵令嬢とか、金髪の伯爵令嬢とか、教会の黒髪の聖女様とかが、走ったり転んだりいきなりぶつかろうとして、殿下に躱されていましたね」
「アガーテは気が付いていたんだな」
殿下はうんうんと頷く。
ヘルムート殿下は王妃殿下に似て美しい。その氷の瞳に睨まれても令嬢たちは怯みもしないで寄ってくる。
それに昨夜襲われて分かったのだが、体格もよく筋肉もキッチリついている。着痩せするタイプだ。
(いや、そこで昨夜のアレコレを思い出すんじゃない、私)
私は頬を押さえて必死でデレそうになる顔を引き締める。
彼に突撃する女性は多かった。私たちの交流はあっさりしたものだったので、私の周りにいた者の中には、ヘルムート殿下には他に気にかけておいでのご令嬢がいらっしゃるのでは、と勘繰る者もいた。私もそのひとりだが。
「殿下のお好きな方はいらっしゃいませんでしたの?」
「それどころではない。私は過ちがあれば、それで終わりだからな」
少しでも瑕疵があれば、瑕疵が無くてもでっち上げる要素があれば、第二妃ヘルミーネとアルベルティン公爵家が、黙っていないだろう。
「王太子を降りても臣籍降下などにはならず、断種手術を行い、離宮か塔に幽閉だろう」
一足飛びにそこまで行くのだろうか。
王妃殿下は隣国から来られた。強大だった隣国の国王は崩御され、王妃殿下の後ろ盾はぐらぐらしている。
国王陛下は第二妃を娶られ、第二王子に王女までいらっしゃる。公爵令嬢であった第二妃ヘルミーネ殿下の権勢は揺るぎない。
殿下の婚約者の私は、ザルム侯爵家の後ろ盾を当てにできない捨て駒で、だが侯爵家の血筋を引いているので無下にもできなくて。
「とても絶妙なバランスの上に立っているのですね、私たち」
「そうなんだ。だから君と無事に結婚するのは、ある意味私にとってゴールだったわけだが──」
薬を盛られて台無しになってしまった……。
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