蒼天の城

飛島 明

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第二部 探索編~子安

愛欲の館(10)

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「!」
 瞬時に草太も菜をも気配を消した。




(まずい……ッ)
 痴話喧嘩していたとはいえ、草太と菜をから完全に気配を消していた相手だ。国守の護衛であろうに、忍ぶが2人も主人の傍にいるにも関わらず、すぐには現れなかった。主人の命をすぐに取らないと踏んだのだろう、とことん相手を見極めるとは相当忍耐深い。

 しかも声は男のようであったが、何人か見当がつかない。国守はやすらかに寝息を立てている。
 そして、菜をからは花の香がたち上っていた。舞を踊る前と寝所に入る前、香油をふりかけられたのだ。
 菜をの体臭と混ざり、かぐわしい、可憐な香があたりにかすかに香る。
 気配のわからぬ相手との闇の中での闘いには致命的であった。
(菜を……!)

 先ほどまで感じてなかったが、闇の中で菜をの香が漂う。気配を完全に絶ってる分、その香は完全に菜をの存在を主張していた。ふと、菜をの気配が二つにわかれた。
(?)
 刹那、草太はぞっとした。
 相手は他人の気配を盗めるのだ!

 それは菜をにもわかった。
「兄者!」
 あえて菜をは気配を発した。一瞬後、布に刃物が食い込んだ音がした。どさり、と何かが倒れる音。
 花の匂いは動かない。

 草太は歯を食いしばりながら、襲撃者に備えた。相手は刃物を使う際ですら、気配を出さない。
 だが、刃物の当たった角度からおよその位置はわかる。草太も気配を消したままなので、ようやく互角であった。
 焦れて気配を乱した者の敗けであった。心の脈の音が大きく聞こえる。

 トン…………トン…………。

 心の脈の流れを変えることや、体温をあげさげするのも朝飯前だ。これが出来ずに死んでいった幼い仲間達を思い出す。菜をの心音の音は今や完全に途絶えていた。だが、菜をを喪った慟哭や怒りを表すことは出来ない。全ては敵を倒してからのことであった。



 どれくらいの時間がたったことだろう。ふいに狩る方の襲撃者が気配を発した。
 草太が無言で組み伏せる。気配を完全に殺せる相手。他人の唯一の気配を己のものに出来る相手。
 手加減できる相手ではなかった。
 真の暗闇の中。
 夜目がきくとはいっても、それは幽かな光あればこそだ。ここまで完璧に光がなければ、いかな草太といえどもどうしようもない。この寝所は壁を塗っており、更に垂れ幕を四方に垂らしているという密室ぶりであった。だからこそ、草太や襲撃者も忍んでいることが出来たのである。

 細い、小さな光をつけた。常人では闇と変らなかったかもしれぬ程の、小さい灯り。忍ぶの目には充分であった。

 一本の線に連なるように光が反射する。顔をあげると菜をがその糸を握っていた。蜘蛛の糸を気で操り、空気の中を漂わせ、目的物にからみつかせる。よほど鋭敏な感覚の者でも、音すらしない、空気の流れを乱しもしないこの糸を感知することは難しい。

 頃をみて気で操作すると、相手は動きを乱すのだ。

「菜を……」
 片手に糸、片手に愛用の小刀を構えながら、菜をは一糸まとわぬ姿で襲撃者の反撃に備えていた。
 菜をの衣服を着込んだ衾に手刀が突き刺さっている。菜をは己から立ち上る香を逆手にとったのだ。

「大した姐ちゃんだ」
 襲撃者が草太の組み伏せられている苦しい息の中からいう。
「ぬしら、そんな手練れのくせになんで国守を狙わない」

「我らの目的は他国ではない。女王の命を狙う為に五色の堰を壊すと聞いて、阻止する為にきたのだ」
 菜をが打って変わって低い声でいう。

「なるほど。姐ちゃんの本性はそっちか。給仕をしている時から、只モンじゃねえと思っていたがな」
 言われて菜をは気づいた。
「おまえは」
 宴の場で、菜をを楽人に推挙した男であった。

「こんなことならそこの兄ちゃんの気配を借りて、姐ちゃんを押し倒しておけばよかったぜ」
 下卑た声をかけられても、菜をも草太も動じない。しかし、男を抑える草太の力がより強圧的になったのを男は感じた。

「女王の命を狙うのは、国守が国主に成り上がりたいからか」
 菜をが静かに男に問う。
 男はにやっと笑った。もとより寝所に潜む程の護衛だ。国守が全幅の信頼を寄せている男だろう、口を割ろう筈がなかった。

「女王の心が得られなくて寂しさのあまり、せめて那を奪ろうとしているなら。邦盗りと同じ気持ちで今一度女王の心を勝ち得てみよと、国守に伝えよ。五色の堰は壊させぬ」
 言うと、菜をは男を拘束している糸をひき、立ち上がった。ありあう布を体に巻きつける。

「何故……」
 男は呆然と呟いた。
 生殺与奪の権利は完全に菜をと草太に移っていた。アバラは何本か持っていかれたが、男にトドメをささないという。

「言っただろう、我らの目的は他国ではないと。五色の堰を壊さぬのなら、この国の頭が何色にすげ変わろうが我らのあずかり知らぬこと」
 菜をは、くるりと踵をかえし、外に出て行った。


「おい」
 草太は男の襟をぐい、と持ち上げた。
 すがすがしい白い歯を見せて笑顔を作っているものの、獰猛な光が踊っている瞳が裏切っていた。
「いいモン見せてくれたな。礼を言うぜ。お前の名は」
功刀くぬぎだ」
「おまえがこの那に飽きたら、撰州の諏和賀にこい、功刀。オレは草太。あいつは……」
「聞いたよ。菜を、だろ」
「諏和賀の領主、諏名姫だ」
 予め功刀の口を押えたうえで、草太が笑いを含んだ声で言った。
「!」
(なんだってええ?領主が直々出張ってきただと!)
 案の定、功刀は叫び出しそうになって、草太に顎をめりめり、と音がする程に押さえつけられた。





 功刀は二人が去った後もへたり込んだままであった。
(一国の領主がみずから忍んでくるってか!しかも男の寝所に!……どう見ても生娘だったが。喰われない自信があったということか。……確かに、あの姫の腕は下手すれば俺より上だ)
 事実、体中に張り巡らされた蜘蛛の糸に気づかず。気づいた時には雁字搦めにされて、無理矢理体を動かされていた。
(型破れなお姫さまもいたもんだぜ)
 はあ。
 国守付きになってから完敗したことはなかった。しかし悔しさなどはない。
(あんないい女が、アタマに立っている邦か。悪くない……)
 この邦も悪くない。活気にも満ちて、功刀のような生業のものには、暗躍しがいのある邦だ。現在の主にも信頼されている。だが、風が吹かない。空気が淀んでいるのだ。

 男には、あの二人が一陣の風のように思えた。
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