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四章 恋に落ちた暗殺者

女王様は標的であられる

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 斧をにぎっていた僕の手が、プルプルと震えている。

「ハァ、ハァ、ハァ……」
「よし、これで終わりだ。ごくろうだった」
「お……お疲れ様でした」

 木こりとはなんて体力のいる仕事なんだろう。鍛えているからと自信を持って挑戦したけれど、思いあがりだった。
 同時に、鍛錬にはもってこいだと思った。これを続けたら、きっと――

「ずいぶんと真面目なんだな。ダグラスの息子にしては」
「――っ!」
「ほれ、金だ」

 ぶっきらぼうに投げられた小銭袋。中には数日をすごせるくらいのお金……顔に当てられても痛くはない。
 痛いとしたら心のほうだ。疲れきった体がますます重くなる。



 ダグラスの息子にしては。



 僕のこと誰かが評価するとき、どうしてもついてまわる言葉。

「ありがとうございます……」

 慣れている……そう、慣れたことじゃないか。くちびるを噛みながら自分に言い聞かせた。
 いつか必ず、言われない……言わせないほど立派になってみせる!



 帰り道が夕日で真っ赤に染まっていたが、沈みきるまでにはまだ少し余裕があった。
 涼しいそよ風にも踏んばりきれず、そのまま倒れこんでしまいそうなほどの疲労感をかかえたまま……どこまでやれるのか。挑戦しよう。



 すこし道から外れ、枯れ木と土ばかりの……僕だけの訓練場にやってきた。
 こんなところにやってくる人はいない。お手製の道具をたくさん置いてあるが、無くなったことなど一度もない。



 カカシに練習用の剣を打ちこむ。力が入らないにもかかわらず、その音がなかなかのものだった。
 再度、一連の動きをくりかえして分析してみる。

 足運びは地面をすべるように。そこから体の回転が無駄なく剣先へと運ばれ……カカシへ。
 剣を『振った』というよりは『空気のすきまに滑りこませた』感覚。
 さっきは見てなかったけれど、カカシの足元が大きく傾いていた。

「脱力ってやつなのかな……」

 手にかえってくる衝撃は大きくなかった。なのに音は大きい。音の源となる力……このほぼすべてがカカシに行き渡ったのだとしたら。

「これはすごい威力なんじゃないか……?」



 何度も同じ動作をくりかえしてコツを全身に染みこませる。意識しなくても、明日もできるように。何度も、何度も。
 そのうちに要領がわかってきたので『脱力しつつ全力』で一撃!

 するとカカシの胴がボキっと折れた。こんなことは今までになかったことだ。

 僕はいま、自分の限界を破った!
 充実感に任せて剣を天につきあげた。

「よし、この動きを『剣のつむじ風』と名付けよう!」

 さっきまでの暗い気持ちはすっかり吹き飛んでいた。
 この高揚をまだ冷ましたくなかった。

 よし、弓だ、弓の訓練もやろう。



 父さんは弓も得意だったと聞いている。
 狩りに出かけては百発百中の腕を発揮して、たくさんの部下に料理をふるまったとか。

「僕だって……!」

 木にくくりつけた的に狙いをさだめる。矢は十本。
 弓の弦がいつもの何倍も固い。だからこそ、力がもっとも伝わるところを使わざるを得なくなるのだろう。
 しなやかな手ごたえを指に感じた一点、背中の筋肉をつかって矢をひきしぼり……はなつ!

 的に描かれた『印』にみごと命中した。

 息をふぅー、と吐きだして大きく吸う。つづけて二発目。

 命中。

 三、四――

 命中。

 五、六、七、八――

 命中。

 九――

 命中……そして、十発目は――



「誰だ!」

 背中の方向、首にチリチリと感じる視線は気のせいではない。誰かいる。もしも悪意ある相手ならば、この矢をうちこむ!



「フム、なかなか鋭いじゃないか」

 陰から見ていたのは黒いローブに身をつつむ老人だった。彼は手のひらをこちらに向けながら言った。

「ワシはこのとおり丸腰だ。弓を下げたまえ」

 十本の指すべてに宝石のついた指輪がはめられていた。かなり裕福な人物なのだろう。
 ひとまず盗賊の類ではなさそうだ……危険はない。そう思って弓を降ろした。

「さきほどから見ていたぞ。すばらしい腕じゃないか。さすがはダグラスの息子だ」
「! 父を知っているのですか?」

 父さんの子として『さすが』なんて言われたことがない。言い知れぬ高揚感に、疲れがどこかへ吹き飛んでいく。



「よく知っているよ、トーマスくん。ククク……共にカランド公に仕えたころがなつかしいのう」
「カランド公……!?」

 それは、父が仕えた、主君の名。しかも僕の名前を知っているということは――!

「もしやあなた様は、ユンデ卿では!?」
「よく知っているのう。その通りだ」

 僕は反射的に膝をついた。かつて『剣のダグラス』と並び『賢のユンデ』と称されたお人が、こんなところに!

「そうとは知らず弓を向けるなど、とんだ無礼を。もうしわけありません!」
「苦しゅうない。むしろ、たゆまぬ『武』に感心したぞ……褒めてつかわす」
「あ、ありがとうございます!」



「……さて、わざわざここまで来た理由だが」

 ユンデ卿はこちらの目をのぞきこみ、僕が人生でもっとも待ち望んでいた言葉を口にしてくれた。

「トーマスくん、父ダグラスの汚名をすすぎ、かつての名家を再興したくはないか?」



「はい!!」

 最後まで聞き、返事をするまでがもどかしくてたまらなかった。
 ああ!
 なんども夢に見た、僕の生きる意味であり、すべて。

 二十年前から『乱心のダグラス』などと、悪の代名詞になってしまった父さん……何があったのかは詳しく知らない。わかっているのは――
 今、やれるのは僕だけという一点のみ。

「亡き両親にかわって、なんとしてもやりとげる悲願であります!」
「よくぞ言った!」

 肩をポンとたたかれた。
 僕の人生で何かが始まる。そう知らせる合図に思えてならなかった。



「単刀直入に言おう。ダグラスの仇をとるときが来た」
「父の仇でございますか……!?」
「とはいえ、その者はすでにこの世におらんがな」

 喉に冷たい刃をそっと当てられた。そう錯覚するほど絶望的な寒気。
 僕は再興こそが一番だと信じている。だけど、もし誰かが父さんをおとしめたのなら。そのせいで僕らの今があるのだとしたら。恨みがないといえばウソになる。




 目を閉じて、努めてゆっくりと息を吸った。おさえろ! 卿の前で感情的なふるまいをしてはみっともない。

 そもそも今の話が本当なら――
 
「この世にいないとなれば、『仇をとる』とは……どのように?」




「『やつ』には娘がいる。十五になったばかりの、一人娘がな」
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