蒼天の城

飛島 明

文字の大きさ
126 / 142
第三章 次世代編

偽りの婚礼(1)

しおりを挟む
 草太出奔と、時を同じくして瘤瀬の里。


「……え……?」
 戸惑いの声に、少女は男に背を向けた。そして、起き上がると衣に袖を通して、出て行ってしまった。
「帰蝶!」




 ◇


 帰蝶は、今回の房中の鍛錬に賭けていた。
(あたしは『その日』をとりわけ隠すことが上手かった。あいつも、義務だし鍛錬だから拒めない)
 だから。
 どきどきして、心の臓が痛いくらいだった。鍛錬は初めてじゃないのに、誰にも感じたことのない感覚。
(怖い)
 帰蝶は自分で仕組んだことなのに、未来がどうなるか予見が出来ずに、恐怖心すら覚えて居た。
(あいつが同じ室に入ってきただけで、体が勝手にびくつく。……気付かれませんように)


 房中の鍛錬は相手を酔わせて意のままにするべく行う、肉体と精神の術だ。
 この鍛錬に限っては、年齢も技巧も経験もあてにはならぬ。どちらも同等である。
 
 複数・同性もしなくはないが、基本は男と女、二人で一組。どちらが先に達しさせるかという化かし合いだ。
 
 これが敵方の透破すっぱなどであれば、即・殺し合いの仕儀となりえる。合わせて、素手で肉体差のある相手との格闘術も学ぶ。
 男が吐精を抑える術を習う一方で、射精を促す技を女は習う。鍛錬では、『吐き出さぬ』事が基本であるが、任務によっては中に吐精されることもありえよう。そんな時の回避方法も学ぶ。


 夫婦となった女は基本、色仕掛けの任務は受けない。しかし場合によってはありえる。そんな時、伴侶に嫉妬を憶えて、相手をもしくは伴侶を殺してしまう夫もいる。

「鍛錬」の相手は教わらない。
 忍ぶとはいえ、人間だ。躰が惹かれて心が引きずられてしまうこともありえる。惚れたはれたは、忍ぶの世界では不要な感情。
 ゆえに闇夜、あるいは洞窟で。忍ぶたちは棟梁の決めた組み合わせで「仕合」を行う。気配で誰と悟られてしまうので、高度な気配消しの技術も必要となってくる。

 ――互いに相手を達しさせることが目的であるから、疾風も帰蝶も既に何度となく高めあっていた。

 疾風は技巧の限りを尽くしていたが、意固地な相方は降参せぬ。疾風の方もそろそろ限界に達していた。女のほうは何度となく達していたから、そろそろ躰がきつかろう。
(俺もそろそろ退くか)
 そう考えて最後の一刺しをした。最奥まで差し入れた瞬間、強引に搾り取られるようなうごめきを感じた。
(は。イイとは聞いていたが)
 女は最初こそ気配を殺していたものの、疾風の猛攻で誰と知れていた。

 そして離すまいとされた拘束。 
 今迄一度たりとも遭ったことのない、この感触。
(これはっ!)
 愚かにも、その瞬間までわからなかった。咄嗟に体ごと彼女から飛びのいたが、数滴は吐き出してしまったのだろう。受胎した瞬間を、疾風と帰蝶は、はっきりとわかちあった。

 そして、最悪の瞬間を迎えた。男は嫌悪し、女はそれを認知した。




「帰蝶ッ!おまえ……ッ!!」
 背中から追いかけてくる、愛しい疾風おとこの驚愕の叫び。しかし、女は気に留める余裕はなかった。

(何故っ!)
 疾風とて、本人の申告を鵜呑みにしてた訳ではない。
(忍ぶ同士なんざ、化かし合いが基本だ)
 今までとて何度、子を作ってから女房の座に居座ろうとする女達を相手にしてきたことか。そんなわけで『その日』かどうかを見極めるのは、当の女より詳しい。
(謀られたッ!)





「帰蝶!」

 少女は逃げてしまった。彼は裸のまま、帰蝶を追おうとした。が、彼女の仕掛けた罠に阻まれ、見失ってしまった。帰蝶が完全に計画を練り上げていたことを、疾風は遅まきながら悟った。

(やられたッ!!)

 してやられた悔しさと、そこまでして受胎したい彼女の気持ちがわからなかった。そうして一晩中、闇雲に帰蝶を探し回った。
 挙句。
「じい様っ、完全に受胎した!
あいつは一体なにを考えているんだ!」
 時苧と阿蛾の家に早朝だったが、駆け込んだ。

 まだ東の空が色が変わり始めた頃であったが、棟梁と彼の妻は朝げを食べていた。疾風は、己の半分の年の小娘の技を見抜けなかった己の甘さを悔やんだが、今は反省している場合ではない。

 時苧と阿蛾の二人は、呆気にとられて疾風を見つめていた。
 下帯だけ身に着けて脚は裸足。木々の中を駆けずり回っていたのだろう、泥や擦り傷が躰中にあり、荒い息をしている、男の姿と、疾風の一言で二人は状況を飲み込んだようであった。

 疾風も、二人が眼と眼を見交わし、やるせないような痛まし気な表情をしたことに、気づいた。
「帰蝶は……」
 考えてもいなかった結論に辿り付く。冷静な男としては珍しく、茫然と呟いた。
「オレを……、好き、なのか?」

 時苧はちらりと疾風を見、また目を外した。

「肌を重ねたぬしに、そんな反応されたら。
女としては、その場から逃げ出すしかあるまいよ」

 阿蛾は強張った顔のまま、手に持った椀をにらんでいた。
 帰蝶は拒まれたのだ。
 よりによって最愛の男と、鍛錬であろうと肌を重ねているその刻に。

 それは無意識ゆえの純粋なる拒絶。
 帰蝶が受胎可能であるとわかってしまった瞬間の疾風の反応。
 どんな計算もしておらなかった拒絶だけに、それを繕うことは疾風にすら出来なかった。

「ぬしはもう探索せんでもよい。
あやつも忍ぶじゃ、自害などせん」
 時苧は、ぽん、と疾風の肩に手をおいた。

 責任をとって女房にする、という言葉すらも、拒忌した後では空々しい。
 彼女の望んだ刻を、与えてやれもしなかったのだ。

「疾風兄者。兄者は清廉で、優しいお方ですわ。
なれど、本当の優しさというものは、己が傷ついても相手が求めるものを与えることですわ」

 阿蛾が静かな声で呟いた。
 彼女の手の中の椀がみしみし、と音がし、たわんでいた。
 疾風が帰蝶の恋情を知らなかったのが、罪なのではない。
 時苧と阿蛾とて、透湖に化けた諏名姫に指摘を受けるまで気付かずにいたのであるから。

 疾風は悪くないのだ。
 あえて言えば、同じ罪に陥ちてやらなかったことが彼の罪なのだろうか。

「そうやって兄者は……。
己に惚れた女を受け止めてやることもせずに、一生草太兄者と菜を姉者の後をくっついて歩いているがよい……!」

 阿蛾は言い棄てると、小屋から出て行った。
 帰蝶が全面的に悪い。疾風は被害者なのだ。

 疾風は今後、『帰蝶の技も見抜けなかったうつけ者』、とのそしりを受けるのだ。
 まして、”それほどまでに相手が切望しているのに、受け止めてやらなかった非情な男”、とも。

(あの子は、他の里の女たちのように子をダシにしようとしていた訳ではない)
 普段は呆れるほどに強気なくせに、恋に対してだけは臆病な帰蝶。己が娘は、疾風の女房の座を射止めようと考えてはおらなかったろう、と阿蛾は思う。
 ……いや。己がなりふり構わず、時苧の優しいのにつけこんでおしかけ女房になったことを考えれば、可能性は高かったかもしれないが。

 だが。
 阿蛾はやり場のない怒りに打ち震えていた。

 女の嘘に騙されてやらぬ清廉な疾風も恨めしかったし、金剛石より堅い疾風相手に責め方を見誤った愛娘にも腹が立っていた。

 阿蛾と時苧は、疾風と帰蝶が上手く行く事を楽しみにしていたのだ。
 あの朴念仁をどうやって不器用な愛娘が口説いていくのかを。
 ”こういう手はどうか”、”いやこの手段で持っていくのがよかろう”、とそれは楽しみに語り合っていたのだ。

 なのに、娘は誰にも相談しなかった。
 阿蛾も時苧も救いの手を差し伸べてやらなかった。

 唯一、帰蝶が素直に言うことをきく相手は、疾風であった。あるいは帰蝶が”姉”と慕っている透湖。が、諏名姫自身が進退きわまりない事態に陥っていた。――時苧との壮絶な跡目騒動を闘っている最中であったので、あまり瘤瀬に近寄らなくなっていた。たまに息抜きに瘤瀬に訪れていたが、時苧が居ない時を狙っていた。帰蝶とはすれ違い続きであった。


 それでも忙しい合間、諏名姫は帰蝶のことを気にかけてはくれていたのであるが……。
 皆が楽しみにしていた帰蝶の恋は終わってしまった。

(あーああ……。あとで兄者にあやまれなければ)
 阿蛾は天を仰いでため息をついた。兄に怒鳴って彼女自身は頭が冷えた。
(……だけど。帰蝶でもダメなのなら、疾風兄者のめがねに適う相手がこの先出てくるのかしら?)


 阿蛾は今度こそ、深いため息をついたのであった。




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」 天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた―― 信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。 清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。 母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。 自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。 友と呼べる存在との出会い。 己だけが見える、祖父・信長の亡霊。 名すらも奪われた絶望。 そして太閤秀吉の死去。 日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。 織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。 関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」 福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。 「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。 血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。 ※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。 ※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

処理中です...