極秘溺愛

桔梗楓

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1巻

1-2

 思わず実優は目を見開く。彼は今、小声で、しかも英語で、やけに不穏なことを呟かなかったか。
 すると男性はニッコリと人受けのよさそうな笑みを浮かべる。

「なんでもないよ。今日は君にとって災難な日だったんだね」
「そ、そうですね。はい」

 早口で、しかもネイティブ英語だったので、ニュアンスを聞き間違えたのかもしれない。

「こういう時は、夜のデートで口直しはいかがかなと誘いたいけれど、さすがに今は遠慮したほうがいいだろうねえ。君は、私のことを知らないわけだし」

 腕を組み、そんな冗談とも本気ともわからないことを口にする。
 実優はいぶかしみながら男性を見上げた。
 なんだろう……。彼とは初対面であるはずだ。しかし、彼は以前から実優を知っているような感じがするのは気のせいだろうか。
 実優の不安を読み取ったのか、彼は安心させるように優しく微笑んだ。
 サァ、とやわらかな風が吹く。
 月の光に照らされた桜はほのかな光を放っているように明るくて、不思議と男性の姿は鮮明に見えた。

「では、君にひとつ、魔法をかけてあげよう。――私たちはふたたび相まみえるという魔法だ」

 彼はそう言って、手に持っていたスカーフを実優の首にゆるく巻きつける。

「ど、どういうことですか?」
「すぐにわかるよ。それまで、このスカーフは君に預けておこう」

 そう言うと、男性は軽く実優の頬をでた。そして、ニコリと笑ったあと、きびすを返して去って行く。
 少し強めの風が吹いた。春らしい暖かさのこもった風。桜の花びらが花吹雪はなふぶきのように散る中、男性のうしろ姿は夜の闇に消えていく。
 ひらひら、ひらひら。男性が巻いてくれたスカーフが穏やかに揺れて。
 実優は不思議に思い首を傾げた。

「変な人……」

 なんだったのだろう。まるで幻でも見ていたのかと思うほど、男性は唐突に現れて、あっという間に去ってしまった。

「まあ、いいか。相まみえるとかどうとか言ってたけど、もしかしたら単なる酔っぱらいの絡みだったかもしれないし」

 そう口にしたら、幻想的な出会いが途端に現実味をびてきた。やけに綺麗きれいな男性だったので面食らってしまったが、酔っぱらいだったのなら納得できる。
 とにかく、自分は想定外のセクハラにすっかり参っているのだ。早くアパートに帰って化粧を落として、何もかもを忘れて眠ってしまいたい。
 実優は足早に自宅へと帰って、だるい体に気合いを入れて化粧を落とし、シャワーを浴びた。そして早々とパジャマを着込んで、ベッドに飛び込む。
 すう、と息を吸い込むと、上品な香水の匂いがした。
 あの不思議な男性が身につけていたからだろう。テーブルに置いたままのスカーフからは常にあの匂いが漂っていて、それは不思議と、実優を甘い眠りに誘う。
 その素敵な香りにみちびかれるまま、実優は静かに目を閉じた。



   第二章 幻の正体は、ラト


 ちゅんちゅん。ジリリリリ。
 可愛らしいスズメの鳴き声と、けたたましい目覚まし時計の音で目が醒めた実優は、憂鬱ゆううつな気分になりながら起き上がった。

「あー、今日は会社行きたくないなあ」

 そんな弱音が口から零れるけれど、真面目な実優がずる休みなどできるはずがない。
 思い出すのは、散々だった昨日のこと。
 正直、一晩寝ても嫌悪感が取れなかった。セクハラはもちろんだが、それを平気で黙認した営業部長の態度も許せなかった。今まではそんな態度はまったく見せなかったが、本当の彼は、受注のためなら女性社員が傷ついてもよいという価値観を持っていたのかもしれない。
 実優はため息をつく。

「居心地のいい職場だったんだけど、これは潮時かもしれないなあ」

 会社に内緒で転職活動するのは、不義理だろうか。
 しかし、真っ向から会社を辞めたいと口にする勇気はさすがに出ない。

「とりあえず会社に行って……様子を見ながら、今後のことを決めよう」

 実優はベッドのサイドボードに置いていた眼鏡をかけて手早く準備を始め、アパートをあとにした。
 今日もすし詰め状態の通勤電車に揺られながら、ぼんやり車内広告を眺める。
 一度転職を意識すると、どうしても『転職サイト』とか『企業説明会』の広告に視線が向いてしまう。これはいよいよ決断するべきなのかもしれない。

(でも、接待でセクハラを受けたという理由だけで、辞めていいものなのかなあ)

 今まで一度も退職なんて考えたことがなかったから、ことさら悩んでしまった。
 世の中にはもっとひどいブラック企業でも頑張って働いている人がいるのだから、これくらい我慢をしなくてはいけないのかもしれない。
 だが、昨日のような接待をふたたびやれと命令されたら――自分はその時、頷けるだろうか。
 実優が苦悶くもんの表情を浮かべていると、電車が会社の最寄り駅に到着した。息苦しかった満員電車からようやく解放されて、ホッと息をつく。
 職場は駅の改札を出て、十分ほど歩いたビジネス街の一角にある。松喜エンジニア株式会社の本社敷地内にあるビルで、今日も多くの社員が出社している。
 実優も社員証をICカードリーダーに当てて、ビルの中に入った。
 いつも通り、代わり映えのしない社内の景色。
 そこにひとつだけ、異彩を放つ存在がいた。

「え?」

 実優は思わず足を止めてしまう。うしろから来た社員たちは、足早に実優を追い越していく。
 目の前に、幻がいた。
 いや、実際にはそうではない。まるで幻のように思った男性が、目の前に立っていたのだ。
 まるで時が止まったみたいに、出社時間の喧騒けんそうが聞こえなくなる。
 昨夜に、不思議な出会いがあった。ひとひらのスカーフと、宵闇に浮かび上がる桜吹雪。実優にスカーフを巻いて、夢か幻のように去って行った見目みめうるわしい男性。
 昨日と同じ、さらさらの黒い髪にエメラルドの瞳を持つ男性は、ニッコリと微笑んで実優に近づいた。

「おや、こんなにも早く、魔法にかかったね」
「あ、あ、あなたは」

 実優は驚愕のあまり口をぽかんと開けると、眼鏡が下にずれた。

「私の魔法は意外と本物だっただろう? 改めて、はじめまして。自己紹介をしてもいいかな」
「じ、自己紹介……?」

 突然の再会に頭がついていかず、実優は驚いた表情のまま彼の言葉を繰り返す。
 男性は自らの胸に手を当てると、きらきら輝くような極上の笑みを浮かべた。
 彫りの深いエキゾチックな美しい顔は、まるで誰もが夢見る『王子様』みたい。

「私の名前はラト。実は、セルデアから来たんだ」

 実優は目を丸くする。ラムジとは別で、セルデアから来日した人がいるなんて初耳だったからだ。
 彼は聞き惚れそうなほどの流暢りゅうちょうな日本語で、実優に話しかける。

「どうか、あなたの名前を教えてくれないかな」
「私、ですか? 私は……柏井実優、といいます」

 言われるままに名前を口にしてしまう。
 するとラトは嬉しそうに微笑み、実優の手をそっと持ち上げた。

「よろしく。君に巻いた私のスカーフは、とてもよく似合っていたよ」

 そう言って、彼は実優の手の甲に軽く口づけた。

「ぎえぇっ!?」

 男性に口づけをされるなんて、もちろん生まれて初めてである。実優は女性にあるまじき悲鳴を上げながら、ズサッと飛び退いてしまった。
 ラトはそんな実優の反応を見て、クスクスと楽しそうに笑う。

「昨日かけた魔法の種明かしをしてあげるから、一緒にお昼をいかがかな?」
「お、お昼、ですか?」
「近くに良さそうな店を見つけたんだ。昨晩、どうして私が突然君の前に現れたと思う? 気になるなら、その答えを教えてあげるよ」

 そう言って、ラトは実優に一枚のカードを渡した。会社の近くにあるレストランの名刺だ。

「待っているから、必ず来てね」

 ラトはエメラルド色の瞳で実優を見つめ、ニコリと笑顔になると、きびすを返して去って行く。次は、夜の闇に消えはしない。
 実優は、ちょうど来たエレベーターに乗り込んだ。
 しばらくぼうっと立ち尽くし、もらった名刺を見る。

「いったい、なんなの?」

 まるで意味がわからない。だが、それこそ気になるなら彼の誘いに乗るしかないのだろう。
 レストランの名刺には、トルコ料理の店だと書いてある。

「気にならないと言えば嘘になるし、答えを教えてくれるって言うのなら、聞くだけ聞いてみてもいいのかな」

 悩みながらもそう呟いて、実優は名刺をポケットに入れると、エレベーターを降りた。


   ◆ ◆ ◆


 正午から三十分ほど過ぎた頃、外回りから帰ってきた実優はガレージに社有車を停めた。

「やばっ、時間、大丈夫かな」

 腕時計を確認しつつ、ビジネスバッグを肩にかけてレストランに向かって走る。
 実優はふと、今朝の朝礼の一幕を思い出した。
 昨日、あんなに最悪な『接待プラン』でラムジを迎えた営業部長。彼に対する女性社員の視線は大変冷ややかだった。
 めかし込めと言われて、その通りにしたら、ラムジの周りに侍らせられてひたすら愛想笑いを強要されたのだ。ホスト役であるはずの営業部長と支店長はその様子を見ているだけで助け船も出さなかった。実優が受け続けていたセクハラ行為も見て見ぬふりだ。
 態度が冷たくなっても仕方のないことである。
 しかし部長は部長で、完全に開き直っていた。

『会社人ならセクハラのひとつやふたつ、甘んじて受けるのが当たり前だ。女はそれくらいしか武器がないんだからな!』

 朝礼の空気が10℃ほど下がった気がした。この一言で、部長の信頼は失墜しっついしたと言っていいだろう。

(確かに大きな商談に違いないのかもしれない。けれども、そんなに必死になってまで欲しい案件なのかしら)

 はあ、と実優はため息をつく。
 やはり、あの部長の下で働き続けるのは難しいかもしれない。
 考えごとをしているうち、くだんのレストランに到着する。
 実優は深呼吸をしてから、レストランの扉を開けた。すると、店のスタッフがやってきて、店内に案内してくれる。どうやら実優が来店することは、あらかじめ知らせてあったようだ。

「やあ、実優。お仕事お疲れ様」
「あ……ど、どうも。遅くなりまして、すみません」

 店の奥にはソファ席があって、今朝会ったばかりのラトと、見知らぬ男性がひとり、座っていた。

(誰だろう?)

 朝はいなかったはずだ。髪は見事な金髪で、オールバックにしている。褐色の肌で、瞳の色は黒い。鋭い眼光に迫力がある、精悍せいかん相貌そうぼうをしていた。肩幅がやけに広くて、ラトの頭ひとつぶん背が高い。二メートルはありそうな大男だ。
 ラトは笑顔で立ち上がると、実優の手を取ってソファに座るよううながした。

「このくらい、待つうちに入らない。むしろ、待っている間はわくわくしていたよ。来なかったら泣いていただろうけど、来てくれたから構わない」
「な、何を言っているんですか。ラトさん……と言いましたよね?」
「ラト、と呼び捨てでどうぞ。私の周りはみんなそう呼ぶんだ」
「でも、初対面みたいなものですから、気がとがめます」

 いきなり呼び捨てするなんて考えられない。するとラトは、実優の隣に座ったかと思うと、突然、膝に置いていた手を優しく握りしめてきた。

「ひえっ!」
「お願いだ。私はもっと実優と仲良くなりたいのだからね。『ラトさん』なんて他人行儀で呼ばれたら、悲しみのあまり昼食が涙の味に変わってしまう」

 実優は目を丸くした。そして、思わずぷっと噴き出してしまう。
 あまりに気障きざ台詞せりふに笑ってしまったのだ。外国の男性はこのくらい挨拶あいさつみたいなものなのかもしれないが、聞き慣れていない実優は心の中がくすぐったくなってしまった。

「ああ、笑顔がとても可愛い。君は笑っているほうがずっと似合うよ。普段のキリッとした仕事の顔も素敵だけれど、実優の笑顔は見る者すべてを魅了してしまうだろうね」
「もう、おだてるのはやめてください。わかりました。ラトと呼びますから」

 ひとしきり笑ったあと、実優はコホンと咳払いをした。なぜこうも滑らかに歯の浮くような台詞せりふが口に出せるのだろうか。外国人はみんなこうなのだろうか?

「ところで、昨晩の種明かしをして頂けるということでこちらにお邪魔しましたが、教えて頂けるんですよね?」
「もちろんだよ。でも、まずは食事といこう。せっかくのレストランなのだからね。そうだ、料理が来る前に紹介しておくよ。あのデカブツの存在が気になっているだろう?」

 ラトがチラと大男に視線を向ける。その男は実優やラトからは少し離れたソファに黙って座っていた。

「彼の名はハシム。私と同じ、セルデア人だ。私はセルデアのインフラ整備関係の会社の下っ端社員で、ハシムは私の部下だから、下っ端の下っ端になるね」

 そう言いながら、ラトは革製の名刺入れから名刺を取り出し一枚渡してきた。実優は両手で受け取り、まじまじとそれを眺める。

「日本のビジネスは名刺交換から始まると聞いたからね、急いで作ったんだよ」
「セルデアでは名刺の文化はないんですか?」
「国内では滅多めったに見かけないね。でも、日本のみならず名刺の文化を持つ国はそこそこあるから、一応、我が社も申請さえすれば名刺を用意してもらえるんだ」

 なるほど、と実優は頷いた。
 名刺はすべて英語で、社名はセルデアヒューズテクノロジーと記されている。ラト・ハーディが彼の名前らしい。セルデアの土地には詳しくないが、住所と電話番号も記載されていた。

「そういえば、セルデアのほうって、公用語のセルデア語はあまり使わないんですか? 名刺も英語ですけれど」
「セルデアは他民族国家でね、様々な国からの移住者が多かったから、セルデア語の他に、英語も公用語として定められているんだよ。今では国民の八割が英語を使っているね」
「へぇ~、勉強になります」

 実優が相づちを打つと、ラトは自分の胸を叩いてニッコリと微笑む。

「かく言う私も、アジア人とセルデア人のハーフなんだ。この髪の色はアジア生まれである母方の遺伝だろうね」
「なるほど。日本人として、少し親近感を覚えます」

 外国人なのに、どこか馴染なじみのある雰囲気を感じていた。その理由は、彼の血筋にあったのだ。

「ちなみに、ハシムは生粋きっすいのセルデア人だ。それでもセルデア語はほとんど使わないんだよね」

 ラトが軽く笑ってハシムを見た。彼は実優と目を合わせると会釈えしゃくをする。

「ハシム……ハシム・ジタンです。ヨロシク、お願いします」

 流暢りゅうちょうに日本語を話すラトと違い、ハシムはカタコトの日本語で短く挨拶あいさつした。

「ご丁寧にありがとうございます。よろしくお願いします」

 実優が頭を下げて返事をすると、ラトがクスクス笑って「ふたりとも硬いな」と言った。

「ご覧の通り、ハシムは日本語が得意でなくてね。無口だし顔は怖いけど、平和主義だから安心してほしい。……おや、そろそろ料理がきたようだ」

 ラトが顔を上げて、実優もつられたように視線を向けると、スタッフがテーブルに料理を並べていく。
 ケバブ、ムール貝の料理、パンに野菜や魚を挟んだサンドイッチと、普段はあまり馴染なじみのないオリエンタルな料理が並び、実優の目は物珍しさに輝いた。

「本格的なトルコ料理を食べるのは初めてです」
「それは良かった。トルコ料理は世界三大料理のひとつであると同時に、セルデアでは馴染なじみ深い料理でもある。日本でも食べられるなんて嬉しいね」

 そう言って、ラトは取り皿を一枚取ると、ケバブをのせて白いヨーグルトソースをかける。

「はい、どうぞ。ラム肉は大丈夫だったかな?」

 料理を渡された実優は「はい」と頷いた。

「特に好き嫌いはありません。とても美味おいしそうです」

 ラトとハシムはそれぞれ取り皿に料理をのせると、両手を胸に置いて、なにごとかをブツブツ呟いた。実優が不思議に思って首を傾げると、視線に気づいたラトが穏やかに微笑む。

「食事前のお祈りだよ。セルデア語で、すべての恵みに感謝しますって言うんだ」
「なるほど。日本の『いただきます』と同じような感じですか」
「そうそう。イタダキマスとゴチソウサマ。日本の素敵な文化だよね」
「セルデアのお祈りも素敵ですよ」

 実優が笑いかけると、ラトが優しく目を細める。
 きらりとエメラルドの瞳が光って、実優は慌ててうつむいてしまった。

(危ない。また見蕩みとれるところだった。綺麗きれいな顔もだけど、やっぱり瞳が印象的すぎるよね)

 あのエメラルドの瞳。見慣れないからだろうか、どうしても気になって見つめてしまい、時々吸い込まれそうになってしまう。
 実優は食事に集中することにした。ごはんを食べていれば、余計なことは考えなくなるはずだ。
 フォークとナイフを使って、こんがり焼いたケバブにヨーグルトソースを絡める。そしてぱくっと口に入れた。

「うん……! とても美味おいしいです!」

 ヨーグルトソースというのが、そもそもあまり馴染なじみのないものだ。まろやかな酸味とほのかな塩味のするソースは、ラム肉の独特の臭みをうまく打ち消していて、がっつりした肉料理なのにあっさり食べることができる。

「このソース、刻んだキュウリも入っていますね」
「そう。キュウリのさわやかな香りがあとを引く。日本にもこんなに美味おいしいトルコ料理を出してくれる店があるんだね。この国に滞在している間は常連になってしまいそうだよ」

 ラトが上機嫌で料理に舌鼓を打っている。ハシムは黙って食べているが、心なしか満足そうな雰囲気が感じられた。日本のお店の料理を外国の人に美味おいしいと思ってもらえるのは、なんとなく日本人として誇らしくなる。
 そんな喜びが顔に出ていたのだろうか。
 食事をしていると、ふと視線を感じて、実優は目線を上げる。
 するとラトはニッコリと嬉しそうに微笑んだ。

(うう、もっとちゃんと味わいたいのに。味が、よくわからないよ……)

 ラトの目に、自分がどんな風に映っているのか。想像するだけで羞恥しゅうちが極まる。とにかく食べることに集中しようと、実優が賢明に口を動かしていると、隣で「はあ」としみじみとした、ため息が聞こえた。

「本当に、可愛いなあ」

 チラと見れば、ラトはテーブルに頬杖をついて、実優をジッと見つめている。

(……!! め、めちゃくちゃ見られてる……っ)

 顔から炎でも出てきそうだ。

「君と話すのがこんなにも楽しいとはね。やはり、昨日のうちに魔法をかけておいてよかった」

 その言葉を聞いて、実優は食べ物を喉に詰まらせてしまう。慌てて水を飲み、ふぅと息をついた。ずれた眼鏡を指で正して、彼に顔を向ける。

「そ、それです。お料理が美味おいしくて忘れかけていましたけど、私が聞きたかったのは、あなたが言った魔法についてなんですよ」

 実優は口元を紙ナプキンで拭ってから、改めてラトに尋ねた。すると彼はおどけたような笑顔で軽く肩をすくめた。

「魔法のタネは簡単だ。私は以前からあなたに興味を持っていたんだよ」
「ど、どういうことですか?」
「私とハシムが来日したのは一週間前でね、最初は松喜エンジニアの本社や新エネルギーに精通している大学の研究所を視察していたんだけど、その間に東京営業支社で仕事をしている実優を見かけたんだ」

 そう言うと、ラトは感極まったように、胸に手を当てる。

「正直言って、運命を感じたよ。なんて可憐な人なんだと、ひと目で好意を持った。そして私は、寝食を忘れて、仕事も忘れて、実優があの支社で仕事をしている間はずっと陰で見つめていたんだ」
「な、なんですって」

 驚きの告白に、衝撃が走る。
 口に入れるところだったムール貝をぽろっと皿に落としてしまった実優に、ラトは指を伸ばした。

「ソース、ついているよ。可愛いね」

 親指で実優の口元を拭い、ぺろりとめてしまう。

(いっ、いっ、いま、私、何をされたの?)

 かーっと顔が熱くなって、唇がふるふると震える。

「でも、どうしても見ているだけでは我慢できなくなってしまってね。日本にいる間に、少しでもお近づきになりたいと思って、昨日、会社を出た君のあとを追いかけたんだ」
「お、追いかけていたんですか!?」

 会社でずっと見られていたというのも戦慄せんりつものだが、昨日、あとをつけられていたなんてまったくわからなかった。

「ということは、私が都心の老舗しにせホテルに入っていったのも?」
「そうそう。さすがにあそこまでの立派なホテルに入るのは躊躇ちゅうちょしたんだけどね。しかし、まさかあの王子が来日していて、しかも君に近づくとは! 私の心は千々ちぢに乱れた。ハンカチを噛みしめ怒りに震えていたんだ!」

 その時の感情を思い出したように、ラトは奥歯を噛みしめ、フォークを握りしめる。その芝居めいた仕草はどこまで本気なんだと、思わず実優はあきれた顔をしてしまった。
 しかし、ふと思い出す。

「そうか、ラトはセルデア人だから、ラムジ殿下もご存じなんですね」
「彼はセルデアでも有名だからね。彼に泣かされた女性は星の数より多いと言われている。だから私は、君とラムジ王子の姿を見た途端に目の前が真っ赤に染まり、悔しさと怒りで我を忘れた。バターナイフを片手に突撃をしかけてしまったよ!」
「えっ!?」
「安心してクダサイ。速やかにラトの後頭部を殴って気絶させて、止めマシタ」

 少し離れたところで黙々と食事をしていたハシムが、カタコトの日本語で言った。

「そ、そう、ですか。あのレストランで、私が知らない間にそんなやりとりをしていたんですね……」
「ふふ、まあね。ハシムはそういうところ、非常に容赦ようしゃないから」

 殴られたところが痛むのだろうか。ラトは頭のうしろをこれみよがしにでる。しかし、ハシムは素知らぬ顔で食事を再開した。


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